葉子先生の部屋

背中のぬくもり(平成18年度11月)

お父さん方お母さん方、思い出してみてください。一番最後にご両親にだっこ……或いはおんぶしてもらったのはいくつの時ですか?


2学期は、親子で園生活を楽しんでもらえる機会がたくさんあります。これまでにも運動会・“親子ふれあいデー”・PTAソフトボール大会等、親子の微笑ましいシーンをたくさん見ることができました。運動会の朝、「がんばってね。お母さん観てるからね。」と送られた時、終わって「よく頑張ったね。」と抱き上げてもらった時、お父さんと顔をつき合わせて相談しながら一生懸命作品を作った時、お母さんと一緒に手をつないでお父さんのナイスプレーを応援した時──。どの時の子供の顔も心から幸せそうでした。

子供達はお父さんやお母さんそして家族の人と一緒にいる時が一番安心で幸せなはずです。また、そうでなくてはならないと思います。今や、実の親でありながら、わが子の生きる権利を奪い取ってしまうような悲しすぎるニュースがたくさん聞かれ、私はそれを耳にするたびに胸が張り裂けそうになるのです。「それでもお母さんが好き。お父さんが好き。」と最後まで親を信じる小さな叫び声が聞こえるような気がしてたまりません。


私がしてもらった最後のおんぶは、確か父親には小学校生活最後の運動会で行われた6年生の親子競技でした。少し照れくさかったけれど何だかとっても嬉しくて「しっかりつかまっておけよ。」と私をおんぶして走る足の速い父の背中がやけに頼もしかったのを覚えています。

母親には祖母の家の秋祭りに行き、母から大判焼き20個を頼まれて一人で夜店におつかいに行った小学校2年生頃だったと思います。私はご覧の通り、背が低く夜店の台から顔がのぞかなかったためか「ください!」と言っても気がついてもらえず、どんどん後の人に抜かされてしまいました。次第に心細くなっていたところへ、なかなか戻らない私を心配して迎えに来てくれた母。「葉子!」の声にそれまで我慢していた涙がほぐれる緊張とともに「ワーッ!」と流れ出てしまいました。その後で母が私に「大きな声が出なかったの?」と言いながら祖母の家までおんぶして帰ってくれました。その背中が本当に温かかった事が忘れられません。だから私は今でも大判焼きを見ると、あの日の事を思い出します。


子供にとってお父さんお母さんの背中や胸やひざは、一番安心できる場所だと思うのです。一番素直になれる場所でもあります。特におんぶは顔が見えないので面と向かって話がしにくい時には、何となく背中で「ごめんなさい。」が言えたり正直になれたりするから不思議です。

私もわが子をよくおんぶしてきました。お父さんにしかられてしょんぼりしている娘をおんぶしてさんぽしながら言いなだめたり、友達ともめて悩んで泣いた日に励ましたのも、大好きだったおばあちゃんが天国へ逝ってしまったわけを話してやった場所も私の背中でした。年中組の時、大嫌いな歯の治療を頑張ったご褒美はいつもおんぶして歩いて帰る事でした。その道々で色んな話をしました。今でも娘は、「歯医者さんの帰り道にお母さんがおんぶして糸トンボを教えてくれたよね。」「たぶん私、これからも糸トンボを見るたびに、おんぶしてもらった事を思い出すと思う。」と言います。私と全く同じような事を言うのでおかしくなっちゃいます。


父親や母親の背中の温もりは子供の心を安定させてくれるようです。不安な気持ちを安心させてやれたり、楽しい気分に向けてやれる場所のような気がします。父親母親になった私達がかつて父母にしてもらったように、子供達にも同じようにしてあげてください。

不安につぶされそうな時、つらさに耐えられそうにない時には惜しげもなく、背中や胸の温もりを感じさせてあげてください。そうする事が、子供達にどのようにいいのか、なぜいいのか難しい事はうまく言えませんが、ただ無条件に必ず『愛』が伝わると思うからです。『愛』を感じて大きくなる子供達は幸せです。そして、その子達がいずれ父や母になったときにも『愛』を与えてあげられる親になるような気がします。そして、十分にそうしてあげたら、時期をみて少しずつ手を離してあげましょう。自分で……自分の力で頑張れるように『見守る愛』への移行です。いざという時に、ここにいるわよ──と後ろに控えてあげていればいいのです。


