どこで教える怖い・痛い・危ない(平成22年度10月)

最近になって、やっと秋めいてきました。朝夕は寒ささえ感じられる日があります。黄金色の稲穂を刈り終えた田んぼに秋を感じます。

今月の初めに、年長組の子供達が稲刈りを経験しました。4ヶ月前に自分達の手で植えたお米の苗が稲に姿を変えた事に感動を覚えながらの作業でした。この稲刈りは今年で5回目となります。初めて幼稚園の子供達に田植えを体験させた年は稲刈りなど幼稚園の子供達にできるはずがないと諦めました。しかし、田植えはしたものの稲刈りの工程を経験せずして、収穫の喜びや自然の恵みへの感動や感謝の気持ちを本当に育ててやれるのかと、煮え切らない気持ちがどこかにありました。その次の年も田植えをしました。稲刈り時期になって、どうにかして刈らせてやれないかとあれこれ考えました。刈らせたい気持ちと、本物の刃物を持たせて、日常の生活の中にない経験をさせる事への不安が交差していました。子供達に鎌を持たせて稲刈りをさせる事は危ないだろうからとためらっていた私達に理事長が、「稲刈りは鎌でするものだ。子供達は、真剣に取り組めば怪我はしない!大丈夫だからやらせてごらん。」と言って背中を押してくれました。そうして、初めての年にはやむなく見送った稲刈りを、翌年からこの理事長の言葉により、子供達に経験させる事にしたのでした。

実際に子供達に鎌を持たせた瞬間から、一瞬たりとも子供から目を離せない状況で、先生達の方が緊張したのを覚えています。勿論刈る前には、鎌とは一歩間違えばとても危険な刃物なのだという事をしっかり話して持ち方刈り方等をくどい程聞かせました。しかし、いざやってみると案外子供達は出来るものだと思いました。私の説明が頭に入っているのかいないのか、自分流に危険のないように力加減を考えながら刈っていたのでした。“案ずるより産むが易し”と言ったところでしょうか。しかし、子供達のその時の顔は実に真剣でした。油断していたり鎌を振りすぎると、稲を握る手や踏ん張っている足まで、切ってしまうかも知れない事が、やってみて初めて理解できたのでしょう。どのくらい力を入れれば刈れるか、どの向きに鎌の刃を向ければいいか、その時の足はどうしていればいいか等が、何株か刈るうちに自分の感覚で見つけられたのだと思います。いくら言葉で「危険だから気をつけてね。」と言っても実際想像がつかないのです。どんなことがどうなって危険なのかは聞くだけではわからないのです。

楽しい事や嬉しい事は、普通の生活の中でどうしなくても経験できるし、親は子供達に楽しい想いをさせるために、そのチャンスをわざわざ作ってまで経験させてやろうとします。だけど、辛い事や苦しい事悲しい事痛い事は、できるだけ経験しなくてもいいように避けて“守り”の生活をしています。では、いつ子供達は、その辛い事や苦しい事悲しい事痛い事を覚えていくのでしょう。生涯、“楽しい”“嬉しい”ばかりで過ごせるわけはありません。痛い思いを経験しないと、それにどう対処したらいいのかどう回避したらいいかを学ぶ事ができないのです。頭の中だけでの知識は実に頼りないものです。実際に怖かったり痛かったり危ない思いをした事があれば、二度とあんな事にはなりたくないと心から気をつけるでしょうし、大切な人がそんな思いをしたら可哀相だと気を付けてあげる事もできるようになるでしょう。

子供達のあそびの中にはそんな学びがたくさんあるのです。ある年少組の女の子が吊り輪にぶら下がり手をすべらせて落ちました。尻もちをついて大泣きをしましたが、その女の子はその後、他の学年のお兄ちゃんが上手にぶら下がっているのを見ながら何度も繰り返し挑戦していました。一度失敗してからは、手が離れて下に落ちたとしても、上手に落ちています。その子には落ちた時にはお尻を強打する可能性があるから気をつけないといけないという構えができているからです。また、幼稚園の小川の飛び石を渡って向こう岸に行こうとして、バランスを崩し、つい小川にはまってしまう事があります。その時に、次からはどうやってバランスを保てばいいのか考えます。こうして子供達は身をもって経験した危険に対して、身の守り方を学んでいくのです。

子供達は今、幼稚園という安全と危険をバランスよく取り入れた環境の中でチャレンジしながら遊んでいます。 “怖い・痛い・危ない”を見守られた環境の中で経験させてやる事は、子供達が自立して生活するための基盤をつくる事の一つでもあると思います。危ないから…と先回りをして子供達の周りにある危険物の何もかもを取り払ってしまっては、子供達が学べるチャンスまで奪ってしまい危険の予測ができない人間になってしまうのです。“心配する事はいい事、心配し過ぎる事は不幸の元”とも言います。

そんな事を思いながら、今年の稲刈りも緊張感の中、無事終わりました。真剣に刈った稲がお米になり、もう少ししたら年長組の子供達はおにぎりを作って食べます。どんなにか満足することでしょう。その時の嬉しそうな顔が目に浮かびます。

