こいのぼり(平成20年度5月)

何もかもが新しく芽吹く春、新年度が始まりました。子供達も先生達も新しい環境の中で必死に過ごしていたせいか、4月はあっという間に過ぎてしまいました。そして、いつの間にか新緑に包まれる5月です。あちらこちらの自然の中から生命の勢いを感じる事のできる季節です。今年度も昨年度に引き続いて『葉子せんせいの部屋』を書かせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。


さて、幼稚園の送迎バスに乗っていると、鯉のぼりが元気よく泳いでいるのを見かけます。そうは言ってもひと昔前の事を思うと、この光景もめっきり少なくなったようです。私は、鯉のぼりが青い初夏の空で風を受けて雄々と泳ぐ姿を見て、それを毎日揚げておられるご家族の心情を思います。我が家は娘ばかりなので、鯉のぼりは揚げませんが、3月には雛人形を飾ります。長女が生まれた時に実家から祝いに贈ってもらった物です。しかし、飾るのは結構大変で、子供達と一緒に飾るのですが、飾り終えた時には正直、“やれやれ”と思ってしまいます。飾り終えて一か月、初めの内は意識していても、いつの間にか、飾ってある事すら忘れてしまうほど無関心になってしまっています。


雛人形を飾ってしばらく経ったある日、義父がその部屋に入り、
「あぁ、お雛さんが飾ってあるねぇ。」と言って、その前におもむろにひざまずいて目を閉じ、手を合わせて祈り始めました。わりと長い時間だったので、子供達はびっくりしていました。祈り終えて目を開けた祖父に娘が、「おじいちゃん、何てお祈りしてたん?」と聞くと、「里奈子ちゃんと夕奈ちゃんが、元気で笑って大きくなりますように…と祈ったんよ。おじいさんは、それだけ…。それが一番…。」と二人の頭をなでながら目を細めて答えてくれていました。子供達は、とても幸せで満たされた顔をしていました。その時に、“やれやれ”と思いながら飾っていた自分が少し恥ずかしくなりました。子供の成長を祈る親の気持ちには、嘘も飾りもないはずですが、その気持ちを鯉のぼりや雛人形に込めた昔の人達の、それだけをひたすら願って飾る本来の意味をつい忘れてしまっている事に気づかされたのです。


鯉のぼりだって、揚げたり降ろしたりは大変です。家の外にある物ですから、天気を考えて上げ下げしなくてはならないので、油断できません。それでも、毎日揚げてもらっている鯉のぼりは、ご家族の子供を思う強い気持ちを受けて泳いでいるのです。幼稚園でも、3月には雛人形、5月には鯉のぼりをどの学年も、その由来を話したり歌を歌ったりしながら制作します。2階のテラスには年長組の子供達が作ったジャンボ鯉のぼりが飾られています。鯉のぼりを見て…雛人形を飾って、皆が心から祈る“子供の幸せ”を子供達自身が感じとってくれたらと思います。


親は、毎日の育児や仕事に追われて、一日一日が一生懸命!将来の子供の人生設計等に苦悩しながら…の中で、子供の将来を祈ります。その点、おじいちゃんやおばあちゃんの愛情には余裕があって、親とはまた違った、素朴でストレートなもののような気がします。そんな、おじいちゃんおばあちゃんの孫に向ける愛情のかたちに、私は教えられる事がたくさんあります。昔の人は、ただただ、“この子が健康に育ちますように…”と祈るためだけだったのです。“我が家には男の子がいます。天の神様、どうぞ、この子をお守りください。”と空高く揚げていたのです。


雛人形は流し雛から始まりました。草や藁で作った人形に子供の病気や厄を移し、その人形を流す事で、“神様、どうぞこの子からけがれを除き、健康にしてやってください。”…そういうひたむきな願いこそが、古来、言い継がれてきた日本の伝統文化の本来の意味である事を忘れないでいたいものです。子供達にとっても、自分の存在の尊さを静かに祈りながら見つめてくれている人がいる事を感じて、あらためて幸せに浸る事もできるでしょう。折に触れ、こういう事がなくてはならないと思うのです。鯉のぼりを揚げれば…雛人形を飾ればそれでいいかと言えば、そうではないのです。そうしてもらえる事で、子供達自身があらためて幸せを感じたり、自分の命を大切に考えたりするきっかけにもなるような気がします。その家々に合ったかたちで、それぞれのやり方でいいと思います。大きい小さい、立派質素は関係ありません。もっと言えば、なくてもかまわないのです。“鯉のぼり”の季節を歌や語ってやる事で感じ合ってもいいでしょう。空より広く海より深い愛情は、形にならないものでもあるのですから。


親の私達が、そのまた親から注がれてきた愛情をそのまま私達の子供に注いであげましょう。この5月の空からは、たくさんの鯉のぼりが見えるでしょう。そのたくさんの願いを空の神様が見落とされるはずがありません。どの子もどの子も幸せな成長を見守ってくださるでしょう。そして、愛情いっぱいかけてもらって育っていくこの子供達が、次の平和な世の中をつくってくれる事を祈らずにはいられません。 「やねよ~りたかいこいの~ぼ~り~♪」今日も幼稚園では、かわいい声が響き渡っています。