葉子先生の部屋

やねより高い鯉のぼり(平成23年度5月)

今年度が始まって3週間が経ちました。入園式にはこれまでお家の人達に大切に守られてきた生活から、いきなりたくさんの人達の中に入った事にびっくりしたり心細かったりで、涙が出た子やお母さんやお父さんから離れられなかった子がいて、とても賑やかでした。実は、それは、極々当たり前のことであって、どんなにこれまで愛情いっぱいに育ててもらえていたかがうかがえ、そんな子供達の様子が微笑ましくも見えました。そんな我が子の様子をご覧になって、お父さんやお母さんはどのように感じられたのでしょうか?(情けないな)(この先、どんな幼稚園生活になるのだろうか?)(大丈夫かしら?)(可哀そうに…)といろいろと不安に思われたかもしれません。しかし、子供達は、まだ少し、幼稚園生活の流れがわからないでいるだけなのです。

入園式の次の日から私は、毎日幼稚園の中門に立って、子供達を受け入れ、幼稚園の中に誘導します。すんなり「おはようございます!」と笑顔いっぱいで入って来る子もいれば、お母さんに抱きついて、泣きながらやってくる子もいて様々です。そうした全ての子供達を先生達は笑顔で受け入れます。幼稚園で、これから経験するたくさんのことは、必ず子供達を成長させるはずだからです。

このくらいの年齢になると、たいていの子供達は自分と同じ年頃で、だいたい同じことを考え似たような価値観を持っている仲間を求めるようになる時期です。そんな仲間のいる環境の中にいないと、社会性や協調性を自ら学びとるチャンスを逃してしまうのです。

実際、少し前までは、泣いていたある女の子が、最近では、家から持たせてもらった動物のエサ用の野菜を握りしめ、「動物さんのお野菜を持って来たから、スモックに着替えたら“なかよし動物園”に行くの」と、笑顔でお母さんと幼稚園に来るようになりました。生活の流れがわかり、幼稚園でのお楽しみの目的が見つけられたのでしょう。担任の先生もその様子を見て、「○○ちゃん!今日も動物さんのご飯を持って来てくれたんだね。あとで、あげに行こうね」と、その子をしっかり受け入れていきます。「今日は粘土をして遊ぶんだ」と、はりきって、幼稚園に来るようになった子もいます。そんな子供達は、顔の表情に穏やかさが加わってきているように思います。

大人でさえ、新しい環境の中に飛び込んで行く時、かなりの不安を抱えます。今年大学への入学が決まった卒園児の男の子が遊びに来てくれました。「どう、大学生活が楽しみ?」と聞くと「ううん、少し不安」と、言うのです。でも、その一言だけ言うと「楽しみだけどね」とも言いました。一瞬不安に思った彼も、今では、もう、すっかり新しい環境にも慣れ、友達もたくさんできて、楽しいキャンパスライフを送っているようです。誰だって新しい環境の中で、最初から何一つ心配なく過ごせるということはないでしょう。子供達も幼稚園という初めての環境を受け入れることに一生懸命なのです。その不安を少しでも、安心に変え、幼稚園の楽しさや友達や先生との生活の面白さと魅力に早く気付かせてあげるためにも、私達は、まず、そんな子供達の気持ちを受容して行きます。受け入れてもらえていることがわかれば、子供達にとって、その場所はこの上なく楽しい場所になるでしょう。

家庭訪問では、少しでも、その子の様子を把握しておきたいと色々なお話を聞かせていただいたと思います。保護者の皆様ともそうしたやり取りをして行くうちに、こんなふうに、入園・進級以来、よく泣いて登園していた子供達も幼稚園に少しずつ慣れて来ました。たとえ、まだ、涙が出ていても、お母さんから頑張って離れた子供を抱いて保育室に連れて行く間に、幼稚園の屋上で泳ぐ鯉のぼりを見せてやるとピタっと涙が止まります。屋上で泳ぐ鯉のぼりは結構雄大で見事に見えるのでしょう。小川の水に手をつけさせてやったり、カモやカメを見せてやったりすると、気持ちが幼稚園に向くのです。幼稚園の動物や小川や庭等の環境に受け入れられ、保育室へ連れて行ってやると、「○○君よく来たねぇ。待ってたよ。」と、今度は担任の先生が優しく、受け入れてくれるのです。ただ、抱っこしてくれているのではなく、頑張って来たその気持ちや、幼稚園を楽しみに来てくれた気持ち全てを理解した上で、抱きしめてくれるのです。

