葉子先生の部屋
長い長い夏休みが終わりました。皆さんはどのような夏を過ごされましたか?夏休み前に計画されていた色々な事は実行できたでしょうか?私も、娘達が小さかった頃はあれもしてやりたい、あんな所に連れて行ってやりたい、こんな事を一緒にしたい……とあれこれ計画をたて、夏休みを過ごしていましたが、大きくなって、土曜日や日曜日でも学校のクラブ活動や友達同士での計画そして少しだけ勉強に…と忙しくなり、なかなか親子で過ごす時間がとれなくなりました。段々と親離れしていく事を実感しています。
さて、幼稚園では、預かり保育の子供達も色々な経験をしながら過ごしました。異年齢での関わりが自然にでき、年少組を年長組や年中組が可愛がる姿や年長組のお兄さんやお姉さんを見習ったり、時には年齢を超えて兄弟姉妹のように喧嘩をしたりして賑やかに楽しい夏休みを過ごしてくれたと思います。そんな預かり保育の年長組の中でちょっとした事がブームになっていました。
休日に家族で出掛けて手に入れた観光地や人気スポットのパンフレットを持って来ては皆で開いて見合うのです。アミューズメントパークのパンフレットを見ては、アトラクションやキャラクターの話で持ち切りです。お土産や買ってもらった物などの話でも盛り上がります。そんな中、四万十川の観光パンフレットを持って来ていた男の子がいました。その他にも別府や飛騨高山のパンフレットもありました。高速道路のサービスエリアや人からもらったりして手に入れたらしく、地図のページを見ては一生懸命私に説明してくれるのです。「四万十川ってどこにあるの?」と聞いてみると「それはねぇ…」と日本地図を開いて「ここの四国地方の高知県を流れているんだよ。」と説明してくれました。沈下橋や川下りの話等もしてくれて驚きました。中国地方のロードマップを見ては、「ここが出雲だよ。神社がある所。」と迷わずその場所に指を差します。私は、「○○君はよく知っているんだねぇ。葉子先生は方向音痴なの。教えて欲しいんだけど、長崎県はどこ?大阪府は?愛媛県は?」とランダムに聞いてみたところ、ほとんどの場所を正しく教えてくれました。広島県の地図を開いては、「広島空港はね、え~っと、ここが三次だから…この道を通って…え~っと、この道から…あった!あった!ここが広島空港だよ。飛行機のマークがあるでしょ。」と道をたどって教えてくれました。きっと出掛ける度に地図をみてはご家族でいろんな話をされているのでしょう。お母さんにそんな話をしたところ、「そうなんです!なんだか好きみたいで、いつもパンフレットを見てるんです。親も思ってもみなかった事に目覚めて地図で調べたりして…。」と言われていました。子供は、まだまだ知識が豊富ではないので、知りたい事見たい事やりたい事には、一生懸命に情報収集しようとします。そして得た情報を何とかして使おうとします。パンフレットを持って来て話を聞かせてくれるのもそうなのです。人は皆、赤ちゃんの時から、気付き、調べ、確かめ、認識するという事を積み重ねながら成長していきます。赤ちゃんが自分の握りこぶしをじ~っとみつめ、口に持っていきしゃぶりますが、それも、自分の身体の一部に気付き認識し、それを使って生きるための準備なのだと言います。子供達は興味を持てば、積極的になぜ?どうして?と聞いてきます。少し大きくなれば自分で調べようとするでしょう。確かめようとするでしょう。その姿勢は、いずれ様々な事に繋がっていくと思います。大人になったら、学問からの知識も得て、なかなか、自ら興味を持った事に食いついて調べたり確かめたりするという事をしなくなります。時間的にもできにくくなって来ます。必要に迫られて…という事の方が多いのではないでしょうか?それでも、新しい知識として身につきますが、子供の知識を吸い取るパワーと大人のそれとでは勢いが違うのです。
先日、娘が、夜中に地図帳やJRやバスの時刻表やインターネットで何やら一生懸命調べていました。「明日から、福山にクラブ遠征に行くから、競技場までの行き方を調べているの。朝8時過ぎには必ず着いてないと大会に間に合わないの。」──初めての場所へたったひとりで行くというのです。たかが福山、されど福山……。私は、そんな事は初めて知らされたので、びっくりしたのとその呑気さに呆れたのとで、「そんなの間に合うわけないでしょ!お父さんに送ってもらいなさい!」と言いました。娘は、「いい!調べてみる。」と言い、ずっと調べ続けていました。「JR福塩線でも3時間はかかるよ。疲れるから、お父さんに…」とそこまで言うと、主人が「放っておいてみろ。自分で調べて何とかしようとしてるんだから。」と、私を止めました。娘は、時刻表をみて府中駅で乗換えがある事や、福山駅の構内地図をみて在来線到着位置からどうやってバス乗り場に行けばいいのかという下調べまでしていました。次の朝、娘は自信があるのか、自分が得た知識を試せる事への期待からか、晴れ晴れとした顔で「行ってきます。」と言い、私は、心配なまま三次駅に送りました。それから約3時間後『着いたよ。意外とあっという間だったよ。』と娘からのメールが来ました。そのメールに娘のたくましさを感じました。余計な口出し…親バカ反省!
