葉子先生の部屋
新年明けましておめでとうございます。
昨年は、年の瀬に急激に悪化した経済情勢に世の中が重苦しいムードに包まれました。しかし、幼稚園で可愛い無邪気な子供達に囲まれて過ごす時間には、そんな暗い雰囲気など少しも感じませんでした。おもちつきをしたり、サンタクロースにも会ったりと、年末をしっかり楽しみました。そんな子供達の笑顔や笑い声はいつも素敵です。どんな時でも子供達のおかげで明るく元気になれます。子供達はまさしく未来の希望だと思えます。
さて、今年はどんな年になるのでしょうか。子供達の笑顔の絶えない明るい世の中になりますように…。そして、そうなるために私達の役割は何かを考えながら、この1年を大切に過ごしたいと思います。
そんな事を思いながら年末から年明けを過ごしていました。今年も我が家では、子供達と一緒におせち料理を作りました。お客様があるので、おせちの他にもいくつか料理を作っておきます。我が家のおせちに必ずお目見えする献立があります。それは、“ポテトサラダ”と“筑前煮”です。これは、家族全員からの毎年のリクエストメニューです。以前は、私一人で作っていましたが、ここ数年子供達が手伝ってくれるようになりました。(思春期に入った上の娘は少し面倒臭そうではありましたが…。)みんなで味見をしながらの正月支度は時間がかかりますが楽しいものです。子供達は、「お母さんのポテトサラダが大好き!」といつも言ってくれます。筑前煮を作れば、「そうそう!この味この味!」と言って喜んで食べてくれます。
そう…それは、何十年か前に私が私の母に言っていた言葉です。どこのどんな家のポテトサラダを食べても、どんなお店でも、お母さんの作るポテトサラダのおいしさにはかなわないと思っていました。私の弟は、「お母さんの筑前煮しか食べられない。」と言っていました。これが、食卓に並ぶととても嬉しかったのを覚えています。「お母さんのポテトサラダはおいしいね。私にもこの筑前煮を教えて。」と子供の頃からお母さんが台所に立つ時には、必ずと言っていいほど隣で手伝いながら見ていました。(…と言うか、家業が忙しいので子供が手伝う事は当たり前の事でした。)特別な食材を使っているわけでもないのですが、お母さんなりの工夫がある事やこだわりがある事をそうするうちに知ったのです。真似て作るたびにお母さんと同じ味になる事が嬉しくて、いつの間にか私の数少ない得意料理の一つになりました。
結婚して新しい家族に作ると「おいしい」と受け入れてもらえ、今では、家族から“お母さんの味”と言ってもらえています。でも、私がお嫁に来て義母から教えてもらった料理の中には、未だに義母の味にならない物があります。“酢の物”です。義母の酢を使った数々の料理は本当においしくて、結婚して間もない頃、夫と二人で海外旅行に行き外国の食事にうんざりした時、ずーっと“義母さんの酢の物が食べたーい!”と思って過ごしたのを覚えています。私がいくら真似をしても同じ味にならないのです。そんな義母も8年前に亡くなり、“義母の味”を“私の味”にする事ができないままになってしまいました。そして、“お母さんの味”を教えてくれた母もまた昨年突然亡くなりました。
母が作る煮物もポテトサラダも、もう二度と食べる事はできないけれど、私が母から受け継ぎ、大切な家族に食べさせる事で母の味はいつまでも生き続けるのです。子供達が「お母さんの味だ。」と言ってくれるたびに、私は母の事を思い出すのでしょう。子供達に「これは、おばあちゃんがお母さんに教えてくれた味なんだよ。本当は“おばあちゃんの味”なんだよ。」と話した時「じゃあ、この味を私達が覚えて、同じ味になるようになったら、私達の子供には“ひいおばあちゃんの味だよ”って教えてあげないとね。」と言ってくれました。“おふくろの味”はこうしていつまでも思い出の味として残っていくのでしょう。将来この家から離れて暮らす事になるだろうこの子達が「お母さんのあの料理が食べたいなぁ。」と故郷の忘れられない物の一つとして、思い出してくれれば…と思うのです。私が未だに同じ味が出せないでいる義母の味も、いつか義父や主人に「お母さんの味だね。」と懐かしんで食べてもらえるようになりたいと思います。義父と主人にとっての“おふくろの味”が途絶えてしまわないように…。
