失われた生活(平成15年度)9月

子供たちの夏休みはいかがだったでしょうか。長い夏休みも終わり、今日から子供たちは元気いっぱいの登園です。


それにしても、今年の異常気象はいやというほど雨が降り続きました。私の記憶では6月下旬からお盆までほとんど雨が降っていたような気がします。そのため冷夏が続き、農作物や夏物商戦に大きな影響が出ているようです。逆にヨーロッパでは異常なほどの猛暑で、その暑さによって死者が何千人も出たというニュースも聞きました。日本での10年ぶりの冷夏は農業にも大きな打撃を与え、稲作も東北を中心に収穫がかなり落ち込む予想が出ています。そういえば、10年前の冷害によるお米の不作によって、備蓄米が十分でなかったため米不足となり、急きょ、タイやフィリピンからお米を輸入して窮状をしのいだことがありました。そのお米が美味しくないとか匂いがするとか言って不評でしたが、私自身は食べてみて、結構、美味しかった記憶があります。それ以後は日本政府もお米の備蓄は十分にしているようで、たとえ今年、かなりの不作になっても米不足の心配は無いようです。


とにかく、その異常気象のため、お盆頃まで梅雨が続き、梅雨が終わったらすぐお盆で、お盆のあとしばらく暑い日が続きましたが、間なしに秋が来た感じがします。そのため、子供たちが山や川あるいは海に行ったりして遊ぶ機会も少なくなってしまったのではないかと、とても残念に思っています。
それでも幼稚園では、梅雨に入る前の6月1日にプール開きをして、夏休みに入るまではだいぶ良い天気が続いていたので、子供たちは、かなりの日数、プールに入れてよかったと思います。


夏休みの間の幼稚園は、幼稚園のプレイルームの子供たちと子供の城保育園の子供たち、そして児童クラブの子供たちが、小川で遊んだりセミを取ったり、プールに入ったりと、お盆休み以外は、にぎやかな声に包まれていました。


そんなある日、私は忙しくて一緒に行けませんでしたが、児童クラブの先生3人と山田運転手、内藤事務主任の大人5人が引率して、児童クラブの子供51人を連れて、君田村に山登りと神の瀬川での川遊びに連れて行ってくれました。
君田で一日過ごしてきた子供たちは楽しかった様子を体いっぱい表現しながら帰ってきました。ところが、引率した先生に「川に入って魚捕りができた?」と訊いてみると、「それどころか、流れがあるのを怖がって、子供たちは、どのように対応してよいか分からず、川の浅瀬に恐る恐る入るのがやっとで、深いところで泳ぐこともできず、浅瀬でしか遊ぶことができませんでした。大人が一緒に入って、岩に手を入れて魚を捕って見せてやっても、ただ見ているだけで、自分ではしようともしなかった。見ているのがやっとだった」というのです。


ほとんどの子供が本当の川に入るのが初めてだったようです。子供たちが「楽しかった」といっても、その内容の深さがどうだったかが問題なのです。初めて川に入った体験は楽しかったには間違い有りません。いろいろな能力は直接経験することによって獲得していきますが、川に入ったことの無い子供たちにとっては、石ころのいっぱいある浅瀬に入るのがやっとだったのです。この経験をもっともっとさせてやると、子供たちはその能力を瞬く間に身に付けるのですが、雨続きでそれもかないませんでした。


平成4年に小学校の学習指導要領(ちなみに幼稚園は教育要領・保育所は保育指針という。)が改訂されたときに、学校教育は「生きる力をはぐくむ」ことが目標として掲げられるようになってきました。それ以来、小学校でも中学校でも、あるいは、どこの研修会に行っても、この「生きる力」という言葉がお題目のように言われるようになってきました。私自身、この幼稚園を昭和46年4月に開園したとき、「教育とは、どんな時代の変遷にもかかわらず、人間として生きる力をはぐくむ」ことだといい続けてきました。特に幼児期や児童期の4年生ぐらいまでは、具体的で直接的な経験をいっぱいさせてやることで、生活する態度や意欲、社会性や思考力、想像力(創造力)、判断力等々がはぐくまれるのであって、この能力は、直接経験・直接体験をすることのみによって培われるのだから、子供たちにさまざまな生活体験をさせて欲しいと思ってきたのです。

先月の園だよりと同じようになってきました。前に書きましたが、その直接経験によって具体的思考能力がはぐくまれ、その具体的思考能力が発達して初めて抽象的思考能力(分数や因数分解のように抽象化して考えること)を発揮してくるのです。
子供たちの遊び集団(ガキ集団)が無くなってから久しくなります。かつてはその遊び集団の中で、さまざまな経験や体験を通して、社会の中で生きる知恵や術(すべ)を学んだのです。そして、人間関係やいろいろな自然や環境の変化に興味や好奇心を抱き、それらに積極的にかかわって、その中で困難を征服し乗り越える能力を身につけ学んでいったのです。


そういう生活が失われた昨今の子供たちに、あらためて「生きる力」といわなければならなくなった日本の学校教育にどこまで期待できるのか疑問ですが、いや、期待したいのですが、そこに頼るよりも、自分たちの生活そのものの有り方を今一度考え直してみる時期に来ているように思います。テレビやテレビゲームにどっぷり漬かっているような生活、朝ごはんや夕ごはんを家族そろってとることが少なくなっていった生活、お年寄りや近所の人とのかかわりの薄くなってきた生活、欲しいものが何でも手に入るようになった生活、家の手伝いや家族一緒に何かに取り組むことのあまり無い生活、子供たち同士で遊ぶことが少なくなってきた生活等々、その気になりさえすればすぐにでも取り戻すことができることから始めたいものです。