子供はこうして大人になっていく(2024年10月30日)

園庭のモミジやフーの木が、少しずつ色付き始めています。地球温暖化の影響により、日本の四季がなくなっていく可能性があると言われている中、やっと秋を感じる事ができる景色をながめてなんだかホッとします。季節と呼吸を合わせながら営まれて来た日本の生活が乱れる事なく送れる事を願いたいものです。

あの頃の僕、ごめん
 先日、20年前に卒園して広島市内に引っ越して行った男の子が、突然幼稚園に遊びに来てくれました。事務所の先生に案内され、園舎に向かって歩いて来る姿を遠目に見て、しばらくは誰なのかがわかりませんでした。すっかり大人になっていて驚きました。その子の事を知る先生達は、来てくれた事が嬉しくて大騒ぎでした。丁度、降園前に先生から絵本を読んでもらっていた時間だったので、彼は昔の事を懐かしむように、子供達に話をしてくれました。「みんな!幼稚園でいっぱい遊ぶんだよ。やんちゃし過ぎて先生を困らせないようにね。」と優しく……。その後で、彼は私に「葉子先生、僕、大人になって仕事もするようになって、いろんな事があったよ。先輩に叱られる事もあって、自分のダメな所やまだまだ勉強しないといけない所を思い知らされたよ。でも、ふてくされていても何にもならないから頑張ってるんだ。幼稚園の時は、絶対僕、先生を困らせてたよねー。今謝らないといけないね。ごめん。」と笑って言うのでした。あの頃の彼を思い出すとこんな事を言うようになるなんて想像もしていませんでした。その後、一緒に来てくださっていたお父さんと話すと、彼のお父さんは「お墓参りに三次に来たんですけど、この子が幼稚園に寄りたいと言うので、一緒に来ました。ここの幼稚園の事が忘れられないみたいで……」と言ってくださいました。私は、彼が、いろいろな事を経験して…人に揉まれてしっかりした考えをもった人になっている事に胸がいっぱいになりました。苦しんだり悩んだりした分だけ大人になっていました。

お父さんの気持ちにありがとう
 私達は子供達を育てるプロとして責任ある大切な仕事をさせていただいています。……ですが、ひとたび自分の子育てはどうだったかと振り返れば、全く胸を張れるものではありません。悩んだり嬉しい事があったりした時、先生同士でよく自分の子供の話をし合います。大学生になった娘をもつ先生とこんな話をした事があります。親元を離れ、一人暮らしをしている娘さんが、久しぶりに帰省した時の事、ちょっと高価なアイスクリームをねだったそうです。せっかく帰ってくれたのだからと、そのお高いアイスを奮発して買ってあげたそうです。でも、その先生は仕事からの帰りが遅くなりました。すっかり遅くなって買って帰ったアイスを冷凍庫に入れようとドアをあけると、すでにたくさんのアイスクリームが入れられていました。娘さんが、「アイスクリームを食べたい」と母親に言っていたのを聞いていたご主人が、ドラッグストアで安価なアイスをいっぱい買ってくれていたのだそうです。娘さんは、本当は、「私、こっちがいい!」と言ってねだっていたアイスを食べたかったのでしょうが、お父さんが買ってきてくれたアイスを食べたそうです。そして、大学に戻る日、お母さんにこっそり「お父さんが買って来てくれたアイスを先に食べてあげてよ!」と言い残した……と言うのです。自分のために、食べさせてやろうと思って買い、黙って冷凍庫に入れてくれていたお父さんの優しさとぬくもりに触れ、彼女はその思いに応えたかったのでしょう。親元を離れてあらためて自分を思う親の気持ちの深さに感謝しているのでしょう。それまででも、人の気持ちのわかる子でしたが、大学生になり、新しい環境の中で出会ういろいろな経験や人との関わりは、彼女をますます周りの人の気持ちに気づき気遣いがちゃんとできる素敵な大人にしてくれたのだと思います。私は、この話を聞いて胸が熱くなりました。