これまでの色々な行事を通しての親子の関わりを見てきて、うちの幼稚園の子供達は本当に幸せだなと思います。お父さんやお母さんの背中や胸やひざの温もりを十分知っているからです。愛情いっぱいに包み込まれる腕の中でなら、褒められれば何倍も嬉しいし叱られれば素直に反省もできます。本当に魔法のような場所です。そしてきっとそこは、一生忘れられない場所となります。

この子達が大きくなって世の中の激しい嵐に負けそうになった時、きっと羽根を休める場所を探すでしょう。私達大人は、その居場所になってあげられるのです。背中や胸の温もり、ひざの広さに安心して再び立ち向かう勇気や元気を与えてあげられるのです。そして、子供達誰もが必ず幸せになってほしいと思います。私も、父母におんぶしてもらった思い出のおかげで、今とても幸せです。

あぶない!あぶない!がもっと危ない(平成18年度10月)

すっかり秋めいてきました。吹く風が秋の香りを運んで来ます。私は秋の気配が大好きです。空の雲がのんびりとして見え、山々が色づき“日本らしさ”を感じるからです。(おいしい物がたくさんある季節の到来だから……というのも理由のひとつかも……。)

秋の香りといえば、ご存知の通り我が家は田畑に囲まれています。秋になると稲を刈る匂いがあたり一面に漂い、お嫁に来てからというもの、これが私にとっての“秋”を感じる代表的な物になりました。


今月の初めにさくら組の子供達が、我が家の田んぼへ稲刈りに来てくれました。5月に子供達が田植えをしてくれた部分だけ刈り残しておいたのです。これまで田植えはここ数年毎年経験させていましたが、稲刈りはいつも計画倒れでした。今年は色々なタイミングが良く、やっと念願の“稲刈り体験”をさせることができました。


しかし、はたしてどうやって刈ればいいだろう。さくら組の先生達も園長先生も私もなかなかいい方法を考える事ができません。普通で考えれば鎌以外にはないのですが、たった5歳6歳の小さな子供達には危なくてとても無理だと思ったからです。考えに考えたあげく、はさみで切ろうかという事になっていました。だけどどうも納得いきません。だって稲刈りは鎌で行うものだからです。稲刈りを経験させたいのに本来の方法と違えては、本当の経験をさせた事にはならないような気がしてなりませんでした。

家に帰ってもその事ばかり考えていました。本当に鎌を使わせる事は無理なのか──私は何度も田んぼに行き子供に鎌を使わせるにはどうしたらいいかと自分でもあれこれとやってみました。一人ひとりに鎌を持たせ、後ろからまわって手を添えればできなくもないかも……それなら経験した気分にはなれる……そう思いました。

その翌日、職員室に理事長先生が来られ稲刈りの事を話しました。「今、どうやって刈ろうかと思案中です。」と言うと「どこかの小学校で鎌で稲刈りをしていたよ。幼稚園の子供でもできるよ。ひとりでやらせてごらん。」とあっさりと答えられてしまいました。「え~っ!!危なくないですか?」先生達もそれが一番いいという事はわかっているのですが、危険だという心配が先にたってしまって決断できなかっただけなのでした。理事長先生に背中を押され、十分に安全策を考えて鎌を持たせる事にしました。


そして当日、子供達が身支度をして意気揚々と田んぼにやって来ました。5月に植えた緑色の苗が黄金色の稲に姿を変えている事に感動していたようでした。私は念入りに鎌の使い方を説明しました。子供達も熱心に話を聞いています。やりたくてたまらなさそうでした。ザクザクと稲株を踏んで歩く音が弾んで聞こえました。

一人ずつ呼んで、まず一株目は先生と一緒に手ほどきを受けながら刈ります。「足をぐっと開いて!稲をぎゅっと握って!鎌を引くように!」───二株目からは一人で鎌を片手に刈ります。先生達はハラハラしながら見守ります。子供達の顔は真剣そのものでした。油断したりふざけたりしたら危険だという事がわかるからです。稲を刈る音が鋭く(これはタダモノではないぞ)と感じるからです。そうやっ て刈った後の満足そうな顔(^.^)。そしてもう一株。どんどん上手になりました。


