いたずらっこ、世にはばかる(平成19年度8月)

“いたずらっこ”──そういえば、最近世間の会話の中にあまり聞かれない言葉になったような気がします。“いたずら”と“悪行”との大人の捉え方に区別がなくなってきているという事かもしれません。


子供達のいたずらには、私達大人は多かれ少なかれ振り回されてしまいます。その対応には、心身共にほとほとくたびれてしまうというのは、誰もが経験された事ではないでしょうか?子育てをする間には、ママ達の仲間うちでしばしばこの“いたずら”を嘆く会話がなされます。

ある病院の待合室でのママ同士の会話が耳に入ってきました。「聞いて!うちの子ったら雨ふりの日に長靴や靴を外へいっぱい並べて、雨水がたまるのを面白がって見てるのよ。信じられなかった。おまけに傘まで逆さまにして雨水を受けて…。勿論自分もびしょ濡れよ!この子頭がおかしくなったのかと思ったよ。いけない事ってわからないのかしら!いったいどんな子になるんだろう!!」──そう話をしている母親の隣には、聞いているのかいないのか、3歳にやっとなったぐらいの男の子が座っていました。母親の目線からして、その子はこの話題の提供者と思われます。看護士さんの忙しそうな動きをじーっとみていました。もう一人のママは、「うちの子も悪いのよー。静かにしてると思ったら、大概悪い事をしてパパに叱られてるよ。ほんと!最近叱る事ばっかり!!」と答えておられました。その時点で、そのママたちの間では、お互いの子供達は、“悪い子”に決定されてしまいました。


ですが、私には、その子がどうしても“悪行”を働いたとは思えないのです。ましてや“悪い子”だなんて…。面白そうじゃあないですか、どんどん降って来る雨が深い長靴に溜まっていく様子や、傘で雨を受けるポツポツとかザーッ!っという音を聞くのは。

濡れた靴や傘は乾かせば済むはなしです。その時に感じた愉快な気持ちや子供なりの発見や驚きが、きっとたくさんあったはずなのです。目を輝かせて雨水が溜まっていく様子を気長に気長に見ていたはずなのです。何かを考えながらじーっと…。この状況を想像すると、頭ごなしには叱れません。むしろ私なら、後ろからその子のそんな姿を静かにいつまでも見ていたくなるほど可愛く思えたでしょう。


これは、“いたずら”です。だけど、この“いたずら”というのは、子供にとっては“学び”なのです。いたずらをするためには、結構知恵が必要です。この状況をどうやって楽しもうか?どうやってこの事態を乗り越えようか?と知恵を使い体を動かして、何とか自分の力でやってみようとするのです。興味を示しているのです。


いつも“いたずら”は自発的で自主的です。こう考えたら、すごい事だと思いませんか?大人が思えば、(よくこんな面倒くさい事を思いついたものだ。)と逆に苦笑しながらも感心してしまいます。赤ちゃんがティッシュぺーパーを箱から何枚も何枚もひっぱり出すのも、たたんである洗濯物を散らかして遊ぶのも、テーブルや壁に落書きをするのも、“学び”なのです。おもしろいと思う事から、(どうして?)と不思議がり、何度も何度も繰り返し、その内(なるほど、こうしたらこうなるんだ)という発見をするのです。大人は、この貴重な経験を“いたずら”という言葉でひとまとめにしていますが、子供の世界では立派な“学びの時間”なのです。


その様子が一番よく見られるのが、幼稚園でいうとさつき組満3歳児クラスです。さつき組の保育室に行くといつも「こりゃこりゃ~」「ありゃりゃ」と困っているんだけど楽しそうな…叱りたいけど許しちゃう…そんな先生の声が聞こえます。さつき組は、在籍3人のクラスですが、3人の目が合えば“いたずら”のスイッチが入ります。先生が保育のために準備していた細長く巻いた画用紙をいつの間にか持ち出して、剣の代わりにして遊んだのか、しばらくして保育室に持って帰った時には、ヨレヨレグシャグシャになっていました。リサイクルバザーの準備物が置いてある部屋に入り、先生達が折り紙を貼って作った模擬店のポスター…少しめくれていた部分、そこを剥がしてみたらおもしろかったのでしょう、どんどん3人でめくってしまっていました。その部屋に残されていたのは、無残に折り紙が剥がされたボロボロのポスターでした。そこには、3人の姿はありませんでした。

先生が、子供達を呼んで「これ、どうしたの?」と聞いたところ、「あのねぇ、いっしょにビリビリしたんよぉ。」と普通に答えたといいます。だって、その子達にとっては、悪い事だなんて思っていないのですし、あそびの一つに過ぎなかったわけですから。勿論、その場で「これは、大切な物で破ってはいけなかったの。」という事は教えてやらなければ、規範意識を養うチャンスを逃してしまいますが、それよりもここで大切なのは、その子達を見て、一度は微笑んでやれるかどうかです。いきなり悪い子だと叱らないでください。学ばせてやるチャンス到来!と笑ってやってほしいのです。

こうして“いたずら”を経験していくうちに良い事といけない事、そして物事の成り立ちや仕組み等も学ぶ事にもなるのだと思います。幼い頃のいたずらは、成長の証です。さあ、夏休みです。子供達はどんないたずらで攻めて来るでしょうか?