幼稚園の屋上で元気に泳ぐ鯉のぼりには、幼稚園の先生達の「どうか元気な心と体で、この大空を力強く泳ぐ鯉のように、すくすくと元気に成長して欲しい。それが、幼稚園と私達職員みんなの願いです。」という思いが込められています。私達は、子供達の笑顔のためにこの一年間を一生懸命頑張って行きたいと思っています。どうか、不安なことや心配なことは、何でも、私達に話してください。さあ!楽しい幼稚園生活のスタートです。今、子供達の笑顔を屋上の鯉のぼりは毎日見てくれています。幼稚園が、この一年、どうか、お家の人達と子供達のための大切な場所になりますように…。

…とこんなことを思いながら、日々、頭から離れないのは、東日本大震災の犠牲となった子供達や幼稚園のことです。毎日、メディアでは、心傷つき辛いはずの子供達が、たくさんの人達の力を借りて健気に笑顔でいてくれています。当たり前のような毎日の“しあわせ”は…実は人と人の愛によって生まれているものなのだということにも気付かされます。どうか、この子達がみんな同じように、お腹の底から晴れ晴れと笑える日が来ることを祈るばかりです。

教科書のにおい(平成22年度3月)平成23年3月

ついこの前、新年の挨拶を交わしたばかりなのに、もう3月を迎えます。1月は行く2月は逃げる3月は去るとはよく言ったものです。

幼稚園では、先日、今年度最後の保育参観を行いました。保護者の方々には、1年間の子供達の成長を観ていただけたと思います。この頃になると、“今年度最後の……”という言葉に色々な想いをはせるようになります。この節目を迎え、いよいよ新しい生活に向けて準備が始まるのです。そして、幼稚園の子供達も皆、4月にはこれまでとは違う環境を受け止め、新しい生活をしていきます。とりわけ環境が変わるのは、年長組の子供達です。幼稚園を卒園し、場所も環境も周りの顔ぶれもこれまでとは違った中で過ごします。とても大きな出来事となるはずです。お家の方々も、色々な不安を抱えていらっしゃるかもしれません。数年前、幼稚園に入園させた時の不安や心配がよみがえっていらっしゃるのではないでしょうか。ですが、そんなお家の人の心配をよそに、子供達の気持ちはいつも前向きです。年長組の子供達にとっては未知の世界ですし、不安を抱えるだけの情報や経験がないので、何もかもが新しくなるという事で、ただただ、真新しいランドセルや机を揃えてもらい嬉しいばかりだと思います。年長組の子供達だけではなく、どの学年の子も、進級する事を楽しみにしています。一つお兄ちゃんやお姉ちゃんになる事が嬉しいのです。「さすが!もうすぐもも組(年中組)さん!」「さくら組(年長組)になるんだもんね。」と言うだけで、子供達の背筋がピンと伸びるのです。これが、小学校への入学ともなれば、ことさらでしょう。かっこいい制服を着て、新しいピカピカのランドセルを背負って、自分の足で学校へ通う自分を想像して楽しみにしている事でしょう。

もう何十年も前(…と言うよりも、“昔”と言うべきか…。)の事、私の小学校入学前の事や入学式当日の事、それからしばらくの学校での生活を思い出しています。両親に買ってもらった赤いランドセルが嬉しくて、何度も何度も背負って鏡に映してウキウキしていた…。まだ何も入っていない勉強机の引き出しを何度も開け閉めしていた…。入学が楽しみで楽しみでたまらなかった…。幼稚園の卒園式の日に覚えているのは、黒い式服の先生が、「また会いましょう。」と泣いて握手をしてくれた事…。それから、入学式の日、大きなポプラが正門の両側に立つ小学校──、教室に入って見ると机の左上にひらかなで大きく私の名前が書いてあり、お母さんの手を離れ、自分一人でその机まで歩く……、その時初めてドキドキして苦しくなった。机に座ってまっすぐに向いているしかできなくて、急に不安になった事もよく覚えている。ただ、そんな中、机の上に重ねて置いてあった教科書がやけに嬉しかった。先生が何か言われるまで触ってはいけないのだろうと思いながらも早く中を見たくてたまらなかった。先生が「これが教科書ですよ。早くお勉強したいでしょ。」と言われ初めて教科書をペラペラとめくった時のあの匂いは忘れられない。今でも、教科書の匂いを嗅ぐとあの日が鮮明に思い出されるのです。それから、毎日学校へ行くのが楽しみでした。学校まで、約3キロの道のりも行き帰りが楽しかった。不安な中にも、どんどん新しい友達ができたり、先生との出会いがあったりしながら、小学校の楽しさを自分なりにみつけて楽しめていたような気がします。