どのご家庭にもそんな“おふくろの味”があるのではないでしょうか?どうか、子供達に、その味を伝えてください。その料理こそ大切な『家宝』だと思うのです。
昨年のお正月、母から教えてもらい初めて煮た黒豆、母に食べてもらったら「ふっくらとおいしく良い色にできたじゃない。合格!」と言ってくれました。私が煮た母認証の黒豆が重箱に入るのは今年で2度目です。また、母のいなくなった実家に帰ったら、筑前煮が作ってありました。一口食べたら、それは“お母さんの味”でした。弟のお嫁さんが受け継いでくれている“おふくろの味”です。私は仏壇に手を合わせ、お母さんに話しました。──「お母さん、およめさんの筑前煮がおいしいよ。私達に家宝をありがとうね。」
2009年1月8日 4:58 PM |
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紅葉真っ盛りの中、例年になく早い初雪で山の景色にも一段と趣が感じられました。紅や黄や白で囲まれた周りの景色の何と贅沢な美しさよ…と、心からそう思います。これから益々寒くなり、次は冬の自然が子供達にどんな姿で感動させてくれるのかを楽しみに待ちたいものです。
そんな事を考えながら、園庭を歩いていたところ、どんぐり集めや落ち葉集めに使ったビニール袋がドロドロになって落ちているのに気が付き、私はそれを拾いゴミ箱の方へ歩いていました。すると、一人の年少組の女の子がその様子を見ていたようで、保育室から出てきて、「葉子先生、それどうしたん?」と聞いてきました。わたしは、「園庭にゴミが落ちていたから拾ったんだよ。」と答えました。「それ、どうするの?」と聞くので「ゴミ箱に捨てようかと思っていたの。捨ててくれる?」と逆に聞くと「うん。」と言って、得意気にそのゴミを捨てに行ってくれました。そして、また私のところに戻って来て「なんで、拾ったの?」と聞くので、「だって、せっかく落ち葉や雪でお庭がきれいなのに、ゴミが落ちていたら残念でしょ。」─そう言うと女の子は、私の顔と園庭をかわりばんこに見ながら、「ゴミに気がついたん?」と聞くので「そうよ。気がついたの。」と答えました。そしてまた、私の顔と園庭をかわりばんこに見て少しすると、「そっか!ゴミは気がついた時に拾うのか。」と納得したように向こうへ走って行きました。ゴミを手に歩いていた私の姿が、見過ごさなかったその子の心にどう映ったのか、また、私とのこのやりとりで何に納得して何を感じたか、それはわかりません。だけど、(どうして?)と思ってくれた事で、ゴミを拾った私の気持ちはわかってくれたと思うのです。(なんで葉子先生は、お掃除の時間でもないのに、ゴミを拾っているんだろう?)と思うその子の純粋な眼差しを見て話をしていると、「だから、あなたも気がついたらゴミを拾うようにしようね。」等と教え込みたくありませんでした。私も勿論、そういうつもりでゴミを拾ったのでもありませんでしたから、その時にゴミ拾いを意識させる言葉が出なかったのです。だけど、「そっか!ゴミは気がついた時に拾うのか。」と言って走って行ったその余韻(?)は、その子にとって、自分なりに“考える時間”だったのではないかと思うのです。
このやりとりの結論は『ゴミは掃除の時間に関係なく気がついた人が拾う事によって園庭もきれいになるし、みんなが気持ちよくなる。だから、あなたも気がついたら知らないふりをしないで拾いましょう。』という事になるのだけれど、子供って、人がしている事を見て、それをどう理解して自分はどうしなければならないか、という事が頭の中で整理できるまでに、少し時間を要するものだと思います。これは自分でそれを会得するための大切な“間”なのです。結論を急いで伝える必要はないような気がします。見て知り、見て考え、見て学びとる事が学習だと思います。そして、やってみる事でより確かなものにしていくのです。子供の学びは、そうやって時間をかけて積み上げられていきます。
