夏休み(平成15年度)8月

明日から夏休みに入ります。子供たちにとっては待ちに待った夏休みです‥‥‥と、ここまで書いて、いや、もしかして、本当に楽しみなのか気になり始めました。毎日、楽しみに幼稚園に来て、友達や先生と、いっぱい、いっぱい遊んで、とても楽しく過ごしているのに、幼児にとって本当に「待ちに待った夏休み」なのだろうかと、ふと思ってしまったのです。


実は、「待ちに待った夏休み」と、私たち大人が思うのは、私たちが子供の頃の夏休みは楽しい思い出が一杯あるからなのです。実際、子供の頃、夏休みをとても楽しみにしていました。小学生の頃、学校の勉強から開放されて、友達と川や海で遊んだり泳いだりしながら、魚を獲ったこと、山に入って昆虫や小鳥を捕ったり木に登ったりしたこと、おじいちゃんおばあちゃんのところに泊まりに行ったこと等々、いろいろな楽しい経験がいっぱい、いっぱい有るからなのです。ところが、今の小学生のことを考えてみると、本当に「待ちに待った夏休み」となっているのでしょうか。一緒に遊ぶ友達もせいぜい同級生だけで、昔のように1年生から6年生までの子供の遊び集団(ガキ集団)も無く、遊びの伝承もありません。泳ぐのもプールで、魚を取ることも出来ません。ましてや、部屋に閉じこもってファミコンゲームに時間を奪われるか、塾通いに忙しい子供も多くいます。その子供たちは、今の子供時代しか知りませんから、それなりに楽しいとは思っているのでしょうが、人間として成長していくのに、余りにも乏しい経験しか出来ていないのではないでしょうか。


私の子供の頃の夏休みはなんと言っても川遊びでした。と言っても、幼児の時の記憶は余りありませんから、小学生の児童期の時の話です。
朝10時頃からすでに川に入っていました。泳ぐのも、ただ泳ぐだけではなく、高い岩や橋の上から飛び込んだり、大きな石を抱いて、川の底を誰が一番遠くまで潜ったままで歩いていけるか競争したりと、遊び方もいろいろでした。泳ぐことよりももっと夢中になってしたのが、魚獲りでした。夕方、「付け針」をしておいて、朝早くそれを上げに行くと、ウナギやナマズ、ギギュウなどが釣れています。昼間は、川に入って岩に手を入れて魚を手掴みしていました。動きの素早いアユですら、瀬に潜って手掴みで獲ることが出来ます。女の子は、魚獲りは余りしていませんでしたが、それでも、砂辺で池を作ったり、葉っぱや花を集めて、ままごとのようなことをしておりました。


ここまで書いて、また考え込んでしまいました。今のお父さんお母さんが子供の頃、もうすでに川で遊ぶことがほとんどなくなっていたことに気付いたのです。昭和30年頃から、農家では稲を育てるのに農薬を頻繁に使うようになり、その水が川に流れ込み、蛍も一度に姿を消してしまいました。もちろん、子供たちも川での遊泳は禁止されたのです。学校では、丁度それに合わせて、プールの建設が全国的に始まりました。そういうことで、保護者の皆さんもほとんどプールでの水泳だったのではないでしょうか。それでも、いまの子供たちに比べたら自然の中での遊びもまだまだ残っていたのではないかと思います。


このようなことで、今の子供には遊びの伝承が無いだけに、大人が一緒になって、意識的に直接、自然と関って遊ぶ機会を作ってやって欲しいのです。現代の子供の育ちの中で、一番不足しているのが自然との関わりを中心とした直接経験なのです。
自然との関わりは様々な能力を育んでくれます。驚き、感動、意欲、困難さ、忍耐力、集中力、冒険心、征服感、満足感、思考力、創意工夫、先見性、思いやりやいたわりの心等々、人間として成長していく基盤としての経験となるのです。特に幼児は、保護者が一緒でないと危険ですから、お仕事の休みの時には、意識して一緒に遊んでやって欲しいのです。出来たら、自分の家族だけではなく友達の家族も一緒に遊ぶと、人間関係がより深いものとなり、いろいろな人との関わりの中から社会性も育ちます。
それも、特別、お金をかけてどこかに遊びに行かなくても、親の方が意識さえ持っていれば、身近なところに、子供と一緒に遊べる自然が一杯あることに気付いてもらえると思います。