デモンストレーションに理事長先生や家のおじいちゃんも稲を刈って見せてくださいました。その速さに歓声が……。こうやって見たり聞いたり体験したりする事で、危険性を理解するのです。“あぶない!あぶない!”と言われているだけでは本当に危険な物だと実感しないでしょう。恐ろしい事に、いとも簡単に刃物を持ち歩き人を傷つけてしまう事件事故があります。本当に危険な物は危険な物として扱い、大切な物は大切な物として考えられるようになるためには、そう感じさせる経験を与えなければならないのだと思いました。

安全に使うにはどうしたらいいか、どこまでなら安全でどこまでしたら危険かという加減を知るのです。その加減を知らないと、「つい!」という事にもなり得ます。もちろん年齢に合わせて与える事は必須ですよ。そろそろいいかな?とチャンスをみつけてあげてください。ママの夕食の支度を手伝いながらお茶碗を落さないように運ぶ、パパの日曜大工を見ながら金槌の使い方を知る等、見たり聞いたり体験したりしながら正しい使い方を知るのです。私も今回あらためて思い知らされたのでした。


子供達って真剣に活動したり遊んだりしている時は怪我も少ないと言われます。頭にも体にも心にもグッと力が入っているからです。“あぶない!あぶない!”と隠したり触れさせようとしなかったりしてそのいいチャンスさえ逃したまま大きくなってしまったら、もしかしたらもっと危ない事になるかもしれません。


自分で刈った稲を幼稚園に持ち帰る子供達の顔はとても得意そうでした。先生達は少し寿命が縮まったような気がしましたが、将来農業を背負って行けそうな子をたくさんみつけました。「もっとやりたい!!」と言いながら帰って行きました。次はそのお米でおにぎりを作って食べます。さてさて、自分達で作ったお米はどんな味でしょうか?新米・さつまいも……やっぱり私は秋が好きです。

かわいい子には旅をさせよ(平成18年度9月)

長かった夏休みも終わりました。どうでしたか?夏の計画は実行できましたか?おやおや、子供達が一日中家に居る賑やかな毎日に疲れきっておられるお父さんお母さんの姿、やっと静かな生活に戻れると胸をなでおろしておられる姿が見られますよ。わかる!わかる!わかるけど、親と子供が一緒に生活できる時間って、一生のうち思っているほどそんなにたくさんあるわけじゃあないんです。今のこの時間の大切さや楽しさを噛み締めて過ごしてください。


我が家の今年の夏の計画は、家族旅行もなくちょっぴり物足りないような気がしました。と言うのも、昨年『初ディズニーランド旅行』をし、我が家にしては2年分贅沢な想いをさせてもらったのと、もうひとつは小学校6年生の長女が、7月に約一週間彼女が入団している合唱団のアメリカ・シカゴへの海外遠征に参加したので、家族旅行どころではなくなったからです。

特別楽しい計画はなくても、一緒に居るといつもは忙しくしていて気づかなかった子供達の成長が見えるので、私としては、“夏の観察”をしている気分で楽しかったです。特に今回の長女の海外遠征では、色々なことを親として考えさせられました。


長女は生後3ヶ月の頃から早くも人見知りをし、私をいつも探す子でした。ちょっとだけでも私が離れようものなら、声がかれるほど泣いていました。トイレに行っている間もドアを開けたまま(汚い話ですが)「ここにいるよ~。お母さんはここだよ~。」と呼びかけながら用をたしていました。ハイハイができるようになると追いかけて来るのでたいへんでした。

そのまま大きくなり幼稚園に入園しても家に帰るといつも私の傍にいました。私は“この子はこういう性格なんだ”と思ってずっとどこかしらかばっていたような気がします。恥ずかしがりやで、人の前に出る事が苦手で、神経質で……。だから、私がついていてやらないと……と。小さい頃は、物怖じする娘にいつも「お母さんが見ていてあげるから大丈夫。お母さんがいるから大丈夫。」と応援していました。

そんな娘が、今回のアメリカ遠征、しかもホームステイ。事前の説明会のたびに文化や生活の違い国民性の違いなど、詳しく聞けば聞くほど(この子がちゃんとできるのかしら?)と不安になっていました。


