土俵(平成19年度10月)

先日23日(秋分の日)には、第37回目の運動会を行いました。だいたい例年、当日まで毎日のように天気を気にしながらその日を迎えるのですが、今年は、全くそんな心配もなく、逆に暑さ続きで熱中症の心配の方が優先でした。途中、にわか雨が降ったものの当日も、青空の下で、賑やかな運動会を行う事ができました。


オープニング前の子供達の顔つきは、満3歳児・年少組・年中組・年長組それぞれにみんないつもは見られない表情でした。運動会の経験の回数や、その子の性格などによってみんなその表情は違います。そして、その様子をテントの中から…あるいは、テントの外で直射日光を浴びながらでも見つめていてくださる保護者の方々の表情は、子供達以上に様々でした。心配そうにわが子を目で追い続けておられたり、トラック内に出て来る姿を一時でも逃すまいとビデオ・カメラのピント合わせに一生懸命だったり、余裕で安心して観ておられたり…と、私は、その様子を本部席から観ていました。しかし、そんな保護者の方に共通して感じたのは、お子さんへのエールでした。そのエールを私達もひしひしと感じながら、色々な意味でいい運動会にしたいと思っていました。


運動会の歴史は、133年前にさかのぼるようです。それから時を経て、今や、もともとの運動会からは、捉え方も形も変わってきました。運動会は、日本特有の学校行事のようです。当たり前のようにだいたいどの教育現場でも行われていますが、運動会をどう捉えて子供達に経験させるかが、一番大切なところだと思います。(運動会があるから色々な種目を子供達に経験させなくてはならない。)と考えるのではなく、子供達に秘めたる可能性や才能を発掘したり、踏ん張りどころを感じたり、個と集団を意識したり、得られる達成感により生活を潤い豊かなものにするきっかけの場所になっていなくてはいけないと思うのです。

私は、これをよく“土俵”と言っています。この土俵は、実は何だっていいのです。あればある程子供達一人ひとりの輝きが見えてきます。例えば、“魚釣り大会”があれば、運動は苦手でも魚につけては誰よりよく知っているという子がヒーローになれるでしょう。“劇遊び”をすれば、お姫様や小人役に表現力の豊かな子が一躍スターになれるでしょう。学校で言えば、勉強は苦手だけど、歌を歌わせれば…絵を描かせたり制作をさせれば、右に出る者はいないという子には、“歌”だったり“作品展”だったりの“土俵”で輝けるでしょう。運動が苦手でも楽器演奏が得意な子は“演奏会”などで……。運動会はそういった“土俵”の一つだと思っています。

そして、その運動会の中にも、跳ぶ・投げる・走る・踊る・演奏する等、子供達が「これなら!」と自信が持てるもう一つ小さくした“土俵”が用意されています。どこで自分の力を出せるかは、子供達が一番先に自分で気づきます。それから、先生達がうまく後押しをしたり、誘ったりしていくうちに(これぞ!プロの技なのです。)、自分では、気づいていなかった自分の違った力の発見をします。そうして自信たっぷりに力を発揮しているのを見て、まわりの友達もその子を認めて賞賛しはじめます。苦手意識を持っている子でも、これだけ数々の“土俵”を用意してあげていれば、どこかでは、ヒーロー気分になれるというわけです。

こういう経験を毎日の生活の中に取り入れていけば、いずれ、欲すら出てきて次はチャレンジする気持ちが生まれてくるでしょう。自分の力より少しハードルを上げて跳んでみようかなという気持ちになってきます。また、違った型の“土俵”で勝負してみる気持ちにもなるかも知れません。チャレンジ精神が芽生えれば、その子のまわりにエールを贈ってくれる人達がいてくれれば、幼くても少々の挫折は乗り越えられるのです。そのたびにたくましくなります。


運動会には、そのような意義をもって取り組んできました。運動会を観て、まさか「へたくそだったねぇ」とか、「期待はずれだったよ」とか「ダメだったじゃないか」などと言って反省会じみた会話をされたお父さんやお母さんはおられないでしょう。運動会は、その子の結果ではありません。通過点です。ひとまず、どのような事があったとしても、自分なりに運動会という“土俵”で力をためした事をたくさん褒めてあげてほしいと思います。実際、みんな輝く事ができたいい運動会で大成功でした。

私も、夜、運動会の一日を振り返りながら、あの子はきっとお家で「転んでもよく立ち上がって走ったね。かっこよかったぞ!」って褒めてもらっているだろうな。あの子は「たくさんのお客様の前で立派にできたね。感動したよ。」って抱きしめてもらっているだろうな。あの子は……なんて想像していました。いつの時も家族の人達のエールはうれしいのです。そうして、成長していく子供達を見ることにより、私達にも元気を与えられます。園長先生が最後の挨拶で、子供達に「ありがとう!」と言いたかった気持ちが私にもわかるような気がします。


これからも、私達は、子供達が色々な場面で輝けるように、生活の中にたくさんの“土俵”を用意してやりたいと思います。みんなそれぞれに個人新記録保持者であり、その記録を少しずつ更新していく生活は、子供達にとって最高におもしろいはずです。

偲ぶ心(平成19年度9月)