広がる世界の中で「大人」になる
子供達は小さい頃は、本当に小さな世界の中で守られて生活しています。しかし、成長と共に徐々にその世界は広がります。その中で、家族以外の人と出会いいろいろな考えや生き方に触れ、考え方の幅も広げていきます。そうしながら、これまでの自分を振り返ってみる事ができ、その先の自分の生き方を考えられるようにもなります。「大人」になるのです。
 親元を離れ、それまでと違う環境で他者と関わりながら、見える世界も変わってきます。そして、自己の考えを確立しながらも、自己の事ばかりではなく人の気持ちや考えを尊重しながら折り合いをつけて社会に順応するための気遣いをしながら生きていく───これが大人になるという事だと思います。そして、ふと振り返ってみると、そこにはずーっと変わらない親の愛情がそのスタートであった事にも気づきます。子供の頃から、できるだけたくさんの人・いろいろな人の中で、たくさんの経験・いろいろな経験をして、自分はどうだろう自分だったらどうするだろうと自己と向き合う機会をもつ事が、大人への階段を昇る事になると思うのです。こうして、成長と共に社会性が育ち自分の発言や行動に責任を負わせてもらえる大人になっていきます。子育ては親だけで背負うのではなく、ぜひ!周りの人の力を借りてみてください。おじいちゃんおばあちゃん、ご近所さん、ママ友パパ友、先生……たくさんの人に関わってもらう事で、子供達は大人になるための準備を少しずつしていくような気がします。そして、みんないつか必ずちゃんと「大人」になるのです。

ほめる──あなたのここが素晴らしい(2024年9月27日)

今年も、残暑の厳しい夏でしたが、朝夕は涼しくなり、日も短くなって来ました。これからは、気持ちの良い秋空の下で身体を思い切り動かしたり、秋の自然に目を向けて心動かされたりする経験を楽しみたいと思います。

気持ちの良いあいさつに“嬉しいよ”

夏休みを終えて2学期の始まりの朝、子供達は、いろいろな表情で登園して来ました。緊張した顔、笑顔いっぱいの顔、みんなに会える事を楽しみに期待いっぱいの顔……。そんな中、ひときわ大きな声で「園長先生!!おはよう!今日から2学期なんでしょ、私、楽しみな事がいっぱいある!」と、話してくれる女の子がいました。新学期を待ち望んでいた事が手に取るようにわかりました。息継ぎもするかしないかのようなその子の話しっぷりが微笑ましくて、しばらく聞いていました。話し終えて落ち着いたところで、「園長先生は、ここで〇〇ちゃんを待っててよかった。楽しい話が聞けたし、一番に“園長先生!おはよう!”って言ってくれたから嬉しいよ。すご~くいい2学期になりそう!」と言いました。すると、その子は「うん!私も!」と言って笑っていました。その子は帰る時も「園長先生!さようなら!」と自分から言ってくれます。

さりげない優しさに“ありがとう”

2学期から、満3歳児クラスには、5人のニューフェイス達が入園してくれています。まだ、新しい生活に慣れず涙する子もいます。そんな姿も可愛く思えるのか、年中年長のお兄さんお姉さん達が気にかけてくれています。そんなある日、私が、泣いている満3歳児の子の涙と鼻水を拭いてあげてその子をおんぶしようとしていると、ある年中組の女の子が来て「そのティッシュ、捨てておいてあげようか?」と言ってくれたのです。どこかで、その様子を見ていたのでしょう。「ありがとう!助かるよ。おんぶしてゴミ箱まで行くの大変だなぁ~って思ってたんだよ。ありがとうね。」とお礼を言いました。その子は「どういたしまして。バイバイ。」と泣いていた子に優しく手を振って向こうに行きました。

ほめ方とほめるタイミング

先日、ある施設が主催する“子育て講演会”に参加し、興味深く話を聴きました。その中で、児童精神科医の「子供を“ほめること”」についての研究結果をもとにした話を聴きました。

“知能”をほめられた子供は、失敗する事を恐れ、問題の正答数が大幅に減ったが、知能ではなくその“努力”をほめられた子供は、失敗しても以前より多くの問題を解けるようになった。

また、

“結果”をほめられた子供は、良い結果がでる易しい問題にしか取り組まなくなったが、結果ではなくそこに至るまでの“努力”をほめられた子供は、難しい問題にチャレンジする事ができるようになった。

