十人十色(平成9年度)5月

朝、通園バスが着くと、新入園児のうめ組やもも組の子どもたちが、進級児の年中・年長組のお兄さんやお姉さんに手を引かれてバスから降りてきます。降りる時も両手でしっかりと支えてもらい、そのまま保育室まで連れて行ってもらっています。


新入園児を迎えてしばらくは慌ただしい毎日でしたが、保育室には担任の先生の他に4人の先生が、新入園児のいるそれぞれの部屋に補助に付いてくれていましたので、ずいぶんと早く落ち着いてきました。
新入園児の様子を見ていると、実に十人十色という感じがします。先生が「お部屋に入ろう」とやさしく誘っても、「わたし、これやりたいから入らないの」と、砂場でずっと遊んでいる子や、うさぎと遊んでいる子、滑り台で遊んでいる子と、自分の興味の有ることに夢中になっています。進級児も、新入児の扱いに戸惑いながらも、その様子をニコニコしながら見守っています。先生たちも、子どもたちが楽しく幼稚園に来れるようにと、無理に部屋に入れたりしないで、見守ってくれています。


その子たちの様子を見ていて嬉しいことは「いやだ」と、ちゃんと自己主張ができることです。児童精神医学が専門の大妻女子大学の平井信義教授も、《けんかもできない子であっては困ります。素直な面も大切ですが、「いやだ」と自己主張ができる面も兼ね備えている子こそ、心が正しく発達している証拠なのです。今の親は子どもの外面的な素直さだけを求めて、内面性の発達をふみにじっているきらいがあります。親にとって良い子は、逆に心身が正しく育っていない子である場合が多いものです》と話されています。


母親の意識の中には、何でも「ハイ」と素直に聞いてくれる子が「良い子」の条件と考えている人が十人中九人いるといわれています。確かに、「おだやか」、「やさしさ」、「素直」、「ききわけがある」というようなことは人間にとってとても大切なことなのですが、まじめなお母さんにとっては、もう一面の大切なことが見えなくなることが多々あるのです。
子どもたちはもともと、目の前に何かがあれば、触ってみたい、曲げてみたい、つなげてみたい、たたいてみたい、登ってみたいなどの欲求心にあふれているのです。どうすれば触ることができるか、どうすれば登ることができるか常に頭を働かせています。こんなに興味を持って、意欲を持って行動しょうとしている子どもに「あれもダメ、これもダメ」と言ってしまっていることが多いのです。
確かに、子どもの行動にいちいち干渉し、口やかましく言っていれば、「おりこうさん」は作れます。また、お母さんのいうことはなんでもよく守り、教えられたことはよく覚えていくよい子にはなるでしょう。


しかし、そのように育てられた子が、何かの問題にぶつかったときには何もできないし、新しいことや未知の問題に取り組もうとする意欲や能力は育まれないのです。その上、反抗期や思春期に必ずといっていいぐらい心の問題となって出てくるのです。今までの「お利口な子」が一変します。 子どもの知能や意欲や創造性を伸ばそうと思ったら、お利口にするしつけに偏ってはいけないのです。
そうだからといって、しつけを否定しているのではありません。家庭も一つの社会なのですから、その構成員として秩序を保つことも必要ですし、社会生活を送るのにも大切なことなのです。しかし、親が、大人の都合だけを優先したしつけにこだわり過ぎると、子どもの意欲や創造性を押さえてしまうことになりかねないのです。


人間、十人十色です。一人ひとりみんな違うから素晴らしいのです。その一人ひとりの違いを認識しながら、その子その子の良い芽を伸ばしていくことが大切なのです。良い芽を伸ばしていくと、悪い芽が消えていくのです。逆に、悪い芽を摘もうと思って厳しくしつけるとよい芽も摘まれてしまいます。よい芽を伸ばすには、その子の良いところをしっかりと認めてやることがとても必要なことなのです。「のびのび育てる」には、子どもの興味や関心を保障してやることです。そして、お母さんが楽しんで
「のびのび子育て」をすることが一番なのです。