節分(2022年度2月)2023年2月

新しい年を迎えて、もう一カ月が経ちました。「1月は行く2月は逃げる3月は去る」とはよく言ったものです。これから年度末にかけて子供達の生活は今年度の締めくくりと次年度の準備とでいろいろな事があり時間が経つのを早く感じる事でしょう。来年度の楽しみや期待が膨らむように、日々一日一日……一刻一刻を大切に過ごして行きたいと思います。

さて、2月になるとすぐに“節分”があります。字の通り「季節を分ける」──この日を境に季節が冬から春に変わります。“立春”です。“立春”は旧暦では一年の始まりとされていました。この一年を平穏無事に過ごせますようにと、豆まきをして邪気を払い福を呼んでいました。「魔(ま)を滅(め)する」という語呂合わせと、「まめ」とういう言葉には「元気」という意味もある事が豆をまく由来のようです。
その日は、恵方巻を食べ、家の入口にはヒイラギの枝に焼いたイワシの頭を刺して飾るといった習慣もあります。ヒイラギのトゲを恐れ、イワシの匂いを嫌がり鬼が家の中に入らないようにという魔除けです。このように、これらの一つひとつには納得できる意味があります。医学も技術もなかった古来は、平穏無事を祈る気持ちを何かに置き換え、それにすがりながら家族を守っていたのです。そう思うと鬼が登場する怖い伝統行事も、実は「愛」から生まれたものだとわかります。

幼稚園では、そんな由来に触れながら、鬼が登場する絵を描いたり、鬼のお面を作ったりして節分を味わいます。節分当日には、年に一度鬼がやって来て豆まきを楽しみます。一年前にその鬼を見て知っている年中・年長組の子供達はこの日を身構えて待っています。鬼を見た子供達の表情は毎年様々です。怖くて泣いてしまう子、追い払うために闘志を燃やす子、こっそり隠れる子、いきなり自分のこれまでの悪事を謝ろうとする子(自分でわかっているところが可愛い)……。
様子はいろいろですが、皆、血相を変えて自分の部屋や自分の先生や友達のいる所に逃げて肩寄せ合います。先生は「大丈夫よ。頑張ってみんなで鬼をやっつけよう!」と励まして守ってくれます。安全地帯の中で子供達は怖い「鬼」を追い払うために勇気を出して豆をまいて戦います。

ただやみくもに「鬼」を怖がらせ豆まきをするのではなく、年に一度やってくるこの鬼はいったい何者なのか?どうして我々の所に来るのか?を話しておく事が大切です。

誰しも、心の中には何かしら邪気が潜んでいて、少なからず“善”と“悪”が同時に潜み、何か行動を起こそうとする時、そのふたつが戦う事があります。友達にいじわるした。約束を守らなかった。わがままを言って困らせたetc.……。その後、何となくモヤモヤ感が残ったり、気になって仕方がなかったりするのは、“悪”を操る見えない何かにおびえているからです。これを見えるものにしたのが「鬼」──“目にみえる邪気”です。それを豆まきで退治する事によって、そうしてしまう自分を反省させてくれたり戒めたりして克服する心を呼び起こす事ができるのだと思います。

これから先、目にみえない恐ろしいものに惑わされたり負けたりしない強い心と健康な身体をもった子供になって欲しい。──そんな願いが込められているのです。それは「節分」に限りません。例えば「ひなまつり」も、人形を川に流し子供の病や災いをはらう風習から徐々に形が変わり、ひな人形を飾って女の子の成長を祝うようになりました。また、「端午の節句」は、鯉のぼりや五月人形を飾り男の子の成長を願います。これらの行事では、縁起をかついでひなあられやはまぐりのお吸い物、柏餅やちまきを食べます。邪気をはらい良い事を呼ぶ──まさに「鬼は外、福は内」と同じ思いなのです。このように、受け継がれてきた伝統行事は、子供の健やかな成長と幸せを思う“家族を守る「愛」”から生まれた「願い」や「祈り」を形にしているものです。