ある日「ねえ、大丈夫そう?」と聞くと意外な返事、「なんとかなるよ。そんなに心配せんでもいいって。お母さんがいなくてもお母さんがいないところではちゃんとできるんだから。」──私はハッとしました。案外この子は、私が思っているほど昔のままではないのかも、むしろ、親がいないほうが肝っ玉もすわりググーンと力を発揮できるのかもしれない。

それからどんどん出発の日が近づき、沢山の準備物とスケジュールを自分で確認しながらスーツケースに詰め込み、英語の本を真剣に見ている娘の様子に、私が必要以上にこの子のことを想い心配することは、むしろこの子の邪魔になるのかもしれない。心配を口に出すのはやめようと思いました。心で案じていようと……。


出発のロビーで一曲合唱してくれた時、永久の別れでもないのについつい涙が出てしまいました。心配というよりも、あの一言を聞かせてくれた娘が私の目にはとても大きくたくましく映ったからでした。

(実に親バカです)それから一週間のうち何度か、ホームステイ先のご家族(ホストファミリー)が娘の様子をメールで知らせてくださいました。言葉のやりとりやホストファミリーの家族の一員としての生活、合唱団のコンサートを通しての交流にも頑張っている様子を知る事ができました。親のいないところで、私達の手の届かない遠い所で、心身共に元気にしている事に「ブラボー!!」と叫びたい気分でした。

一週間後帰国した娘は、機関銃の如く喋り続け、見聞きした感動や体験した感想などを一週間分メモした小さな手帳を見せて説明してくれました。そんな中「あーあ、早くこうして色んな話をお母さんとしたかったよ。」とポロっと本音。その晩は、時差ボケのせいか興奮のせいか喋り続ける娘……。私は夜遅くまでずっと聞き役でした。


人間、変えるには難しい“性格”というものはあるけれど、それがその人の全てだと決めてかかってはいけない。特にこれからがある子供には、決めつけないで、それをカバーしたり克服しようとする子供自らの力が出せるように親は出しゃばらずにいる事も親の役目だと痛感したのでした。守ってやらなければならない幼い頃──だっこやおんぶを十分して安心させてやらなければならない時期──もちろん“性格”とは関係なくどの子にもそれが必要な時期はあります。だけど、いつまでも必要なのではないのです。知らない間にそれを『卒業』する時が来るんですね。『ママがいるから大丈夫。』


から『ママがいなくても大丈夫。』に成長していくのですね。くれぐれも『ママがいないほうが大丈夫。』と言われないように……(苦笑)。かわいい子には旅をさせよと言いますが、これは子供のためだけではなく、親の成長のためにもある言葉だと気づきました。
「次は私が外国に行く!」と宣言する次女、あーあ、しばらくは夏の家族旅行はできそうにもありません。

ゆびきり(平成18年度8月)

♪ささのはさ~らさら♪7月になると幼稚園中に、子供達の歌う『たなばたさま』の歌が響き渡ります。今年も大きな笹に笹飾りを作って七夕まつりをしました。

笹飾りの中でも興味深く手にとって見てみたいのは、短冊に書かれた“ねがいごと”です。どんなおねがいをしたのかな?毎年色々な“ねがいごと”が書かれています。「じてんしゃにのれるようになりたいです。」(がんばれ!がんばれ!)「ピアノがじょうずになりたいです。」(なるほどなるほど)「ハワイへいけますように……。」(じゃあ!先生も書いておこうかな)「おねしょしませんように。」(う~ん、切実)「ポケモンがほしいです。」「ボウケンジャーがほしいな~」(ん?サンタさんじゃないんだけど……。)と、色んな子供達の秘め事が書かれています。その他よくあるのは、お気に入りのキャラクターになりたいというもの。「仮面ライダーカブトになりたい!」「プリキュアになりたい!」等。幸せな事にまだまだ空想の中で生活している子供達のかわいい夢です。だけど、真剣な夢なのです。夜空のお星さまに子供達のかわいい“ねがいごと”は届いたかな?


