私ってどんな子?(平成30年度10月)

2学期が始まってからはっきりしない天気が続き、肌寒さを感じる日があるかと思えば汗ばむ日もあり、衣替えをするにも躊躇してしまいます。だけど、そんな中でも、間違いなく秋を感じさせてくれるようになりました。空の色、風、園庭の木々、小川の冷たさ……幼稚園に居ながらにして、それを感じる事ができる幸せを子供達にたっぷり味わわせてあげたいと思っています。

数カ月前に、娘が学校に提出する進路についての書類に悩んでいました。“趣味・特技”“自己アピール”の欄にどう書こうか?という事でした。“趣味・特技”については、本当に自分の熱中できる事や好きな事を書けばいいのでしょうが、特別に秀でている訳でもないし、趣味と言い切っていい程の趣味もない──“自己アピール”に至っては、自分に自信がなければ文章に書きにくい、気が引けると言って筆が進まなかったようでした。「私ってどんな人なんだろう?逆に自分を知っている周りの人に聞いてみたいわぁ」と言うのです。

夏休みには、市内の中学生が職場体験に来てくれました。事前オリエンテーションの時に将来の夢を尋ねると、「まだ決めていない」と言っていた生徒さんも何人かいました。そのためにも、職場体験は、いろいろな職場を見て体験して将来を決める選択肢を広げるいいチャンスでもあるので、幼稚園のプレイルーム(預かり保育)で様々な経験をしてもらいました。

また、大学の先生と話をする機会があって、自分に何が向いていて将来自分がどんな職業に就きそこでどんな仕事をしていきたいかという希望を抱けないまま、入れる学部を選んで入学している学生と将来の自分像を描いて入学している学生とでは、生活ぶりも学ぶ姿勢や結果も大いに違うという事を言っておられました。

その時その時の娘や中学生や大学生の事を想像すると、どこか自信の無さを感じさせられるのです。いえ、これは、その子達に限った事ではなく、誰でもそんな時期があったと思うし、もしかしたら未だ自信など持ててないままここまで生きて来たという大人達もたくさんいるでしょう。「あなたの特技は?自己アピールを!」と言われた時、私だったらどう答えるだろうかと考えたら、やはり悩んでしまいます。生きて来た人生の中で、自信があった事でも、何かのきっかけで打ち砕かれたり、新たに自信が持てる事に出会って、また自信喪失になったり…を繰り返しながらここまで何とかやって来ているのかもしれません。その過程の中で、いろいろな人からの評価や励まし等を受けながら、“自分って…??”と我を見つめて来ているような気がします。人は、自分の中に、何か柱となるものがあれば、生きる道を見つける一つのポイントになる事もあります。自分に何ができるのか?どんな事をしたいのか?を見つける決定打につながっていくのではないかと思います。それが、幼稚園の楽しい生き生きとした生活の中で、子供達に、その柱のほんのひと部分を作らせてあげられる時がある事を感じます。

ある日の午後、さくら組の保育室の中で、何人かの男の子が何やら面白い物を一生懸命に作っていました。実験道具を作って実験室ごっこをしていたのです。実験でジュースを作る!と、実験さながらの手つきと、博士気どりの眼鏡を作り、助手役(?)の友達を率いてのその実験風景は、楽しくて感心するやらおかしいやらで、しばらく見入ってしまいました。そのちびっ子博士は、いつも発想豊かに、いろいろな事を考えて作ってあそびにしていく男の子だというのです。一緒に実験を楽しんでいる友達からも憧れられる存在らしいのです。きっと彼は、自信をもって「僕は何かを考え出す事が好き!」と言うでしょう。また、クワガタやバッタ、小川にいるザリガニを捕まえたり、それで遊んだりする事に夢中になっている子供達に、その生き物についていろいろ聞いてみると正しいかどうかはわかりませんが、大きな声で、競い合うように「あのねぇ、それはねぇ……」とそれらしき答えを返してくれます。きっと彼らは自信をもって「僕は、昆虫や魚が好き!」と答えるでしょう。困っている友達や小さな学年の子にいつも優しくしてくれたり、お世話をしてくれたりする女の子達は、「いつもありがとうね。あなたは、とっても優しい子だね」と言ってもらえているうちに、自分の中の優しさに気づかされ自分の要素の一つにして過ごす事ができるでしょう。できなかった縄跳びや鉄棒をできるまで何度も何度も頑張る姿や、友達と一緒に難しい事に挑戦していく姿に注目してもらって、達成した時の快感を自ら得る事で、自分の中の強さや粘りに自信を持つようになるでしょう。

子供達には、“あなたのそこが素晴らしい!”“あなたのそんなところが大好き!”と言ってあげる事が必要だと思うのです。そして、そこはきっと誰もが認めてくれる自信を持っていい所だよ…と言ってあげる事──そう自分で感じさせてあげる事がどんなに、その子の将来の道標になる事か……。そして、熱中できる事に出会えたり増やしたりできる環境の中で自分を発見して、自分の好きな事や“自分らしさ”に自信をもって人生を彩って行って欲しいと願うのです。幼児期にはまだまだ自分ってどんな子だろうかと自己分析なんてできませんが、「私、○○するのが好きだから…」とか「得意だから…」と言えるものが自分にあれば、それが、将来を見据える自分の中の柱となって行くのではないかと思うのです。

手出し口出し(平成30年度9月)

今年程、暑さを危険だと感じた夏はなかったのではないでしょうか?酷暑、酷暑と報じられ、気温が30度台になる事が当たり前の毎日でした。夏休み中、プレイルーム(預かり保育)にやって来る子供達には、「水分補給」を連呼し、頻繁にお茶を飲むように勧め、外遊びの仕方や部屋での過ごし方にも配慮をしながらの40日間となりました。もうそろそろ、この暑さの勢いも落ち着いて来て欲しいと思っているのですが、本格的な秋の訪れはいつ頃になるのでしょうか?