長い人生色々と楽しい出来事はあるし、これからも子供達はたくさんの思い出を作っていくと思うけれど、“見守られながらの生活”から少しずつ“自ら切り開いていく生活”に移行する変化の時期には、特別な思いや思い出ができるものだと思います。不安ならそれだけに心に残る自分なりの葛藤やそれを克服した時の希望が一生の思い出となる事もあるのではないかと思います。 

 子ども達には、是非、思い出に残るその時その時の節目を迎えさせてやりたいと思います。新しい生活に飛び込んでいく子供達に、前向きに…そして楽しみにその環境の違いを受け止められるよう、修了式・卒園式までの残された日々の一日一日を送らせてやりたいと思います。どんなに新しい生活が素敵なもので、素敵な所なのかをしっかりと話し、新しいステージに送り出してやりたいのです。3月はそういう心の準備期間だと思います。そうは言っても、実は、先生達も、これまで一緒に過ごしてきた子供達とのお別れは心から寂しいのです。今まで築いてきた、子供達と先生にしか見えない絆もできているはずです。“あうんの呼吸”が、クラスの中ではできている気がします。そんな子供達とは、できれば、このままずっとこれからも一緒に過ごして行けたら…とさえ思います。それは,もはや“教師”としてではなく、“人”としての感情になってしまいます。

しかし、子供達はこれからも、もっともっとたくさんの人と出会い、たくさんの感情を覚え、たくさんの事を学びとって生きていかなくてはなりません。そのための節目です。「あの時に言ってもらった言葉」「あの時の匂い」「あの時の温もり」等、心に一生残る節目にしてあげてください。その言葉・匂い・温もりはきっと思い出を映像にして脳裏に呼び起こしてくれるものになるはずです。次に迎える世界も素敵な所、そこで出会う人達もきっと素敵な人達…どうか、その中で、みんなが笑顔を絶やす事なく過ごせますように…。

おしごとお疲れ様(平成22年度2月)平成23年2月

先日の保育参観には、大雪の中、たくさんの保護者の方がおいでいただきました。親の手の届かない所で我が子がどのような様子で生活しているのか、きっとどのお父さんもお母さんも観て知りたいと思っておられる事でしょう。そんな気持ちが手にとるようにわかる程、参観日には、毎回たくさんの保護者の方が時間をつくって来てくださいます。幼稚園の参観日には、ご両親揃っての参観が多く見られます。子供達もお父さんやお母さんに来てもらうのを楽しみにしているようです。

振替休日明け、ある子に「○○ちゃんは参観日には誰に来てもらったの?」と聞くと、「お母さん!あのね、お父さんはお仕事で来れなかったの。」と笑顔で答えました。「日曜日だったのに、お仕事だったんだね。」と私が言うと、「そうよ!泊まりだったの。」───「そう!お泊り?楽しいのかな。」とわざと言うと「違うよ!夜中でも忙しいのよ。だって、泥棒は夜中にお家に入るからつかまえないといけないでしょ。」と…。その子のお父さんの仕事は警察官です。不規則な体制の仕事に、子供達の行事だからと必ずしもお父さんが来れるとは限らないのです。きっと、お父さんにも来てもらいたいでしょうに……、来てもらえないという事を残念に思っているなずなのに……。その子の話しぶりは、お父さんが忙しい事を十分に理解していて、「お父さんはお仕事が忙しい。頑張っている。」と納得しているのです。そして、また感心した事は、その子はお父さんが毎日どんな仕事をしてどんなに頑張っているかがよくわかっているという事でした。

そんな事もあって、ある日、私は「お父さんのお仕事は?」と子供達に聞いてみたのです。すると、首をかしげて、「うーん?わからない」という子が案外多い事に気づきました。お父さんは毎日仕事に行くものだ…と漠然としか思っていない子が多い事にも驚きました。多分お父さんの仕事を何と言ったらいいのかわからなくて返事に困ってしまったのでしょう。お母さんの仕事もなかなか説明できない子がいます。例えば、「お母さんの仕事は病院。」とは答えられるけれど、「病院で何してるのかな?」と聞くと、「うーん?」と困ってしまうのです。看護師さんなのか医療事務なのか、薬剤師なのか、病院の仕事の中にもいろんな仕事があるのだから、ぜひ、そこまで子供達に教えてやって欲しいと思うのです。