さて、今月は、幼稚園の頃同じようにかわいい夢を短冊に書き、数年経った今、自分の将来を本気で考え一生懸命になっているひとりの女の子の事を紹介しましょう。名前は香織ちゃん。6年前の年長組の時に私が担任した女の子です。卒園して引っ越ししてしまいもう随分会っていませんでした。当時は、一見、消極的なタイプですが、内に秘めたる強さ・優しさ・明るさ・好奇心は、共に生活していた私にはひしひしと伝わってくるものがある、おさげ髪のよく似合うかわいい女の子でした。


去年の10月のある日、香織ちゃんから突然のはがき…そこには『ようこ先生お元気ですか?今度、私がラジオに出演し、作文を読みます。そこにようこ先生も登場するのでぜひきいてください。10月26日am6:55~am7:00RCCラジオです。』──と書いてありました。懐かしい子からの便りにびっくりするやら嬉しいやらで、顔にしまりがなくなってしまいました。放送までの1週間、毎朝その時間が気になって気になって……。

そしてその日が来ました。カセットテープに録音しておこうとセットし、私は少々緊張して思わず正座でラジオに耳を傾けました。6時55分!学校のチャイムの音で番組が始まりました。RCCのアナウンサーが「僕の作文私の作文!──今日は小学5年生の作文を紹介します。題は『幼稚園の先生になりたい』です。」私はそこまで聴いてすぐに香織ちゃんが卒園して行く時に交わした二人の約束の事だ!と思いました。

香織ちゃんの夢は幼稚園の先生になる事でした。ある日、「ようこせんせい、どうしたら幼稚園の先生になれる?」と聞いてきました。キラキラした真剣な目でした。私は、「お歌が上手で、にっこり笑顔が優しかったらなれるよ。香織ちゃんならなれるね。そしたら、一緒にお仕事できるね。」と言いました。香織ちゃんは、「わたし、三次中央幼稚園の先生になる!」とにっこりして言ってくれて、私は「じゃあ、ゆびきりしよう!香織ちゃんが幼稚園の先生になってここへまた帰って来る!そして一緒にお仕事しようね。待ってるから。」と二人でゆびきりしたのです。

香織ちゃんの読む作文には、三次中央幼稚園の先生になりたい事や、私の事、ゆびきりの事が書かれてありました。私は涙が溢れ出ました。今でも、遠いところに居ても慕ってくれているという事と、何よりあの日交わしたゆびきりが、香織ちゃんの道標になっていること、人生の目標を持っていてくれていることに感無量でした。目の前に香織ちゃんがいたら、あの頃のようにムギュ~って抱きしめてぼろぼろに泣いたでしょう。


そして6月、6年生になった香織ちゃんからまた手紙が来ました。今度は幼稚園の先生になるための具体的な質問でした。いよいよ本気だなって感じました。

夢が今の香織ちゃんの『生きる力』になっているのです。自分に目標や夢、目的を持って生活していると生き生き輝けるのです。その夢が『仮面ライダー』や『プリキュア』と現実離れしていても、自分の将来の憧れの像として目標にして(とりあえず今は)生活していくでしょう。どうか、夢や憧れをもたせてあげてください。夢を抱く心地よさを覚えたら、夢を探せる大人になると思うのです。

香織ちゃんの手紙の最後にはいつもこう書いてあります。『先生、香織が大人になるまで待っててね。』──ん?あと何年?

旬な気持ち

ついこの前、子供達に、「入園おめでとう!進級おめでとう!」と声をかけていたのに、気がつけばもう7月……1学期最後の月になりました。見るもの聞くもの全てが新しくて……がゆえに、泣いたり笑ったりの毎日だった年少組、年中組、満三歳児クラスさつき組の子供達も、何とか落ち着いたようです。

この1学期の間に、子供達は色々と新しい事を経験しました。特に年長組は、田植えやさつま芋の苗植えに大奮闘でした。毎年、田植えは我が家の真ん前の田んぼで行います。芋畑もすぐ近くということもあり、私は時々苗の様子を見に行きます。(秋の収穫まで気が抜けません。フ~ッ)


