出会い(2024年1月31日)

今月中旬、私の地域の”とんど“に参加しました。太く長い竹数本を軸に、たくさんの枝木や細竹で高く組みお正月飾りを燃やしながら、五穀豊穣・家内安全・無病息災を願いました。日頃なかなか顔を合わす事のない人達とも、とんどの火を囲んで習字を燃やしたり、お餅を焼いて食べながら大人も子供も楽しく語り合います。皆さんの地域でも、行われたのでしょうか?

「あんな事やこんな事……もう時効(笑)」

先日、40数年ぶりに私が卒業した小学校の同窓会がありました。小さな小学校なので、6年間クラス替えもなくずっと小学校時代を共に過ごした仲間達です。高学年時代を担任してくださった先生もご高齢ながらも来てくださいました。顔を見たら当時の事が鮮明に思い出され、懐かしさと仲間や先生に再会できた喜びで胸が熱くなりました。美味しい料理を目の前に、食べるのも忘れて懐かしい話で盛り上がりました。やんちゃをして先生に叱られた事、先生や仲間とふざけ合って笑いあった事、ほめられた事、喧嘩したり仲良くしたりしながら過ごした事等を思い出し語り合いました。そんな話で盛り上がる度に担任の先生が目を細めて「もう、時効、時効」と言って、みんなで笑いました。当時は、心砕けたもめ事も、悲しみも、苦しさも、こうして何十年も経つと、それすら愛おしい過去の出来事になるものなのです。むしろ、そういう事があったからこそ、今の自分があって、当時の時間がとても濃いものだったと振り返る事ができます。

最後に先生が「卒業して48年……それぞれの話を聞いたり、顔を見たりすると、何とみんなそれぞれに立派なお父ちゃんお母ちゃんになったものだと思います。」と、昔と変わらない口調で言われました。その時、同級生の一人が「僕たちは、きっとみんな先生の教えを心に宿して、大人になったと思いますよ。」と言いました。みんな「そうそう」と大きくうなずいていました。先生との出会いは、私達同窓生にとって大切な出会いだったのです。そして、仲間達とも、人として成長し合えた大切な出会いでした。

「大人にしてくれたもの」

私も、これまでに出会った教え子達が大人になっている姿を見た時、同じような事を思います。「いろいろな子がいたけれど、みんな、ちゃんと大人になるもんだな。」と。彼らが大人になるまでには、皆それぞれにいろいろな出来事があったでしょうが、その時その時の苦労や喜びは、全て、その子達が大人になるために必要だった事なのです。それなくしては、今はなかったかもしれないと思うのです。また、歩んできた道のりには、その時その時の人との出会いもあったでしょう。私はいつも、人を人として成長させてくれるのは、数々の経験と人との出会いだと思っています。”立派な大人”になるのも“立派なお父ちゃんお母ちゃん”になるのも、人から学んで来たからです。行く道行く道で出会う人達から、いろいろな刺激をもらいます。物の考え方、価値観、知識、感覚etc……。時には、その人との出会いによって、それまで自分の中で信じていた事が、覆されたり翻弄させられたりして苦しむ事もあります。それでも、「そうかぁ、そういう考え方もあるし生き方もあるんだ」と考えさせられ、自分の中に新しい知識として得る事ができます。出会う経験が多ければそれだけ出会う人も多くなります。そうすれば学びも増え世界が広がるのです。小さな世界の中だけで自分を主張し過ぎたり、人を批判したりするのではなく、「それもありだし、これもあり」と受け入れられるようになると思うのです。いろいろな考えを持ったいろいろな人がいるから、学び合えるのだと思えて来ます。その中で、自分の気持ちがストンと落ちる道(考え方、生き方)をチョイスして生きていけばいいのではないでしょうか?

「どんな出会いも自分の思い次第」

長い人生、中には、「出会わなければ良かった」とか、「自分の意にそぐわずしんどい」と思える人との出会いもあるかもしれません。でも、それと向き合っていくためには、自分がしっかりした考えを持つ事が大切だという事をも学ぶでしょう。むしろそうした出会いこそ自分を大きく成長させてくれるのかもしれません。自分の生き方や考え方を振り返るきっかけとなり、それは、自分の生き方に、ある時は確信を、ある時は改革を与えてくれるでしょう。そうしながら、人は更に味わい深い人に成長させてもらえているような気がします。そう思うと、どんな出会いも〝良い出会い”になるのです。

「大人だって子供のおかげで成長している」

子供達は、大きくなるにつれて生きていく世界をどんどん広げます。その度に新しい出会いが待っています。そこで、たくさんの経験と人との出会いによって成長して行くのです。そして、成長するのは、子供だけではありません。子供達が広げる世界を通して、親もまたいろいろな人と出会い、楽しんだり、悩んだり、涙が流れるほど悲しんだり喜んだりしながら、世界が広がって行きます。この子がいるからこそ出会える人や場所、経験できる事があると感じるでしょう。そして、親として成長させてもらえます。子供が小さなうちは子育てに必死でなかなかそう思う余裕がないかもしれませんが、子供のおかげで、ますます彩り豊かで面白い人生になっているのではないでしょうか。私も、今までの子育てを振り返って、「子供のおかげで愉快に生きる事ができている」と思うのです。
人は一生涯、人と出会いながら成長し続けるのかもしれません。出会いは新たな自分にも出会わせてくれる〝目に見えぬ財産”です。そう思うと、新しい出会いがあるだろう春が、実に待ち遠しいではありませんか!
そんな春が、もう、すぐそこまで来ています──────。