“鬼は~外!福は~内!”と叫びながら、鬼に向かって豆をまく事で、悪い事が自分のところからいなくなり良い事がやって来そうな安心感や清々しさが心の中に生まれる──それは“痛いの痛いの飛んでいけ~”のおまじないと少し似ているような気がします。そのおまじないを唱えながら痛いところをさすってもらっていると、痛みもグッと我慢ができて何となく痛くなくなる気がして来ます。人は皆、逃れられない災いともあえて向き合わなければならない時があるものです。私達大人は、願い祈る事で、それに向き合いながらでもたくましく生きて行く人に成長するよう子供達を応援したいのです。その思いが伝統行事になっていったのだと思うと廃れさせてはいけないものだと思えます。

ご家庭でも、形はいろいろ違っても、子供達と家族の健康と幸せを願い、邪気を追い払う願いをもって豆まきを楽しんでください。そして、子供達が大人になってそれぞれに大切な家族ができた時、同じように幸せを願いながら、次の世代に節分の豆まきを伝えてくれるでしょう。こうして大切な子供を思う「愛」が伝統行事を通して受け継がれていくのだと思います。子供達の健康と幸せを願いながら、その日だけやってくる“目に見える邪気”とどうか戦わせてあげてください。
幼稚園にももうすぐ鬼がやって来ます。“鬼は~外!福は~内!”と楽しい豆まきをして、福をたくさん呼びたいと思います。2月3日には、街のあちらこちらで可愛い子供達の鬼と闘う元気な声が響き渡る事でしょう。
ん? 泣き声かな?(笑)

お年玉(2022年度)2023年1月

あけましておめでとうございます。2学期末には記録的大雪に見舞われ、幼稚園も終業式の日を自由登園とさせて頂きました。冬休みに入ってからも、園庭はしばらくの間雪に覆われていました。それでも、花壇の雪をはらってみると、それまでに子供達が植えてくれていたビオラの花が「私達は大丈夫よ」と言わんばかりに可愛い花びらをのぞかせてくれました。土の中には、次の季節を待つ生きものが静かに眠っているのだと思うと自然の持つ力と息吹を感じます。

どんな事にもくじけないたくましさと忍耐強い根をもち、優しい花を見せてくれる──そんな子供達に育って欲しいと願いながら今年も職員一同頑張って参りたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

さて、今年のお正月はどのように過ごされましたか?3年ぶりに行動制限のない年末年始だったので、これまで我慢していた帰省や旅行等をして楽しく過ごされたでしょうか? そうは言っても、新型コロナウイルス感染者数を見れば決して安心できるものではなく、昨年に引き続き外出を控えご家族だけで静かにのんびりとした時間を過ごされたでしょうか?
我が家も、それまでは毎年親戚が集まり、賑やかにお正月を迎えたものですが、やはり新型コロナウイルス感染症拡大をきっかけに自粛するようになり、ここ数年、静か過ぎるお正月となっています。

そんなお正月ですが、毎年必ず用意するものがあります。『お年玉』です。行っても行かなくても、来ても来なくても、小さな可愛い親戚の子供達が近くに住んでいるので全員分のお年玉をわずかですが準備しておきます。

『お年玉』と言えば、私には幼い頃の思い出があります。お正月には、毎年私の父の実家に泊まりに行っていました。父は5人兄弟姉妹で、打ち合わせをしてそれぞれが家族総出で泊まりに行くのです。多い時で、20人程の来客となり、今思えば祖母はさぞかし大変だったろうと思います。だけど、祖母とそれぞれのお嫁さんと皆で一緒にご馳走を作ったり、こたつに入っておしゃべりしている楽しそうな姿を子供ながらに覚えています。

