新型コロナウイルスの影響を受け深い悲しみの中におられる方、または、不安な日々を送っておられる方々に心よりお見舞い申し上げます。そして、こんな中、尊い命を救うべく医療福祉の最前線に立ち、その使命と向き合いながら戦ってくださっている方々には、心から感謝申し上げます。
この騒動の始まりは2月、対岸の火事のような気がしていた事をいよいよ身近に感じるようになったのは3月でした。三次中央幼稚園も、自由登園とし、卒園式を目前に、欠席数の多い日が続きました。年長組の子供達や保護者の方にとっては、最後の幼稚園での生活……。一日一日が大切な日々でした。もしかしたら、このまま卒園式の日を迎え、全員で顔を合わせる事もなく「さようなら」になってしまう、あの子にもあの子にも会わないで、幼稚園生活を終える事になるのだろうか??──そう思うと、先生達は、できる事なら、すぐにでも「みんな!あつまれ~!!幼稚園においで~!」と呼び戻したい気持ちで毎日を過ごしていました。勿論子供達も、「今日もみんな揃わなかったね。○○ちゃん、どうしているんだろう?」と、毎日毎日、全員が揃わない日々を寂しがっていました。ついに、卒園式の日、できる限りの感染拡大防止策を講じ、保護者の皆様には様々な制限にもご理解いただき挙行しました。その日、やっと約3週間ぶりに全員が揃ったのです。様々な制限の中、私達で試行錯誤の末、最善を尽くした卒園式でした。卒園する子供達を精一杯真心を込めて巣立ちの日を祝ってあげたい!!そんな気持ちで一杯でした。そんな先生達の気持ちに応えるかのように、年長組の子供達は胸を張って立派に卒園して行きました。
春休みの間も落ち着くどころか、新型コロナウイルスの脅威は段々と私達の傍に近寄って来ました。次は入園式…。私も、園長就任後初めての入園式に張り切っていましたが、卒園式と同様に、入園式の在り方から考えないといけない状況になりました。可愛い新入園児達は、今の大変な状況を思わせない無邪気で元気な笑顔で幼稚園にやって来てくれました。その笑顔にみんなが救われるような気がしました。一人ひとりを中門で迎えながら、「どうか、この子達が私達の幼稚園で、健やかに眩しい日々を生き生きと過ごせますように!」と思っていました。保育室では、短い時間でしたが、お父さん又は、お母さんと一緒に担任の先生と歌あそびを楽しんだり、大きな声で返事をしたりして、園生活スタートの一日を過ごしてもらいました。
卒園式も入園式も、仕方がないとはいえご理解とご協力をいただいた事に感謝の気持ちで一杯です。政府の緊急事態宣言の対象区域が全国へ拡大されてからは、子供達にとっての環境が更に息苦しいものになってきました。今、思うのは、卒園して行った子供達、入園式以降幼稚園で会えていない子供達はみんな元気にしているのだろうか?どんな毎日を過ごしているのだろうか?という事……。
私達の力では、どうにもできない事なのかもしれない、それでもどうにかしたい!と思うもどかしさ、これは、今、誰もが感じておられる事だと思います。テレビの放送を観ても、ニュースは新型コロナウイルスの事ばかり、収録困難のせいかドラマもバラエティー番組も再放送が多く、マスクやソーシャルディスタンスもないその過去の映像になんだか不思議な気分になり、遠い光を見つけるまであとどのくらいかかるのだろう?…と、つい気が重くなってしまいます。
だけど、ここが踏ん張りどころです。学校に行きたいのに行けない卒園児達、幼稚園の友達や先生に会いたくても会えないでいる子供達、まだ一日しか幼稚園で過ごしていない新入園児達──。子供達だって、環境の急激な変化の中、子供なりに我慢しています。また、そんな子供達を家の中で安全に過ごさせるために神経を使いながら日々送っておられるご家族の皆さん。仕事や生活に様々な影響を受けておられる方。辛いしんどい気持ちは皆一緒です。運命共同体です。どうしようもない事なら、もう、踏ん張るしかありません。見えないものに立ち向かえなくても、見えて来た事(不要不急の外出を控える、3密を避ける、適切な衛生管理等)には忠実に冷静に対応しながら、自分と大切な人の命を守るために、みんな一緒に踏ん張るのです。そして外出を控え家に居る今の時間を“ピンチの中のチャンス”に!と、考え方を変えて過ごしてみてはどうでしょうか。