田植えから少し経ったある日の事、朝の通園バスで年長組の子を迎えに行きました。するとバス停の横にある田んぼをお母さんと一緒に覗き見ています。私が、「おはようございます!」と言うと慌ててお母さんはその子の手を引きバスに走り寄り、「すみません!田植え以来、何だか田んぼが気になるようで……。」と笑って話してくださいました。その次の日は、「田んぼの中におたまじゃくしを見つけたようで……。」と、毎日母子で田んぼの観察をされている様子でした。子供達には、私達大人には見えないものが見える『心の目』があるようです。不思議な事をとことん不思議だと感じる心、どうにかして知りたいと思う心、今すぐやってみたいという衝動にかられる程おもしろいと感じる心──見たり触れたりする事で心に衝撃的に映るのです。『心の目』……これは私達大人も、かつて持ち合わせていたはずなのです。目に映るものが、長年生きているうちに“毎度の事”になって、子供達と同じようには心が揺さぶられなくなってしまっているのです。そんな気がしませんか?


年少組のあるクラスでは、《そらまめくんのベッド》(なかや みわ作・絵 出版 福音館)という絵本を読み、子供達がそらまめを見たことがないんじゃないかと、先生が家の畑から見事なそらまめを人数分採って来て、子供達の手にのせてやっていました。「ようこせんせい!みてみて!このなかにそらまめくんがネンネしてるんよ。」と絵本とそらまめの話を一生懸命私にも話してくれました。年中組は、プランターにプチトマトとキュウリの苗を植えました。自分達で水をやった苗がぐんぐん大きくなって、ミニチュアのようなかわいいトマトやキュウリができているのを見つけたときにはどんなに嬉しかったでしょう。お家でもそんな話をしていませんか?いつになったら食べれるんだろうと毎日見ている子供達にとってそれは、まさしく『旬な気持ち』なのです。“今だからこそ”“今ならではこそ”味わえる気持ちです。


年長組の田植えの数日後、外出から帰った私に義父が、「さっき、田植えをした男の子がお父さんと一緒に田んぼを見に来たよ。自分が苗を植えた田んぼをお父さんにも見せたかったんだろう。少し話して帰って行ったよ。まだその辺にいるんじゃあないか。」と教えてくれました。私はすぐに外に出て見てみました。すると、車が停めてある所に向かって、お父さんとその回りをピョンピョン飛び跳ねながら歩いて行く子供の二人の姿が遠くに見えました。田んぼから車までの間のお父さんとその子の会話はどんなに弾んだことでしょう。その姿は、遠くで見ても実に温かく微笑ましいものでした。自分が田植えをした田んぼをお父さんにも見てもらいたいと思う気持ちも、よその田んぼが気になったり、田んぼの中にオタマジャクシを見つけて喜ぶ気持ちも、そらまめを初めて見て「みてみて!」とはしゃぐ気持ちも、いつ食べれるかとトマトやキュウリの生長を楽しみにする気持ち・・・これらはみんな『旬な気持ち』です。

時間が経てば話題にすらしなくなります。それは、次から次へと興味が移るからです。この『旬な気持ち』の時に、どうか一緒に子供が『心の目』で見て感動しているものに共感してあげてください。子供達の心に、忘れることのない思い出として知識としてさらに強烈に刻まれるはずです。ジ~ッとお子さんを見ていてください。急におしゃべりになったり、夢中になったりするはずです。その時は『旬な気持ち』になっているかもしれませんよ。


毎日食べている白いご飯……それまで、(これはどうしてどうなって僕や私の口のなかに入るのだろう?)などと思ってもみなかった子供達も、自分の手で田植えをしてみてほんの少し関心を持ちます。それが、秋の収穫をする事で、再び田植えの時の感動が甦り、稲穂を目の前にやっと、「な~るほど、お米はこうしてぼくたち私達の口にはいるんだ。」と納得します。

幼稚園の生活の中には子供達が味わうことのできる『旬』がたくさんあります。新しい経験がいっぱいだからです。その時その時の子供達のはやる気持ちに耳を傾けてあげてください。感動を共有してくれる、聞いてくれる人がある事は実にしあわせです。私達大人もまた、そうしていくうちに、昔どこかに置いてきてしまった『心の目』を取り戻せるかもしれませんよ。(まだまだ純粋でいたい私。・・・苦笑) 


『旬』の魚や野菜ももちろんおいしいのですが、子供達の『旬な気持ち』───これもまた格別なんだな~(^_^)v。子供達の『旬』は、食べきれないほどた~くさんありますよ。
お子さんと一緒に味わってみませんか?