子供達は大人のする事をとてもよく見ています。ふと気がつくと、わが子が自分と同じようにしている事や、口調が同じだったりする事がありませんか?子供にとって、お父さんやお母さんは絶対的なお手本なのです。特に躾をしようとか教えようとかしなくても、小さい間は私達大人が、正しい事を正しく行動していれば、その姿を見て学ぶのです。“考える時間”“余韻”を与えてあげてください。結論は子供自身で出させてやるのです。
しかし、大きくなったら、そうばかりではいけなくなってきます。例えば、先日、私に同窓会の出欠を問う往復はがきが届きました。その返事を書いている隣で娘がじーっと見ていました。返信用の宛名についている“様”の文字を私が消していると「どうして、消すの?」と聞きました。「だって、自分の事を“様”で相手に送るのはおかしいでしょ。何でもそうよ。こういう時には、二重線で消して送るのよ。」と教えてやりました。娘は「なるほど!」と大変納得していました。子供なりに世界が拡がっていくのですから、自分の事だけでなく、いろんな人達との関わりが生まれます。お互いが気持よく生活していくために必要な事も知っていかなければならなくなります。折に触れ、人生の先輩として、伝えてあげるといいのだと思います。教えられて学ぶ事と、目にして自分で考え学びとる事があるという事を私達大人は知って、“伝え分け上手”にならないといけないのかもしれません。そして、いつでも子供達は大人のする事に関心をもって見ているという事も忘れないでいたいものです。
街を歩いていた親子連れ、紙屑をみつけて拾った子供が「ママ、ゴミが落ちてた。」とお母さんに見せました。「汚い!何拾ってんの!離しなさい!」──。誰がどんな物を捨てたかわからないのですから確かに汚いし、この物騒な世の中、危険が伴う事も無きにしも有らず、そう言いたくなる気持ちもわかります。ましてや、最近では、ゴミ箱が設置された場所はそんなにありません。自分なら何て言ったかな?と考えますが、気がついて拾ったその子の気持ちと行動は間違いなく常識的で正しい事だという事は伝えたいものです。
2008年11月28日 4:51 PM |
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寒がりの私には、朝晩の寒さがこたえる季節になってきました。ですが、秋の紅葉が待ち遠しく、赤とんぼが無数に飛び回る向こうで、山々が少しずつ秋色に変っていく様子には心癒されています。
癒されるといえば、9月14日は十五夜で今月11日は十三夜のお月見でした。今年は良い天気だったのできれいな月をみる事ができました。
幼稚園では、毎月年長組の子供達がお茶の稽古をしています。稽古を通して気配りや相手を思いやる事の意味に気付いたり、日本の美しい文化や自分の住む国の良さに気付いてほしいという願いからお茶の先生を招いてご指導いただいています。お月見のお茶会の時の事、お供え物のススキやお酒、秋の木の実や作物について話をしてくださいました。その時、「ちょっとみんなに聞いてみようかな?これはお酒なんだけど、お酒って何で出来ているか知ってる?」と子供達に問いかけられました。子供達は一瞬「???」と、答えを見つけるまでに間がありました。そういえば、何で出来ているかなんて考えた事もなかったからです。「じゃあビールは?」と先生が試しに問われると、「泡があるからなぁ~」といろいろと考えていたようでした。「ワインは?」…3度目の問いにやっと「ブドウ!」と答えた子がいました。なるほど、ブドウは色的にもそれっぽいので納得していました。しばらく思いつくまま子供達は答えていましたが、先生が「日本酒はお米から出来るんですよ。ビールは麦、焼酎はいろんな物から出来るの。芋とか麦やそばからね。」と教えてくださいました。すると、「そば?」…。子供達の頭の中には、ツルツル食べるそばが浮かんでいたようでした。すかさず先生が「お箸で食べるそばからできるんじゃあないよ。」と言われると、何が何だかわからなくなってきた子供達でした。私は、ふと、うちの娘達は知っているのだろうか?と心配になりました。あらためてそんな事を教えた事がないような気がしたからです