ちょっとした門には福来たる(2024年1月)

年末、一年を振り返るといつも「あっという間だった」と思います。これは、大人の感じ方であって、どうやら大人と子どもの時間の感じ方は違うらしいです。子ども達にとっては出会う事全てが刺激的で新鮮に受け止めます。その度にときめきながら印象深く心に残る一日一日を過ごすのです。時間を濃く感じるのだそうです。私達大人も子ども達と同じ目線で立ち止まり、ときめきながらじっくりゆっくり一年の流れを味わって行きたいものです。

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

「ちょっとした一文」

昨年末の事、私が仕事から帰宅すると家の裏口に折箱に入った干し柿が置いてありました。義理の叔母からでした。そこにはメッセージが添えられていました、「いつもいろいろとありがとう。お墓参りをしたので寄らせてもらいました。どうぞよいお年をお迎えください。」と……。留守だったので、急遽書いてくださったのでしょう。手帳の一枚をちぎって書かれた物でした。直接会えなかったのは残念でしたが、美味しい干し柿とそのメッセージで叔母からの温かい思いが心に沁みました。“ありがとう”と言ってもらえる事に恐縮し、私達家族の事をいつも思ってくださっている事に幸せを感じました。

また、近所には、野菜を作っている方がたくさんおられ時々頂きます。ある時、留守中に玄関先に白菜が置いてありました。そこにも、「出来過ぎてしまったので、手伝って食べてね。押し売りです。」というメモ書きが……。相手が気兼ねや気を使わずに済むようにという思いやりのあるこの優しい言葉に学ぶところがありました。

「ちょっとした気遣い」

幼稚園の職員出勤口の靴箱の上が、季節折々の花や置物で飾られています。12月は雪景色のトールペイントボードだったのが、年末にはお正月仕様のボードに変わっていました。これは、当番制でもなくその場所を装飾する決まりがあるわけでもなく、ある先生がいつもしてくれている気遣いです。出勤した時「今日も頑張りましょう」と先生達を迎え、退勤する時には「お疲れ様でした」と労うちょっとした気遣いです。いつの間にか、そ~っと変えてくれているのです。毎日、気持ちよく職員皆で頑張れているのも、こうしたちょっとした(大変かもしれませんが……)行いの裏に隠れた優しい言葉があるからなのです。

先日、娘が、大学時代の友達の出産祝いに行きました。6年ぶりの友達と赤ちゃんに会えるのを楽しみに出かけました。車での長旅を終えて夜遅く帰って来たのですが、楽しかった話をたくさん聞かせてくれた後、「それとね、嬉しかった事があってね。家に着いたらお茶を出してくれたんだけど、“あなたは、コーヒー飲めないからココアね”って、私が苦手な事を覚えていてくれたの。なんだか嬉しかった。その上、帰る時には旦那さんが“良かったら車の中でどうぞ…”って、紅茶を渡してくださったよ。凄い気遣いだよね。」特別な事ではなくても、何年たっても自分の事を大切な友達として思ってくれている事をその気遣いから感じ取る事が出来たのでしょう。

「ちょっとした一言」

夕方、職員室に預かり保育の年長組の子どもが大きなやかんを持ってやって来ます。夕方まで過ごす中で飲むお茶が入っていたやかんです。一日の終わりに毎日職員室まで返しに来るのです。「失礼します。」「美味しいお茶をありがとうございました。」と先生に渡してくれます。私はいつもその言葉に感心しています。きっと預かり保育の先生がそう言えるように促してくれているのでしょう。「やかんを返しに来ました。」とか「ありがとうございました。」だけでも良いのですが、「美味しいお茶を」と一言加えるだけで、感謝の気持ちの伝わり方が違うのです。先生が「美味しいお茶を……って言うんだよ」と促してくれるだけで、(本当に美味しかったなぁ。ありがたいなぁ。)とその言葉に立ち止まって考え、感謝する気持ちを持ちます。こうして子ども達は自らの思いを言葉にするようになって行きます。

また、お祝いにお花を送ったある女の子にその後会った時「あの時は、きれいなお花をどうもありがとうございました。」とお礼を言ってくれました。人にしてもらった事の何に…どこに心動かされたのかを感謝の言葉に添えて素直に言えるって素敵だなと思うと同時に、「きれいな」という一言に、その子のイメージに合う花を選んだ私の気持ちがちゃんと届いた事に、私もまた喜びを感じました。

「する側とされる側」

私達大人は、いろいろな人とコミュニケーションをとりながら円滑に社会を回しています。子どもは、そんな大人の姿を見ています。こうした「ちょっとした言動」で、周りの人を幸せな気持ちにできる事を感じさせて欲しいと思います。大人の姿を見て聞いて真似をして相手が喜んでくれたり、一緒に仲良くできたり、楽しく過ごせたりする事を子ども自身が実感していくうちに、小さいなりに心配りができる子どもになっていくような気がします。

心配りは相手を大切に思う事、気持ちを向ける事なのです。また、そうしてもらった側もその思いに気付く事が大切です。お互いに思いを寄せ合う事─────この関係性で幸せは成り立っているのかもしれません。

能登半島地震により被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。今もなお悲しみと不安な日々を過ごされている事を思い、一日も早い復旧・復興と心落ち着ける安心な暮らしが取り戻せますようにと祈るばかりです。