年中組のK君のお母さんからのお便りを紹介します。
「最近の朝のKは見違えるようにはりきっています。車から降りると、先生に『おはよ~?』と大きな声であいさつをし、バイバイも言わずに、すぐに行ってしまいます。時には走って‥‥‥ちょっぴり私は淋しいかな‥‥‥。走ってナスに一直線です。 朝夕と、いつも野菜の観察をし、大きくなった、大きくなったと喜んでいます。家のキュウリは良くなり、幼稚園から帰って採り、マヨネーズや塩をつけておやつにしています。」「幼稚園のいちょうの実がとてもとても気になるようで、毎日、滑り台の上から見て、採って食べたい~と狙っています。去年の秋、近くの神社のいちょうの実を拾って、洗って殻を割って、茶碗蒸しにしたり、炒って食べましたが、臭いのがいけませんね。Kには、秋には臭い黄色いぎんなんが落ちてくるから待っててね‥‥‥と言うと、採らんでも勝手に落ちてくるん?‥‥‥と、これまた楽しみが増えました。」と言うやり取りです。

お母さんが子供と一緒にお家で野菜を作ったり、ぎんなんを一緒に拾って茶碗蒸しにしたり焼いて食べた経験が、子供の興味をここまで引き出しているのです。この子は幼稚園に有る野菜や木の実など、どこに何があるかほとんど知っているのです。先日、ブドウがなっているところに私と手をつないで一緒に行きました。その木陰に、ホオズキが一つだけ色づいて来ているのがあります。さすがのKくんも気付いていませんでした。始めて見たのです。担任が「ホオズキ」の名前と実の中の種を取って口で吹き鳴らすことを話して、「お母さんと一緒にしてね」と、1個だけのお土産です。身近な自然を探しましょう

誕生日(平成15年度)7月

昭和34年3月に卒業した私の中学時代のクラス会が、6月14日に鞆の浦の旅館でありました。世羅郡甲山町の山奥の中学校で、とっくの昔に統廃合で廃校となり、今ではその学舎は競走馬の畜舎となっています。そのときの同級生は73人で、卒業以来、オリンピックに合わせてクラス会をずっとしてきていました。4年に一回です。そして、50歳頃になるとアジア大会も加わってきて、2年に一回ずつ開催されるようになってきていました。3年前のオリンピックのときは淡路島でありましたが、私は幼稚園の父親参観日と重なって出席することが出来ませんでした。

ところが、昨年のアジア大会にはクラス会の案内がありません。今年の4月になって6月14日(土)に福山市の鞆の浦で開催する案内が来ました。クラス会に先立って神社に還暦のお参りをすることも書いてありました。そのために昨年のアジア大会に合わせて開催することをパスしたことも分かりました。行事予定表を見ると父親参観日の前の日でしたので出席することにしました。今回は33名の出席です。中学を卒業して以来何回もしているクラス会ですが、卒業して以来、初めて参加した者が二人いました。一人は男性で大阪に在住しています。神社で再会したときお互いがすぐに名前を呼び合いました。でも、中学時代、その子と遊んだ記憶が甦りません。すごく背が高いので、「大きくなったね」と言うと、中学校のときから背が高く、高い方から2番目だったと言います。名前も顔も覚えているのに、遊んでいるときの記憶が全然無いのです。そのことを話すと、自分は遊びもクラブも何もしない子だったと言います。それで私の記憶にも残っていないことは分かりました。


もう一人、初めてクラス会に参加した女性がいます。この子は、ずっと所在が分からないままでした。小学校4年のときに関西からやってきた子で、父親が建設会社に勤めていて、三川ダムの建設工事のため、家族で引っ越してきたのです。ところが、中学2年の夏休みが終わって二学期が始まってみると、その子はいませんでした。それ以来、ずっと所在が分からないままでした。


