手品(平成14年度12月)

時々保育室を見て回ると、子供たちは私を見つけるなり、「手品をして!!」とせがみます。保育中なのでそう簡単には引き受けません。「理事長先生には手品しか用事がないん?」と言ってはその場を逃れます。
それでも、何かの活動の合間のようなときには、時々、手品をしてやります。入園してきて、私の手品を初めて見たときの驚き様はすごいものがあります。目を開いたまま固まっています。別な日に、また部屋を回っていくと、「テジして!」といってねだります。「手品」という言葉がまだよく理解できていないのです。そのうち、「手品をして」「マジックをして」というようになりますが、最初のうちは、ほとんどの子が「テジして!」といいます。4歳5歳になると、同じように「手品をして!」「マジックをして!」と、たびたび要求してきますが、びっくりはしているものの、種を見つけようと、目を凝らして必死に見ています。「わかった!! 袖にかくしてるんじゃ!」とか、「2本もっとるんよ」というように、トリックを見つけることに夢中になっています。ほとんどは、ばれることはありません。親指を切り離す手品はすぐにばれますので、やり方を教えてやります。それでも、なかなか上手には出来ません。


私の手品は、10円玉が消えたり、10円玉を吹くと子供のポッケットに入っていたり、右の耳に10円玉を入れて、左の耳から出すコインのマジックや、手の平からタバコが何本も出てきたりする手品です。
いつも同じ手品なのに、私を見るたびに「手品」をしてと、要求するのは、どうにかしてその種を見つけようとしているからなのです。


卒園した小学生が幼稚園に遊びに来たときも同じように、「手品をして!」と要求します。
先日、日が暮れた頃、市役所の前を歩いていると、にぎやかに笑い声を上げたり話をしたりしながら、7,8人の中学生の男女が自転車に乗って、帰宅している集団と出会いました。「お帰り」と声をかけると、「あ! 園長先生だ」というので、近づいてみると、その中に、卒園児がいます。
「え、○○ちゃん?」というと、「そう、この子もこの子も卒園児だよ」と教えてくれます。「何年生になったの?」と聞くと、「2年生」と教えてくれました。すると卒園児ではない子供が、「どこの園長先生?」とその子に聞くと、「中央幼稚園の園長先生よ」と、教えています。


間髪入れずに、「園長先生、手品して!」と声がかかります。「そうよ、園長先生の手品は半端じゃないのよ!」と、もう1人の卒園児が言っています。すると、ほかの子供たちも、「やって! やって!」と、せがみます。「じゃ、急いでいるから1回だけだよ」といって、ポケットからコインを取り出し、右の耳に10円玉を入れて、左の耳から出した途端、初めて私の手品を見る卒園児ではない子供たちは、まるで、幼稚園に入園してきた子供たちが、手品を初めてみたときと同じように、目をまんまるくして、固まっています。「もう1回して!」とせがみますが、中学生ですから何回もやると種がばれますので、1回しか出来ないことにして、その場を去りました。


以前に、この幼稚園には大人になっても卒園児がよく遊びに来てくれる話を書きましたが、その中に、今年の正月には阪神タイガースの福原忍投手が、やはり卒園児のお兄さんと一緒に来てくれました。6月には、トヨタレーシングチームでF1選手を目指している小早川斎留(わたる)選手(現F3選手)が彼女を連れてきました。いろいろと思い出話をしたのですが、その思い出の中に、園長先生の手品は不思議で不思議でたまらなかったと、3人とも言います。大人になってもはっきりと覚えているといいます。福原忍君は急いでいたので種明かしはしませんでしたが、小早川斎留君にはいろいろと教えてやり、練習までして、「今度はどこかで使おう」と言って喜んでくれています。


今、卒園児で高校3年生の女の子2人が、放課後、預かり保育のプレイルームにボランティアで手伝いに来てくれています。彼女たちは、すでに短大の保育科に進学が決まり、子供が好きだからということと、勉強になるからと言ってきてくれているのです。
そのプレイルームに顔を出すと、また子供たちが、「理事長先生、手品して!」と催促します。そこで、「お姉さん先生が来てくれているから、お姉さん先生にも見てもらおう」といって、手品の準備をします。その高校生に、「手品のこと覚えている?」と聞くと、やはりしっかりと覚えていました。


私のしている手品は、本当に初歩の初歩のテクニックですが、手品の基本なのです。大学を卒業して東京の会社に就職したとき、そこでの研修期間中の休憩時間に、他の大学を卒業した人が、たまたまマジックのクラブに所属していて、1回だけ教えてくれた手品です。たったそれだけの手品なのですが、幼稚園を始めてから、こんなに子供たちを惹(ひ)きつけるとは思ってもいませんでした。

入園間なしに、理事長先生といっても意味もわからず、「じじちょうせんせい」と言っている子供たち、時には、「おじちゃん」や「おじいちゃん」と呼ぶことさえある子供たちが、たちまちのうちに虜になるし、卒園するまで、「手品して」と言い続けます。子供たちの、「不思議」に対する驚きや好奇心は、手品だけに終わらず、植物や自然の変化、昆虫や動物、あるいは自分自身が成長していく過程の中で、生命や宇宙に対しての神秘さにまで好奇心を表します。その好奇心や驚き、あるいは感動が大きければ大きいほど、心に刻まれ、自分の興味の方向がだんだんと明確化してきたとき、自分は何になりたいと将来の目標をはっきりと持ってくるようになります。そのことがはっきりしてくると、大人から指示されなくとも、自らの意思で勉強をしたり練習をしたりしようとしてくるのです。幼児期と児童期の直接体験は重要な意味を持ちます。