子供達は、幅広い年齢で11人。それはそれは賑やかでした。家の中を走り回ったり田んぼでたこ揚げをしたりして、時には喧嘩勃発!泣いたり笑ったりの大騒動。それが楽しくて楽しくてたまりませんでした。そして、夜……。それぞれの家族の父親達が別室で会議をし始めるのです。『お年玉会議』です。後に知ったのですが、父親達が出資し子供達の年齢に合わせた金額を決めて、11人分のお年玉を用意するのでした。それから、私の父の「始めるぞ~!集合!」の声で、一番大きな部屋にみんなが集まります。さあ!始まります『お年玉かくし芸大会』──ちょっとしたステージが設けられ、大人達がお客さんになって座ります。そこで、子供達は自分で考えた“かくし芸”をして、“出演料兼賞金(?)”としてお年玉を受け取るというお楽しみ会なのです。歌をうたったり、手品をしたり、踊ったりして、親戚みんなが集まって拍手と笑いが絶える事のないお正月でした。これが毎年の恒例だったので、いつも今年は何しようかと考えておばあちゃんの家に行っていたのを覚えています。恥ずかしかったけれど、お年玉をもらうために(笑)頑張った古くて楽しい思い出です。

また、それから少し大きくなってからの思い出ですが、私の実家は商売をしているため年末はとても忙しく、商品の棚卸を毎年手伝っていました。妹と弟と3人で朝から夕方まで商品の値札を見てレジ打ちをしたり記帳したりしました。本当はしんどかったけれど、「いやだ」とは言えませんでした。子供ながらにも、忙しそうにしている両親を手伝わないと家族揃って楽しいお正月が迎えられない気がしていたからでした。

そして、元旦を迎え、父が「年末は良く手伝ってくれました。助かったよ。今年も良い年にしましょう。」と言って一人ひとりに言葉をかけてお年玉をくれました。ほめてもらえた事とお年玉をもらえた事が凄く嬉しかったものでした。今思えば“アルバイト料”でもあったお年玉でした。
『お年玉』と言えば、必ずこれらの事を懐かしく思い出します。

それから何十年も経って、妹にも弟にも私にもそれぞれの家族ができました。おばあちゃん家に親戚皆で集まった昔のあの頃のように、今度は私達が毎年お正月には打ち合わせをし、子供達を連れて実家に集まるようになりました。そして、皆が集合したところで、父が私達の子供に「あけましておめでとう。今年も元気で頑張りなさいよ」と一言添えてお年玉をくれました。孫達皆に渡したその最後に息子や娘の私達にまで「これは、何かの足しにしなさい。」と言ってのし袋に入れたお年玉を渡してくれました。そこには、いつも父からの言葉が一筆添えられていて、この年になってまで……と受け取るのに躊躇しましたが、これは、父の親としての愛情と威厳を見せてくれるもので、まだまだ元気な気持ちでいてくれている事がありがたく、素直に「ありがとう」と受け取っていました。父にとっての『お年玉』は、私達に特別な気持ちを伝える物のように思えていました。それが10年以上続き父は他界しました。通夜の日、弟が、ひとつの箱を持って来ました。父からのお年玉をそのまま使わず全てその中にとっていたのでした。「いつかはこんな日が来るだろうから、お父さんの葬式代にしてやろうと思って使わずにとっていた。」というのです。弟は父からもらった愛情を感謝のかたちに変えてくれました。父からもらうお年玉は、子供の頃からいつも特別な気持ちで受け取っていた気がします。

今や、『お年玉』事情が以前と違って来ているようです。会う事もままならない今、キャッシュレス決済で…という話も聞かれます。どんなふうに変わって行くとしても、お年玉にはその子の幸せを思う気持ちが込められている事には間違いありません。いつの時代になっても、お年玉を受け取る子供達にその事がちゃんと伝わって行く世の中であって欲しいと思います。

父が私達の心に残してくれた愛情を私もまた子供達に繋いで行けたらと思いながら今年もお年玉の準備をしたのでした。