そんな悠長な事!…と呆れられるかも知れませんが、私達の気持ち次第で、暗い状況を明るく変える事ができるのではないかと思うのです。親子で、兄弟姉妹で、家の中で遊んだり、掃除や料理をしたりするのもいいでしょう。時には外の空気を吸って軽く運動をしたり、静かに好きな本を読んだりしながら、心穏やかな時間をつくるのもこんな時こそ必要でしょう。又、これまでは、毎日時間に追われてあっという間に日が経ち、立ち止まっている暇がない程忙しかった大人達は、時間が停滞している今のうちに、これまでの事を見直したり新たな挑戦を企て、その“作戦タイム”にしたりするのはどうでしょう。もしかすると、その挑戦が日本を支える底力になる日が来るかも知れないのです。幼稚園の先生達も、今、幼稚園に来ている少人数の子供達と、楽しみを見つけながら過ごしています。神楽好きな子供達が“神楽チーム”を組んで得意な演目を披露してくれています。ある子は、落ち葉や草を使ってお寿司屋さんごっこをしています。段ボール箱や廃材を使って、お昼ごはんの時間を忘れるほどロボットや小動物の住処(すみか)を作って遊んでいます。園庭では、大縄跳びに挑戦している子供達もいます。寂しいけれど、少人数で思いついたあそびを楽しんでいます。子供達はあそびの天才です。満ち足りた中よりも、思うようにならない不十分な中の方が、自分で考えたり工夫したりしながらその中で楽しみを見つけます。先生達は、そんな子供達の“あそびたい!”というシンプルなハートに驚かされたり、感心したりしています。これが結構先生達も楽しかったりするのです。今の踏ん張りの先には、きっと、子供達み~んながこれまで以上の笑顔で幼稚園に来てくれる平和な時が戻って来るはずです。その時の子供達の喜ぶ顔や笑い声を想像しながらいろいろな想いを巡らし、その日が一日も早く訪れる事を信じながら毎日を過ごして行きたいと思っています。
今、世界中が踏ん張りどころです。子供達が安心して成長できる世の中に戻すために……元のように戻す事ができないなら、新しい時代を作る気持ちで精神力を強く保ちながら、日々過ごして参りましょう。辛い時には“お互い様”の気持ちをもって……助け合いましょう。あれこれ、誹謗中傷、争いなどしている場合ではありません。私達一人ひとりがこの状況においてできる事は、先の見通しの悪い長い道を励まし合いながら歩き、踏ん張り続ける事かもしれません。気持ちの持ち様で、“明けない夜はない”と思うのです。──と、書きながら、自分にも言い聞かせている新米園長です。
今年度は、これまでの『葉子せんせいの部屋』を『葉子えんちょうせんせいの部屋』とタイトル改め、引き続き書かせていただきます。この中で、私なりに思う子供達の素敵な所、一緒に過ごす素敵な時間、子育ての難しさや楽しさ、子供とその家族を取り巻く世の中について等々…。保護者の皆様と会話をしているような気持ちで書きたいと思っています。どうか、読んでいただき、共に考え合って楽しさも喜びも苦しさや悲しみも共有できたら嬉しいです。どうぞお付き合いよろしくお願いいたします。
経済的にも歴史的緊急事態に落としいれた新型コロナウイルスとどう向き合えば、この辛い時期を少しでも前向きに過ごす事ができるかを今年度のスタートに寄せて、子供達と保護者の皆様と先生達に……そして自分自身にもエールを送るつもりで、つい割り当てられた私のページを書き過ぎてしまいました(笑)。今回は特別だと思って読んでいただけたら嬉しいです
ピンチはチャンス!明けない夜はない!ここは踏ん張りどころです。一緒に乗り越えましょう!!
