ルールづくり(平成8年度)8月

子ども達が友達とグループで遊ぶには、自分勝手にすると遊びが成立しません。
年長組の子ども達が、ペットボトルをバットにして軟式のテニスボールで野球に夢中になっています。そばを通りかかると、「園長先生!ピッチャーをして!」と誘ってくれます。すぐその気になって一緒に始めました。ところがところが、守備はピッチャーの園長一人なのです。組長(園長)と子どもの対決だというのです。
それでも、子ども達の打ちやすいように真ん中に投げてやりますので、みんなよく打ちます。あっちに走りこっちに走りしながら、孤軍奮闘です。見ていると、ルールの分かっている子は数人で、ファゥル、ストライク、ボール、アウトの判定は、一人の子がしています。その子が野球のことを一番よく知っているようで、ファゥルかどうか微妙なところで、その子がファゥルと言えば、みんなそれに従います。
その子の判定によってこの野球が成り立っています。そうしながら、ほかの子も段々とルールを覚えていっているようです。
やっとスリーアウトにして、園長がバッターです。ところが、すごいスピードで投げてきます。ピッチャーとキャッチャーの距離が短いので、なかなか打てません。少しゆっくり投げるよう頼んで、ランニングホームランです。ホームランにしないと、一人ですから次の打者がいません。ところが、一周してホームベースに帰ると、次のバッターが何人も並んでいるのです。まだ、ルールがよくわかっていないのかと思ったら、どうも、そうではなく、この野球は、打ちたい者が打って、投げたいものが投げることで野球が成り立っているのです。
ピッチャーも適当なところで替わって、打つ方にまわっています。チェンジがないのです。


サッカーもよくして遊んでいます。
このサッカーも、かなり上手な子がいて、その子達がリーダー役となり、遊びが成り立っています。そのサッカーにも時々加わって遊びますが、私が入ると、やはり、組長と対決だと言って、園長一人で戦わなければなりません。これはかなり本気でやらないと負けてしまいます。老体で両方のゴールを行ったり来たりしなければなりませんのでヘトヘトになるのです。このサッカーも子ども達なりのルールがあって、遊びやすくなっています。両サイドのラインは無く、周りの障害物にぶつかるまで蹴ってもいいのです。野球もサッカーも自分たちの遊びやすいように自分達なりのルールを作っているのです。


年長組の子ども達が中心になって遊んでいるのですが、時々、年中や年少の子が加わります。「いれて」というと、「いいよ」と迎え入れてくれます。ところが、野球にしてもサッカーにしても、小さい子は上手く出来ません。それでも、決して邪魔者扱いにはしません。年中組の子がピッチャーをしたがるのでやらせています。ところが、ボールはバッターの方ではなく、何回投げても一塁の方に転がるのですが、それでも、本人が満足するまで投げさせてやっています。サッカーにしても、年長組の子の蹴るボールには付いていけません。見ていると、わざわざ年少組の子のところにゆるく蹴ってやっているのです。


子ども達のルールは、ただ、遊びやすくするためのルールだけでは成り立っていないことが分かります。思いやりや寛容の精神も大きな役目をしているのです。その気持が有るからこそ、子ども達の、幼児期の、集団遊びが成り立っているのです。
異年齢ではもちろんですが、同年齢の子でも、運動能力の差はずいぶんと有ります。生まれ月によっては、1年もの差が有るのですから、当然なのです。その差をお互いが認め合いながらしているからこそ、遊びが成り立っているのです。人は一人ひとり違います。個性も有り考えも違います。その違いを認め合うことはとても大事なことなのです。
こうして、友達と楽しく遊ぶことによって、人間関係を深め社会性を育みます。相手を認め、いたわり、尊敬することも遊びの中で学ぶのです。