……この研究から、「知能」や「結果」ばかりをほめると、ほめられたいが為に、良い結果が出せる事にしか取り組もうとしなくなる傾向に陥る…というのです。

ほめるには、子供の心に刺さるほめ方があります。どうしてほめられたのか、ほめてくれたお母さんお父さんは…先生は、私の僕のどこを認めてくれたのか、なぜ、嬉しそうなのか、なぜ、幸せそうにほめてくれたのか……。ほめてもらえた事で、それが子供の心に届くのです。そしてそれが、子供達の向上心やチャレンジ精神を育てる事に繋がっていきます。

さて、来月は「わんぱくチャレンジ」で、頑張る子供達を観ていただきます。これまで、様々な種目において努力をしたり、友達と力を合わせる大切さを知る経験をコツコツと積み上げて来た子供達の表情を観て、どのようにほめていただけるでしょうか?「わんぱくチャレンジ」の一日だけではなく、また、できたできなかった…速い遅いの結果ではなく、その日までの、あっただろう“努力”や“仲間意識の高まり”を感じてそこをほめてあげて欲しいのです。結果にばかり目を向けるのではなく、そこに至るまでの過程に目を向け、その部分をほめて感動した事を言葉にしてあげるのです。すると、子供は、頑張って良かったと実感できたり、そうした事で人も自分も嬉しくて楽しい気持ちになれるという事があらためてわかり、自分の頑張りや良い行いがより確かなものになっていくのです。

そして、それは、その子の成長の通過点の一部である事も忘れないでください。これから、どんどん成長して自立した大人になって行くまでの、ここは、ポイントに過ぎないのです。大きく考えれば、人生のプロセスを踏んでいる最中なのです。人生の中で、こうしたポイントを何度も通過しながらその度に他者に認められ承認称賛される事により、自己肯定感を得ます。そうして、認められた力に自信をもって生きて行ける子になるような気がします。

私達は、幼稚園生活の中で、まだ見えない先の先のずーっと先に見える“強く逞しく生きて行く子供達の像”を夢に描き育てています。

日常の中でも、その子のとった言動に「あなたのここが素晴らしい」としっかりほめてあげてください。それは、子供達の成長において大きな力になります。

お父さんお母さんは、一番身近にあるお手本💦(2024年8月29日)

6月に年長組の子供達が植えた田んぼの苗が、大きく生長し、穂が見え始め、その周りをたくさんのトンボが飛び回っています。秋の始まりを思わせてくれる毎年の光景です。酷暑を乗り切った心がほんの少し癒されるようです。

さて、2学期が始まります。子供達は、どんな夏休みを過ごしたのでしょうか?始業式に会える事を先生達みんなで楽しみにしています。

「おじいちゃんとゴミ拾い」

この夏休みの間、いつもよりはご家族で過ごせる時間が多くあったのではないでしょうか?

夏休みのある日、私の地域で清掃作業が行われました。いつもなら、大人だけで行うのですが、その日は、早起きをした小学生の女の子が「私も行く!」と、その子のおじいちゃんと一緒に作業に加わってくれました。広範囲を歩きながらゴミ拾いをします。火ばさみとゴミ袋を持って、私達大人と一緒に頑張ってくれました。おじいちゃんに火ばさみの使い方を教わりながら、「これは、この袋ね、これはこっち」ゴミの分別を楽しそうにしていました。

道々にある畑に大人達が立ち止りながら、「このナス、皮が硬くて……どうしたらよかったのかな~」とか「今年もキュウリがよくできた。どうやって食べようかね~」等と野菜の生長を見ながら情報交換をしていました。それを聞いていた女の子は、「ナス好き!」とか「この花からきゅうりになるんでしょ。おばあちゃんに教えてもらった」等とその情報交換に加わっていました。

また、ポイ捨されたたばこの吸い殻を見つけて、「どうして、こんな事するのかね~?みんなの道なのにね。」と言う大人の声に耳を傾け「汚いなぁ~もぉ~」と言いながら拾っていました。

1時間ほどの作業でしたが、その女の子はおじいちゃんと一緒に歩きながら野菜の事を知ったり、作業をしてみんなで町をきれいにしようとする姿に触れたりして、沢山の大人達の言動に何かしら心動かされるものがあったでしょう。そして、大人の人から「良くお手伝いしてくれたね。」と言ってもらい嬉しそうでした。

