あそびは学び(平成22年度7月)

6月に入った途端、夏の始まりを感じさせる暑さがやってきました。それまでは、今年のプール開きを心配していましたが、予定通り6月1日に行う事ができました。ほぼ毎日子供達の歓声がプールから聞こえて来ます。そうは言っても梅雨に入り、これからはプールに入れない日も増えてくるでしょう。入れる時には、しっかり水に親しませてやりたいと思っています。夏にしかできないあそびをいろいろな形で経験させてやりたいものです。

先日は、年長組の子供達が水鉄砲あそびをしました。水鉄砲と言っても、幼稚園で使っている20㎝ほどの絵具のチューブの空容器です。そのふたに穴を開けて、的(まと)を目がけて色水を飛ばします。その時の的は、園庭中に張り巡らせたロープに洗濯物を干すようにつるした細長く切った紙でした。色水なので、その紙に色々な模様ができて子供達は大喜びでした。私はそんな子供達の様子を記録に残しておきたいと思い、カメラを持っていいショットを狙っていましたが、狙われたのは担任の先生や私で、私のエプロンの背中には、薄く絵具がついていましたし、担任の先生達は色水をかけまくられていました。子供達も全身を汚したり濡らしたりして大喜びでかなりダイナミックなあそびになっていました。

そんな中、はしゃいでいる子供達の中でなかなか思うように水が遠くに飛ばず、手にした水鉄砲をまじまじと見つめている男の子がいました。何度チューブを押しても「プシュッ!プシュッ!」という音ばかりで、水が勢いよく飛ばないようです。隣では勢いよく飛ばしている女の子がいます。「何が違うんだろうね」と、比べてみると水の量が違っている事に気づき、早速、チューブいっぱいに水を入れて来ました。「ちょっとやってみて」と言うと、的を目がけて遠くからでも勢いよく飛んだのでした。それから中の水が減ってくるにつれて、的に近づかないと届かなくなっていきました。「発見!発見!」と声をかけると、その男の子は何やら発見できた事が嬉しそうでした。

そして、もう一人飛ばし悩んでいた男の子がいました。その子の水鉄砲は、穴がとても大きくて、たくさん水が飛ぶだろうと思っていたのに思うほど勢いよく飛ばなくて困っていたのでした。チューブを押しても「ダクダク」と水が溢(あふ)れ出るだけで、遠くにも飛ばないし勢いもないのです。またまた「何が違うんだろうね」と声をかけると、「ここが…」と穴を見比べていました。よく飛んでいる友達の物と種類も穴の大きさも違う事に気がつきました。私が「穴が小さい方がよく飛ぶっていう事なのかな。小さい穴なのにねえ。なんでだろうね」と言うと、その子は、不思議そうな顔をしながらも、残っていたチューブの中から小さい穴の物を見つけて力一杯押してみました。すると、思った以上に遠くに飛んだので、自分でもびっくりしていたようでした。何がどうしてどうなるからこうなるのかわからないけれど、穴の大きさや水の量が、水の勢いや飛ぶ距離に関係するという事には気がついたようです。それからその二人は、遠くに飛ばすコツも覚え楽しそうに何度も水を汲み的(まと)をめがけて飛ばしていました。子供達はこんな経験を繰り返しながら、物事の原理や法則に着目するようになるのだと思います。

昨年も今年も年長組の子供達が科学あそびでお世話になっている広島国際大学の寺重隆視教授がおっしゃった言葉が印象的でした。「生活の中にはたくさんのサイエンス(科学)が潜んでいる。疑問をもったり、不思議だと思ったりする経験が必要だ」というような話でした。その疑問に対して試したり挑戦してみたりして、「やったー!!できた!わかった!」という達成感や充実感を味わえる経験を積み重ねる事が大切なのです。もっと深く知りたいと思った時にこの経験を思い出し、学びとる意欲につながるでしょう。まだ今は、理論的に教えるより、「上手くいかないな」「どうしてだろう」「こうしたらどうだろう」「これなら上手くいくようだ」「なるほどこりゃおもしろい……」───こういった経験をたくさんしていれば、「あの時にああだったから」とか「もしかしたらあの時と同じ事なのかも…」という過去の経験を土台にして、具体的な例を基に自分なりに納得していくでしょう。

この事は全てにおいて言える事だと思います。経験なくしては、立証できない事、確信できない事、納得できない事がたくさんあり、逆に言えば、過去の経験が物事の理屈を合わせてくれるものになるのでしょう。そして、そうやって得られた知識は生きた知識として頭の中に入ります。勉強ってこうしてできるのが、一番理想なのかもしれません。

寺重先生と共に「子供達に科学あそびを!」と、活動されている広島大学大学院教授前原俊信先生の話によると、学校の教科になると、時間的に限られていて、早く結論に結び付けさせなければならない現状があるらしく、なかなか探究心につなげるまでの段階や経験を見守るという十分な余裕がないようです。それならば、余裕をもって受け入れて対応してやれるのはどこかといえば、それは、幼児期における『あそび』なのだと言われていました。それを聞いた時、やはり三次中央幼稚園がやっている事は間違っていないと確信しました。三次中央幼稚園の子供達はたくさんの経験や体験を通して、知らず知らずのうちにいろんな事を学びとっています。急いで結論につなげて覚えさせるのではなく、心躍るようなたくさんの経験を積む事こそが、学ぶ事なのです。“興味”からジワジワと“探究心”へつながる『あそび』をしっかりさせてやる事…、その経験こそが、本来の学ぶ力・生きる力になるはずです。

「あそんでばっかり…」が実は大切な学びなのです。