2020年4月30日 11:39 AM |
カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 |
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葉子せんせいとは、三次中央幼稚園の主任教諭 田房葉子のことです。自分の保育実践を通して書き、学研の保育専門誌「ラポム」にも連載された「あそべやあそべ」という著書もあります。
このページでは田房葉子が主任教諭として平成18年度より三次中央幼稚園が園児・保護者対象に月一度発行する園だよりに連載され、皆様に親しんでいただいている、『葉子せんせいの部屋』を年度・月ごと皆さんにご紹介し、子育ての参考にしていただければと思います。
2020年2月15日 6:02 PM |
カテゴリー:葉子先生の部屋 |
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どこかの地方では梅の花が見ごろを迎えているというニュースを耳にしました。いつのまにか「大寒」が過ぎた──そんな気がします。雪あそびは2月のお楽しみにとっておく事にしましょう。
さて、先日、幼稚園で教育講演会を行いました。フリーアナウンサー徳永真紀さんに「子どもと一緒に輝く自分であるために」というテーマでお話しいただきました。
自分の事を知り、似合う洋服を着る事により、自身も生き生きとでき、自分を見る周りの人達にも好印象を与えられる男性女性になれるんだという事を顔タイプ診断をもとに教えていただきました。これまで好きで身に付けていた洋服や靴やバッグが、実は自分には似合う物ではなかった、あるいはもっと違う物のほうが好印象だったという自己診断ができたと思います。中には、そんな事すら考えた事がなかった…自分を振り返る良いきっかけになった等、たくさんの保護者の方から、感想をいただきました。お父さんもお母さんも、子育て真っ只中で、自分の事より子供優先の毎日を送っておられると思います。仕事や家事に追われながら、一生懸命に子供を想い生活をされておられるでしょう。それは、とても素晴らしい生きがいであり幸せではあるけれど、子供達を学校や幼稚園に送り出した後、フーッとため息をもらす事もあると思います。そんな疲れた気持ちに自分を追い込まないようにするためにも、ちょっとした気持ちの持ち様で、生き生きとした自分を実感しながら生活できるという事です。
ある朝の事、中門でいつものようにお子さんを送って来られたお母さん、「いってらっしゃい!」と見送られた後で、私と楽しく話をしていたところ、その子が振り返り、大きな声で、「お母さん!お母さんが笑ってて楽しそうで嬉しい!」と一言叫んで行きました。そのお母さんはいつも笑顔でお子さんを送ってくださり、仕事に行かれるのですが、その時は何か特別だったのでしょう。お母さんの笑顔や笑い声がその子にとっては、元気に「行ってきます!」と言える源になっている事を感じました。お父さんやお母さんが笑顔でいる事が子供達にとっては、すごく幸せで満たされた気持ちになれる事なのです。とても素直で率直な子供の心の声だったと思います。
“生き生きとする”のではなく”生き生きとできる“事が大切なのではないでしょうか?生き生きしたくても、できない状況もあります。でも、自分を少し変える事で何かが変われば気持ちが変わり、それが態度や表情、雰囲気に表れ、周囲に良い影響を与える事になります。そうしたら、人間関係も良くなり、仕事や子育ての歯車が上手くまわるようにもなる気がします。ちょっとしたおしゃれを楽しんだり、趣味を持ったり、お仕事にやりがいや楽しみを見出したりする事で、自分自身が輝き笑顔や会話も増えるでしょう。子供達はそんなお父さんやお母さんをよく観ています。子供達は、笑顔で、たくさん話をしてくれたり聞いてくれたり、元気な心をみせてくれたりするお父さんやお母さんが大好きなのです。
