修了式・卒園式を目前に…(平成18年度番外編)平成19年

今年度最後の“葉子せんせいの部屋”です。理事長から引継ぎ、何とかこの1年書き続ける事ができました。皆さんの心に、何かを残す事ができたとしたら本当に嬉しいです。
今回は、私が、年度末になると思い出す今から14年前のある出来事をもう一章、先生の手から巣立つ子供達に、贈りたいと思います。

修了式・卒園式を目前に…』

たくさんの思い出を残して幕を閉じる3月、1年間を共に過ごしてきた子供達との別れはとても寂しい。毎年の事ではあるが、その年その年の子供達への想いがあり、何とも言えない物悲しさがある。子供達もまた、私達と同じ気持ちを味わっている。
年中・年長と続けて私のクラスだったさー君と呼んでいた一人の男の子と私との間にこんな事があった。

田 房「本当に、本当にさよならだね。先生はさー君が1年生になれて嬉しいのが半分、さよならする事の寂しいのが半分で変な気持ちよ。」

さー君「どうして?」

田 房「だって、ずっと仲良しだったのにね。」

さー君「じゃあ、僕にまかせて!」「一緒に1年生になれるようにしてあげるよ。」

田 房「ええっ!どうやって?」

さー君「校長先生に頼んであげるよ。前は園長先生(現 理事長)に頼んであげたから同じクラスになれたでしょ。(年中組から年長組になる時に彼は葉子先生と同じ組にしてくださいとお願いに行った事があったのだ。)今度は学校だから、校長先生に頼まなくっちゃダメなんだ。」

それから、入学説明会などで何度か学校に行く事があり、彼は校長先生に直々にお願いしようと試みたようだが、その勇気がなかったのか翌日幼稚園に来て「昨日も言えなかったんだ…。」と小さな声で報告してくれた。彼の本気な様子に、それは無理な話だという事をどう話してやろうかと考えると、ただただ辛かった。ついに明日が卒園式。その夜、家の電話が鳴った。

田 房「もしもし、田房です。」 電話の向こうからは、何も聞こえない。しばらくするといきなり子供の声で…

さー君「あのねぇ、ぼくと園長先生とどっちをとる?」その声は確かにさー君だった。驚いた。

田 房「さー君、どうしたの?」

さー君「あのね、さっき園長先生に電話したんだ。葉子先生と一緒に1年生になってもいいですか?って。そうしたらね、園長先生は『困ったなぁ、園長先生も田房葉子先生がいなくなっちゃうと寂しくなるからねぇ。園長先生には決められないから、葉子先生にどうするか決めてもらったら?』って言われたんだ。もうぼくにも決められない。ねぇ先生!ぼくと園長先生とどっちをとるか決めて!」

彼のお母さんの話によると、自分で電話番号を調べて園長先生に電話をしたという。私は、彼が受話器の向こうで一生懸命話している声を聞きながら泣いていた。さよならが迫っているという実感と彼の気持ちの重みを感じ、心で『ありがとう』と言いながら、ただただ泣いていた。涙声をおさえて、「さー君ありがとうね。明日はかっこよく卒園証書を受け取ってね。」…そう言うのが精一杯だった。
電話をきって、私は心を落ち着かせ、彼に手紙を書く事にした。明日はきっと涙で言葉にならないと思ったからだ。


翌日、ついに来てしまった卒園式。式の間ずっと一人ひとりの顔を見ながら、その子達との日々を思い出していた。式が終わり、私はさー君に手紙を渡した。

田 房「さー君、昨日はお電話ありがとう。これに昨日のお返事を書いておいたから、家に帰って静かに読んでね。」

さー君「うん。ありがとう。」 

田 房「また遊ぼうね。」「幼稚園に遊びにおいでね。」「元気で頑張ってね。」

一人ひとりに声をかけ手を振った。
その夜、彼のお母さんから電話がかかった。

 「お手紙をありがとうございました。彼は、声を出して読んでいたのですが、4枚目から急に聞こえなくなって…。あの子、目を押さえて泣いていました。『何だかわかんないけど、涙が出てくるんだよ。』って。」今は、まだその涙の意味が彼自身にも理解できなくても、彼の人生の中で同じような場面に出くわした時、初めてその意味をわかってくれるだろう。私はその手紙にこう書いた。

 「だいすきなさーくんへ。
きょうは、そつえんおめでとう。せんせいはいま、こころをこめてこのてがみをかいています。さーくんとのおもいでがたくさんできて、せんせいはとってもうれしいよ。よーくかんがえたんだけど、やっぱりせんせいはいちねんせいにはなりません。さーくんが、にゅうえんしてくるとき、せんせいはどんなおとこのこかなってたのしみにまっていました。そして、おもったとおりとてもすてきなさーくんでした。さーくんのにゅうえんをたのしみにまっていたあのときのようこせんせいとおなじように、こんどは、がっこうで、さーくんをまってくれているせんせいがたくさんいるはずです。これからは、たくさんのひととであい、うれしいことやたのしいこと、そしてかなしいこともけいけんしてほしいの。

『こんにちは』ってであったら『さよなら』だってあるんだよ。すこしむずかしいかもしれないけれど、そうしていくうちにもっともっとさーくんはすてきになれるんだよ。せんせいは、いつでもさーくんのみかただからね。いままではさーくんのちかくでおうえんしていたけど、こんどは、ちょっぴりはなれたところからさーくんをおうえんしているからね。きっときっとがんばってね。
さーくんのこと、ずーっとすきだよ。
さーくんのこと、ずーっとわすれないよ。
ほんとうにたくさんのおもいでをありがとう。
たぶさようこせんせいより」