昔、建設会社にお勤めのお父さんの子が、「わたしのパパはトンネル掘ってるんだよ。そのトンネルを昨日見に行ったの。」と話してくれた事がありました。お母さんにその話をしましたら、「見せてやったら、パパってかっこいい!って思ってくれるかなと思って…。」と冗談っぽく言っておられました。私は、それはとても大切な事だと思いました。あんな大きなトンネルを作る仕事に携わっているパパは、子供達にとってヒーローなのです。冗談ではなく、きっとパパ!かっこいい!と本気で思ったことでしょう。

毎日「お仕事に行ってくるね。」と言って出かけられるお父さんやお母さんを「いってらっしゃい」と見送ったり「お帰りなさい」と迎えたりする子供達は、その姿をどう思っているのでしょうか?あまりにも毎日の事で、当たり前の事になってはいないでしょうか?誰のために?何のために?どんな思いで仕事をしておられるかという事を意識させてあげてください。お父さんやお母さんが仕事をしているイメージが浮かばないまま「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と言ってはいないでしょうか?「お仕事頑張ってね」とは言うけれど、お父さんってどんな仕事をしているのかを教えてもらえていなかったら、きっとイメージできないでしょう。一口に「会社」といってもいろんな会社があり、その中でどんな事をしているのか…見せてやることができなければ、話してあげるといいと思います。あなたのために…家族のために…という事だけではなく、その仕事に誇りをもって頑張っているお父さんやお母さんは、子供達にとって輝いて生き生きしていて素敵に見えると思うのです。たとえ幼い子供でも、話してやったり見せてやったりすることで、幼いなりに具体的に理解して自分なりの感謝の気持ちや労いの言葉が心から言えるようになると思います。

老人福祉施設で働いておられるお母さんの仕事の事を「私のお母さんは、おじいちゃんやおばあちゃんのお世話をしたり話を聞いてあげたりするお仕事なの。」と教えてくれる子もいます。何となくでもお母さんがどんな事をして頑張っているか、そしてその事によってお年寄りの方々に喜ばれている…すごく大切な仕事をしているんだという事がわかっているのです。その子はきっと、お母さんが疲れた顔でおられる時には「大変だね」といたわりの言葉をかけてくれるでしょう。お母さんがどんな事をして疲れているのかがイメージできるからです。お父さんがパトカーや消防車・救急車に乗って夜中の街や命を守るヒーローだったり、会社や学校や施設でいろんな人と関わる、家とはちょっと違うかっこいいお母さんだったり…。そんなお父さんやお母さんをあらためて尊敬できるようになるはずです。

お子さんに、「お父さんの仕事って何か知ってるかい?」「お母さんはどんなお仕事をしていると思う?」と聞いてみてください。どんなに頑張っているかを子供達は知ってくれているでしょうか?

「お父さん、お母さん、いつもお仕事お疲れ様。」って言ってくれるかな?

心の休憩所(平成22年度1月)平成23年1月

新年あけましておめでとうございます。明るい新年を迎えられた事と思います。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

お正月と言えば、普段あまり会うことのないおじいちゃんやおばあちゃんに会えたり、親戚が集まったり、家族でのんびり過ごしたり、色々と思い思いの何日かを過ごされた事でしょう。

我が家の年末年始は親戚の人達がたくさん挨拶に来られます。娘達は、普段会えない親戚のお兄さんやお姉さん、自分達より小さな子供や赤ちゃんに会えるのを楽しみに迎えます。そして、一緒に食事をしながら、色んな話をします。以前は、大人同士の話だったので、加わることもなかったのですが、最近は一人前に話に加わって来るようになりました。

