なぜ? どうして? どういう事?(平成26年度2月)平成27年2月

新しい年を迎えて、もう1カ月が経ちました。ついこの前、壁にかけたカレンダーはまだ始まったばかりですが、幼稚園の年度カレンダーはあとわずかになりました。子供達が入園・進級したばかりの頃からこれまでの成長した軌跡を振り返ってみています。

今は、毎日笑顔で、登園してくるあの子…そう言えば、毎朝中門で「ママがいい~!」と泣いていたなぁ。たくさんの友達と遊んでいるあの子…そう言えば、担任の先生から片時も離れられなかったなぁ。園庭で、友達と集まって相談しながら遊んでいる…そう言えば、以前は自分の思うようにならなかったら、一人で拗ねていてなかなか仲良く遊べなかったなぁ──等と、子供達の様々な成長に心から喜びを感じています。残り2枚のこのカレンダーにたくさんの想いを込めてこれからの日々を過ごしたいと思います。

子供達の成長は、子供達がどんな事にどんな風に興味や関心を持ってその事に関わっていくかで、大きく違ってくると思います。新年度では、子供達もまだまだ落ち着かなくて周りを見回す余裕がありません。面白い事にも楽しい事にも気付かないで、先生が与えてくれる事を一緒にしながら、徐々に自分で興味ある物を見つける喜びを感じるようになります。そして、与えられる事より自分で見つけたり探ったりする事の方が楽しいという事にも気付いていきます。自分で見つけた事の結論や結果を出そうと、努力や苦労をする中でグーンと成長するのです。結果・結論が成長なのではなく、プロセスを踏んでいるその時間の中にこそ成長があるのです。

先日、保育参観日の振替休日の日、プレイルーム(預かり保育)に、朝送って来られたある男の子のお母さんが、「葉子先生!うちの子に、“わびさび”について意味を教えてやってください。」とおっしゃったのです。どういう事かと聞いてみれば、どうやら、彼は歴史物にはまっているようで、NHKの番組を観ている時に番組で流れる歌の歌詞の中に“千利休”の事が歌われていて、そこで、“わびさび”という言葉が出るらしいのです。お母さんに「ねえ、“わびさび”ってどういう事?」と聞くのだけれど、お母さんはわかりやすく教えてやれないと言われました。私も、ほんの少しだけ日本の歴史上の人物や物の考え方を知る事が好きで、幼稚園でもお茶のお稽古を年長組の子供達と経験させてもらっている事もあり“わびさび”の言葉にある、日本の豊かな美意識や感性に誇りを感じていました。そこで、一緒に学ぶつもりで私なりに調べて、その子にその意味を伝えました。バシッとはまる言葉が見つからなくて、なかなかの難題でした。“わびさび”を説明しろといわれても、何となく…はわかるのですが言葉で上手く言い表せません。だけど、せっかく興味を持ったのだから、何かは教えてあげたくなりました。一生懸命説明していると、その子は、「ちょっと、待って!お話が長くてわからないから…」と言って私が持っていた紙とマジックを取って、説明をまとめ始めました。私の話に当たらずとも遠からずのまとめ方でした。「うん。わかった!」と、スッキリした表情で、その紙を折り畳みました。後日お母さんに聞くと、家に持って帰ったその紙を、彼は部屋の壁に貼っているそうです。

また、小川を何人かの男の子達がのぞき込んで何やら話をしていました。聞いてみると「ザリガニやエビやメダカがいない。前は、カエルもいたのに何もいない」と言うのです。いなくなった事情は色々だとは思いますが、その中の一人の男の子が、「寒い時には、あったかい所に隠れてるんよ。」「あったかい所ってどこ?」と聞くと、「今日は、けむり(多分、湯気の事だと思います)が出てないけど、小川がお湯になる時があるんよ。その時に出てくるんじゃない?」──すると、「お湯ぅぅ~!?そんなわけない!」と言う子「水のもっと下の土の中にもぐってるんじゃない?」「え~~ッ!エビがぁ~~!?どうやって?」と、色々な言葉が飛び交っていました。石を持ち上げてみたり、小川の端から端までを探してみたり、あったかい水の所はないかと手をつけてみたりしていました。その答えを見出し結論を出すために子供達の中で議論が交わされます。

こうした時間が子供達を成長させるのだと思います。話をしてくれる人、聞いてくれる人、一緒に考えてくれる人、一緒に行動してくれる人、共感してくれる人がいる事、そんな環境が子供達を成長させるのだと思います。『なぜ? どうして? どういう事?』と『?』にたくさん気付き“知りたい”と思う気持ちがその子をたくましく生き生きとさせてくれるのです。そのためには、感動のある生活をたくさん経験させる事が大切だと思います。まだまだ、子供達は、ほんの3~5年分しか、世の中を見ていないのですから、知識もわずかです。それだからこそ、『?』が溢れています。たくさんの経験ができる生活、心が揺す振られる生活があれば、子供達は『なぜ? どうして? どういう事?』と成長の種をまきます。「ホントだ!よく気が付いたね。どうしてだろうね。」と『?』を共有してくれる友達や上手に導いてくれる人がいたら、まいた種から小さな芽が出て、大きく育てる事ができると思います。今、ちょうど、『なぜ? どうして? どういう事?』と聞いてくる時期ではないですか?自分で気付いた疑問を自分で解決する道を探す事に面白さを感じる子供達になって欲しいと思います。わからない事がたくさんある程、これから世の中を生き抜く子供達にとっては面白いのです