でも、そんな事はわかっているけど、そんなに簡単に生き生きできる環境にはならない。理想は追い求めたいけれど、やっぱり現実はそういかないわ……そう思うところもあります。仕事や家事に加え子育ては実際お父さんお母さんにとっては大変です。実は、心のどこかで“しんどい!”とか“辛い!”とかを言えない(言ってはいけない)という本音と闘っているところがあるのではないでしょうか?だって、世の中、仕事も子育ても楽しい事ばかりじゃあないんですから……。でも、「辛い!」と言ってしまうと、そのままもう踏ん張れなくなるのではないか、子供の前では、しんどそうにしてはいけないとか、そんな顔を見せてはいけない等と忙しさから来る気持ちの逃げ道を塞ぎながら明るい笑顔をつくって、ギリギリのところで頑張っているお父さんお母さんもおられると思います。でも、お父さんだってお母さんだって、しんどい事も悲しい事もあるんです。職場や世間でいろいろな事があって、家に帰った時、それでも、笑っていなきゃと思うとお父さんお母さんがパンクしてしまいます。先程も言ったように、子供はよく観ています。ちゃんとわかっています「アッ、今お父さん疲れているな。」とか「お母さん、しんどいのかな?」と、察してくれているのです。だったら、「今日はお仕事が忙しくて、ちょっと疲れちゃった。」とか「助けてくれる?」と子供の前で少しばかり息を抜いてもいいのではないかと思います。子供達もお父さんお母さんには、自分の気持ちを遠慮なくさらけ出します。お父さんお母さんだって、いつも、元気いっぱい生き生きしてばかり、笑ってばかりではないのです。だって人間だもの。だから、助け合って行かなきゃいけない。子供達を含めての家族です。お互いにどんな時でも、一緒に理解し合い支え合っていく、“お父さんお母さん”としてだけではなく、人と人とが気持ちを分かり合って生きていく大切さをこうした事から子供達は理解しながら学んでいくのではないかと思います。家は、無理しないでいられる場所だと思います。この土台があってこそ、ちょっとしたおしゃれをしたり、趣味を楽しめたり、やりがいを持てたりする気持ちになるのではないかと思うのです。
お父さんお母さんだって人間だもの……そう言って、子供達と心から笑って日々過ごせたら、更に生き生き過ごせるのではないでしょうか?
2020年1月31日 2:23 PM |
カテゴリー:葉子先生の部屋 |
投稿者名:ad-mcolumn
明けましておめでとうございます。新元号『令和』になってから初めてのお正月。皆様、どのように過ごされたでしょうか?『昭和』から『平成』そして『令和』と新しい時代が移り行く様を経験している私は、新時代の一年の始まりを新鮮な気持ちで迎え、希望ある年になりますようにと思いながら過ごしました。
昨年5月1日には、新天皇へ、皇位の証である“三種の神器”が継承される「剣璽等継承の儀(けんじとうけいしょうのぎ)」が雅やかに行われました。この“三種の神器”は「鏡・剣・勾玉」の宝物で、この詳しい内容や歴史的背景等は、深すぎてよくわかりませんが、私は、この雅やかな歴史的瞬間を見逃すまいとテレビに釘付けでした。
“三種の神器”と言って思い浮かべるのは、“家電──三種の神器”です。……戦後、国の復興を目指し、新しい時代をつくって行こうとする人々の豊かさとその憧れを意味する物として、「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が上げられていた事はよく知られた話です。それから時代は巡り、平成を生きて来た人が選んだ“新・三種の神器”は「携帯電話・薄型テレビ・ロボット掃除機」だそうです。戦後にこれらの存在する時代が訪れる事をどれだけの人が想像したでしょうか?今は、それほど手の届かない物ではない豊かな時代になっています。それどころか、ここに来て急速に時代の変化を目の当たりにし、追い付けないでいる私がいます。……というのも、昨今ではスマートフォンで、支払いができる世の中になりました。お店に行かなくても欲しい物が買えます。帰宅前に家の冷暖房のスイッチを入れる事ができます。これさえあれば、なんだってできるのです。私は、そのシステムや使い方がどうも理解できず、いろいろな人に教えてもらったり、繰り返し練習したりしながら、なんとかスマートフォンで支払いをするという情けない話です。気が付けば、幼稚園の事務所にも「PayPay」払い可能という「PayPay」のステッカーが貼ってあり、びっくりしました。世の中に少し取り残された気さえして焦ってしまいます。キャッシュレス決済も当たり前の時代になってきました。まだまだ、私は全然使いこなしていませんし、情けない話、むしろ、難しくて不便ささえ感じる程です。