「子供はお父さんお母さんをよく見てる」

また、夏休み前の幼稚園での朝の事、私が落ち葉や砂が溜まった細くて浅い排水溝の掃除をしていました。ほうきや手を使っても取り切れなくて、近くにいた年長組の男の子に、「砂遊び用のスコップを持って来てこの溝から砂をとってくれないかな?」と頼むと、「わかった!」と言って小さなスコップを一つ持って来てすくい取ってくれました。でも、きれいに取り切れなくて苦労していました。すると、「ちょっと待ってて!もう一つ持って来る!」と言って、両手にスコップを持って戻って来ました。「こうして、右と左から同時に合わせてすくったら、きれいに取れるんだよ。もっと深い溝に虫がいたり物が落ちたりした時に、パパがふたつの物で挟み撃ちして取ってくれるよ。」と教えてくれました。「パパは頭がいいから」と言うのです。パパと一緒に過ごしている時の何気ないワンシーンでも、パパをじーっと見て学んでいたのです。「なるほど!すごい!」と感動し、それを、まさに園長先生に頼まれた今、応用を効かせて行動したのです。

数日後、その子のお父さんが朝送って来られ、その時の情景を伝えると「そうなんですか、そんな風に見てくれていたんですね。嬉しいです。」と笑って応えてくださいました。教えるつもりではなかった事でも、その子はパパをお手本にして生きる知恵を得ていたのです。

我が家では、娘達がお盆にあわせ帰省してお盆支度を手伝ってくれました。仏間の掃除や灯篭を出したり、仏壇花を生けたりしながら私の手先をじーっと見ていました。ご先祖様や仏壇参りに来られるお客様を迎えるために一緒に掃除をし、お花やお供え物をして準備をしました。田舎の本家である我が家ではお正月やお盆は大イベントです。現代社会においては、少々そぐわない昔からの我が家の習わしかもしれませんし、彼女たちの将来にこのような場面があるとは限りません。でも、何か大切な事をする時の、何かに対する……誰かに対する思いやりや“心を込める”姿勢を彼女達なりに感じとり彼女達の人生の中で受け継いでくれたら嬉しいかなと思いながらその時間を過ごしました。

「親を見て学ぶ、感じて学ぶ」

親は、算数や国語等の勉強はなかなか教えられないけれど、一緒に過ごしながら“生きる術”や“生きる姿勢”のお手本となる事は出来ます。教えようと思うと、自信もないしちょっと窮屈ですが、子供は、親の生き様を見て成長するものだという事を頭に置いて普通に過ごすだけで……また、私達大人の意識が変わるだけで、子育ては積み上げられていくのです。人として生きるための土台づくりをする今は、純粋にお父さんお母さんが一番のお手本なのです。

しかし、成長して、様々な社会に出ていろいろな人に出会うようになると、お手本の種類もたくさんになり、絶対的だったはずの親を反面教師にする事もあります。自分が更に成長するために、良いと思うお手本を子供は選びながら大人になろうとするのです。それは当たり前の事で、むしろその時は喜んで反面教師になろうではありませんか(笑)。

私は、そっちの方が多いかな???

心の安全地帯(2024年7月19日)

明日から夏休み。1学期を共に楽しく過ごした先生や友達とはしばらく会えませんが、夏休みの間に普段とは違う経験ができる事を子供達は楽しみにしているようです。「ヤッホッホ♪なつやすみ♫ヤッホッホ♪なつやすみ♫~~まいにちたのしい♪なつやすみ~♪」と夏休みを心待ちにしている子供達の歌声が聴こえて来ます。

「ほら、あそこで先生が待ってるよ」
始業式でスタートした1学期。例年、4月頃は中門当たりで、お家の人から離れられない新入園児達の涙の大合唱が繰り広げられるのですが、振り返ってみると、今年は割と穏やかだったような気がします。それでも、保育室を回ると、未知の世界に飛び込んだ事に戸惑い、不安気な子供達がたくさんいて落ち着かない日々がしばらく続いていました。いろいろな先生達でサポートしながら、1学期の集団生活を構築してきました。
そんな中、3歳の誕生日を迎えて入園して来る満3歳児(さつき組)のクラスでは、落ち着いたかな?と思えば、次の月には、涙しながらニューフェイスが入園して……その子がどうにか慣れたかな?と思えば、また次のニューフェイスが涙……それにつられてまた涙……。まだまだ小さくて幼いクラスですから、当然の光景です。
そんなさつき組の担任の先生は、登園時、様子をみて慣れない子を中門まで迎えに出てくれます。お家の人と車から降りて来て少し躊躇していても「おはよう!」と先生が笑顔で迎えると、お家の人の手を固く握りしめていた力をフ~っと緩めて、担任の先生と手をつなぎ保育室に向かうのです。少し慣れてくると、先生は、保育室の前で迎えます。「ほら、(担任の)美智子先生が、お部屋の前のテラスで待ってくれてるよ」と中門で私が声をかけると、一人で、美智子先生の待ってくれている保育室に歩いて行きます。遠くても先生の顔が見えるだけで安心するのです。こうして少しずつ少しずつ自立する姿を見せてくれるようになります。小さな身体には大きすぎるほどのたくさんの荷物を「よいしょ!よいしょ!」と両手に持って行くその後ろ姿が、何とも健気で可愛くてたまりません。幼稚園では、自分の先生が一番安心できる人なのです。