乗らない自転車(平成26年度1月)平成27年1月

新年、明けましておめでとうございます。昨年の事を振り返りつつ、新たな希望や夢を抱いて新年を迎えられた事でしょう。今年も子供達とご家族の皆さんが笑顔で日々過ごせますように…。

さて、我が家には大学受験生がいます。頑張るのは本人ですが、受験生を抱える家族は、何かで協力してやりたいと、一生懸命に応援します…と言っても実際には何もできずに、ただただ気持ちが落ち着かないでいるものです。今や、正念場、年末からはクリスマスもお正月も返上で頑張る受験生です。本人も親も、目の前の事をやりこなすだけで精一杯です。そんな中、こんな事がありました。

我が家には、中学校の頃に買った娘達の自転車があります。塾や習い事をしていた頃に、二人がいつも乗っていた自転車です。中学校・高校と広島市内の学校に通い、朝早く学校に行き、夜は遅くなってから帰宅するという生活の中、その習い事の時間もとれなくなりやめてしまったため、ここ数年自転車にも乗る事がなく、置きっぱなしになっていました。私は、その自転車の事もすっかり忘れてしまっていたのですが、ある休日の夕方の事、珍しく家にいた娘が、庭にいたおじいちゃんの所に、『今晩は鍋をするから楽しみにしておいてね』と、話に行くと、おじいちゃんがその自転車のタイヤに空気を入れてくれていたそうです。しばらく、二人はそこで話し込んでいたようでした。それから、娘が家の中に入って来て、私に「あのね、おじいちゃんがね…」と二人の間で交わされた話を聞かせてくれました。

「おじいちゃん、空気を入れてくれてるの?もう最近乗ってないのに……」と娘が言うと、「そうじゃね。でも、おじいさんは、時々、こうして空気を入れてるんよ。里奈子ちゃんか夕奈ちゃんが、大学を卒業して…就職をして、“おじいちゃん、今日は天気がいいから自転車で行くね”ゆうて、この自転車に乗る日が来ればいいと思うてね。最近の事じゃけぇ、遠くの大学に行くのは仕方ないんかもしれんけど、おじいさんは…寂しいよ。」と、涙声で一生懸命に笑顔をつくって話してくれたそうです。そして、おじいちゃんは自分の服の裾で、自転車のホコリを拭いてくれたそうです。

おじいちゃんは、私達の子育てについて、決して自分の意見を押し付けたり反対したりする人ではなく、いつも影でどんな結果になっても見守ってひたすら孫の事を祈ってくれる人です。きっと、娘が二人共…と言えば無理かもしれないけど、どちらか一人でも、三次に戻って来てくれたらいいなぁと思っているのでしょう。しかし、直接その思いを孫に話すと、余計なプレッシャーや孫の意欲や意志を邪魔する事になるから、そう一人で願いながら時々自転車に空気を入れて願ってくれていたのだろうと思います。

長女は、2年前に家を離れ、この春には次女も家を離れる事になりそうです。おじいちゃんは、これまで、できる孫の世話を一生懸命にしてくれていたので、娘達もおじいちゃんの事は大好きです。長女に続き次女までが、家からいなくなる事が、おじいちゃんにとっては大変寂しい事なのでしょう。いつか、戻って来てくれたら…と願うおじいちゃんの気持ちが、本当にありがたくその気持ちに私は胸が熱くなりながら聞いていました。古い考えなのかもしれませんが、85歳のおじいちゃんにとって、家族がみんな近くにいてくれる事が何よりの幸せなのだと思います。困った事があったり辛い事があったりしても、そばにいれば何か力になってやれるし守ってやれる…そう思ってくれているのです。こういう愛情表現もあるんだなぁと思いました。“見守る”とはこういう事なのかもしれません。今まで、おじいちゃんがそんな事をしてくれていたなんて、一緒に住んでいても知りませんでした。娘にとって、おじいちゃんと久しぶりに話したこの短い時間は、どんなに心に響いたでしょうか。大切に…大切に思ってもらえている事に大きな幸せと、おじいちゃんを悲しませないように自分達も幸せにならなければ…という気持ちになったのではないでしょうか?今の時代ですから、娘達が必ずそうするとは限らないでしょうが、“帰っておいで”と願うおじいちゃんの胸の奥にある想いを十分に理解し、感謝して欲しいと思いました。それが、生涯、自分自身を大切に思いながら過ごしてくれる事に繋がるのでしょう。

受験勉強を頑張っている娘におじいちゃんが、「何かおやつを買ってあげよう。要る物はないか?」と聞くと「おじいちゃん、私…今、要る物は何もないの。ただ、学力が欲しいだけ…」とジョーク混じりに娘が答えたそうで、その事を愛おしく思って苦しかったと、おじいちゃんが私に話してくれた事があります。家族は皆、辛い想いや苦しい想いをしている我が子から、どうにかしてそれを取り除いてやりたいと思います。でも、その苦しみがその子のためであり、自分で乗り越えないとならない事であれば、じっと見守るしかありません。静かに見守る事が最高の応援なのかもしれません。これは、幼児期でも一緒だと思います。直接手を差し伸べるのではなく、その子の意地や頑張りが最大限に発揮できるよう、2歩も3歩も後ろで見ていてやる事は、子供達自身が自分の持っている力に気づき、自尊心を高める事に繋がっていくような気がします。そうして得た力は生涯のエネルギーとなるはずです。

我が家の“乗らない自転車”がいつもきれいだったのは、おじいちゃんの静かで大きな愛によるものだったのです。きっと離れていても、娘とおじいちゃんの間には、いつでも春のように穏やかで温かい風が吹き続けるでしょう。