発泡トレーで売られている肉が、いったいもともとの姿は何なのか、肉は“肉”としか思っていなくて、牛とか豚とか鶏があるという事を知って食べているでしょうか。すでに刺身になっている魚はいったい何の魚か、実はどんな姿をしているのか知っているのでしょうか。あまりにもきれいに商品化して店頭に並べてあるために、子供達は本物の姿を知る機会が少ないのです。
娘が小学生の時に社会科見学でジーンズの生地を織る会社に行った夜、「お母さん!このジーパンって、初めからジーパンなんじゃあないんよ。」と自分がはいているジーパンを指差して言いました。既製品がほとんどの我が家の娘にとっては未知の世界だった事でしょう。その工場で、自分がいつもはいているジーパンと同じ生地ができる様子を目の当たりにして、(ジーパンの正体はこれだったのか!)と、娘はさぞかし感動した事でしょう。と同時に、私は、(こんな事も知らなかったのか。そう言えば、商品は知っていても、それが何でどうやってできているかなど一つ一つ教えた事がなかったな。)と、いささか焦ったのを覚えています。
また、幼稚園に来ている実習生が保育をする日がありました。土の中からいろいろな作物を掘る絵を描き、製作をするといった内容でした。実習生が「土の中にできる物は何があるかな?」と聞いたところ、まず一番に、「さつまいも!」と答えました。イモ掘りの経験のおかげでしょう。その次は「かぶ!」…これは、“おおきなかぶ”の絵本から思い浮かんだのでしょう。それからは、人参・大根…カボチャ・ピーマン・キャベツ……トマト…???と、思いつくまま適当に答えていました。土の中にできるものと土から上に生るものが、本当のところわかっていないのです。ある人が、以前びっくりして話してくれた事がありました。食品売り場のレジのアルバイトをしている高校生が、かごの中に入れていたレタスを見て、客であるその人に「すみません、これはキャベツですか?レタスですか?」と尋ねたそうです。高校生でさえそうなのですから、幼稚園の子供達が野菜の生り方など知らなくても無理はないのかもしれません。
お茶の先生から教えてもらった事は、まだピンときていないと思います。だけど、これから先、お父さんがお酒やビールを飲む時にこれが何からできたか、お母さんが夕食支度をしている横で食材に関心を持って何がどう変身して食卓に並ぶのかという事を知るでしょう。大人が気づかせてやる事もなく、関心さえもなかったら、子供達はそこを素通りして大人になってしまうのです。“これは、何なんだろう”“どうなっているんだろう”“どうやってできているんだろう”と、いろんな事に興味を持ち、素通りできない子になって欲しいと思います。そして、私達大人も“ん?これは?”と立ち止まって子供達と一緒に感じ合える時間を持つ事は大切だという事に気付いていないといけないと思うのです。
最近、パソコンを使えるようになった娘が「どうしてパソコンでこんな事ができるの?いったいどんな仕組みでどうなってるの?」とよくきいてきます。何でも一緒に考えて答えてやりたいと思っている母ではありますが、さすがに…限界が……。
2008年10月31日 4:02 PM |
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「地球はどこかおかしくなっている」と言われ始めてから、何年経ったでしょうか?地球温暖化・環境問題・エコ…等という言葉を随分耳にしてきました。だけど、地球も頑張っています。少し様子はおかしいですが、空を見上げれば、いつの間にか秋の空に秋の雲、吹く風は秋風でその優しい風にコスモスが揺れています。裏山に行ってみれば、栗の木や柿の木に実が生っています。地球は忘れずに私達に過ごしやすい実りの秋をちゃんと届けてくれたようです。
そんな中、幼稚園では秋分の日に秋季大運動会を行いました。確か、昨年の『葉子先生の部屋』の10月にも運動会をテーマに書いたと思います。今年は違うテーマで…と思いましたが、運動会を終えて、まだ興奮冷めやらぬままの執筆なので、どうしてもここから外れる事ができませんでした。
