やる気(平成10年度)平成11年1月

人生80年と言われ出して久しくなりますが、子供達は、これからの長い人生を生きていかなければなりません。まさに、21世紀を生きていく子供達です。地球環境の崩壊や温暖化、世界人口の爆発からくる食糧危機や核の問題など様々な不安を伴いますが、とにかく、これからの時代を生きていくのに、まだ、スタートしたばかりです。その子供達が自分の人生を切り開いていくうえで、大きな役割をするのが“意欲”、つまり、“やる気”のある子に育つかどうかがカギとなります。


では、そのやる気というのはどこからくるのでしょう。その最初は、愛情を持って接してくれる人がいるかどうかから始まります。通常の場合、それは両親であり、特に母親がその大きな役割を果たします。20世紀の始め、アメリカやヨーロッパの、病院に入院している子供の中で、戦争などで孤児になった子供の死亡率の異常な高さが問題になったことがあります。医学的な適切な処置が施され、栄養や衛生にも改善がなされているのにもかかわらず、親のいる子より、孤児の死亡率が異常なほど高いのです。ところが、その孤児達の養子先を見つけ、新しいお父さんやお母さんがその子の看病を始めたり、家に引き取って育てたことで、その死亡率が、劇的に低下したといいます。このことは、自分のすべてを委ねることが出来る親がいるという絶対的な信頼感が、その子に安心感を与え、生きる意欲となったのです。


それは、子供にとって常に自分を見守ってくれて、何か怖いことや不安に感じるときに、すぐに助けてくれ、やさしく包んでくれるはずの親の存在が、情緒の安定につながり、その情緒の安定が意欲となるのです。つまり、周りの大人、特に親から愛されるということが、その子の“やる気”の根源となっているのです。愛されることによって得られる安心感が、未知のものに対する恐怖感から開放させ、そのことで好奇心を呼び起こし、未知の世界へと踏み出す勇気となるのです。

愛することと甘やかすこととは別です。私達大人が、小さな子どもに接するときのあのやさしい気持ちは、本能的といってもいいくらい、ごく自然に出てきます。なにも特別なことをするのではなく、ごく自然に出てくる子供への愛情で接することが、子供を正常に育てることが出来るのです。それを、何か特別なことをしようとする親の欲が、自然な愛情までも抑制して、子供の発達を歪めてしまうのです。私達が出来ることは、子供自ら育っていくことを援助することなのです。そのためには、今ある子供のありのままの姿を受け止め、それに対して、心に自然に湧き上がる愛情をもって接していくことがとても大切なのです。


このように、親としてのごく自然な愛情に包まれて育った子は、情緒の安定とともに、好奇心をはぐくみ、その好奇心が自ら何かに興味を抱き、あるいは、探索活動を通して外界に働きかける意欲となるのです。それはとりもなおさず、“やる気”人生のスタートなのです。


このようにして、幼児期にもなるとだんだんといろいろなことが出来るようになります。そして、その様子を見ていると、自分にとって少しだけ困難なことに挑戦していることが分かります。やさしすぎるのでもなく難しすぎるのでもない、ちょっとだけ困難なことに意欲を持つのです。例えば3才児が、幼稚園で、わんぱく山の岩の上から飛び降りている様子を見ていると、ちょっとだけ高すぎて、ちょっぴり怖いところから飛び降りるのです。そのことに一生懸命挑戦するのです。そして、それが出来るようになると、「見て、見て」と、先生や親を呼びます。困難を征服した達成感の喜びが、次の意欲を呼び起こし、新たなる挑戦を求めるのです。


また、人間がまわりの環境に働きかけ、それに対して効果的な変化を与えることが出来るという有能感も、“やる気”を起こす大きな役割をしています。子供が何かに興味を抱いたときに、それを操作したり、切ったり折り曲げたりして、それに変化を与えようとします。泥んこ遊びもそうですし、空き箱やダンボールを使って何かを作るのも、自分のイメージにそって操作し変化を与えることが出来たという有能感が、次なる意欲を呼び起こすのです。このような活動や遊びの中から、“やる気”のある人間の基盤を培っているのです。


いわゆる“教育ママ”といわれる人の陥りやすい失敗は、まだ、そのことに興味や関心を持っていないのに早く教えようとしたり、その子の能力以上の難しいことをやらせようとすることで、逆に意欲を奪ってしまうことなのです。知育もその子にとって知りたいと思っていること、覚えたいと思っていることを、“ちょっとだけ” “ちょっとだけ”と教えてやる方が、その子にとって、“解った”という喜びをもたらし、もっと学びたいという気持ちを起こさせるのです。