おじいちゃん おばあちゃんの愛(平成25年10月)

今年の9月は、3連休が2度ありました。暑かった夏に疲れた身体をいたわるのにも、大雨のために少々遅れ気味だった稲刈り等の農作業にも、ありがたい連休だったのではないでしょうか?

前半の3連休は、敬老の日を含んでいました。我が家にも、83歳になるおじいちゃんがいます。今や恒例となった三次中央幼稚園の年長組の行事である田植えや稲刈りをいつも手伝ってくれます。稲刈りの一連の作業が全て終わり、ホッと安心するのも毎年この頃です。いつも、“敬老の日”には、おじいちゃんを囲んでちょっとしたご馳走を用意します。今年は、娘も料理を手伝ってくれました。その時、パンの屑ができたので、娘が池の鯉にあげに行くとしばらくして、キャーキャーと騒がしく戻ってきました。「お母さん!凄いものを見てしまった!パンをあげようとしたら、チョウチョが水面をひらひら飛んで来て、そのチョウチョを……、鯉が…パクッと食べたぁ!!ひどい!ひどい!かわいそう!」と興奮していたのです。私も、その光景を思い浮かべて「かわいそう!」と二人で騒いでいました。そこへ、畑から帰って来たおじいちゃんに娘がその話を興奮して話すと、いたって冷静に「仕方がないねぇ、それが自然の中で生きるありがたさと悲しさなんよ。人間が魚や肉を食べるのも同じ事、野菜も同じ事。みんなありがたいと思ってそれを頂戴しながら生きて行くんよ。“いただきます”って言ってね。」──以前にも、家の前の道路で、車のタイヤに踏まれたツバメを娘が「かわいそう」と見ていると、おじいちゃんが、そのツバメを素手ですくって、「あんたが、こんな所に迷って遊びに出て来たからこんな目に遭ったんよ。お母さんと一緒におればよかったのに…。可哀そうだったねぇ。こっちにおりんさい。また踏まれるよ。」と言って畑の中に隠してくれました。その優しい言葉に私も娘もそれ以上の言葉が出て来ませんでした。

おじいちゃんは、いつも、興奮した気持ちをふっと冷静にし、温かい気持ちに変えてくれたり、ス~っと気持ちが収まる言葉を言ってくれます。お年寄りの言葉には、不思議な力があるような気がします。親の私達にはできない事や言えない言葉をたくさん持っておられるのです。人生の大先輩です。この世の中をこれまで支えていてくださった方々です。色んな事をたくさん経験して人生を悟ったゆえの強い心を持っておられるからかもしれません。私達の世代よりずっとずっと考え方や物の見方が深いのです。そんなお年寄りを敬わずにはいられません。

幼稚園におじいちゃんやおばあちゃんが、「迎えに来たよ。さあ、帰ろうや。」とお迎えに来られる事があります。その中には、できるだけ孫が重くてしんどい思いをしないように、子供が持っているカバンや荷物をすぐに受け取られるおじいちゃんおばあちゃんがおられます。お父さんやお母さんのお迎えの時には、先生達は「自分の荷物は自分で持ちましょう!」と自立の一端としても再々言い聞かせます。しかし、私は、孫の荷物を持ってやる事で、嬉しそうにしておられるおじいちゃんやおばあちゃんには、むげにその指導ができないのです。……というのも、子供達とおじいちゃんおばあちゃんの関係は、お互いが心の拠り所であり、親子とは違う関係の中で、違う教育が成されていると思えるからです。そんな時には、「おじいちゃん、重たいのに、ありがとうね。」と子供達に聞こえるように声をかけています。

おじいちゃんやおばあちゃんは、孫に甘えてもらったり、頼ってもらったりする事に喜びを感じてくださるありがたい存在なのです。お父さんやお母さんに叱られた時の逃げ場となり、冷静な声と言葉でなだめる役に回ってくださいます。そんな時、子供達は行き場をなくしたり孤独にならなくてすむのです。「もぉ!!甘やかさないで!」と親の方針に合わない事をされるような気がしてしまうかもしれません。実は私も、子育てに必死だった若い頃はそう思う時もありました。しかし、おじいちゃんやおばあちゃんの愛情は、親とは違う角度からアプローチされる愛情なのです。幼稚園の子供達のおじいちゃんおばあちゃんはまだまだお若いです。おじいちゃんおばあちゃんが、いつまでも元気で明るく笑って、たくさんの事を教えてくださったり、温かいまなざしを向けて守ってくださる事で、子供達の中に、穏やかで優しい心がはぐくまれるような気がします。

幼稚園の先生の中にも、すでにお孫さんをもつ先生がいます。やっと歩くか歩かないかの小さな孫を大事そうに抱っこしながら保育園に送迎される姿は、本当に微笑ましく思えます。「孫には、我が子を育てていた時の気持ちとは違う可愛さや愛おしさを感じるのよ」と目を細めて言います。この、“我が子とは違う愛情”が子供達にとってはありがたく大切なのです。たとえ傍におられなくても、きっといつも孫の事を思い出し、“健康であってほしい。良い子に育ってほしい。”と心から願っておられるはずです。時々は顔を見せてあげたり声を聞かせてあげてください。子供達にも、おじいちゃんおばあちゃんの事を幼いながらも敬えるきっかけをつくってやってほしいと思います。

『孫は来て良し、帰って良し』そんな言葉でも、笑って言える器の大きなおじいちゃんおばあちゃん……いつもありがとう!…これからもありがとう!どうかいつまでもお元気で。

