誰のせい?誰のため?(平成20年度8月)

地球温暖化をひしひしと感じさせる例年にない暑さの中、子供達は元気に一学期を終える事ができました。新年度を迎え、これまでの3ヶ月間に子供達はたくさんの経験をしてきました。個人差はあってもそれぞれにどの子も成長を見せてくれています。思いきり楽しんだり頑張ったりしてきた子供達に、ここで少し休憩を入れてあげましょう。夏休みは、日頃親の手から少し離れたところで生活している子供の成長を身近で確かめられるいいチャンスです。どうか、一緒にいられる時間を少しでも多くもって、小さな成長も見逃さず一緒に喜んであげてください。夏休み…何はともあれ、安全に楽しく過ごさせたいものです。


さて、6月1日より“道路交通法”が一部改正され施行されました。自転車の乗り方や自動車後部座席シートベルトの着用義務化等、お年寄りや子供の命を守るためのきまりが見直されました。そんな中、小学生をもつお母さん方が、この事について数人で話されているのを耳にしました。自転車利用者対策の一つで、13歳未満の子供の自転車乗車時におけるヘルメット着用努力義務についてのようでした。小学生にもなると、自転車で遊びに行く事等で、道路を走る機会も多くなってきます。当然それだけ危険が伴うのです。そんな話をしているうちに一人のお母さんが、「学校でヘルメットの形や被り方の指導をしてくれて、着用を校則にしてくれないかしら。」と言われました。「みんなが被らないと、うちの子も被らないと思う。」と言われるのです。

以前、似たような言葉を聞いたような気がします。今や子供達の間では、持っていて当たり前のように氾濫しているゲーム…、「自分の子供にはさせたくないけど、友達皆が持っているから、買わずにはいられなくなる。学校でも注意してもらって、少々厳しくてもいいからゲームをしてはいけないきまりをつくってもらえないかしら。」…。私は、この言葉を聞いて、びっくりしたのを覚えています。子供達はいくら幼くても、一人前の人格を持った人として認めていかなくてはなりませんが、まだ、物の分別を正しくつけられない、何かに対して自分で全ての責任を背負えない間は、やはり親の監視の下、毅然とした態度で子供達に言って聞かせるだけの力は持っていて欲しいと思うのです。「ダメなものはダメ!」と言っていいのではないかと思うのです。私は、そのお母さんに、「この子は誰のお子さんですか?」と聞きたかったです。

子供達の命を守るために、ヘルメット着用は有効です。ヘルメット着用は、子供達を保護する責任のある者…言わば、保護者へ課せられた努力義務です。自分の子供は自分で守らなければ!と思えば、ヘルメットの意味や危険性をきちんと話すべきではないでしょうか?どうして、その責任を学校や他人に委ねるのでしょう。もし、学校が規則をつくったとしたら、「校則だから、被りなさい。」と子供に話をされるのでしょうが、そんな事ばかりしていると、子供達は、人が決めてくれた“きまり”でしか、分別がつけられず、“きまり”がないと生きていけない人間になってしまうような気がします。自分で考えて納得して自分なりのルールの中で正しく生きていける人間になれなくなるような気がするのです。そして何か問題が起きたら、きっと「もっと学校側がきちんと指導してくれなかったから…。」とか「先生がしっかり言ってくれれば…。」と、その責任の所在を他人に求めたくなるでしょう。

校則だから…法律で決まっているから…ではないのです。何故、規則にしてあるかを大人が納得をして、子供達に分かりやすくその理由を話してやって欲しいと思います。たとえ、規則になっていなくても、我が子を守るためにどうすればいいのか、どうする事が正解なのかという事を親の判断で決定したっていいではないですか。それは愛情なのです。この子を想うがために「ダメなものはダメ!」と言える親としての自信を持ってほしいと思います。親ほど子供の事を一生懸命考えている人はいないのです。親の言う事をきかないからと、学校や人に委ねるのは情けない事だと思うのです。子供達はよくわかっていますよ。大好きなお母さんやお父さんがここまで「ダメなものはダメ!」と言うには、それなりの理由があるのだという事を…。そして、自分が言っている事は、実はちょっとしたわがままなのだという事にも本当は気づいているのです。

親は親としての責任をもって子供達に与える物や話す内容や態度を選んでやらなければならないと思います。それが誰のためなのかがはっきりと納得させられる話がしてもらえる子供は、納得できたらそれからの責任は自分にあると思って、ちゃんと責任もって行動できる人になるのではないでしょうか。規則がある事に頼らないで、自分の言葉で子供達に世の中のルールを伝えてあげてください。


“人に優しくする”という法律はありません。だけど、人は皆、そうする事は当たり前の事で、そのほうが、皆が楽しく幸せに過ごせるという事を親から世間からあるいは経験から、納得して学びとってきたのです。子供が幸せに生きていくために、親はもっと自信をもって子供達に関わらないといけないと思うのです。それ相当の親としての重圧を感じますね。ホント…親って大変なんだなぁ。

食わず嫌い(平成20年度7月)

