ゆびきり(平成18年度8月)

♪ささのはさ~らさら♪7月になると幼稚園中に、子供達の歌う『たなばたさま』の歌が響き渡ります。今年も大きな笹に笹飾りを作って七夕まつりをしました。

笹飾りの中でも興味深く手にとって見てみたいのは、短冊に書かれた“ねがいごと”です。どんなおねがいをしたのかな?毎年色々な“ねがいごと”が書かれています。「じてんしゃにのれるようになりたいです。」(がんばれ!がんばれ!)「ピアノがじょうずになりたいです。」(なるほどなるほど)「ハワイへいけますように……。」(じゃあ!先生も書いておこうかな)「おねしょしませんように。」(う~ん、切実)「ポケモンがほしいです。」「ボウケンジャーがほしいな~」(ん?サンタさんじゃないんだけど……。)と、色んな子供達の秘め事が書かれています。その他よくあるのは、お気に入りのキャラクターになりたいというもの。「仮面ライダーカブトになりたい!」「プリキュアになりたい!」等。幸せな事にまだまだ空想の中で生活している子供達のかわいい夢です。だけど、真剣な夢なのです。夜空のお星さまに子供達のかわいい“ねがいごと”は届いたかな?


さて、今月は、幼稚園の頃同じようにかわいい夢を短冊に書き、数年経った今、自分の将来を本気で考え一生懸命になっているひとりの女の子の事を紹介しましょう。名前は香織ちゃん。6年前の年長組の時に私が担任した女の子です。卒園して引っ越ししてしまいもう随分会っていませんでした。当時は、一見、消極的なタイプですが、内に秘めたる強さ・優しさ・明るさ・好奇心は、共に生活していた私にはひしひしと伝わってくるものがある、おさげ髪のよく似合うかわいい女の子でした。


去年の10月のある日、香織ちゃんから突然のはがき…そこには『ようこ先生お元気ですか?今度、私がラジオに出演し、作文を読みます。そこにようこ先生も登場するのでぜひきいてください。10月26日am6:55~am7:00RCCラジオです。』──と書いてありました。懐かしい子からの便りにびっくりするやら嬉しいやらで、顔にしまりがなくなってしまいました。放送までの1週間、毎朝その時間が気になって気になって……。

そしてその日が来ました。カセットテープに録音しておこうとセットし、私は少々緊張して思わず正座でラジオに耳を傾けました。6時55分!学校のチャイムの音で番組が始まりました。RCCのアナウンサーが「僕の作文私の作文!──今日は小学5年生の作文を紹介します。題は『幼稚園の先生になりたい』です。」私はそこまで聴いてすぐに香織ちゃんが卒園して行く時に交わした二人の約束の事だ!と思いました。

香織ちゃんの夢は幼稚園の先生になる事でした。ある日、「ようこせんせい、どうしたら幼稚園の先生になれる?」と聞いてきました。キラキラした真剣な目でした。私は、「お歌が上手で、にっこり笑顔が優しかったらなれるよ。香織ちゃんならなれるね。そしたら、一緒にお仕事できるね。」と言いました。香織ちゃんは、「わたし、三次中央幼稚園の先生になる!」とにっこりして言ってくれて、私は「じゃあ、ゆびきりしよう!香織ちゃんが幼稚園の先生になってここへまた帰って来る!そして一緒にお仕事しようね。待ってるから。」と二人でゆびきりしたのです。

香織ちゃんの読む作文には、三次中央幼稚園の先生になりたい事や、私の事、ゆびきりの事が書かれてありました。私は涙が溢れ出ました。今でも、遠いところに居ても慕ってくれているという事と、何よりあの日交わしたゆびきりが、香織ちゃんの道標になっていること、人生の目標を持っていてくれていることに感無量でした。目の前に香織ちゃんがいたら、あの頃のようにムギュ~って抱きしめてぼろぼろに泣いたでしょう。


そして6月、6年生になった香織ちゃんからまた手紙が来ました。今度は幼稚園の先生になるための具体的な質問でした。いよいよ本気だなって感じました。

夢が今の香織ちゃんの『生きる力』になっているのです。自分に目標や夢、目的を持って生活していると生き生き輝けるのです。その夢が『仮面ライダー』や『プリキュア』と現実離れしていても、自分の将来の憧れの像として目標にして(とりあえず今は)生活していくでしょう。どうか、夢や憧れをもたせてあげてください。夢を抱く心地よさを覚えたら、夢を探せる大人になると思うのです。

香織ちゃんの手紙の最後にはいつもこう書いてあります。『先生、香織が大人になるまで待っててね。』──ん?あと何年?

