誰に”ありがとう”?何に”ありがとう”?(2020年度9月)

夏の厳しい暑さの中、2学期が始まりました。まだまだ、幼稚園の庭の木々にはセミがたくさん鳴いています。今年は、新型コロナウイルスの影響を受け、休園していた期間があったため夏休みを短縮しました。その分、幼稚園での夏のあそびをたっぷりと経験させてあげられたのではないかと思います。太陽と水と土と木々に囲まれて遊ぶ子供達の生き生きとした姿が、とてもたくましく感じます。

夏休みの間、プレイルームの子供達は毎日元気に幼稚園へやって来ました。

外でもたくさん遊びますが、暑さが厳しい時間帯は室内でいろいろな事をして遊びます。そんなある日、年長組の子供達が職員室に「この紙をたくさんコピーしてください。」と言って、書いて遊べるプリントの原本用紙を持って来ました。プレイルームの今田直子先生から頼まれたおつかいでした。私が受け取りコピーをして渡すと、喜んでプレイルームの部屋に帰って行きました。その日の夕方、私がテラスを歩いているとある女の子が「園長先生!今日はコピーをしてくれてありがとう!」と言ってくれたのです。私も忘れているくらいの事でしたが、ちゃんと私を見て(そうだ!あの時のお礼をいわなくっちゃ!)と思い出して言ってくれたのでしょう。私は嬉しくて、「“ありがとう”って言ってくれてありがとう。」と言いました。

それから、数日後の夜、プレイルームの子供達に小物入れを作らせたいのでチラシを家から持って来て欲しいと直子先生から連絡があったので、翌日たくさん持って行きました。子供達はチラシでいろいろなものを作って遊び、一生懸命に作った小物入れもちゃんとできていました。そしてその日もまた、子供達が私に「園長先生、チラシをたくさん持って来てくれてありがとう!私、上手に作れるようになったんだよ!折り紙だと小さくて出来ないけど、チラシは大きいから何でも入れられる小物入れができたよ。」と説明付きでお礼を言ってくれました。きっと、先生から「園長先生にお礼を言おうね。」と促されたからでしょう。しかも、具体的に何がありがたかったのか、どうしてありがたい気持ちになったのかを子供達が自分で感じるように話をしてもらったからなのだと思います。子供が人から何かをもらった時、すぐに「あら!ありがとうは?」と子供に言っていませんか?そうすると子供は「ありがとう」と言います。でも、それはもらった事に反応して…またはお母さんの「ありがとうは?」の言葉に反応して言った言葉で、気持ちがそこにどれだけ入っているかは???です。例えば、お誕生日におじいちゃんおばあちゃんからプレゼントをもらったら、「おじいちゃんもおばあちゃんも、あなたの誕生日を覚えてくださっていたんだね。そして、あなたの喜びそうな物を一生懸命に考えてくださったね。嬉しいね。きっと、あなたの事を大切に思ってくださっているんだね。ありがたいね。お礼を言おうね。」と声をかけてあげると、プレゼントをくれたおじいちゃんおばあちゃんからどんなに自分は愛されているか、自分の事を思って選んでくれたその時の気持ちにスポットを当てて考える事ができ、心からの「ありがとう」が言えるのではないでしょうか?ただ、もらった事だけにスポットを当てるのではなく、何に“ありがとう”なのか、どうして“ありがとう”なのかを感じる事ができるように言葉をかけてあげてください。

 先日の夕方、幼稚園で怪我をしてしまった子がいて、保護者の方に連絡後私が病院に連れて行きました。診察室で処置を待っていると、お母さんが駆けつけてくださいました。私は申し訳なかった気持ちで原因を話し謝罪しました。すると「いえいえ、こちらこそ申し訳ないです。」と言ってくださりただただ恐縮しました。その時に、お母さんが処置待ちのその子に「○○ちゃん、園長先生にお礼言おうね。本当にご丁寧に連れて来てくださって。はさみを使う時には切れる方は向こう向きになるように持たないといけなかったね。先生、本当にごめんなさい。ご心配をおかけして……。お忙しいのに、遅くまで一緒にいてくださってありがとうございます。○○ちゃん、園長先生にありがとうだね。」と、何度も話してくださいました。○○ちゃんは処置が終わり、病院を出る時に「園長先生、ありがとうございました。」としっかり言ってくれました。お母さんは、その子が感謝する人、感謝する事をきちんとわかるようにスポットをあてて話しておられました。申し訳なかったのはこちら側でしたのに…。

 また、私がトイレづまりを直していたある日、トイレにやってきた男の子が、「あのね、ここが壊れてるんだと思うんよ。直る?むずかしい?」と私の傍でずっと気にしてくれていました。しばらくしてやっと水が抜け「やった!直ったよ。○○君、教えてくれてありがとうね。ずっといてくれてありがとうね。心配してくれてありがとう。園長先生、嬉しかったよ。」と言うと「直してくれてありがとう。もう使えるの?ありがとう!」と一言残して行きました。向うへ行きながら「トイレ、直ったよ~。園長先生が直してくれたよ~!!」と大きな声で友達に教えてあげていました。私から彼に“何にありがとうと言いたかったのか”を……また彼からも私に“何にありがとうなのか”を心から言ってくれた事が伝わって来てとても嬉しかったし、直してあげて良かった!と思えました。

 子供達の中には、「ありがとう」「どういたしまして」あるいは「ごめんね」「いいよ」の反射的なやり取りがよく聞かれます。事が収まればそれでいいというのではなく、本当に感謝した気持ちや詫びたい気持ちを、相手の心に届くように伝えるためには、何に心打たれたかを明確にして話してあげる事が大切です。そして、それを繰り返していくうちに、人の優しさや苦しさに自分から気が付いて自然に声をかける事のできる人になるような気がするのです。

 この夏、84歳の父を亡くしました。父の最期、息をひきとるその時まで一生懸命に耳元で伝えた事…「ありがとう」…いろいろ考えてもその言葉以外に思い浮かばなかったし、一番伝えたかった事でした。(育ててくれてありがとう。叱ってくれてありがとう。褒めてくれてありがとう。助けてくれてありがとう。どんな事でも一緒に喜んでくれてありがとう。一緒に悩んでくれてありがとう。楽しませてくれてありがとう。そして、頑張って怪我や病気と闘ってくれてありがとう。)──

何に“ありがとう”なのかをあげればきりがありませんが、「(その全てに)お父さんありがとうね。」心からそう言っておくりました。