教師の仕事が終わる時(平成18年度3月)平成19年3月

気がつけばもう3月、いよいよ年度末になりました。幼稚園では、一年のまとめと同時に、すでに来年度に向けての準備にとりかかっています。

4月には、満3歳児・年少組・年中組の子供達は、ひとつ上の学年になります。また、年長組の子供達は小学校へ入学します。そして、小さな子供達が新しく幼稚園生活のスタートをきります。新しい事が始まるという事はやはり夢と希望で胸が膨らみます。どの子もどの子も晴れやかに新しいスタートをきる事ができるように、私たちはこの一年がどうだったか、また、この一年で子供達一人ひとりがどんな成長を見せてくれたかを振り返ります。

あっという間の一年だったように思えるけれど、そうやって一年をゆっくり回想してみると、実にドラマチックな出来事があって素晴らしく充実した時間だったのを確信します。特に卒園を控えた年長組の子供達との思い出には、言葉にできない切ないものがあります。


卒園式という一年の中で一番センチメンタルになる大切な人生の節目の日を間近に控えて、色々と準備にとりかかっています。先日も一足早く卒園写真を撮りました。園長先生と担任の先生に挟まれて、きれいに並んでカメラを一斉に見ている年長組の子供達の様子をじっくり見ていました。

思えば2年3年前の入園式、記念写真を撮ろうにもなかなかカメラの方を見てくれなくて、人形や楽器を派手に鳴らして、ごまかしごまかしやっとの思いで撮影しました。あの日がうそのように、私の目にはどの子もどの子も立派に映りました。

あらためて『大きくなったね』と思いました。制服の袖が…ズボンやスカートの丈が随分短くなった子、赤ちゃん顔だったのに凛々しくなった子、みんな入園した頃はじっとしている事が苦手だったのにカメラマンのOKが出るまでどの子も動かないでキリリと立っている。幼稚園で過ごす数年間は、こんなにも子供達を変えるのかと驚かされる瞬間でもありました。

  
そして私達の教師としての仕事の意味や深さを考えさせられます。この子達を無事送り出した時に私達の仕事は終わるのか…そうではありません。私達は、この子達がどうかいつまでも幸せに過ごせるようにと想う気持ちはずっと持ち続けます。そういう意味では、終わりのない仕事なのかもしれません。先生としての役目の終わりがあるとすれば、たぶんずっと先でしょう。


自分のこれまでを思い出しています。もう随分前の事になりますが、印象深い出来事や言葉はいつまでも心に残るものです。幼稚園の頃友達と積み木の取り合いをしました。それは新しい積み木だったので大人気でした。相手の友達が「先生、葉子ちゃんが取っちゃった!私が先に取ったのに!」そして私も「私が先だった!」と両者譲らず…。そして先生が一言…「自分たちで解決しなさい。」

それからどうやって解決したかは覚えていませんが、先生はその後ずっと先生の机に座って私達を見ておられました。私は、幼心に(座っているくらいならこっちに来て先生が何とか言ってくれればいいのに)と思いました。

また、小学校6年の時“帰りの会”で先生が、「この時間は、明日の連絡だけではなくて、今日一日を振り返るために『知らせる事』と題して、人の良い事を発表する時間にしよう。」と言われました。それから色々見つけて班ごとに順番に毎日良い事をした人の事を発表しました。その度に名前を挙げてもらった子は拍手で褒めてもらえます。そうしていくうちに褒めてもらえる子はだいたい決まってきていました。

ある日、先生は「名前の挙げられていない人には本当に『知らせる事』がないんだろうか。みんなが、見つけてあげられていないだけなんじゃないか?」となげかけられました。何とも言えない余韻の残る言葉でした。

あの言葉の本当の意味や、あの時先生が言いたかった事が、こうして幼稚園の先生になり母親になった今、やっと理解できるようになりました。もちろん、その時その時もそれなりに納得はしていましたが、解決さえすればいいのではなく、自分達で意見を戦わせながら相手の気持ちを汲み取ったり、解決する方法を自分達で見つける意味を教えてくださっていた事、どんな人でも誰にでも素晴らしい力があって、発信するほうも受信するほうもそういう気持ちで人を見ていかなければならないという事、また、どんな小さな事でも見逃さず受信してあげれば、その人はますます力を出せるようになるんだ。と言う事をあの時教えてもらっていたんだと気づいたのです。


学校の先生達が意見を出し合う番組である出演者が、「その時にわからなくても、ずっと先で、(ああ、先生があの時言ってた事はこの事だったのか)とその子が思い出してくれた瞬間に、その先生の仕事が終わる。」と言われました。

これは、教育現場に限らず家庭においても言える事だと思うのです。教育がその子の身体と心に浸み込むのはずっとずっと先の事なのかも知れません。結婚をして父親母親になってからかもしれません。私達はこれからの人生の支えになる心に残る言葉や経験をたくさん与えて子供達に今できる最大の事をしてやりたいと思っています。今年も三次中央幼稚園を巣立っていこうとする子供達の将来をずっと祈っていたいと思うのです。

  
人生の節目が、どの子にも輝かしいものでありますように…。