引き出しの思い出(平成24年度10月)

ある日の某新聞“くらし”のページに『幼稚園「同窓会」』という題でコラムが掲載されていました。家族で出かけた帰り道、大学を卒業するようになった年齢の息子とその兄弟が通った幼稚園に急に立ち寄ることになり、懐かしい先生やその先生が弾いて聴かせてくれる歌に久しぶりに触れ、大きな園児達の小さな同窓会を楽しんだ。…という内容のものでした。

私はこのコラムを見て、迎えた幼稚園の先生の立場に自分を置き換えて読み、胸が熱くなりました。私達の幼稚園にも、よく卒園児達が人生の節目節目に幼稚園を懐かしんで、訪ねて来てくれます。色々なきっかけで来てくれるので、その子達の年齢も置かれている状況も様々です。進学が決まった事…、就職や結婚を機に日本を離れるようになった事…、結婚をして赤ちゃんが生まれた事…、大学生活を終えてまた三次に帰って来た事…、それらの報告をしに来てくれる子もいれば、丁度幼稚園の前を通りがかって、寄ってみたくなったからと来てくれる子もいます。幸い(?)三次中央幼稚園の先生達は、長年勤めている先生が多く、その子達の事を知っていたり担任していた先生がいたりして、その歓迎ぶりは凄いのです。自分が通っていた頃の先生がまだ居てくれたという子供達の感動や、年月を経ても懐かしんで足を運んでくれたという先生達の感動とが一緒になり、それはそれは思い出話は尽きません。

色々な懐かしい子供達が訪ねて来てくれますが、ある事がきっかけとなり、今なお、頻繁に幼稚園に来る男の子がいます。男の子と言っても、もうあの頃の面影も無いほどの22歳の身体の大きな子です。彼が年中組の時に担任しました。その子が幼稚園に足を運んでくれた始まりは、高校受験に悩み、人生が面白くなくなっていた頃の事です。お母さんと一緒にいた彼にばったり会い、「幼稚園に遊びにおいで」と声をかけた時からでした。照れくささからか、「来たよ」と一言言ってふてくされたような風貌で職員室に来ました。それでも、彼を知る先生達は大歓迎でした。理事長も園長も皆大切な可愛い卒園児として迎え入れてくれました。今の彼がどんな境遇にありどんな様子であっても、彼自身の中に宿り育った物はあの頃のまま彼の中にあるという事を認めてくれる先生達ばかりだからです。彼は今、自分に合う仕事を見つけ一生懸命働いていて、仕事が休みの日に時々顔を見せに来ます。2学期が始まったばかりのある日、突然「今から行く」とメールが届きました。同じ卒園児の友達を連れて来てくれたのです。その子も年中組の時私が担任した男の子で、東京の大学に行っています。2人は、幼稚園の子供達とも遊んでくれたり、降園前に満3歳児クラスで子供達に絵本を読んでくれたりして人気者になっていました。「遊んでばかりいないで、園庭にホースで水まきしてよ。」と頼むと、2人してブツブツ言いながらも2本のホースで園庭を湿らせてくれました。しばらく様子を見ていると段々と幼いあの頃に戻ったように、水の掛け合いを始めていました。「やめろや!!」「お前が先にかけたんだろう!!」と大きな身体の2人が無邪気に言い合ったり大声で笑い合ったりしているのです。大人になって、遠い土地で、私達の知らない悲しみや喜びを経験していたり、社会の厳しさに一喜一憂しながら頑張っているこの子達が、あの頃のように無邪気な笑顔でこの幼稚園の庭で遊んでいる姿に感慨深いものがありました。

その後、「園長先生から花壇に植えてって頼まれた。」と言って2つの花を持って来ました。鳥谷芽似先生も2人に加わっていました。実を言うと、芽似先生も年中の時彼らと同じクラスで私の可愛い教え子です。彼らは、芽似先生に会える事も楽しみにしているのです。

3人が花壇に肩寄せ合って植えかえているその様子を見て、時が逆戻りしたような気持ちになり、何やらこみ上げてくるものがありました。

以前「これ見て。」と何冊かまとめられたあの頃の“れんらく帳”を持って来ました。お家の方と私との一年間の連絡の記録です。良い事も悪い事も連絡し合い、ひたすら彼の成長を願う気持ちがたくさん綴られていました。彼はこのノートを大切にしまっていると言いました。幼稚園での色々な思い出や経験、友達や先生との他愛もない小さなやりとりが、彼らの心の隅っこの引き出しにしまわれていて、時々引っ張り出して自分をその頃に置いてみたくなるのでしょう。新聞のコラムに書かれていたのと同じように、彼も殆んどの友達の個人マークやその頃歌った歌や演奏した曲、遊んだ事、手遊びや参観日によく見せてやっていた手品等など…そんな事?と思うような事まで覚えているのです。

しばし幼稚園で時間を過ごした後は、いつもぶっきらぼうに「じゃあね」と言って帰って行きます。その大きな背中は、来た時と何か違って見えるのです。子供達にとって、幼稚園での可愛い思い出は自分が守られていた時の温もりを思い出させるものなのでしょう。そして、その温もりに触れる事で、また頑張ろう!と背筋を伸ばして自分の今の世界に戻って行けるのだろうと思います。

今の園児達にも一つでも多く、大きくなっても浸りたくなる思い出をつくってやりたいと思います。さあ!2学期は、子供達の心に残る経験をたくさんします。ずっと、覚えていてくれるかな?そして何年後かに、嬉しい事があっても悲しい事があっても「先生!来たよ!」と訪ねて来てくれる…、そんな幼稚園でありたいと思うのです。その頃は、すっかりおばあちゃんだな。

