お年玉(2022年度)2023年1月

あけましておめでとうございます。2学期末には記録的大雪に見舞われ、幼稚園も終業式の日を自由登園とさせて頂きました。冬休みに入ってからも、園庭はしばらくの間雪に覆われていました。それでも、花壇の雪をはらってみると、それまでに子供達が植えてくれていたビオラの花が「私達は大丈夫よ」と言わんばかりに可愛い花びらをのぞかせてくれました。土の中には、次の季節を待つ生きものが静かに眠っているのだと思うと自然の持つ力と息吹を感じます。

どんな事にもくじけないたくましさと忍耐強い根をもち、優しい花を見せてくれる──そんな子供達に育って欲しいと願いながら今年も職員一同頑張って参りたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

さて、今年のお正月はどのように過ごされましたか?3年ぶりに行動制限のない年末年始だったので、これまで我慢していた帰省や旅行等をして楽しく過ごされたでしょうか? そうは言っても、新型コロナウイルス感染者数を見れば決して安心できるものではなく、昨年に引き続き外出を控えご家族だけで静かにのんびりとした時間を過ごされたでしょうか?
我が家も、それまでは毎年親戚が集まり、賑やかにお正月を迎えたものですが、やはり新型コロナウイルス感染症拡大をきっかけに自粛するようになり、ここ数年、静か過ぎるお正月となっています。

そんなお正月ですが、毎年必ず用意するものがあります。『お年玉』です。行っても行かなくても、来ても来なくても、小さな可愛い親戚の子供達が近くに住んでいるので全員分のお年玉をわずかですが準備しておきます。

『お年玉』と言えば、私には幼い頃の思い出があります。お正月には、毎年私の父の実家に泊まりに行っていました。父は5人兄弟姉妹で、打ち合わせをしてそれぞれが家族総出で泊まりに行くのです。多い時で、20人程の来客となり、今思えば祖母はさぞかし大変だったろうと思います。だけど、祖母とそれぞれのお嫁さんと皆で一緒にご馳走を作ったり、こたつに入っておしゃべりしている楽しそうな姿を子供ながらに覚えています。

子供達は、幅広い年齢で11人。それはそれは賑やかでした。家の中を走り回ったり田んぼでたこ揚げをしたりして、時には喧嘩勃発!泣いたり笑ったりの大騒動。それが楽しくて楽しくてたまりませんでした。そして、夜……。それぞれの家族の父親達が別室で会議をし始めるのです。『お年玉会議』です。後に知ったのですが、父親達が出資し子供達の年齢に合わせた金額を決めて、11人分のお年玉を用意するのでした。それから、私の父の「始めるぞ~!集合!」の声で、一番大きな部屋にみんなが集まります。さあ!始まります『お年玉かくし芸大会』──ちょっとしたステージが設けられ、大人達がお客さんになって座ります。そこで、子供達は自分で考えた“かくし芸”をして、“出演料兼賞金(?)”としてお年玉を受け取るというお楽しみ会なのです。歌をうたったり、手品をしたり、踊ったりして、親戚みんなが集まって拍手と笑いが絶える事のないお正月でした。これが毎年の恒例だったので、いつも今年は何しようかと考えておばあちゃんの家に行っていたのを覚えています。恥ずかしかったけれど、お年玉をもらうために(笑)頑張った古くて楽しい思い出です。

また、それから少し大きくなってからの思い出ですが、私の実家は商売をしているため年末はとても忙しく、商品の棚卸を毎年手伝っていました。妹と弟と3人で朝から夕方まで商品の値札を見てレジ打ちをしたり記帳したりしました。本当はしんどかったけれど、「いやだ」とは言えませんでした。子供ながらにも、忙しそうにしている両親を手伝わないと家族揃って楽しいお正月が迎えられない気がしていたからでした。

そして、元旦を迎え、父が「年末は良く手伝ってくれました。助かったよ。今年も良い年にしましょう。」と言って一人ひとりに言葉をかけてお年玉をくれました。ほめてもらえた事とお年玉をもらえた事が凄く嬉しかったものでした。今思えば“アルバイト料”でもあったお年玉でした。
『お年玉』と言えば、必ずこれらの事を懐かしく思い出します。

それから何十年も経って、妹にも弟にも私にもそれぞれの家族ができました。おばあちゃん家に親戚皆で集まった昔のあの頃のように、今度は私達が毎年お正月には打ち合わせをし、子供達を連れて実家に集まるようになりました。そして、皆が集合したところで、父が私達の子供に「あけましておめでとう。今年も元気で頑張りなさいよ」と一言添えてお年玉をくれました。孫達皆に渡したその最後に息子や娘の私達にまで「これは、何かの足しにしなさい。」と言ってのし袋に入れたお年玉を渡してくれました。そこには、いつも父からの言葉が一筆添えられていて、この年になってまで……と受け取るのに躊躇しましたが、これは、父の親としての愛情と威厳を見せてくれるもので、まだまだ元気な気持ちでいてくれている事がありがたく、素直に「ありがとう」と受け取っていました。父にとっての『お年玉』は、私達に特別な気持ちを伝える物のように思えていました。それが10年以上続き父は他界しました。通夜の日、弟が、ひとつの箱を持って来ました。父からのお年玉をそのまま使わず全てその中にとっていたのでした。「いつかはこんな日が来るだろうから、お父さんの葬式代にしてやろうと思って使わずにとっていた。」というのです。弟は父からもらった愛情を感謝のかたちに変えてくれました。父からもらうお年玉は、子供の頃からいつも特別な気持ちで受け取っていた気がします。

今や、『お年玉』事情が以前と違って来ているようです。会う事もままならない今、キャッシュレス決済で…という話も聞かれます。どんなふうに変わって行くとしても、お年玉にはその子の幸せを思う気持ちが込められている事には間違いありません。いつの時代になっても、お年玉を受け取る子供達にその事がちゃんと伝わって行く世の中であって欲しいと思います。

父が私達の心に残してくれた愛情を私もまた子供達に繋いで行けたらと思いながら今年もお年玉の準備をしたのでした。