でも、世の中がこんなふうに変化して行くと、子供達の中のあそびにも少し変化がみられるようになります。子供達は世の中を小さいながらにもよく観察して模倣しようとします。お店屋さんごっこをしている子供達がバーコードを読み取る機械を手に「ピッ、ピッ、ピッ」と品物に当てたり、ごっこあそびをしながら型紙で作ったスマートフォンで話したり指で画面を操作する仕草をしたりします。20年以上前に子供達と冷蔵庫を梱包していた大きな段ボール箱を使って“電話ボックス作り”をしました。ダイヤル式やプッシュボタン式の電話機や電話番号帳、その中で電話番号を調べながら受話器を持って話しているという楽しいあそびが展開されていました。「もしもし、○○ちゃんですか?」「ハイハイ、そうですよ。」「今度あそぼうね」と受話器を持って話していたあの頃の子供達……。多分、電話ボックスを知らない今の子供達が見たら、不思議な光景でしょう。もしかすると、ラインで無言のやりとり、何でもインターネットで調べる、スマートフォンでの支払い等、あの頃とは違うごっこあそびをする時代はすぐそこまで来ているのかもしれません。新時代になる事に戸惑いやかすかな疑問や本当にこれでいいのか?と踏みとどまりたい気持ちはありますが、その時代を生きるという事は、この変化を自分なりに受け止め、頭を切り替えて順応していく事も必要なのでしょう。ただ、不便な時代(それほどでもありませんでしたが…)を知って、今の便利さや効率の良さ、またはエコ化したシステムや商品に出会うと、その良い所も問題点も見えてきます。“豊かさ”を求めるがゆえに少しだけ失うものがあるような気がするのは私だけでしょうか?子供達が、当然のように“新・三種の神器”をあそびの中で使いこなす前に、一つ前の時代の物にも触れたり教えたりしてあげてください。工夫する楽しさや頭を抱えて考え、生活を便利にする答えを見出す事のおもしろさは、豊かさへの憧れとして、不便さの中でこそ生まれるのだと感じてくれるでしょう。
子供達は敏感に今の世の中を自分達の生活の中にあそびとして取り入れながら学びます。この前、「葉子せんせい!ジュース屋さんごっこをしているから、買いに来ていいよ。」と言って誘ってくれました。「お金がないけど、いいの?」と言うと「じゃあ、待って!……これで、買いに来てください!」とオレンジ色の画用紙で作ったお金を渡してくれました。100円札(笑)でした。そして、「おつりでーす」と、色とりどりのスズランテープを入れたジュースと丸く切って作った10円玉を「ありがとうございましたー!」と言って渡してくれました。なんだか、このやり取りに少しだけ安心しました。「PayPay払いでしょうか?」と言われたら「おいおい、ちょっと、待って!」と言いたい気持ちになったかもしれません。急速に変化する時代ですが、ちょっとだけ不便でちょっとだけ古い、そして、ちょっとだけ面倒臭い…そんな中にも隠れている“自由”や“贅沢”や“豊かさ”がある事に…そしてそれは何だろう?と探りながら新時代を築く大人になって欲しいと思うのです。
現代の波を受け止め、この波に乗り遅れないように私も新しさを学んでいかなければ!!と思っています。……が、さてさて、この私…ついて行けるでしょうか???(笑)
今年も、子供達の“元気エキス”“若さのエキス”をもらいながら、一生懸命頑張ります。どうぞよろしくお願いします。
2020年1月8日 3:33 PM |
カテゴリー:葉子先生の部屋 |
投稿者名:ad-mcolumn
先月から、更に幼稚園が秋色に染められました。色づいた葉が落ち始め、子供達はいろいろに楽しんでいます。落ち葉を見たり集めたり踏みしめたりしながら五感を通して秋を感じさせたいと、先生達の提案で毎朝していた掃き掃除をやめて、そのまま残しておくようにしています。木枯らしに落ち葉が吹かれていく様や踏みしめた時の枯れ葉の音を見たり聞いたりしながら、子供達は秋にどんなイメージをもって大きくなっていくのでしょうか?