再会(平成25年度9月)

長い夏休みが終わりました。……でも、今年の夏は、これまでになく暑い暑い夏で、その勢いはまだしばらく続きそうです。どうやら、暑さを残したまま秋に向かいそうです。

皆さん、どんな夏休みを過ごされたでしょうか?子供達はそれぞれにたくさんの思い出をつくりこの2学期を楽しみに迎えた事でしょう。特にお盆休みには、お家の方も日頃より子供達と過ごす時間もとれて、それまでに気付かなかった我が子の成長や変化にも気づき、色んな事を感じられたのではないかと思います。

成長と言えば……お盆には、普段なかなか会えない人にも会うことができます。幼稚園がお盆休みに入る前日の事でした。23年前の卒園児である一人の男の子から「久しぶりに三次に帰って来ました。」とメールが届きました。その男の子は、28歳になっています。私が、年中組の時に担任したやんちゃ坊主でした。私は、どうしても会いたくて「今日、幼稚園においでよ!」とメールを返しました。それから、少ししてその子が来てくれました。私より数段身長が伸びていて(あたりまえですが…)とても“男の子”ではありません。立派な“青年”になっていました。岐阜県で中学校の数学の教師をしているそうです。私は、どうしても、彼が教壇に立って生徒に教えている姿が想像できませんでした。幼稚園の頃は、本当にやんちゃで、個性ぞろいのクラスの中にいて、よく遊び…本当に!よく遊び、よく食べよく喧嘩し、よく泣きよく笑いよくすねる…何度二人っきりの時間をつくり叱った事か…。今でも、その子を叱る時に彼の名を呼ぶ私の声を自分でも覚えています。教師になるなんて思ってもいませんでした。「担任もってるの?」と聞くと「もってるよ。大変だけど面白いよね。」と言いました。「中学生だと、色んな子がいるでしょう。」と私が尋ねると、徐々に自分の教育論を語り始めました。「そうだね。生活面でも、勉強面でも大変な子がいるよ。でも、そんな子にこそいい思いをさせてやらんと、伸びないんだよね。その子自身もだけどクラス全体も…。」ときっぱり言い切るのです。そして、「先生!僕が授業してるのが信じられないでしょ。これ見せてあげるよ。」とスマートフォンで撮った授業風景の動画を見せてくれました。それは、彼が教壇に立って教えているのではなく、生徒同士で一つの問題について、解き方を考えたり、説明や質問をしあっている授業でした。結論が出たところで彼が「よーし!これで理解できたね。みんなで拍手!」と拍手し合って喜ぶ生徒の様子が見られました。「先生が生徒の中心にいるんじゃあなくて、生徒が生徒を囲んで先生はその周りでサポートする。そのほうが、自分の意見や想いをしっかりぶつけ合えるでしょ。」と言うのです。「クラス作りに対するあなたの方針なんだね。」と聞き返すと、彼はしばらく黙って考え「うん。そうだね。そうしたいと思ってるよ。課題を抱えた子こそ、いつか楽しいと思えるようになる生活や授業をしてやりたいよね。」と自分に確認をしたように答えました。そして、「葉子先生もそうだったでしょ。」と言ってくれました。「僕は結構好きな事して、思う事を何でも言って、友達ともそうしながら遊んで、叱られて反省して…。そうやって成長した。」と、あの頃の自分を思い出して話してくれました。「そっか、あの頃があって今のあなたがあるんだ!」と私がおどけていうと、昔と変わらないやんちゃな笑顔で、「そういう事だね。」と二人で笑いました。

人は皆、昔の自分の生き方を振り返って、納得できる部分と反省する部分を認めながら、どこかしら次のステージに活かそうとするのだと思います。自分自身だったり次世代を担う人への教育だったり、様々な場面で心に宿っているものを活かそうと一生懸命に生きていくのだと思います。皆さんも、両親や先生から教えてもらった事や失敗して反省した事を自分の財産にして、我が子に伝えようと子育てされていませんか?ふと(アッ!私が昔、お母さんから言われていた事と同じ事を子供に言ってる)とか、(お父さんがあの時叱ったのは、こんな気持ちだったんだな)と感じることがありませんか?本気で教えられた事は、その後の人生において自分自身の財産になっているのです。生き方そのものになっていくのです。

子供達は今、その財産を少しづつ増やしていっています。家族の存在や自分の周りの環境、そして、関わる人と交わす言動の一つひとつが、子供達の未来の生き方に関わってくるのだと思います。

彼はそれからもいろんな話をしてくれました。楽しい話だけでなく、悩みも打ち明けてくれました。彼は、一人の教育者としても、尊敬できる人になっていました。教育や自分の想いを語る彼の真剣な顔はとても眩しかったです。私も背筋が伸びたような気がしました。彼の生き方の原点にほんのわずかでも、携われていたとしたら、こんなに嬉しくまた、これからの彼の人生への責任を感じずにはいられません。親の教えにも教師の教えにも、人を人として育てる事の責任があるという事を感じさせられた再会でした。

彼は教師として、きっとこれからも立派に一生懸命生きていくと思いますが、そんな子ばかりではないかもしれません……。私達が幼稚園から送り出した子供達が、どこで、どんな人生を歩んでいるのだろうか、みんな心の財産を活かして、どうか一生懸命に生きてくれていますように…。

───いつも、そう願っています。