“興味”から“知識”へ(平成24年度9月)

長い長い夏休みが終わりました。皆さんはどのような夏を過ごされましたか?夏休み前に計画されていた色々な事は実行できたでしょうか?私も、娘達が小さかった頃はあれもしてやりたい、あんな所に連れて行ってやりたい、こんな事を一緒にしたい……とあれこれ計画をたて、夏休みを過ごしていましたが、大きくなって、土曜日や日曜日でも学校のクラブ活動や友達同士での計画そして少しだけ勉強に…と忙しくなり、なかなか親子で過ごす時間がとれなくなりました。段々と親離れしていく事を実感しています。

さて、幼稚園では、預かり保育の子供達も色々な経験をしながら過ごしました。異年齢での関わりが自然にでき、年少組を年長組や年中組が可愛がる姿や年長組のお兄さんやお姉さんを見習ったり、時には年齢を超えて兄弟姉妹のように喧嘩をしたりして賑やかに楽しい夏休みを過ごしてくれたと思います。そんな預かり保育の年長組の中でちょっとした事がブームになっていました。

 休日に家族で出掛けて手に入れた観光地や人気スポットのパンフレットを持って来ては皆で開いて見合うのです。アミューズメントパークのパンフレットを見ては、アトラクションやキャラクターの話で持ち切りです。お土産や買ってもらった物などの話でも盛り上がります。そんな中、四万十川の観光パンフレットを持って来ていた男の子がいました。その他にも別府や飛騨高山のパンフレットもありました。高速道路のサービスエリアや人からもらったりして手に入れたらしく、地図のページを見ては一生懸命私に説明してくれるのです。「四万十川ってどこにあるの?」と聞いてみると「それはねぇ…」と日本地図を開いて「ここの四国地方の高知県を流れているんだよ。」と説明してくれました。沈下橋や川下りの話等もしてくれて驚きました。中国地方のロードマップを見ては、「ここが出雲だよ。神社がある所。」と迷わずその場所に指を差します。私は、「○○君はよく知っているんだねぇ。葉子先生は方向音痴なの。教えて欲しいんだけど、長崎県はどこ?大阪府は?愛媛県は?」とランダムに聞いてみたところ、ほとんどの場所を正しく教えてくれました。広島県の地図を開いては、「広島空港はね、え~っと、ここが三次だから…この道を通って…え~っと、この道から…あった!あった!ここが広島空港だよ。飛行機のマークがあるでしょ。」と道をたどって教えてくれました。きっと出掛ける度に地図をみてはご家族でいろんな話をされているのでしょう。お母さんにそんな話をしたところ、「そうなんです!なんだか好きみたいで、いつもパンフレットを見てるんです。親も思ってもみなかった事に目覚めて地図で調べたりして…。」と言われていました。子供は、まだまだ知識が豊富ではないので、知りたい事見たい事やりたい事には、一生懸命に情報収集しようとします。そして得た情報を何とかして使おうとします。パンフレットを持って来て話を聞かせてくれるのもそうなのです。人は皆、赤ちゃんの時から、気付き、調べ、確かめ、認識するという事を積み重ねながら成長していきます。赤ちゃんが自分の握りこぶしをじ~っとみつめ、口に持っていきしゃぶりますが、それも、自分の身体の一部に気付き認識し、それを使って生きるための準備なのだと言います。子供達は興味を持てば、積極的になぜ?どうして?と聞いてきます。少し大きくなれば自分で調べようとするでしょう。確かめようとするでしょう。その姿勢は、いずれ様々な事に繋がっていくと思います。大人になったら、学問からの知識も得て、なかなか、自ら興味を持った事に食いついて調べたり確かめたりするという事をしなくなります。時間的にもできにくくなって来ます。必要に迫られて…という事の方が多いのではないでしょうか?それでも、新しい知識として身につきますが、子供の知識を吸い取るパワーと大人のそれとでは勢いが違うのです。 

先日、娘が、夜中に地図帳やJRやバスの時刻表やインターネットで何やら一生懸命調べていました。「明日から、福山にクラブ遠征に行くから、競技場までの行き方を調べているの。朝8時過ぎには必ず着いてないと大会に間に合わないの。」──初めての場所へたったひとりで行くというのです。たかが福山、されど福山……。私は、そんな事は初めて知らされたので、びっくりしたのとその呑気さに呆れたのとで、「そんなの間に合うわけないでしょ!お父さんに送ってもらいなさい!」と言いました。娘は、「いい!調べてみる。」と言い、ずっと調べ続けていました。「JR福塩線でも3時間はかかるよ。疲れるから、お父さんに…」とそこまで言うと、主人が「放っておいてみろ。自分で調べて何とかしようとしてるんだから。」と、私を止めました。娘は、時刻表をみて府中駅で乗換えがある事や、福山駅の構内地図をみて在来線到着位置からどうやってバス乗り場に行けばいいのかという下調べまでしていました。次の朝、娘は自信があるのか、自分が得た知識を試せる事への期待からか、晴れ晴れとした顔で「行ってきます。」と言い、私は、心配なまま三次駅に送りました。それから約3時間後『着いたよ。意外とあっという間だったよ。』と娘からのメールが来ました。そのメールに娘のたくましさを感じました。余計な口出し…親バカ反省!

未来をたくましく生きて行く準備中の子供達の事が、頼もしく羨ましくなります。