誕生日(平成19年度7月)

6月20日は、理事長先生の誕生日でした。その少し前に“三次中央幼稚園”と“子供の館保育園”そして“子供の城保育園”の職員全員が集まって行われた研修会があり、その席で理事長先生にお祝いの花束を贈りました。その時のご挨拶の中で、理事長先生はご自分のお生まれになった時代背景を語られました。自分が生まれる少し前に太平洋戦争が始まった…そんな時代です。当然ですが、理事長先生がこの世に生を受けられた頃の事は、私達は知りません。理事長先生の話を聞いて、初めて(ああ、そういう時代だったんだなぁ)と理事長先生の歴史を知るのです。そして、話してくださる理事長先生もまた、この誕生日を機にご自分の歴史を振り返られたと思います。


この世に生を受けるという事は、それはそれは神秘的で素晴らしい事なのです。その日は、誰もが祝ってくれる日です。ましてや、元気で毎年この日を迎えられるなんて、これだけ危険や悪が蔓延している世の中…、当たり前のようだけれど、よく考えれば、とてもありがたい事なのです。全てのものに、この『誕生日』があります。この記念すべき日にはそれぞれの人や生き物の歴史やドラマがあるのです。


『誕生日』をそんな風に考えた事がありますか?誕生日を案外簡単に迎え簡単にその日を終わらせてはいませんか?ましてや、私だけでしょうか、25歳くらいまでは、誕生日を迎える事は一大イベントでしたが、それを過ぎればスーっと誕生日を見送りたくなる心境に駆られるのは…。でも、40歳台になると逆に開き直りかどうかわかりませんが、自分のこれまでの歴史や今まで私に関わってきてくれた周りの人達と絡ませて人生を振り返れるようになりました。


幼稚園では、どの子のお誕生日にもどの先生もが「おめでとう!」と祝ってやれるように、前日の職員会議で自分のクラスの誕生日の子をその都度紹介し合います。その子の『誕生日』を大切に思い、その子にもそれが自分にとって特別な日であるという事を感じて欲しいからです。

よく「お誕生日おめでとう!」と声をかけると「ありがとう!今日ね、おもちゃを買ってもらうんだぁ。」とか「おすし屋さんに連れて行ってもらうんよ。」などと嬉しそうに話してくれる子がいます。誕生日には、何かを買ってもらえるとか、どこかへ連れて行ってもらえる日という感覚になってしまっていないかとふっと感じます。勿論、プレゼントをしてやりたくなる大人の気持ちも、もらって嬉しい子供の気持ちも極々当然の事だと思います。ここまで大きく育ってくれた事の喜びを形にしたいのです。ですが、ただ、「おめでとう!」と祝うだけでなく、その時に「あなたが生まれた時はね…」と誕生のドラマを語ってやってほしいのです。祝ってくれる家族からその時の想いや、様子などを聞かせてもらえば子供達はどんなに望まれて命を授かったか、どんな想いで自分を育ててくれていたかを感じてくれるでしょう。


娘達が9歳と7歳だった時、姉妹喧嘩をしている様子をみて叱った事がありました。初めは些細な事だったのに色々言い合っているうちに、あとに引けなくなったのか、上の子が、「お母さんは、こんな私なんかいないほうがいいって思ってるんでしょ!!」と言い放し、二階の部屋に駆け上がってしまいました。しばらくの間あまりにも静かなので気になって様子をのぞくと、自分が生まれた時のアルバムを見ながらしくしく泣いていました。「なに見てるの?」と声をかけると、突然私に飛びついて「ごめんなさい。私がいけなかった。」とわんわん泣きながらあやまったのです。

落ち着いて話を聞いてみると、色んな人に抱っこされている写真を見て、こんなに大切に想ってくれているのに、なんてひどい事を言ってしまったんだろうと、「“ごめんなさい”の気持ちでいっぱいになった。」と言いました。それから、娘が私のお腹に宿るまでの事や、長い年月を経てやっと授かったときの感激、お腹にいる間の事、生まれる瞬間の事をたくさん話してやりました。そんな色々があって、今の自分がいるという事を知ってどのように感じたかはわかりませんが、それによって娘は娘なりに自分の生きている意味や喜びを感じる事ができたと思うのです。


生まれてわずか3~5年しか経っていない幼児でも、そんな話をしてやれば、本当の“『誕生日』を祝う意味”を感じてくれるような気がします。そして、今もその時と変わらぬ愛で守られている事を実感するでしょう。自分の歴史の始まりを誕生日に話してやってください。そうすると、『誕生日』が家族の繋がりの深さを感じあえる特別な日になるのでは?と思います。

誕生日だから…と物品で満たされる一日よりも、幸せな気持ちで満たされる一日にしてやってください。子供達だけではありません。お父さんお母さん方にも、この私にも自分の誕生のドラマがあります。子供の誕生を心から喜び慈しむ家族の愛は、親から子へ…子が親になり、その親から子へといつまでも繰り返されるのです。

さてさて、理事長先生はご自分の誕生日をどんなお気持ちで過ごされたのでしょうか?また、どんな赤ちゃんだったのかにも興味津々…。