10月に行った十三夜のお茶会──。お月見は秋の豊作を願い、収穫に感謝して美しい月を眺める日本古来の行事ですが、この十三夜の月は、満月の時より欠けています。日本人は昔から、満月も美しいがまんまるに少し足りない姿もまた美しい──と、不完全なものに“はかなさ”や“健気さ”という“美”を見出してきました。
今、子供達は、12月に行われる音楽発表会に向けて毎日一生懸命に練習をしています。最初は、自分達が踊ったり演奏したりする曲を聴いて、そのリズムを感じとり、身体や楽器を使ってその曲をダンスや合奏で表現します。子供達は、これ何の曲だろう?という興味からみるみるうちに、踊りたい!演奏したい!という意欲に変わります。クラス全員で演じるまでには、先生達の秘策(?)があり、いろいろなドラマがありました。それを全て語りきる事は難しいのですが、練習をずっと見ていると、子供達と先生が真剣にその一曲に向き合って挑んでいる事をひしひしと感じます。まだ先が見えてこない早い時期に子供達の中には、「できない」「やりたくない」「もうやめたい」という気持ちになる事もあったかもしれません。特に合奏となると、これまでした事もない楽器を使い、その技術だけではなく曲に仕上げるために、そこにはみんなで気持ちを揃えて調和する事が求められます。一人ひとりがしている演奏は、そのパートだけでは、完成された一曲にはなりません。不完全です。その部分を完全なものにするために、別の不完全なパートが担う……それでもまだ足りない部分をまた違うパートが担う……この重なり合いが完全なものに仕上げるのです。不完全なものを完全なものにしようと努力する“健気さ”にこそ力強さや美しさや眩しさを感じるのです。しかも、そこに至るまでにも、個々に子供達は自分なりに努力をしていました。園庭に保育室から響いてくる太鼓や木琴、鉄琴の音……子供達が、苦手な所を自分で練習していたり、できるようになって嬉しくて何度も一人で音を出してみたりしていたのです。できていなかった部分を練習で埋めて完全なものにしようとするその一生懸命な姿は本当に眩しかったです。自分達の“伸びしろ”に挑戦している姿でした。自分ならもっとできるはず!と、自分の可能性を信じているのです。「もうできない」と諦めていない姿です。それには『先生とクラスのみんなで、一つの曲を自分達の力で頑張って完成させよう!きっと、素敵な演奏になるし、そうなっていく事が楽しい!と思えるから…!』という事を目標の一つにして頑張る日々を送ってきているからだと思います。「あなたならもっとできるかもしれない。もっと出せる力があなたにはあるかもしれないよ。」と一人ひとりの潜在している力を先生達が引き出していく事で、子供達は自分の力に気づかされ、「そうか!僕、もっと頑張れる自分になれるかも!」とその時の自分の姿を夢見て目標にします。早い時期に完成したと満足してしまったら、それ以上の努力も必要もなく、完成に向ける伸びしろもありません。「このくらいでいいや」ではなく、先生達は「もっと、この部分をこうしてみよう!」と、楽器の音色やリズムにこだわります。合奏だけではなく、合唱や踊りでもそうです。それは、「あなたはできるよ!」と、一人ひとりに伸びしろを作ってあげているのです。それは子供達が完成に向ける更なる目標をつくるという事なのではないかと思うのです。
“伸びしろ”の類語のひとつに“期待値”という言葉があげられます。周りから受ける“今よりもっと良くなる可能性”を込めた言葉ですが、誰かから期待をされて嬉しい気持ちを持たない人はいないのではないかと思います。過分な期待は逆効果ですが、その子にどんな力がどれだけあるかを見極め、伸びしろの幅を大きくしたり小さくしたりしながら、子供達の意欲を引き出していくのです。これも、先生達の秘策のひとつです。
音楽発表会では、そうして作り上げてきたステージを温かく応援しながらご覧いただきたいと思います。ステージの上で、踊ったり歌ったり合奏したりする子供達一人ひとりが“伸びしろ”を持ち、完成に近づける事を目標に頑張ってきた事を感じ取っていただけたら嬉しいです。一曲に込める目標、クラスとしての目標、それらが幼稚園としての大きな目標を成し遂げる──そこには、不完全をみんなで完全なものにしようと努力しその部分をそれぞれの力で補い合いまた担い合い、こうして出来たものこそ、素晴らしい完成作品だと言えるのではないかと思います。我が子を観る時、一人ひとりの中に完成に近づくために目標をもち、頑張ってきた今までの事を想像しながら、一人ひとりにそれぞれ完成の形が違う事にも気が付いてあげてください。その姿に、大きな拍手をおくってあげてほしいと思います。「大丈夫!あなたはできるよ!」と指揮をする先生達と「うん!そうだね。がんばるよ!」と、その一曲に向き合おうとする子供達との間に漂う空気感をどうぞお楽しみください。
子供達には、まだまだ伸びしろがあります。頼もしい限りです。
2019年11月29日 4:54 PM |
カテゴリー:葉子先生の部屋 |
投稿者名:ad-mcolumn
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