そんな時、普段、私達親には言わない事を親戚の人達に話す事があります。「お母さん、そんな話、初めて聞いたよ。」ということが発覚するのです。今なら、お母さんも叱らないだろうという魂胆もあるかもしれませんが……、この時とばかりに色んな話をします。 親と子だけの時には、笑い事では済まされない事が、親戚のおばさんやいとこの前では、何故だか笑い事になり、たいした事ではなくなるような気がするのだと思います。どうやら、親戚の人達が子供達にとってはワンクッションになっているようです。確かに、その話を受け止める私達親はすぐに“指導しよう”とか、“育てる責任!”等という考えが先に来てしまい、軽く聞き流して欲しい子供達にしてみれば、窮屈なのかもしれません。親戚の人達にはその点、客観的に聞いてくれたりみてくれたりする余裕があるので、笑いながら相談にのってもらえます。そして面白い事に、子供達も、さすがに、誰でも彼でも話をしているわけではなく、おしゃれの話はこのお姉さん、恋の話はこのおばちゃん、勉強の話はこのお兄ちゃん、お父さんやお母さんへの苦情はこのおばちゃんとおじちゃん、おねだりはおじいちゃん……と、何となくジャンル別に相談相手を決めているようです。子供達から格別な信頼をおかれている人達です。その親戚の人達の事を私達夫婦もまた信頼をおいています。そして、私達の子育てや環境をよく理解してくれていて、いつでも力を貸してくれる絶大なる協力者です。こっそり子供達が相談したであろう内容も、これは!という事は私達に「あの子、こんな事悩んでいるみたいよ。」と伝え、アドバイスをしてくれます。子供はいつまでも、親に何でも話してくれる…というものではないようです。親もいつも完璧で正しいとは限りません。間違っていたり失敗していたりする事だってあるのです。親は知らず知らずのうちに考えを押しつけてしまっていたり、子供を傷つけたり追い詰めたりして、親であるという“おごり”が子供と親の間に半透明な壁を作ってしまっているという事に気づかされます。つい、子育てに必死になるが故に笑い飛ばして聞いてやる広い器を失くしてしまうからです。子供が、自分の思っている事を自由に言えて、自分の目線に立って一緒に考えてくれる人が周りにいる事は、それだけで子供にとっても親にとっても安心な事だと思います。それは、“心の休憩所”です。

悲しいかな、大きくなると親だけでは物足りない事や、親では駄目な事だって出てきます。そんな時にこの“心の休憩所”はとても必要だと感じます。それは、友達であってもいいかもしれませんが、自分とそれほど違わない人生経験なので、解決策は見つからないまま同調だけで終わったり、慰め合い共に道に迷ったりする事になったりします。それが、経験豊富なおじいちゃんおばあちゃんであったり、近所のおじさんやおばさん、親戚であったりすると、聞き役だけでなく何らかのアドバイスを求める事ができます。そして、不思議とその人達のアドバイスなら、す~っと子供の心の中に入って素直に聞けるようです。(そんな時、いつも親として反省させられるのですが…。)子供達がそうできる環境をつくっておいてやる事も必要ではないかな?と思います。そのためには、私達親も、いつも周りにいてくれる人達と信頼関係を結び関わり合っていないと、周りの人達も振り向いてくれません。ありがたい事に私の周りには、近所や親戚の人達も子供達を私と一緒に守ってくださっています。いつも気にとめてくださっている事が私達親にとっても“心の休憩所”となっている事に間違いありません。昨年は、親にも相談できなくて、誰にも言えなくて、一人で悩み自分をあやめる子供達のニュースをたくさん聞きました。「どうしたの?」「話してごらんなさい。」というオーラを周りから感じながら成長できる子供は幸せだと思います。何もかも、親がしなきゃいけない…のではなく、親にできない事は周りの人達に託せる……、その環境づくりこそ親にしかできない事なのかもしれません。時に煩わしいと考えられがちな親戚づきあいや近所づきあい、人づきあいですが、いい関係を築いていく事によって、私達親と子供達を一緒に育ててもらえる環境づくりでもあるのです。

幼い間の子供達は、お父さんお母さんが一番ですが、成長と共に世界を広げ、親の手の中に納まりきらなくなり、悩む時もあります。その時の親と子の“心の休憩所”、……ありますか?

今年のお正月も何やら親戚のおばさんに愚痴をこぼしていた娘。聞かぬふり聞かぬふり…ここはお任せしましょ。ありがたやありがたや。

ぼくだけみてて!(平成22年度12月)

朝、園庭一面に敷きつめられたイチョウやモミジ、カエデ等の落ち葉に思わず感動します。幼稚園の庭は、春夏秋冬一年を通して季節を感じる事ができるのです。子供達も首や頭に可愛い手づくりアクセサリーをつけてご機嫌で帰っているのではないでしょうか?

