はじまりはここから(平成24年度5月)

例年より、少し遅めだった桜の開花…。満開の桜は私達に春を感じさせてくれた後、散ってもなお薄ピンク色の花びらの絨毯(じゅうたん)が道行く人を楽しませてくれました。次は、春の空が少しずつ夏に向けて様子を変えていくのを見るのが楽しみです。

さて、新年度が始まり1ヵ月が経とうとしています。新入園児にとっては勿論の事、進級児達にとってもこれまでとは違う新しい環境に全員が慣れるまでには、もう少し時間が必要なようです。朝、バスに乗る時や中門でお母さんと離れる時に涙がたくさん出てしまう子がいたり、元気に登園できたのに途中で急に寂しくなって「帰る!帰る!」と泣き始める子がいたり、逆に、もうすっかり慣れて半日保育では物足りなさそうにしている子がいたり…と、子供達の様子は様々です。まだまだ始まったばかり、これからこの子達がどんなドラマを展開しながら成長して行くのかがとても楽しみです。

この約1ヵ月、“始まったばかり”を実感した事がたくさんありました。毎日子供達は登園すると、先ず、おたより帳に自分で選んだシールを貼ります。そして、ロッカーに荷物を片づけ、制服からスモックに着替えます。先生は必要に応じて手伝ったり励ましたりしながら朝のこんな時間を丁寧に子供達と関わります。この受け入れの時間は子供達の一日のスタートを決める、先生にとっても子供達にとってもちょっとした緊張の時間でもあります。この時に子供達をいかに安心させてやれるかで一日のご機嫌が随分違ってくるからです。子供達は安心しながら自分の事を済ませると、園庭に遊びに行きます。その遊んでいる様子は、実に初々しくてつい笑ってしまう程です。

新入園児にとっては、集団生活は初めてなので、生活の流れやルール、人との関わり等気にするはずも術もありません。人が使っていた砂場のスコップを「貸して」も言わずに横取りしてしまう。そのまましゃがんでそのスコップで遊び始める。取られた子は何が起きたのかわからないような顔をして、「取っちゃったぁ~」と言わんばかりに私の顔を見る。きっとどうしてなのかどうしたらいいのか自分ではわからないのでしょう。だって、入園するまでは、例えば自分のスコップは自分だけの物で、誰にも邪魔される事なく遊べていたはずですから。スコップを取ってしまった子も悪気はないのです。使いたかったから取ってでも自分の物にしたかった……。その子にとっては、ただそれだけの事だったのです。

それから、朝の会をするために保育室に入ります。「おはいりだよ」と園庭を歩きながら子供達に先生達が声をかけますが、なかなか入ってくれません。『おはいり』の意味がわからないし、その先に何があるのか、何のために『おはいり』をしなくてはならないのかがわからないからです。まだまだ遊んでいたいから途中でやめたくないのです。こちらの子が入ってくれたかと思えば、あちらの子がまた出て来て遊び始める。そこに行って「お部屋に入ってみんなでお歌を歌おうか。」とおはいりを促すけれど、またあちらの子が遊び始める。この繰り返しです。水道で手を洗う時も、先生が「順番に並んで洗うんだよ。順番が来るまで待っててね。」と言っていても、順番抜かしで割り込んで手を洗う、追い越されても順番抜かしをしても、何て事ない顔をしています。素のままの子供達のこんな様子には、思わず笑ってしまいます。だって、ほとんどの事が自分中心に回っていた入園までの生活から、自分の思い通りにならない事も発生してくる集団生活に変わったばかりですから。

集団で生活する中には、ある程度の時間の制限があったり、ルールがあるという事も知らないのです。だから、これらは極々当たり前の事なのです。自分と同じような年の子や同じような考えを持っている子がたくさんいて気持ちがぶつかったり、思うようにできない事があったりというを経験する事で社会性が育ちます。相手の気持ちに気付いたり、人と関わることで喜怒哀楽を経験しながら協調性を学びます。いろんなあそびを通して、感動したり発見したり解決したりしながら生きる力や術を得てきます。

新入園児の自由奔放なこれらの様子を見る先輩の在園児達は、少し前までは、自分達もそうだったのですが、そんな事はもう記憶にはないらしく「あらあら」と言わんばかりに「人のを取っちゃあダメなんだよ!」「おはいりするんだよ!」「順番だよ!」と、いわゆる“世話のやける後輩達”に言い聞かせようとしてくれます。昨年まで満3歳児クラスだった子も今は同じクラスになった新入園児の友達に「そんなのいけないんだよ!」と言っています。この1年の経験の大きさを感じます。家庭では、家庭でできるしつけや教育が…幼稚園では集団だからこそできる教育があります。子供達にとっては、集団の中の友達や時間、環境や経験あらゆる事が生きた教材になるはずです。

今年も春休みに、たくさんの卒園児達が訪ねてきてくれました。電話をかけて元気な声を聞かせてくれた子もいました。みんな、人生の節目節目に幼稚園を思い出してくれるのです。その度に「幸せになれ!幸せになれ!」と祈ります。

その子達もかつては皆そうでした──全てはここから始まります。