敬老の日に寄せて(平成21年度10月)

幼稚園で毎日響いていた運動会の練習の音や声も、先日の運動会を終えてほんの少し静かになったようです。それでも、今度は、それぞれの学年でお互いにお披露目し合ったり、違う学年のプログラムを見様見真似で踊ったり競技したりして、運動会の興奮の余韻を楽しんでいるようです。


三次中央幼稚園では、全てのテントを“ゆずりあい・おもいやりの席”としています。椅子を用意していた入退場門横のテントには、たくさんのお年寄りの方が、座って応援をしてくださっていました。競技や演技をする子供達の顔が、できるだけどのテントからも見ていただけるように、先生達は演技の向きを一生懸命考え工夫をしています。しかし、どうしても限界があり、特にその椅子を設置していたテントからは見えにくくないかと、いつも、申し訳ない気持ちでいます。しかし、そこに座って観てくださっているおじいちゃんやおばあちゃんからは、静かに…だけど、とても温かい応援を子供達は受けていました。昼に近付くに連れて、正面からの日差しで、前列の方には暑い思いをさせお気の毒でした。時々椅子を後ろに動かして、下がっていただいたり、お困りの事がないかと様子をうかがったりしました。それぐらいの事しかできなかったのに、「先生、大変お世話様です。ありがとうございます。」「先生もお忙しいのに…。」と、お礼を言ってくださいました。「かわいい孫が少しでも見れたら…と思いましてね。」と控えめに話してくださるお顔が本当に優しくて、逆にありがたかったです。自分の孫よその孫を問わずに祈るような目で応援しておられる姿…。子供達はたくさんの人達に愛されています。愛してくれる人は一人でも多い方が幸せなのです。

   
親の愛情とおじいちゃんおばあちゃんの愛情は少し形が違うようです。親は、子供に対して責任を持って育てようと必死です。それゆえに、“這えば立て、立てば歩めの親心”──、少しでも成長したら次の成長を求めます。しかし、おじいちゃんおばあちゃんは、どんな事があっても孫の幸せに共感してやれるのです。ゆっくりゆっくりと孫の成長を気長に待てるのです。それは、親ほどの責任がないからです。このズレによって、子育ての上でいくらかの問題が発生する事もあるようです。


我が家も子供を祖父母同居の中で育てています。義母が早くに亡くなったので、今では、義父だけです。我が家も例外ではなく考えの違いがあっていろいろありましたが、子供達はおじいちゃんとおばあちゃんが大好きです。小さい頃、私達親から叱られた時やわがままを言いたい時には、おじいちゃんやおばあちゃんの所に行っていました。そんな時の逃げ場所は、いつもそこでした。親は教育してやらないと!と、つい急いでしまいます。おじいちゃんやおばあちゃんは、ゆっくりゆっくり語るように、子供達に正しい事を教えてやってくれていたのです。今考えれば、ありがたい事でした。いつも笑顔で諭してくれる雰囲気は、子供達の心に響いていたのです。そして、素直な気持ちになって私達の元に戻ってくるのです。おじいちゃんやおばあちゃんの存在は偉大です。親とおじいちゃんおばあちゃんのバランスを良く保つ事が子供達にとって幸せを2倍にしてあげられる事だと思います。おじいちゃん達に会いに行ったり、電話で話したりする機会を多くもってやってほしいと思います。孫の元気な顔を見たり声を聞いたりするだけで、おじいちゃん達も幸せになれます。また、その愛情に触れる子供達も幸せなのです。


我が家のおじいちゃんは、物静かな人で、賑やかな所へでかける事は少し苦手です。だから、孫の習い事の発表会や学校の行事などにはほとんど行った事がありません。ですが、そんな日の朝には、必ず、出かける私達を見送りに家から出て来てくれます。そして、「今日はおじいさん、よう見に行けんけど、家の中で拍手してお祝いしてあげるよ。無理せずに頑張っておいでよ。」と言って、車が見えなくなるまで、見送ってくれています。両手を高く上げて拍手をし続けて…。私達親の「頑張れ!」という力強いエールとおじいちゃんのその柔らかい言葉と見送ってくれる姿の応援のどちらもが、子供達の「よし!頑張ろう!!」の気持ちにつながっていきます。


幼稚園の子供達にも運動会の応援に来てくださっていたおじいちゃんやおばあちゃんの愛情は必ず伝わったと思います。どんな時にも「いい子いい子。」と頭をなでてくれるおじいちゃんおばあちゃんが子供達を2倍幸せにしてくれている事に感謝します。


今年の敬老の日は私の誕生日でもありました。家では、ダブルで祝い、おじいちゃんに喜んでもらいましたが、私の実家の方のおじいちゃんには、大好物のしじみのお味噌汁を娘ふたりで作って届けました。添えられたメッセージカードには、「おばあちゃんがいなくなって寂しいけど、おばあちゃんの分まで長生きしてね。それと、今日はお母さんの誕生日だよ。お母さんを生んでくれてありがとう。おじいちゃんとおばあちゃんがいなかったら私達はいなかったんだもんね。これからも、おもしろい事して、笑わせてね。」と書いてありました。夜になって、一人でそれを読んだ父が、娘達に電話をくれて、「おいしかったよ。また遊びに来いよ。」「ありがとう。ありがとう。」と何度も何度も言っていました。その声は、涙で聞き取れないほど小さな声でした

