思い出の一曲(平成19年度12月)

ついこの前まで「今年はいつまでも暑いね。ちょっと異常だね。」と言って冬の到来の遅さを不思議がっていたのに、その寒さをいよいよ感じ始めたら「さむーい!この寒さは辛いね。いやだねぇ。」と勝手なことをつい口走ってしまいます。当たり前の事が当たり前にやって来る事を有難いと思わなくてはいけませんね。幼稚園の庭の木々も深まる秋の冷たい風に色付いた葉が落ちていきます。街路樹も枝を切られて冬支度。そろそろあちらこちらでクリスマスソングが聴かれます。一年の終わりが近くなるのを感じます。


幼稚園では、今“音楽発表会”に向けて合奏・踊り・歌の練習を頑張っています。お家でもお子さん達が、練習の様子を話して聞かせてくれているのではないでしょうか。私も毎日その様子を見ています。この発表会への取り組みは夏から始まっています。先生が選曲をし、子供達の耳から身体にリズムやメロディーを自然に感じとらさせるために色々な工夫をしながら楽しませて来ました。そして、歌ったり踊ったりしながら曲を覚え、11月になってやっと楽器を手に合奏します。12月9日の本番までこの経験を繰り返しながら、その中で音楽の力を育てるだけでなく、頑張り抜く力や友達や先生との関係を深めていきます。


10年以上も前に卒園した子が、以前「彼女ができたから紹介するよ。」と久しぶりに幼稚園を訪ねて来てくれた事があります。懐かしい幼稚園の中を歩きながらたくさんの思い出話をしました。今は教材室になっている部屋を覗いて、「あっ!この部屋で合奏をした!僕木琴をしたよね。」「確か、戦いの曲!すごく楽しかった。」その話を聞いて、発表会の練習の事を言っているのだという事がすぐにわかりました。それは、戦いの曲…ではなくて、『剣の舞』という曲の事を言っているのでした。曲のイメージをつかんで欲しかったので、曲の中で物語を作って「ここは、戦っているところだよ。」とか、「静かに踊っているところね。」等と話をしながら取り組んだのでした。

中学生になる男の子が習っている音楽教室の発表会で「思い出の曲を弾きます。」と言って、幼稚園の発表会で合奏した曲を電子オルガンで弾いてくれました。

また、人生の道に迷っている、まともにいっていれば今高校2年生の卒園児である少年が、よく幼稚園を訪ねて来ます。自分の夢を見つけられずこれからどうしていけばいいのか悩んでいます。その子は、事ある毎に幼稚園の事を思い出し懐かしむのです。…というより、その思い出にすがりついているのです。その子の大きな思い出になっているのが、“音楽発表会”で演奏した『シング・シング・シング』というジャズです。小さな体で大太鼓をしました。早いリズムに合わせて連打する部分では、手に豆が出来るほどバチをしっかり握りたたきました。彼なりに努力をして必死だった姿を覚えています。出来栄えは最高でした。本当にかっこよかったです。少年は、今でも時々あの時の発表会のビデオを一人で観るそうです。(あの頃の俺は凄かった!あの頃は楽しかった!)…と、かつての自分の姿や友達を見たり、若かりし頃の私の姿を苦笑したりしているのです。振り返る事で前に進めないでいるのかも知れませんが、少なくとも壊れそうになっている彼を支えられているという事には間違いありません。


彼女を連れて来てくれた彼も、音楽教室で自分が選曲して演奏した子も、道に迷っている少年も三人共あの頃演奏した曲をずっと心の片隅にしまっていてくれました。音楽的な才能を育ててやれたかという事ではなく、彼らの人生においてこれまでささやかでも心の支えになっていた事…そしてきっとこれからも…。その事が意味ある事だと思うのです。

教育のねらいは目先の結果ではなく、その子の長い人生においてどのような意味を持たせてやれたかという事だと思います。特に幼稚園では『生きる力』の『根』の部分を育てたいのです。私たち大人でも、心に残る思い出の一曲があるでしょう。その曲を聴いたら、胸がキュンと痛くなったりその頃の事が走馬灯のように思い出されたりする事がありませんか?一瞬自分をその頃に巻き戻させて青春時代を懐かしみ、そうする事で勇気や元気をもらったりする事が…。


今、幼稚園の子供達は、これから先きっと『思い出の一曲』になるであろう演奏にとりくんでいます。それが何になるのかどんな意味を持つのかなんて考えもしないで練習しています。ただただ楽しいのです。中には、なかなか上手にできなくて落ち込んだり悲しんだりする事もあるでしょう。しかし、先生達は子供達に無理難題を提示しているのではありません。きっとできる事だから…ぜひそこをクリアーして欲しいと思っているから頑張らせるのです。その子にとってその達成感こそがこれから長い人生の中で必ずどこかで自分を支えてくれる『思い出の一曲』になるはずだからです。友達や先生と心を合わせて頑張った思い出が、子供達の生きる力になると思うからなのです。


音楽発表会まであとわずか。子供達がずっと先に思い出してくれるような、そんな経験となりますように、どうか遠い先にまで続く先生と友達との思い出作りを温かく応援していてください。