平和の心を伝える(平成22年度9月)

今年の夏は猛暑日が何日も続きました。熱中症のニュースもあちらこちらで耳にし、尋常ではない暑さを感じました。この暑さは9月になってからもしばらくは続きそうです。

夏休みも終わり、子供達はたくさんの夏の思い出を抱えて幼稚園にやって来てくれました。先生達は、日に焼けた元気な子供達に久しぶりに会えてとても嬉しそうです。2学期も子供達と一緒に良い時間を過ごしていきたいと思います。

さて、今年広島は被爆65年目を迎えました。昭和20年8月6日午前8時15分、忘れてはならない日。今年も、8月6日には、格別暑い中、平和記念式典が行われました。今の子供達は、私達以上に戦争の事を実感するすべもない世代です。学校の平和学習で習っているので知ってはいますが、この日の事をどの位理解できているのでしょうか。

私の娘はこの原爆の日が誕生日です。毎年家族で誕生会をします。その時には、決まっておじいちゃんの平和談義が行われます。どうしても8月6日といえば、その話題になってしまうのです。私達や孫達に体験した事を話してくれます。「ちょうど、その時おじいさんは15歳、八千代町に飛行場をつくるための作業に借り出されて働いておったんよ。南西の空がパッと光って少し遅れて大きな音がした。だいぶすると、大きな雲が登って来て黒い雨が降ったのが見えたんよ。何か大変な事が起きたんだと思った……。」──毎年同じ話で、その話が始まると、いつもは(またこの話か…)といった様子で苦笑いをしながら聞いていたのですが、今年の子供達はとても熱心に話を聞いていました。上の子が16歳、下の子が14歳でその間の15歳の時のおじいちゃんの話なので、自分に置き換えて聞くことができたのだと思います。自分と同じ年頃に「お国のために…」と言い聞かされて身体を使って働いていたおじいちゃんの事、原爆投下時の生々しい話、その後芸備線で見た怪我をした知人の話等々、一生懸命質問しながらおじいちゃんの話を聞いていました。

8月6日は、メディアを通して色々と原爆や戦争の惨事に触れる事ができます。8月9日は長崎原爆の日、そして8月15日の終戦記念日と平和について考えさせられる日が続きます。しかし、その時の事を語れるおじいちゃんでさえ、当時15歳、うろ覚えの体験談です。私達親も勿論話して聞かせてやれる体験などありません。

戦争を身をもって知っている世代の方々が段々おられなくなってきています。私もおじいちゃんの話を一緒に聞きながら、「こうして子供達の世代に言い継がなければ、平和に対する想いを抱く機会さえも失くしてしまうのだな。」と感じたのです。広島には、この原爆の事を若い人達に伝えようと、語り部として活動されている方々がいらっしゃいます。広島市内の学校では、街で平和を訴える学生達の一生懸命な姿も見られます。戦争を知らない子供達がこんなにも一生懸命な顔で道行く人達に声張り上げて平和を呼び掛けている──その姿を見て若い世代に繋いで行く事の大切さを感じるのです。

幼稚園の子供達にも先生達はこの原爆の日の話をします。どれだけ理解できているかは解りませんが、少なくとも広島に住む子供達は、ぼんやりとでもこの日の事を知っておくべきだと思うのです。毎年毎年繰り返し話してやる事で、年齢を重ねる度に平和に対する考えが確かなものになります。ややもすればこの世から時代と共に薄れゆく記憶を蘇らせる事が出来るのは、体験された方から次の世代に…次の世代に…と受け継ぎ伝えていく事しかないのです。

おじいちゃんの話を真剣に聞きながら、娘達には色々な事が伝わったと思いました。平和を願う気持ちは誰もが抱いているはずですが、平和な世の中にずっと生きてきた私達や子供達は、真の平和に気がついたり意識して考えたりする事がないのではないかと思います。あまりにも平和に慣れてしまっているからです。話を聞いたりその時の記録写真を見たりする事によって、その惨事を知り、その時の人達の思いはどんなだっただろうか、それからどんな気持ちでどんな努力で今の広島が復興したかと考える事もします。まだ幼稚園の子供だから…と思わないで、平和について話してやる事は必要です。まだ小さな世界でほんの数年しか生きていない子供達は、子供達なりに、自分の生活の中に置き換えて平和と幸せを感じてくれます。友達と仲良く元気に遊べる喜びや家族みんなで過ごせる幸せ、友達との喧嘩の中にもルールがある事、人を傷つける言葉や腕力の恐ろしさと悲しさ等…。これから、子供達はいろいろな事を学びます。戦争の歴史も学ぶでしょう。その中で、自分の平和観を持つでしょうが、人類が平和であり続けますようにと願う気持ちは皆が持っていて欲しいと思います。かつて死に物狂いで復興に力を注いだ方々に築いていただいた平和への願いをこれからは、私達、そしてこの子達が受け継ぎ、心から幸せを祈りながら自分達の手で平和な世の中にしていかなければなりません。

娘達が自分の誕生日を迎える度におじいちゃんの話を思い出してくれたらと思いながら、私も一緒に真剣に平和談義に耳を傾けていました。