保育室の子供達のロッカーの中に、きれいな落ち葉や、小さな木の実が宝物のように入れてあるのも微笑ましい光景です。

その園庭に今、たくさんの歌声や楽器の音が響き渡っています。12月に控えているフロアーコンサートに向けて、今、各クラスや学年での取り組みの真っ最中です。年少組は、保護者有志の方に作っていただいた衣装を身にまといお遊戯を、年中・年長組は、たくさんの楽器を使って合奏をします。毎年、この経験を通して、子供達の力の凄さや子供達の中に見られる成長には大きな感動を与えられます。本番を迎えるまでに、この子達がどんなに頼もしく成長してくれるだろうかと楽しみにしながらその練習を見ています。

今月中旬まで、年中・年長組は各クラスで楽器のパートに分かれて練習をしていました。その後は、ホールに全ての楽器を搬入し合奏の練習をしています。パート練習をしている頃、時々クラスを回ってその様子を見ていました。そんなある日の事、年長組の打楽器の練習を見てみようと部屋に入ったら、子供達が自分の使う楽器を準備している最中でした。ある男の子が「聴きにきたの?」と言うので「そうだよ。職員室にもよく聴こえて来るから、どんな事をしているのかな?と思ってね。」──。その子は、少しぶっきらぼうに、でも嬉しそうに「聴いてていいよ。」と言ってくれました。子供達の前に立っていると、「もう少しこっちに来ないと僕が見れないよ。」と言うのです。意外でした。その子は照れ屋で、ストレートに本音を言ってくれないタイプだと思っていたので、「僕を見るのならここにおいで。」と誘ってくれた事に驚きました。それどころか、その子を見ながらも、他の打楽器を練習している子を見ていると、一曲終わった所で、「さっき、僕じゃあない人を見てたでしょう!!」と少しご機嫌斜めな顔で私に言うのです。「エッ?!ちゃんと見ていたよ。みんなを見ながら見ていたよ。」と言うと、「ダメよ!僕だけ見て!」と怒った顔で言いました。そう言えば、運動会の鼓隊演奏の練習の時にも、練習が終わったら「僕を見てた?音聴いてた?」とよく聞いてきていました。普段は私の前ではクールにしているのに、ぶっきらぼうではあるけれどぽろっと子供らしい本音を言ってくれた事がやけに可愛く思えました。

子供達はいつもこんなふうに、自分を見ていて欲しいと思っているのです。頑張っている姿を見て褒めてもらいたいのです。また、鉄棒で逆上がりができるようになったり、太鼓橋で技ができるようになったりした時にも「先生!!見て!見て!」と何度も声をかけて来ます。「すごい!」と言って認めてもらいたいのです。そんな時に他の場所に行こうものなら「せんせーい!!見てってば!!」ともの凄い声で連呼します。先生にでさえ、こんな風に僕を見ていて!とアピールするのですから、お父さんやお母さんには“凄い自分”を見て欲しいともっともっと思うはずです。見てもらえているという気持ちは、子供にとってはとても大きなエネルギーになっているのだと感じます。いつも、大きな行事の時に感じる事ですが、練習をしている時より、本番の一発勝負の方が子供達の顔つきは自信に満ち溢れていますし、素晴らしい出来栄えだったと子供達自身も満足感でいっぱいになります。本番には、お家の人達が自分を見に来てくださいます。自分のためにあれこれと段取りをして、家族揃って来てもらう。そして、最後には「よく頑張ったね」と誰の事よりも自分を褒めてくれる。それがどんなに励みになり誇らしい事か。

「僕だけを見ていて。」という気持ちは、子供のわがままでも何でもなく心からの正直な当たり前の気持ちなのです。

ただ、「僕だけを…」と言ってくれれば、その子のそう思う気持ちを裏切ったりがっかりさせたりする事はないのですが、そう言えないでいる子もいるはずです。言えないでいたり伝える方法がわからなかったりする子……。それでも、子供達の気持ちはみんな同じだと思います。その気持ちを察知してもらえなかったり、応えてもらえなかったりすると、子供達はお父さんやお母さんの注意を引こうと、わざと困らせるような行動をとったり、赤ちゃんがえりをして手をかけてもらおうとしたりする場合もあります。そうする事で、自分の気持ちをアピールするのです。それは、意識的な場合も無意識的な場合もあると思いますが……。とにかく、お父さんやお母さんの目に自分の姿をいつも映していて欲しいと思っているのです。その気持ちに、どうか、しっかり応えてあげてください。“いつでもあなただけをみているよ”という気持ちを伝えてあげてください。以前にも、書きましたが、愛されている事を実感しながら大きくなる子供達は幸せです。

「今度の参観日にはお母さん仕事だから行かれないわ。ごめんね。」──。「別にいいよ。」と高校生の娘のつれない返事…。「私だけを見に来て!」と言ってくれていた頃が、あぁ懐かしい…。