”ごめんなさい”が言いたくて

それは、夏休み…。幼稚園は休園ですが、預かり保育(プレイルーム)では、毎日子供達がやって来て一日中元気に過ごしていました。そんなある日の事です。プールあそびを終えて着替えた子供達が順番にプレイルームの部屋に戻って行きました。プールの片付けを終えて、私もプレイルームに戻ると、数人の男の子が何かを取り囲んでざわついていました。「どうしたの?」と覗き込むと、そこには、淵が壊れた掛け時計が床に落ちていたのです。少し壊れただけだったのですが、きっと、その場に居合わせた男の子達は、かなり“どうしよう……”と焦った事でしょう。覗き込んだ私に数人の子が原因と思われる事を口々に話してくれました。泣きそうな顔をした子もいました。私は、その子達の話をよく聞き、状況やその時計を見て、誰か一人の責任…という事ではなく、みんなでプールのバッグを振り回したり飛び跳ねたりして騒いだ結果そうなってしまったという事だと判断したので、子供達が全員入室して落ち着いたところで、全体に向けて子供達に室内にいるときの注意や入室したらどうしないといけなかったのかという話をして、時計が壊れただけでなく、他の危険もあるという事をみんなで話し合いました。子供達は、静かに私の話を聞いてくれました。「じゃあ、葉子先生が、後でこの時計を修理しておくね。」と言って、そのちょっとした事件をおさめました。

そして、次の日、プレイルームにお迎えに来られたある年中組の男の子のお母さんがプレイルームに向かう前に、たまたま出会った私を、「葉子先生、すみません。少しお話があるんですが……」と呼び止めてくださいました。「何でしょう」と話を聞くと「昨日、プレイルームの時計が壊れたんですか?」と聞かれたのです。「はい。そうなんです。」と答えたところで、「実は、どうやらうちのK君が当たって落としてしまったみたいなんです。○○くんと一緒に当たったんだとか……。葉子先生が直してくださったんだ…って言っていました。夜、寝つかせている時に、おかあちゃん、今日ね…ボソボソと話してくれたんです。明日“ごめんなさい”って言おうか。おかあちゃんも一緒に言ってあげるから……って話したんです。本当にごめんなさい。“ごめんなさい”って言うって言っていたので…。先生、私もこれからプレイルームに迎えに行くので、一緒に聞いてやってくださいませんか?」と言われたのです。それは、昨日の騒ぎの中にいた男の子の事でした。私は、お母さんの話から、昨夜どんな気持ちでK君がお母さんに打ち明けたのかを想像すると愛おしく思えました。私は、お母さんと一緒ではなくても自分から自分の言葉で「ごめんなさい」が言えたら、その子はもっと気持ちよくこの事件を自分の中で解決する事ができるような気がしたので、「お母さん、これから私が先にプレイルームに行って、K君にお話し聞いてみますから、お迎えに行くのを少し遅らせて来てあげてください。」とお願いして、K君の所へ行きました。プレイルームにはたくさんの子供達がいて、集まって来てしまうので、K君と二人だけになれる場所に行き、二人で座り込んで話を切り出しました。「K君、昨日、プレイルームの時計が落ちて壊れたでしょう。どうしてそうなったのか何か知ってる?」と聞き出してあげようとすると、しばらくは、「ん?」「ん?」と言いにくそうにしていましたが、「ぼくと○○君が当たったんだ」と言ってくれました。まだ幼いので、細かくその時の状況を説明するのは難しそうでしたが、よく分かってくれたようで「騒いでたから…」と、小さな声で言ってくれました。もうそれだけで十分でした。「よく話してくれたね。どうして壊れたのかなぁって不思議だったの。これでよくわかったよ。悪かったなぁって思ったら、今度はその時に話してね。」と言うと顔を上げて、「うん。……ごめんなさい」と小さな声で言ってくれました。小さな声でしたが、私には心に響く大きな大きな声に思えました。

夜、寝る前にもきっと、「今日は楽しかったぁ~」と心から思えない何か引っかかるものがK君の中にあったのでしょう。それを思い出してお母さんに打ち明ける時にどんな勇気がいったでしょうか?私が、ガムテープを使ってなんとか直した時計をその日一日見ながらどんな気持ちがしていたのでしょうか?きっと、いい気分で過ごしていたわけではなかったと思います。その時にそのままではいけないような……だけどどうしたらいいのか……。自分で解決策を探せないままどこかスッキリしないまま過ごしていたのだと…。また、お母さんもとても上手にK君の気持ちを聞いてあげられたのでしょう。「あのね…」と話した時、「一緒にごめんねって言おうか。」と一緒になってK君のしんどい気持ちを背負ってもらえて、K君は少し楽な気持ちになって眠れたでしょう。自分からお母さんに話せた…それだけで、十分反省の気持ちを持っている事や、黙っていられなかった気持ちを上手に汲み取ってあげられたのでしょう。

“ごめんなさい”っていう言葉は、なかなか自分からは言いにくいものです。大人だってそうです。でも、世の中の人間関係や社会を平和に円滑に、そして何より、自分がその後も胸を張って生きて行くためにも大切な言葉です。みんな、本当は“ごめんなさい”と言いたいのです。そのままじゃあいけないという事はわかっているのです。こういう事、よくありませんか?

自分から言えた“ごめんなさい”だからこそ、本当の“ごめんなさい”の意味をもち、自尊心を失わず生きて行く事ができるのではないかと思うのです。

今日のご飯はなぁに?!