さて、今年のお子さんの晴れ舞台はいかがでしたか?いつも決まったように行われる運動会ですが、毎年毎年その日を迎える気持ちや感動やできる思い出が違います。それは、その運動会の主役である子供達が毎年違うからです。そして、運動会当日の舞台のムードも毎年違います。きっと、保護者の皆様も、わが子の姿に様々な感動を覚えられたのではないかと思います。本番に、わが子がどんな様子になるのか心配でたまらなかったお家の方は一つひとつの出番が終わるたびに、ほっとしたり感動したりされた事でしょう。
しかし先生達は、当日までにすでに、「この経験は子供達をグーンと成長させるものだった。」と言える自信がありました。
運動会に向けての取り組みが始まったのは6月頃からでした。“運動会の練習”としてではなく、仲間意識や体を動かす事の楽しさを感じ、心や体にも強さを持ち合わせることのできるように経験を繰り返すという意識から始まりました。子供達は、毎日音楽に合わせて踊ったり友達と一緒に「どうかな?こうかな?」と練習し合う子もいました。いつも足の速い友達のフォ―ムをじーっと観察し、自分なりに研究したのでしょう、急に走り方がかっこよくなった子もいました。子供達は自分の中にある“苦手意識”や“弱さ”と葛藤したり、挑戦意欲をもって努力をしようとします。そうしながら、がんばる楽しさや達成感を味わうのです。それはそれは頼もしい限りです。実は、こうしていろんなドラマが運動会の当日までにありました。それを知っているからこそ、私達は本番に自信を持ってその日を迎えたのです。感動的な運動会はこのドラマの延長線上にありました。
特に、さくら組でのリレーは感動しました。様々な面にハンディを持つ子供達を取り巻くクラスづくりや取り組みには特に丁寧に進めてきました。子供は実にピュアです。いろいろな事をストレートにうけいれます。子供の心はもともとバリアフリーなのです。 担任の三上智子先生と専任の新家あずさ先生は、こうちゃんとだいちゃんとみんなで自然に生活したいと思っていました。そして、子供達はみんな一緒に二人の障害を、自分達ももっている個性の一つとして関わっていたように思います。だから、遠慮なく子供同士の言い合いも喧嘩もしていましたし、車いすやバギーにも恐る恐るさわるのではなく、まるで手をつなぐようにみんなが操作していました。そんな毎日の生活の中で障害をもつ友達への関わりや気持ちの向け方を先生達は手探りで、子供達は自然に学んできたと思います。とは言え…と言うか、それゆえに…と言うか、運動会のリレーはクラス対抗です。勝ちたい気持ちになるのは当然のことです。だけど、一番にはなれない…子供達なりの葛藤はそれまでにあったはずです。先生に聞いたところ、子供達の口から出た言葉は、「僕たちがすごく速く走ったらいいじゃん。」だったそうです。子供達が考えた言わば作戦です。
そして運動会。リレーを終えたある子に、「リレー、頑張ったね。」と言うと「うん(こうちゃんもだいちゃんも)わらっとった。」とサラッと言うのです。こうちゃんが車椅子に座って風をきりながら嬉しそうに笑っていた事が嬉しかったのでしょう。だいちゃんが歩行器で一生懸命ゴールに向かう姿に胸を打たれたのでしょう。きっと、子供達の心には、リレーの勝敗すら超える“大切な物”をそれまでの関わりの中で見つける事ができていたのだと思います。
運動会はそれら全ての集大成、その発表のために用意されたステージなのです。運動会そのものは、たった一日限りのステージですが、実は子供達と先生達にとっては毎日が晴れ舞台だったのです。昨日より今日、今日より明日…と子供達がどんどん自分に自信を持ち、変化や進化して行く手ごたえを感じる毎日…それは、まさしく感動的な舞台でした。そう考えると、もしかしたら私達は、保護者の方よりも、素敵なステージを見ていたのかもしれません。園長先生の挨拶にもありましたが、本当は、それまでのこの過程こそが大切な時間なのです。目標に向かって取り組んでいく中で色んな出来事があり、心が揺さぶられ、生きていく上で大切なたくさんの事が子供達の中に宿っていきます。この過程での成長こそ見て認めてやって欲しいと思います。そう!この裏舞台こそが、みごとで輝かしいのです。だから、みんなみんな金メダルおめでとう!!
