しきたり…って?(平成23年度1月)平成24年1月

新年明けましておめでとうございます。昨年末に清水寺で行われた「今年の漢字」はご存知の通り『絆』でした。東日本大震災や台風被害によりあらためて感じる事ができた“家族の絆”、支援する“人の心と心の絆”、また、昨年の国内10大ニュース3位にあげられた女子サッカーWカップで優勝に導いた「なでしこジャパン」の“チームワークの絆”等、誰もが納得する理由が挙げられました。これは、昨年限りではなくいついつまでも忘れる事なく、今年…またその次の年…そしてまたその次の年へと繋いでいくべき素晴らしい一文字だと思います。そんな事を思いながら、昨年末から新しく始まるこの一年を心静かに迎えました。今年一年もどうぞ宜しくお願いします。

さて、皆さんは初詣に出かけられましたか?我が家は必ず毎年元旦に家族揃ってお参りします。境内に上がり家内安全の御祈祷をしていただいた時の事です。畳を歩く娘達の足元に目が行きました。畳の縁を踏み、さらに、並べてある座布団を何気なく踏んで座ったのです。きっと娘達は知らず知らずのうちにそうしたのでしょう。お恥ずかしい話、今まで私もそんな事にも気付いてやれなかったのですが、そろそろ“大人”になったなという我が子を見る目が変わって来たせいでしょうか、最近いろんな場面でいわゆる“マナー”について話してやる事が増えてきたのです。そんな事もあって、境内での娘達の振る舞いには物申したくなりました。小さな声で「畳の縁は踏まないんだよ。」「座布団も踏まないの!」と伝えましたが、「どうして?」ときょとんとしていました。「いろんな人がどうしているかを見ていてごらん。」と言って、しばらく一緒にたくさんの参拝客の足元をさりげなく見ていました。すると、年配の方は殆んどが畳の縁を踏まずに歩いておられましたし、座布団を踏む等もありませんでした。その逆で、若い人の多くは悪気もなく踏んでいました。

畳の縁も座布団も踏まないという日本人特有のしきたり(マナー)には、それぞれに意味や理由があるのです。床下に隠れた忍びの者が畳の縁の隙間から漏れる明かりで、刀を床下から刺し命を取られる事がないようにという戒めだったり、畳の縁には、模様として家紋を入れることもあるので、それを踏むという事は無礼になるという事もあるようで、この理由を聞かせてやると、娘達は「なるほど」と納得しました。また、座布団には客を大切にもてなすという意味があり、それを踏むということは、もてなしの心を踏みにじることにもなるからです。日本の住宅事情も変わり、畳の生活からフローリングの生活に変わってきた現代、実際なかなかそんな事を話してやる機会がなくなってきたのかもしれません。もう“古臭いしきたり”なのかもしれません。しかし、人は皆いろんな形で共同生活を送っています。お互いに良い関係を保つために必要な気持ちを形に表したものが“しきたり”や“マナー”なのです。面倒臭いと思われがちですが、そもそもの意味を知れば、相手への心配りとして当然の事だと納得できます。しきたりに縛られる事はないと思いますが、その年齢にあったマナーはあると思います。例えば、人の家に遊びに行った時に靴をきちんと脱いで揃えるとか、食事の食べ方、挨拶の仕方等、これは、いつの時代になっても変わる事のない当たり前の“マナー”で、そのマナーの裏にある「心」を子供達には教えてやらなければいけないのだと思います。色々な事が簡略化・合理化されてきている世の中でこういった事までそうしてしまうのは、「心」が置き去りになりそこに生まれるはずの人と人との良い関係が築かれなくなってしまう危険があるような気がします。しかし、私達世代の大人も、もう一世代前の方にとっては、無知で無作法な事をたくさんしているのでしょう。私自身も昔から言い継がれているしきたりの意味をもう一度学び、子供達に伝えてやりたいと思います。 

幼稚園では年長組が、毎月一度お茶のお稽古をしています。ある年長組のお父さんが、「うちの息子と、あるお茶会に行ったら、懐紙を上手に使って口を覆ってお菓子を食べて、茶碗もくるっと向きを変えて(正面を避けて)飲んでいたのにびっくりしました。」と話してくださいました。お茶のお稽古は、ただ単にお菓子やお茶の頂き方を習っているのではなく、お茶碗を大切にする事や口を覆ってお菓子を頂く意味やそこでの一つひとつの挨拶等、その作法の中に見え隠れする「相手を思いやる心」や「大切に思う心」を学ぶ一つの入口にもなっているような気がします。

家庭から受け継がれていくマナーやしきたり…それは、一生涯人とコミュニケーションを取らずには生きられない子供達の最低学ぶべき最高の教育ではないかと思います。

特にお正月には、このような日本人特有のものにたくさん出会えます。お節料理やお年玉の意味、お客様への心配り、逆に訪問する時のマナー等、堅苦しい様ですが色んなしきたりのその行為と心を知れば結構おもしろいのです。なかなかそうできなくても、(何となくそうしてはいけないような気がする)(何となくこうした方が良いような気がする)(この方が気持ちよかったり喜んでもらえるような気がする)…こんな気持ちになるだけでも素晴らしい事だと思います。そう思えることが、相手を大切に思うことに繋がっているのですから。