年々、夏の暑さが異常に増して来ているのをきっと誰もが感じておられるのではないでしょうか?長い夏休みの間、異常気象のニュースが聞かれなかった日がない程、高温や大雨により人や農作物や環境に大きな影響を受けた夏でした。そんな夏ももう終わります。

子供達は、それぞれにいろいろな夏を過ごした事でしょう。この夏に家族で語り合った事や経験した事は、必ずどこかで活かされる思い出となるでしょう。そして、今日から2学期が始まります。しばらくの間は、子供達が話してくれる夏の思い出に耳を傾け、楽しませてもらおうと思います。

さて、我が家では、他県で大学生活を送っている二人の娘がこの夏休みに帰って来ました。帰って来たと言っても、お盆を挟んで一週間程度でした。駅まで迎えに行った私を見つけると、キャリーバッグを引きながら小走りにやって来て、二人揃って「ただいま!」と言ってくれました。久しぶりに見る娘達は、おしゃれをしていてちょっぴり大人びて見えました(父親はただただそんな娘達を見てにやけておりました)。車に乗り込むと、下の娘が「あ~あ、おなかがすいた!今日のご飯は何?」と聞いて来ました。なんだか懐かしい台詞──それは、娘が高校生の時、学校から帰る娘を迎える車に「ただいま」と乗り込んだ後の毎日の娘の第一声でした。その頃には、(何よ!上げ膳据え膳でよく言うわ。)と呆れたりしていました。しかし、家から子供がいなくなった今、あの頃と今の、食を囲む雰囲気は少し違っています。だから、久しぶりにその台詞を聞いた時、とても嬉しい気持ちになりました。それから、「あのね、リクエストがあるんだぁ。お母さんのご馳走で食べたい物を決めて帰って来たの。“ポテトサラダ”と“肉じゃが”と“ソウメンカボチャの酢の物”と“揚げナスの南蛮漬け”と“団子汁”!!……食べた~い!」と言いました。大したご馳走でもないのに、それを楽しみに帰ってくれたんだと思うととても嬉しかったです。「一緒に作る?」と聞くと「うん!いいよ!教えて教えて!」と、今までは食べる専門だった娘達が、これまでになく本気で返してきました。それから、買い物をしたり畑で野菜を採って来たりして一緒に夕食を作りました。

今思えば、「お母さん!おなかすいた!」「ご飯まだぁ?」「今日のご飯はなぁに?」──という言葉のなんと温かい事。毎日一緒にいた時には、思わなかった事です。子供達は、お家の人が自分のために作ってくれるご飯が、何より楽しみでおいしい食べ物なのでしょう。美味しい美味しくないという問題ではなく、我が家の温かさを肌(胃袋?)で感じる事が出来る物なのです。お弁当もそうかもしれません。当たり前のように作ってもらっているお弁当だけれど、子供達が大きくなって、お弁当が要らなくなったら、その時に(あぁ、お家の人が作ってくれたお弁当が食べたいなぁ。)と懐かしむ時が来るでしょう。また、逆に、作らなくて楽になった…と思っていても、使わなくなったお弁当箱を見て、早起きをして何を入れようかと一生懸命に考えて作っていた頃を親もまた思い出すのです。そして、お互いに(元気でいるかな?)(会いたいな)と心と心を繋いでくれるものになるのだと思います。そんな事を思いながら、出来上がった夕食を囲み、家族みんなでいただきました。娘達は「これなんだよねぇ。この味!やっぱり美味しいわぁ。帰って来た!っていう気がする。」と喜んで食べてくれました。

子供達がまだ幼い間は、お家で作ってもらったご飯を普通に“美味しい”と食べて大きくなっています。家族でご飯を食べる毎日も当たり前の事だと思っています。でもきっと、いずれ親元を離れ巣立っていく時に、この事が、“特別なもの”になっていくのを感じるはずです。親も子もお互いに懐かしく思い出され、その味や食卓を囲んでいた記憶や思い出に励まされたり勇気や元気をもらったりする時があるのです。どうぞ、子供達が「お母さーん!お父さーん!おなかすいた!」と言ってくれる事に幸せを噛みしめて毎日を過ごしてください。いつか、“あの味が忘れられない!食べたい!”と思って私達親元に帰って来てくれる。その味を口にして、“あ~ぁ、帰ってきたんだなぁ~”とホッと安心して心を癒してくれると思ったら、子供達は、小さかった頃からの一つひとつを心に残しながら育っている事を実感します。何でもなく思えている日常の中、子育てや仕事や家事に必死で、なかなかそれを実感する事がないかもしれません。でも、「お母さん!今日のご飯はなぁに?」「お父さん!遊ぼう!」「これ、教えて!」とどんな事でも、お父さんやお母さんに求めて来る言葉や態度を心で受け止めてやってください。子供達は、その事に応えてくれるお父さんやお母さんの事、その時の景色や匂い、音や味、感触等全てを心に残します。そして、心と心を繋いでいくものになるのだと思います。

この夏、特にどこにも連れて行ってあげる事が出来なかった…思い出を作ってやれなかった…と思われているお父さんお母さんもおられるかもしれませんが、いつものように、一緒にご飯を食べたり、話をしたり、寝たりする事にでも喜びを感じながら、子供達は、家族の日常の一つひとつを思い出に心に刻みます。

娘がまた行ってしまった後、部屋に手紙が置いてありました。

『お母さん? 私がリクエストしたご飯をぜーんぶ作ってくれてありがとう!やっぱ、お母さんの料理が一番だわ~』……こんな事を言ってくれるのは子供だけですよ。