さて、この長く暑い夏休み、皆様はどうお過ごしになり、どんな思い出をつくられましたか?きっと、2学期が始まった今日から、しばらくの間、子供達からいろいろな思い出話を聞かせてもらえる事でしょう。

我が家では、大学に進学して家を離れている娘がお盆に帰省するというので、それまでに、物置化している子供部屋を整えておいてやろうと大掃除を試みました。すると、懐かしい写真や手紙や中学高校時代の採点の部分がしっかりと折り隠されているテスト(笑)が本棚からたくさん出て来ました。このテストを含めマル秘の物が出て来てはいけないのとあまりにもいろいろな物がたくさんあったので、本人と一緒に整理しようと思い直し、全てを整える事は断念しました。しかし、赤ちゃんの時から高校卒業までのアルバムに収まり切れていなかった写真にはつい見入ってしまいました。産湯に浸かっている様子、親戚の人達に囲まれている賑やかそうな写真、歩き始めたばかりの頃行った家族旅行、姉妹で遊んでいる日常、幼稚園の友達と先生、小中高の運動会体育祭修学旅行…そして、卒業式等々──。懐かしくて微笑ましくて時間も忘れて見ていました。そんな数々の写真を見ると、わずか二十数年しか経っていないのに、その頃と現在とでは随分色々な事が変わっています。私が年をとって来ているのは勿論ですが、子供達のためにと作った砂場もブランコももうありません。娘達を可愛がってくれた私の祖父母も母も天国へ逝ってしまってもういません。その逆に、親戚も新たに増えてお付き合いの仕方も変わって来ました。そんな写真を見ながら、その時その時に思っていた事を振り返っていました。赤ちゃんの頃は育児の事で悩んだり、仕事と子育ての両立、大きくなればなったで、学校の事、友達関係、進学等々、振り返れば何もなくここまで来たわけではなかったと感慨深いものがこみ上げて来ました。娘が辛かった時には、私達家族も辛かったし、娘達が楽しい時にはみんなが楽しかった。一つひとつを解決してきて経験して来て今がある事をあらためて感じたのです。

よく、“あの頃が一番良かった”と昔を思い出しながら言う事がありますが、その時はその時で、悩みがありとてもその時が一番良いだなんて思えないものかもしれません。実際私も、“早く大きくなってくれないかなぁ”と思いながら育てて来たような気がします。大きくなって手が離れたらどんなに安心で楽な気持ちになれるだろうかと。でも、大きくなったらなったで、小さい頃とは違った悩みや心配事が増えて来ました。親の私がどうにかすれば解決する悩みと、私が何かをしたからと言って解決しようもない…事の成り行きを見守るしかない悩みとの比率が変わって来ているのを感じます。そしてこれから先は増々、子供自身でしか解決できない事ばかりになって来ます。そして私達親の心の中には成長の喜びと共に寂しさが生まれます。今まさに、段々とそちらに向かっている事を感じながら、子供の成長のためにと親が必死になっていられるのは本当にわずかな時間だという事がわかって来るのです。

娘がお盆に、「私が辛かったあの時、お母さんが言ってくれたあの言葉で凄く楽になった。」とか「お母さんとよく言い争った頃が反抗期だったのかな?懐かしいね」とか「あの時に、お父さんと喧嘩のように話をした事が今はすごくよくわかる。」とか、かつてを思い出しながら話してくれました。その時その時で必死に悩んで一生懸命に育てて来た事がよみがえります。そして、その頃悩んでいた事が、最近になってからの悩みよりも軽く感じ“なんであんな些細な事で頭抱えていたのだろう?”とつい噴き出してしまうような事もあります。だけど、その時は必死だったのです。その時の一生懸命な子育てを子供なりに感じていてくれて、あの時のお母さんの言葉が…あの時にお父さんが手を差し伸べてくれたから…と少しでも感謝の気持ちを持ってくれながら大きくなって来たのだと思います。そして、そうして一生懸命に悩み考えそして解決しながら幸せに楽しく過ごして来たこの過程は、子供達のどこかに滲みているはずです。いずれ子供達は自分の力で生きて行かなければなりません。親が“手出し口出し”できるのは、長いようでもほんの僅かな時間です。大きくなるにつれて、手出し口出しをしなければならない時期、してもいい時期、しなくてもいい時期、してはいけない時期、そして最後は必要とされない時期に関わり方が変化していくのを感じ、どこか寂しさを覚えます。今現在の子育ての醍醐味を存分に噛みしめてください。今しか味わえない苦労もまた幸せである事をずっと先でわかる時が来ます。そう言う私は、そろそろ娘達から“手出し口出しをされる側”に近づいて来ています(苦笑)。