2008年9月29日 3:48 PM |
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今年の夏も異常な程の暑さでした。地球全体が悲鳴をあげているような気がします。そんな中今年は北京でオリンピックが行われ、様々な種目で世界記録が塗り変えられました。人間業をはるかに超越したそれらの雄姿に感動をおぼえました。オリンピック選手の姿は子供達の目にどのように映ったでしょうか。金メダルを首にかけた世界チャンピオンは特別に輝かしく見えたに違いありません。メダルには届かなかったけれど、庄原市から競泳女子200m平泳ぎの選手が出場!みごと決勝で7位入賞というビッグニュースに拍手喝采しました。田舎のスイミングスクールからオリンピック選手が出たと驚き、「ぼくもオリンピックに行きたい!」「私もいつか!」と子供達に夢と希望を与えました。また、これまではオリンピック種目でありながらも特に取り上げられなかったバトミントンも、いわゆるオグシオ効果でバトミントンのラケットがとぶように売れたそうです。その経済効果もさる事ながら、人々の心を一気に揺さぶった事に驚かされます。自分もあんな風に走りたい!泳ぎたい!戦いたい!と夢を見させてくれるのです。
あるメダリストが、「メダルを手にした瞬間、誰が思い浮かびましたか?」というアナウンサーのインタビューに「両親です。そして、自分をこれまで応援して支えてくださったたくさんの方の顔が思い浮かび、感謝の気持ちでいっぱいです。」と答えていました。戦いの一瞬しか知らない私達には、それまでにどんな苦しみや厳しい試練や自分との戦いがあったかなんて計り知れません。それは、間近で見てきたご両親が一番よく分かっておられるのです。そして、叱咤激励しながら、共に夢を追い続けて来られたのです。
子供達はみんな、夢を見て、夢を描いて、夢を追っていずれ自分の進む道を選んで生きて行きます。その途中に自分の夢に共感してくれる人が存在していれば、「自分にもできそうな気がする。」と夢実現への光が見えてきて力が湧き、挫折しそうな時も立ち上がれるエネルギーが持てるのです。
高校生になる直前になって始めたボクシングで、今やウェルター級国内高校生の2位で頑張っている卒園児がいます。幼稚園の頃は、どちらかと言えばやんちゃで友達ともよくトラブルを起こす男の子でした。だけど、その分、情に厚く、分かり合えた友達の事はとても大事にする“いい奴”でした。そのお母さんは、その子の良いところをちゃんとわかっておられるよき理解者だったようです。心と体を鍛えたその子は、まっすぐに自分の夢に向かって頑張っています。また、中学受験と同時に頑張っていたフィギアスケートへの夢も諦めきれず、「この子の夢を叶えてやりたい!」とご両親が決心され、受験をやめてスケート一本に絞った卒園児が、今や、浅田真央も夢じゃないぐらいの力をつけ、国体等でいつも輝かしい成績を上げています。その子とご両親に先日再会し、「この子の今があるのは、毎日がむしゃらに遊ばせてもらった幼稚園の環境や遊具のおかげなんです。」と言ってくださいました。受験をスパッ!とやめて、子供の夢を支える決心をされたという知らせを聞いた時、その潔さに感動したのを覚えています。その子は「私は、ずーっとお父さんやお母さんに感謝してる。」と話してくれました。
スポーツだけではありません。子供がキラキラした心で夢を話してくれる時、それがどんな夢であっても、どうぞ、子供と向き合ってしっかり聞いてやってください。一緒にその話に夢中になってやってください。「何つまんない事を言ってるの!」とか「無理に決まってる!」なんて決して言わないでください。その内容は“つまらない事”でも“無理に決まってる事”でも、夢を見るその気持を持つ事が大事なのです。夢は人生の目標にもなります。生きるエネルギーになるのです。そして、それを聞いてやるだけで、夢はどんどん膨らむでしょう。今ある力が何倍にも大きくなる事だってあります。夢を支えるとは、直接何かの手立てやお膳立てをする事だけではなく、夢を見させてやる事、夢を聞いてやる事から始まるような気がします。
私も、幼い頃から、夢を見るのも語るのも好きでした。一番の理解者は母でした。母には何でも話をしていました。幼稚園の先生になりたいという夢もいつも聞いてくれていました。ただ聞いて共感してくれていただけでしたが、そのうち夢がどんどん膨らんで、夢は夢に終わらない気がしてきました。京都の幼稚園の就職試験に合格・採用が決まった時には、やはり両親の顔が真っ先に浮かびました。夢が叶った事を誰よりも喜んでくれる人だからです。
先生になっても、「こんな先生になりたいんだ。」という話を真剣に聞いて意見を聞かせてくれる私のよきアドバイザーでした。
どうぞ、子供達と一緒に夢を見て、夢を支えている事を感じさせてやってください。大きくなっても、夢のない…夢を見つけられない子供達にするのは、私達大人のせいなのかもしれませんよ。
後に、母は私達子供に家業を継がせ、家族皆で店を盛り上げるという夢をもっていた事を聞きました。今、あらためて“私の夢を応援してくれてありがとうございました。”と言いたいです。
2008年9月1日 3:40 PM |
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