「先生はどこ?」
クラス毎の活動が始まると、子供達はみんな保育室に入ります。そうした時間のある日、さつき組だけ園庭で過ごしていました。子供達は、それぞれに自分の好きな事をみつけて遊び、先生は、花壇の花や野菜に水やりをしながら、そんな子供達の様子を見ていました。少し離れた所では、美智子先生を真似たのか、はたまた便乗したというのか、何人かの子がじょうろを使って水やりという名の水あそびをしていました。あちこちのプランターに存分にお水をあげていました。時々土を掘ったり、花をむしったり(笑)して「コラコラ!」と注意されながらでも、楽しそうに遊んでいました。なかよし動物園のヒツジのくりーむちゃんや、ヤギのきなこちゃんに野菜をあげる子もいました。広~い園庭を貸し切り状態で遊びます。砂場を通りかかると、そこで遊んでいたある男の子が「みちこせんせいは?」と私に聞いてきました。見失ったのでしょう。「あそこにいるよ」と教えると、「いた!いた!」と安心した顔をして、再びしゃがんで砂あそびを続けました。先生が居る事がわかっただけでそこは安全地帯になるのです。

「パパやママの気配」
家で子供が一人遊んでいて、時々「ママ~」「パパ~」と呼んだり、顔を見に来たりする事がありませんか?夢中になって遊んでいても、ふと、気配を感じなくなって不安になるのです。居てくれる事がわかるだけで安心するのです。一番安心できる人の気配を感じながら心を安定させています。世界が広がりさまざまな経験を積んでいく事で、安全地帯は徐々に広がっていきます。広い園庭の中で、先生と手を繋いだり抱っこしてもらっていなければ安心できなかった子供が、ずっと遠くに見える先生の顔を見たり、声を聞いたりするだけで安心するようになるのです。気配を感じながら、子供達は安心して“いたずら”という名の“チャレンジ”や“力だめし”をしたり“ケンカ”という名の“人とのコミュニケーション”を図ったりできるようになるのです。

幼い子供達は、先生をどこからでも目で追って、安心して過ごしています。先生もまた、子供達一人ひとりを広い目で見守ります。
時には、先生のお手伝いで各クラスの洗濯物を集めて回ったり、頼んでもいないのに(言葉が悪いですね~)先生の真似をして物をあっちからこっちにせっせと運んだりして、依存しながらの生活から、あの子達なりに自立に向かって歩んでいるのです。ほめられたり抱きしめられたり、また時に「コリャッ」と叱られたりして、先生の気配を感じながら、心の安全地帯でのびのびと過ごすのです。

「どうぞ“我が家流”の夏休みを!」
さあ!子供達は夏休みです。(どこかへ連れて行ってやらなきゃ)とか(何かをしてやらなきゃ)とか、思っておられるかもしれませんが、特別な事を考えて頑張り過ぎなくてもいいのです。“家族”という安全地帯の中で、一緒に早起きして花に水やりをしたり、洗濯を干したり畳んだり、ごはん支度をしたり、また、お仕事があって忙しくしておられても、ただ、家の中で一緒にいられる時間に大好きな家族の人がいてくれて、ふっと目が合うだけで、子供達は幸せに過ごせるのです。
ん???「あ~ぁ、夏休みかぁ~。やれやれ」と呟く声が聞こえるような……聞こえないような……(笑)家庭から幼稚園に安全地帯を広げた子供達の1学期間の成長を垣間見る事ができるかもしれませんよ~。