心のふるさと(平成21年度9月)

なかなか梅雨明けしなかったこの夏、真夏日と言われた日もあまり多くないまま秋の気配を感じるようになりました。それでも、久しぶりに街で会った子供達はこんがりといい色に焼けていて、夏休みをそれぞれに楽しんだ様子をうかがい知る事ができました。


夏休みになると、遠くで暮らしている人達が帰省して、久しく会っていなかった人に会う事ができます。私も懐かしい人達にたくさん会う事ができました。昔の卒園児がひょっこり家を訪ねてきてくれたのです。しかも、ご家族揃って…。私は、玄関のドアを開けた途端、驚いて声が出ませんでした。その子は20年以上も前の教え子で、立派な青年になっていました。以前も幼稚園に会いに来てくれた事があって、その時には「学校の数学の先生になりたいんだ!」と夢を語ってくれました。それっきりだったのですが、「今、岐阜県で中学校の数学の先生をしているよ。担任ももっているんだ。」と夢を叶えた報告をしてくれたのです。「学校で子供達と一緒にいるのがすごく楽しい。」と言っていました。見上げるほどの身長とガッチリした体格と自信たっぷりに学校の様子を話してくれるその姿に、私は、昔のその子の姿と声を重ねていました。


その子は、どちらかと言えば……というか、はっきり言って大変なわんぱくでした。部屋に入る時間になっても入ろうとしない、友達とはよく喧嘩をする、ご機嫌をそこねたら部屋からいなくなる……。何度となく二人っきりの時間をつくって叱った事もありました。しかし、わんぱくでもありましたが、優しさや正義感ももった子でした。叱った事も多かったのですが、時折見せる優しさや、思う存分遊び込んだ時の満足そうな笑顔、そして、一番印象に残っているのは、いろんなあそびを思いつく天才の一人だった事です。段ボール箱や牛乳パックを使ってガムテープを片手に夢中になって隠れ家や部屋中に迷路を作っている姿は、今でも忘れられません。そんな思い出話をしていると、お母さんが「先生、あの頃、この子のいいところをたくさん見つけてもらえた事や、子供達をのびのび遊ばせてもらえた事は本当にありがたい事だったと思います。たくさんわんぱくさせてもらえていた事が、今のこの子のやる気とやり通す根性を育ててくれたし、先生の誰もが、この子のわんぱくもいいところも知って見守ってくださった事でこの子は安心して成長させてもらえたと思うんです。」「こっちへ帰って来たら、いきなり葉子先生に会いに行こう!って言ったんですよ。私達も会いたかったのでこうして家まで来ました。」と言われました。あまりにも嬉しいやら可愛いやらで、思わず、私より数段大きなその子を抱きしめてしまいました。しばらく話をするうちに、私の脳裏から、彼の幼かった頃の姿は消し去られ、どこから見ても担任をもった立派な先生に見えてきました。


また、お盆過ぎには、これまた20年以上も前に担任した女の子が、卒園後初めて彼氏を連れて幼稚園に遊びに来てくれました。残念な事に私が幼稚園を留守にしている日だったので、直接は会えませんでしたが、理事長先生が、「卒園児が来ているよ。声を聞かせてあげよう。」と私に携帯電話をかけてくださり、懐かしく話をする事ができました。その子は、「会いたかったです。いつも幼稚園の頃の写真を見て、いつか会いに行こうと思っていました。懐かしい!!」ときれいな声で言ってくれました。姿を見ない声だけの再会だった事もあり、あの頃の園舎や園庭で遊んでいるその子の姿がきれいに回想できました。こうして何年経っても三次中央幼稚園を忘れずに会いに来てくれる事が、幼稚園の数年間の意味深さを思わせてくれます。園長先生が写真を撮ってくださっていたので、翌日、その写真を見てみると、ずいぶん女性らしくなっていて、理事長先生や園長先生、そしてその子の事を知っている先生達と昔のその子達の事を懐かしみながら話をしました。


私達はいつも、子供達の日々の成長を先生達みんなで共有しています。喜びも悲しみも楽しい事もいつも幼稚園全体で共有していきたいと思っています。訪れる卒園児の事を先生達がみんなで懐かしみながら迎え入れ思い出話ができたり、叶えられた夢の報告やあの頃抱えていた哀しみから立ち直り明るく人生を歩んでいる姿に、先生達みんなで一緒に喜んでやれたり、安心したりできる温かい“心のふるさと”でありたいと思っています。子供一人ひとりの事を知って幼稚園全体で、成長をみていきたいと思うのです。実は、三次中央幼稚園では、卒園児だけでなく、その保護者の方も心から懐かしんで、来てくださったり連絡をいただいたりします。幼稚園を離れてから何年か経ち子育てがひと段落した時、ふと考えるとわが子の成長の根底には幼稚園での生き生きとした生活があったと言って昔話をされるのです。保護者の方とも子供達の成長の喜びを共有できる事を本当に嬉しく思います。泣いたり笑ったりほめたり叱ったりの生活の一日一日が、貴重な時間になっていくのだという事を痛感する瞬間です。
さて、2学期が始まりました。今のこの子達が何年か後の将来、「あの日あの時あの事が今も僕の…私の心の中にずっと思い出として残っているよ。」と、“心のふるさと”を訪ねて来てくれる日を楽しみに、子供達と一緒に園生活を過ごしていきたいと思います。