異年齢の学びあい(平成20年度2月)平成21年1月

1月は行く2月は逃げる3月は去る…本当にこの3学期は毎年駆け足で過ぎて行きます。だからこそ、子供達と一緒にいられるこの時間を大切に過ごしたいといつも思うのです。


これまで、春夏秋と幼稚園で過ごし、いよいよ最後の季節を過ごしているわけですが、四季折々に表情が変わる園庭も、子供達の成長を見つめてきた環境の一つです。若い芽を吹く春の木々、青々と葉が生い茂る夏の木々、風の波に上手に乗って葉が舞い降りる秋…。


ちょうどこの頃、私は土曜日にプレイルーム(預かり保育)の子供達と一日中過ごした日がありました。いつものように園庭中に敷き詰められた落ち葉で、その日もいろいろなあそびが繰り広げられました。遊んで散らかった落ち葉を少し掃き集めておこうと、ほうきを用意していたら、女の子数人が、「先生!何するの?」と寄ってきました。「落ち葉を掃除しようと思っているんだよ。」と答えると、「私もする!」と言ってくれたのです。その日の落ち葉は尋常でなく大量でした。早速、子供達にほうきを用意して掃除に取り掛かる事にしました。手伝ってくれるのは、年長児も年中児も年少児もいました。少しすると、他の子供達も「僕も!」「私も!」と、どんどん助っ人として集まってくれました。


プレイルームには、満3歳児から年長児までの子供達がいます。もちろん力の差も知恵の差も動きの差もあります。そんな子供達がどうやってみんなで掃除をしてくれるのかを観察しながら私も一緒に掃除をしていました。人気は、竹ぼうきでした。とりあえずみんなが竹ぼうきを手に、掃き掃除に取り掛かります。しかし、自分の身長より数段長いほうきは、年少児では持て余します。しばらくして、自分には向いていない事がわかり困っていると、年長児の女の子が「じゃあ、○○ちゃんはちりとりを持って落ち葉を集めて!」と指示を出します。竹ぼうきもちりとりも足りなくなったら、落ち葉を入れるビニール袋を持って集める子供もいました。落ち葉で一杯になった重たい袋を運ぶのに一役かったのは、男の子でした。これには、力の差に関係なく、自分は男だから!と思った子が、頑張ってくれました。かなり重く、必死で引きずっている男の子が可愛かったです。よくみると、いつの間にか役割分担ができていました。


ご存知のように、プレイルームには異年齢の子供達が、夕方、保護者が迎えに来られるまでの時間を過ごしています。ここは、子供達がいろいろな面で学習できる場所でもあるような気がします。異年齢の子供達の生活は、学年別のクラスでは味わえない事がたくさんあるのです。これまでいろいろな事を体験してきた時間に違いがあるのですから、そこに生じる力の差や知恵の差、動きの差を子供達は感じながら生活しています。“自分にはできても、小さいからこの子にはまだ無理なんだ。”とか“○○君はすごいね。さすが!”と、いたわったり尊敬したりしながらお互いを認め合おうとします。もちろん、認め合うためには、喧嘩やもめ事も数々あるはずですが、兄弟姉妹のように一緒にいろんな事を感じ合いながら過ごせているのだと思います。


おやつや昼食の時間にも、兄弟姉妹のように過ごし、自分がこの中でどういう立場でどう行動しないといけないかがわかっているのがうかがえる場面がたくさんあります。何人かずつが一つのテーブルで食べるのですが、それも異年齢になります。小さい子が牛乳やお茶をこぼしたら、先生を頼らず、年長児や年中児が率先して雑巾を取りに行きテーブルを拭きます。手が届かないコップをその子の前に寄せてあげます。それがとても自然にできるのです。もちろん、全てをやってあげているわけではありません。プレイルームでの生活は、基本は“自分の事は自分で”なのです。

それは、今家庭でも失われがちな厳しさではないでしょうか。我が子可愛さに、子供が困る前に先回りをして困らないように、お膳立てをしてしまいます。プレイルームでは、“自分の事は自分で…。”“小さい子を気にかけてあげる…。”“助け合う…。”“役割に自分なりに責任を持つ”等、いろんな事を異年齢の中で学習します。困った事が生じたとしても、お兄さんやお姉さんの良いお手本があるので、見様見真似で、自分でクリアしてみようと頑張ります。自分の本当の妹や弟ではなくても、小さい子を可愛く思う気持ちが育っていくような気がします。家では末っ子で受け身でいる事が多い子にとっては、この場所では、お兄ちゃんでいられるし、お姉ちゃんでもいられるのです。

それは、まるで大家族のように、子供達同士で助け合おうとするのです。喧嘩になってもいつも仲良く一緒に過ごしている仲間には、手加減ができます。その喧嘩の中で、相手を思いやる気持ちやどうしたら友達とうまく関わって生活していけるか等を会得します。こうして、子供達はお父さんやお母さんの迎えまでの時間、家庭では味わえない学習をしていると私は思います。そこにいる子供達は、実にたくましく見えます。家庭とプレイルームのどちらが子供達にとって良いかという問題ではなく、その中でどう子供達を育てるかを意識して環境を整えていかなくてはいけないという事なのです。家庭での異年齢もそう考えると、子供達にとって大切な環境なのです。