今年は、記録的に暑い夏でした。熱射病・熱中症・日射病といろいろなところでこの文字を目にし、まるで最高気温の記録会のようでした。そんな中で高校球児たちが、甲子園でプレーしている姿を見て、鍛え抜かれた精神力と体力そして、優勝という夢にかける高校球児達の気力に感動をおぼえました。広陵高校準優勝おめでとう!暑い!熱い!夏でした。そんな暑さをもたらしたおてんとう様もそろそろ秋の準備を始めているのではないでしょうか。


夏休みの間にご家族でたくさんの思い出をつくられた事でしょう。夏が終わるとなると楽しかった夏を振り返り、何だか寂しくなってしまいます。思い出があればある程、振り返ったときに物悲しく感傷的になるものです。懐かしさ余って涙する事さえあります。いい思い出にせよ悪い思い出にせよ、過ぎた日はもう二度と戻らないからです。その戻らない日が恋しいからです。


我が家の地域では、毎年お盆には地元の若い(?)人達の主催で、盆踊り会が行われます。実は、私も微力ながら主催者の一人です。地元の人達が多い地域ですので、街に出ている人達が、お盆休みに実家に帰って来たり、お墓参りに来て本家に集まったりします。ですから、その時期は大変賑わいます。盆踊りの日には、懐かしい人に会えたり、小さな子供達もたくさん来てくれます。いろいろな催し物や夜店があって準備は大変ですが、結構楽しいものです。


『盆踊り』の意味には、色々な説があるようですが、祖先達の霊のために行う事には違いありません。私が夜店の販売をしていると、二人の方が来てくださいました。それは、5年前に他界した義母をよく知ってくださっている美容師さんと公民館の方でした。その時、美容師の方が、「お義母さんが亡くなってからもう何年ですかね。本当にいい人でしたよね。おしゃれさんで、楽しい人でね。」公民館の方は、「人のために一生懸命働いてくださる人でした。お世話になったんですよ。」と色んな思い出を私に語ってくださいました。私の娘を見て、「この子が上の娘さん?まあまあ、大きくなられて。おばあちゃん(義母)もさぞかしここで喜んでいらっしゃるでしょうねぇ。可愛がっておられたから。」──私は、何だか胸が熱くなりました。「ここで喜んで……」という言葉に、(そうか、いつも私達の事を見ていてくれてるんだぁ。今日はお盆だから、きっとお義母さんもここにいてくれている。人の前に出るのが恥ずかしい人だったから、踊ったりはしないでうちわをあおぎながら、座って見ているかな。)と色々思ったりしました。


大切な人を失って、その時は深い悲しみに打ちひしがれたはずなのに、いつの間にかその人のいない生活が当たり前の生活になってきます。また、そうならないといけないのです。だけど、ふとした時に思い出したり、その人を懐かしみながら話をしたり……。

私は、家の中で何か変わった事があると、いつも(どうしたらいいんだろう?こんな時お義母さんなら何て言うかな?どうするかな?)と考えます。きっと、力を借りたい気持ちからなのでしょう。私の娘たちも嬉しい事があると仏壇に報告します。きっと、おばあちゃんに褒めてもらいたいのでしょう。お義父さんは、おいしいものを食べる時や楽しい事があると思い出して「おばあさんもうらやましがっておるじゃろう。ここにいたら、喜ぶんだろうに…」といつも涙ぐみます。お義母さんは、亡くなってからも幸せです。こうして、色々な人達に思い出してもらえて。そして、私達の心の支えになってくれているのだと思います。そうしてみると、この世にいなくても家族の支えになっているなんて…お義母さんはすごい人です。不幸にして大切な人を失ってしまっても、私達にその人を偲ぶ気持ちがあれば、私達の心の中で生かされる──思い出して泣いてあげる事も、話題にしてあげる事も祖先の供養だと思うのです。


話題になった『千の風になって』という歌に元気づけられた方もたくさんおられるのではないでしょうか。白い盆灯篭がたくさんたてられたお墓の前で手を合わせる家族がありました。小さな子供も一緒です。悲しみから癒される間もなく初盆を迎えられたご家族でしょう。お墓の前で涙を拭っておられました。幼い子供達は、そんな大人たちをじーっと見ています。はしゃぎまわれない神妙な雰囲気を幼いながらにも察することができたようでした。お母さんから促されてお墓にしゃがんで手を合わせていました。私は、きっと、このご家族も、毎年ここで亡き人を偲び、それを力にまた元気を取り戻し、家族が力を合わせて強く生きて行けるようになるのだろう、と思って見ていました。

小さな子供達にとって、飼っていたペットが死んでしまったり、大切にしていた宝物が壊れたり……。そんな時でも「死んじゃいました。さようなら。」「壊れちゃいました。捨てましょう。」ではなくて、大切だった物は大切だった物のように、それを偲ぶ気持ちを持たせてやるべきだと思うのです。

お盆にお墓参りをする私達大人の姿を見て子供達は、本当に大切な人を失くしてしまったんだと感じ、その子達もまた、大切な人としていつも偲んでくれるようになるでしょう。
『偲ぶ心』は、人を人として大切に思う心だと思うのです。