旬な気持ち

ついこの前、子供達に、「入園おめでとう!進級おめでとう!」と声をかけていたのに、気がつけばもう7月……1学期最後の月になりました。見るもの聞くもの全てが新しくて……がゆえに、泣いたり笑ったりの毎日だった年少組、年中組、満三歳児クラスさつき組の子供達も、何とか落ち着いたようです。

この1学期の間に、子供達は色々と新しい事を経験しました。特に年長組は、田植えやさつま芋の苗植えに大奮闘でした。毎年、田植えは我が家の真ん前の田んぼで行います。芋畑もすぐ近くということもあり、私は時々苗の様子を見に行きます。(秋の収穫まで気が抜けません。フ~ッ)


田植えから少し経ったある日の事、朝の通園バスで年長組の子を迎えに行きました。するとバス停の横にある田んぼをお母さんと一緒に覗き見ています。私が、「おはようございます!」と言うと慌ててお母さんはその子の手を引きバスに走り寄り、「すみません!田植え以来、何だか田んぼが気になるようで……。」と笑って話してくださいました。その次の日は、「田んぼの中におたまじゃくしを見つけたようで……。」と、毎日母子で田んぼの観察をされている様子でした。子供達には、私達大人には見えないものが見える『心の目』があるようです。不思議な事をとことん不思議だと感じる心、どうにかして知りたいと思う心、今すぐやってみたいという衝動にかられる程おもしろいと感じる心──見たり触れたりする事で心に衝撃的に映るのです。『心の目』……これは私達大人も、かつて持ち合わせていたはずなのです。目に映るものが、長年生きているうちに“毎度の事”になって、子供達と同じようには心が揺さぶられなくなってしまっているのです。そんな気がしませんか?


年少組のあるクラスでは、《そらまめくんのベッド》(なかや みわ作・絵 出版 福音館)という絵本を読み、子供達がそらまめを見たことがないんじゃないかと、先生が家の畑から見事なそらまめを人数分採って来て、子供達の手にのせてやっていました。「ようこせんせい!みてみて!このなかにそらまめくんがネンネしてるんよ。」と絵本とそらまめの話を一生懸命私にも話してくれました。年中組は、プランターにプチトマトとキュウリの苗を植えました。自分達で水をやった苗がぐんぐん大きくなって、ミニチュアのようなかわいいトマトやキュウリができているのを見つけたときにはどんなに嬉しかったでしょう。お家でもそんな話をしていませんか?いつになったら食べれるんだろうと毎日見ている子供達にとってそれは、まさしく『旬な気持ち』なのです。“今だからこそ”“今ならではこそ”味わえる気持ちです。


年長組の田植えの数日後、外出から帰った私に義父が、「さっき、田植えをした男の子がお父さんと一緒に田んぼを見に来たよ。自分が苗を植えた田んぼをお父さんにも見せたかったんだろう。少し話して帰って行ったよ。まだその辺にいるんじゃあないか。」と教えてくれました。私はすぐに外に出て見てみました。すると、車が停めてある所に向かって、お父さんとその回りをピョンピョン飛び跳ねながら歩いて行く子供の二人の姿が遠くに見えました。田んぼから車までの間のお父さんとその子の会話はどんなに弾んだことでしょう。その姿は、遠くで見ても実に温かく微笑ましいものでした。自分が田植えをした田んぼをお父さんにも見てもらいたいと思う気持ちも、よその田んぼが気になったり、田んぼの中にオタマジャクシを見つけて喜ぶ気持ちも、そらまめを初めて見て「みてみて!」とはしゃぐ気持ちも、いつ食べれるかとトマトやキュウリの生長を楽しみにする気持ち・・・これらはみんな『旬な気持ち』です。

時間が経てば話題にすらしなくなります。それは、次から次へと興味が移るからです。この『旬な気持ち』の時に、どうか一緒に子供が『心の目』で見て感動しているものに共感してあげてください。子供達の心に、忘れることのない思い出として知識としてさらに強烈に刻まれるはずです。ジ~ッとお子さんを見ていてください。急におしゃべりになったり、夢中になったりするはずです。その時は『旬な気持ち』になっているかもしれませんよ。


毎日食べている白いご飯……それまで、(これはどうしてどうなって僕や私の口のなかに入るのだろう?)などと思ってもみなかった子供達も、自分の手で田植えをしてみてほんの少し関心を持ちます。それが、秋の収穫をする事で、再び田植えの時の感動が甦り、稲穂を目の前にやっと、「な~るほど、お米はこうしてぼくたち私達の口にはいるんだ。」と納得します。

幼稚園の生活の中には子供達が味わうことのできる『旬』がたくさんあります。新しい経験がいっぱいだからです。その時その時の子供達のはやる気持ちに耳を傾けてあげてください。感動を共有してくれる、聞いてくれる人がある事は実にしあわせです。私達大人もまた、そうしていくうちに、昔どこかに置いてきてしまった『心の目』を取り戻せるかもしれませんよ。(まだまだ純粋でいたい私。・・・苦笑) 


『旬』の魚や野菜ももちろんおいしいのですが、子供達の『旬な気持ち』───これもまた格別なんだな~(^_^)v。子供達の『旬』は、食べきれないほどた~くさんありますよ。
お子さんと一緒に味わってみませんか?