おふくろの味(平成20年度1月)平成21年1月

新年明けましておめでとうございます。
昨年は、年の瀬に急激に悪化した経済情勢に世の中が重苦しいムードに包まれました。しかし、幼稚園で可愛い無邪気な子供達に囲まれて過ごす時間には、そんな暗い雰囲気など少しも感じませんでした。おもちつきをしたり、サンタクロースにも会ったりと、年末をしっかり楽しみました。そんな子供達の笑顔や笑い声はいつも素敵です。どんな時でも子供達のおかげで明るく元気になれます。子供達はまさしく未来の希望だと思えます。


さて、今年はどんな年になるのでしょうか。子供達の笑顔の絶えない明るい世の中になりますように…。そして、そうなるために私達の役割は何かを考えながら、この1年を大切に過ごしたいと思います。


そんな事を思いながら年末から年明けを過ごしていました。今年も我が家では、子供達と一緒におせち料理を作りました。お客様があるので、おせちの他にもいくつか料理を作っておきます。我が家のおせちに必ずお目見えする献立があります。それは、“ポテトサラダ”と“筑前煮”です。これは、家族全員からの毎年のリクエストメニューです。以前は、私一人で作っていましたが、ここ数年子供達が手伝ってくれるようになりました。(思春期に入った上の娘は少し面倒臭そうではありましたが…。)みんなで味見をしながらの正月支度は時間がかかりますが楽しいものです。子供達は、「お母さんのポテトサラダが大好き!」といつも言ってくれます。筑前煮を作れば、「そうそう!この味この味!」と言って喜んで食べてくれます。

そう…それは、何十年か前に私が私の母に言っていた言葉です。どこのどんな家のポテトサラダを食べても、どんなお店でも、お母さんの作るポテトサラダのおいしさにはかなわないと思っていました。私の弟は、「お母さんの筑前煮しか食べられない。」と言っていました。これが、食卓に並ぶととても嬉しかったのを覚えています。「お母さんのポテトサラダはおいしいね。私にもこの筑前煮を教えて。」と子供の頃からお母さんが台所に立つ時には、必ずと言っていいほど隣で手伝いながら見ていました。(…と言うか、家業が忙しいので子供が手伝う事は当たり前の事でした。)特別な食材を使っているわけでもないのですが、お母さんなりの工夫がある事やこだわりがある事をそうするうちに知ったのです。真似て作るたびにお母さんと同じ味になる事が嬉しくて、いつの間にか私の数少ない得意料理の一つになりました。

結婚して新しい家族に作ると「おいしい」と受け入れてもらえ、今では、家族から“お母さんの味”と言ってもらえています。でも、私がお嫁に来て義母から教えてもらった料理の中には、未だに義母の味にならない物があります。“酢の物”です。義母の酢を使った数々の料理は本当においしくて、結婚して間もない頃、夫と二人で海外旅行に行き外国の食事にうんざりした時、ずーっと“義母さんの酢の物が食べたーい!”と思って過ごしたのを覚えています。私がいくら真似をしても同じ味にならないのです。そんな義母も8年前に亡くなり、“義母の味”を“私の味”にする事ができないままになってしまいました。そして、“お母さんの味”を教えてくれた母もまた昨年突然亡くなりました。


母が作る煮物もポテトサラダも、もう二度と食べる事はできないけれど、私が母から受け継ぎ、大切な家族に食べさせる事で母の味はいつまでも生き続けるのです。子供達が「お母さんの味だ。」と言ってくれるたびに、私は母の事を思い出すのでしょう。子供達に「これは、おばあちゃんがお母さんに教えてくれた味なんだよ。本当は“おばあちゃんの味”なんだよ。」と話した時「じゃあ、この味を私達が覚えて、同じ味になるようになったら、私達の子供には“ひいおばあちゃんの味だよ”って教えてあげないとね。」と言ってくれました。“おふくろの味”はこうしていつまでも思い出の味として残っていくのでしょう。将来この家から離れて暮らす事になるだろうこの子達が「お母さんのあの料理が食べたいなぁ。」と故郷の忘れられない物の一つとして、思い出してくれれば…と思うのです。私が未だに同じ味が出せないでいる義母の味も、いつか義父や主人に「お母さんの味だね。」と懐かしんで食べてもらえるようになりたいと思います。義父と主人にとっての“おふくろの味”が途絶えてしまわないように…。

どのご家庭にもそんな“おふくろの味”があるのではないでしょうか?どうか、子供達に、その味を伝えてください。その料理こそ大切な『家宝』だと思うのです。


昨年のお正月、母から教えてもらい初めて煮た黒豆、母に食べてもらったら「ふっくらとおいしく良い色にできたじゃない。合格!」と言ってくれました。私が煮た母認証の黒豆が重箱に入るのは今年で2度目です。また、母のいなくなった実家に帰ったら、筑前煮が作ってありました。一口食べたら、それは“お母さんの味”でした。弟のお嫁さんが受け継いでくれている“おふくろの味”です。私は仏壇に手を合わせ、お母さんに話しました。──「お母さん、およめさんの筑前煮がおいしいよ。私達に家宝をありがとうね。」