梅雨を感じさせる毎日になりました。そんな中でも、子供達はプールあそびを楽しんでいます。これからどんどん暑くなり、水あそびもますます活発になってくることでしょう。


しかし、子供達の中には、そのプールあそびを苦痛に感じている子も案外います。プール開きとなる6月初日、さぞかし喜んで水着を持って来るのだろうと思いきや、持ってこない子、お母さんに叱られて仕方なく持って来た子、後からこっそりお母さんが届けてくださった子もいました。勿論、喜んで持って来た子がほとんどですが、みんながみんなそうではなかったのです。年長児ぐらいになると、それまでにプールあそびをしていて、嫌な思いや不快な事があった等、何かのきっかけでプールあそびに消極的になってしまった、という事はあるかもしれません。しかし、まだ幼稚園でのプールあそびを経験していない新入園児達が、それが楽しいものやら辛いものやら知らないはずなのに、何に対して?どうして「嫌だ!水着は持って行かない!」と言うのでしょうか。


「水着は、持って行かない!」と言っている子に「どうして?」と聞くと、その子は私に、「コンコン」と咳をしてみせるのです。(私は、風邪をひいているの。だから、プールに入ってはいけないの。)と言いたかったのでしょう。連れて来られたお父さんに聞くと、「体調は すこぶる元気です!」と言われていました。「だって、雨が降りそうなんだもん。」と青く晴れた空を指差して言う子…。いかに、プールに入らなくて済むかを色々と思案しているのです。「どうして、入りたくないの?」と聞くと、しばらく考えて…「どうしても!」と答えました。理由が見つからなかったのでしょう。だって、幼稚園のプールあそびはまだした事がないのだから。嫌な原因は自分にもわからないのです。


ある朝、水着を持って行きたがらないでいる年少組の男の子に、「どんな水着なのか見せてね。後でお部屋に行くから、着て見せてね。」と約束をしました。そして、プールあそびの時間にその子に会いに行き、「どれどれ、どんな水着?見せて。」と言うと、朝の約束を覚えていてくれたようで、プール袋の中から取り出して水着を広げて見せてくれました。「わあ!かっこいい!きれいな色だね。着て見せてよぉ。」と言うと、少しその気になってくれて着替え始めたのです。水着を着たその子は、少し得意顔でした。「やっぱりかっこいいよ!よく似合う!」と褒めた途端、いきなり脱ぎ始めました。(見せてあげたからもういいでしょ。)というわけです。私は慌てて、「待って待って!せっかく着たんだから、少しプールに入っておいでよ。今日は暑くて汗がいっぱい出たから、冷たいお水が気持ちいいと思うよ。楽しいよ。」と話してやりました。それから、間髪入れずに担任の先生が、外へ誘い出しました。そこからは、先生の“魔法の言葉”に誘われて、プールに入って行きました。プールから出てきたその子は、とてもニコニコ顔でした。それからは、毎日水着を持って来て、プールの時間を楽しみにするようになったといいます。


“食わず嫌い”という言葉があります。それが何でどういうものなのかを分からないまま、拒んだり避けたりすることです。文字通り食事に関してもよくあります。食べてもいないうちから「これ、嫌い!」と言います。それは、ただ単に、口に入れる勇気がなかったり不安だったりするだけなのです。食べた事がないからちょっと不安なのです。誰だって初めての事や物に対しては、多かれ少なかれ警戒します。その警戒心以上に、興味や関心、好奇心が深い時に食べてみようやってみよう!と行動に移せるのです。


赤ちゃんは、好奇心を持って行動します。目が離せなくなる頃です。目の前にある物がたとえ危険な物でも、どんな物なのかを試そうとして、自分の口に持っていったり手で触ったりします。怖い経験や危ない思いをまだ味わった事がないから、興味だけで行動します。それが、少しずついろんな経験をしていくうちに物事の分別がつくようになり、臆病になったり警戒心をもつようになったりするのです。成長の印なのかもしれません。しかし、その向こうにある本当の楽しさやおいしさを知らないまま大きくなるのは、ある意味不幸です。何かきっかけをつくって、それに正面から向かわせてやらないと、ただの“食わず嫌い”が本当に自ら“苦手意識”の壁をつくってしまう事になり、その先はあえて挑戦しなかったり、受け付けなかったりして、自分のものにしようとしなくなるのです。


“為せば成る、為さねば成らぬ何事も”という言葉がありますが、やってみなくっちゃわからない!子供達自身に挑戦する気持ちを持たせる事もですが、そういう気持ちを奮い起こさせるきっかけをつくってやってほしいと思います。もともと子供達は好奇心のかたまりなのですから…。やってみたら楽しかった、食べてみたらおいしかった、という気持ちを味わえた子供は幸せです。幼児期の間は、新しい経験を自分の力にするために、“食わず嫌い”の壁を乗り越えさせるきっかけはおおいに必要だと思うのです。乗り越えるコツがわかったり、その先にある“おもしろさ”を味わえたら、そのうちに“食わず嫌い”の壁はつくらなくなるような気がします。