ところが、一昨年の秋のある日の夕方のことです。私のお袋から電話があり、「優子ちゃんが来たよ。旦那さんも一緒だった」と言うのです。そこにいるのかと訊くと、もう帰ったと言います。「住所や電話番号は?」と訊くと、「岐阜県に住んでいるとは言っていたけど、住所など何も聞いていない。でも、矢野温泉に泊まると言っていた」と言うので、数件ある旅館に電話してやっと見つける事が出来たのです。そして、女房と一緒にその温泉旅館に急いで尋ねて行きました。旅館につくと、彼女もロビーで待ち構えています。でも、最初は旅館の女将さんかと思ったのです。私の記憶の中には中学校のときのままの利発でかわいらしい顔しかありません。自分のことは棚に上げて、あまりにも歳をとっているので、一瞬、たじろいたのです。そして、部屋に入り、ご主人を紹介してもらって、いろいろと話に花が咲きました。聞いてみると、2年生の夏休みにお父さんの転勤が急に決まって、みんなには「さよなら」も言えないまま転校したことや、結婚して以来、秋になると友達のこととマツタケの美味しかったことを思い出して、そのことを主人に度々話していたら、主人が、いつかマツタケを食べに行こうと言ってくれていて、今日、やっと夢が実現したと言います。ところが、一緒に遊んでいた仲良しだった女の子の家を数件尋ねても、皆お嫁に行ってしまって、しかも代替わりしていて知った人がいなかった。あきらめて帰っていたら、あなたの家の前を通りかかって、あなたのお母さんが門の前の畑の草をとっていて、名前を伝えたら、私のこともいろいろと覚えてくれていてうれしかった。そんな話を一気に話してくれました。その子の仲良しだった女の子が吉舎に住んでいるので、すぐ呼び寄せ、旦那さんに送ってもらって、深夜までマツタケを味わう暇もなく語り続けました。彼女の主人も私の女房も、「45年ぶりに会ったのに、こんなに仲良しの友達でいられることがうらやましい」と言います。


その子の住所が分かったので、クラス会の案内状が届き、この度のクラス会に弾んでやってきてくれました。個人個人を見ると、みんなそれなりに歳をとっているのですが、一堂に集まると、不思議なことに、中学校のときのままの顔になります。宴会場に行くと、幹事も準備することを気がつかなかったと言う、赤いチャンチャンコを入り口で全員に渡してくれます。中学を卒業と同時に、大阪の工場に集団就職した女の子二人が自分たちで手縫いして持って来てくれていたのです。私の女房が、「あなたたちは同級生と言うより、いとこ同士が集まったようだ」と言うように、本当に仲良しで、思い遣やりの有るおさななじみです。


クラス会が終わってちょうど一週間後の20日、年中組の子供たちが事務室の窓越しに、「リジチョウせんせい」と呼んでいます。窓を覗くと、一斉に、「おたんじょうびおめでとう」と言ってくれます。「ありがとう。何歳になったか知っている?」と訊くと、「え~と、6‥」と言いかけたので、「そう、6歳になったよ」と言うと、「‥‥?」と、なんてリアクションをしていいのか困っています。


その日の夕方、先生たち全員が応接室にやってきて、花屋さんで作ってもらったと言うチャンチャンコをイメージしてアレンジした花束と色紙に職員全員の寄せ書きを持ってやって来てくれました。そして、一人一人が、自分のコメントを交えながら「おめでとう」と言ってくれます。今までは誰一人誕生日のことを言ってくれたことが無いのに、還暦の誕生日とはいえ、あまりにも優しいことを言ってくれるので、なんだか、もうすぐお迎えが来るのではと思ったほどでした。実は、2年前に撮った私の葬式用の写真がロッカーの上にケースに入れたまま置いてあります。主任にだけには、ここに有るからと伝えておいたものです。あまりにも優しい言葉を言ってくれるので、先生たち全員に披露しておきました。