未来をたくましく生きて行く準備中の子供達の事が、頼もしく羨ましくなります。
2012年9月3日 9:05 AM |
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1学期が、今日で終わりました。アッという間だったように思います。新しい環境に慣れる事に精一杯だった新入園児にとっては…そして、その保護者にとっては特に早く感じられたのではないでしょうか?さて、明日から長い夏休み。一緒に過ごせる時間を普段より少し濃く関わってみてください。幼稚園の経験で、どれ程、子供達が成長しているかを感じるいい機会だと思います。
幼稚園の1学期は、新しい環境に慣れ親しむ事が最初の目標です。色んな経験の中で、相手の事を知ったり自分の事を知ってもらったりしながら、先生や友達との信頼関係を築きます。この1年間の基盤をつくっていくのです。そんな環境の中でさらに個の力や想いを発揮させ個々を磨き合います。
先日、こんな場面に出くわしました。ある朝の登園時間、私がテラスを歩いていると年長組の数人の子供が「葉子先生!○○君が鼻血出てる!ちょっと来て!」と走って呼びに来ました。保育室に行ってみると、一人の男の子が転んで鼻血を出していました。床にもポタポタと血が落ちていて、子供達が集まっていました。その男の子はクシャクシャに丸めたティッシュで友達に鼻を押さえてもらっていました。可愛いキャラクターの模様のあるティッシュでした。友達が思わず、自分のポケットからティッシュを差し出してくれたのでしょう。私は、止血のために、子供達に代わって鼻をつまみました。すると、ある男の子が「先生が来てくれたからもう大丈夫だからな!」と励ましてくれました。そして、またある男の子は、汚れたティッシュを捨てるためのゴミ箱をせっせと運んで来ていました。そんな様子を嗅ぎつけて、他のクラスの子供達がたくさん集まってきました。すると、別の男の子が「見ないでください!見てあげないでください。」「はいはい、早く自分らのクラスに戻ってくださーい!」と、人の整理を始めました。そして、ふと見ると、一人の女の子が自分のティッシュで、少し離れた所の床に落ちている血をしゃがんで拭いてくれていました。なんて素晴らしいチームワークなんだろう、と微笑ましく見ていました。友達を心配して、たくさん集まって来ても、それだけでは何も助ける事はできません。その状況の中で、自分には、何ができるかと考えて行動に移せる子って凄いと思うのです。特に感心したのは、床の血を拭いてくれていた女の子──、その子は少し離れた所で人知れず間接的に友達を助けてくれていたのです。
私はその女の子を見て、ある事を思い出しました。私が京都の幼稚園に就職して1年目の時の事です。毎朝先生達と一緒に園庭を掃除していました。みんなほうき片手に掃き掃除をします。するとそのうち、若い先輩の先生がちりとりを取りに行かれました。そして、ゴミ箱を持って来られる先生、草取りを始められる先生……とみるみる間に、先生達がそれぞれに違う事を始められたのです。そんな様子に相変わらずほうきを持ったままの私はうろたえていました。そんな私の気持ちを察知されたのか主任の先生が、「葉子先生、いつまでもみんなと同じ事をしていたらアカンのよ。みんなより一つ二つ先の事を考えて動かなアカンのよ。それが、仕事するっていう事やで。」と声をかけてくださったのです。掃き掃除をするのなら、そろそろちりとりがいるだろう…、そうなったらゴミ箱がいるかな?ゴミの量によっては一輪車がいるかな?──とその先を考えて行動する事、今の自分は何をしなくてはならないか、何ができるかを考えて動く事、それを教えてくださいました。社会人にならないとそれがわからなかったのかと言われれば、お恥ずかしい話ではありますが、何かのために、誰かのために…と直接それに携わらずとも、いろいろ気をまわし密かに働く事やそうできる人の奥ゆかしさが、とても美しく見えてハッとさせられたのでした。
今の自分には何ができるだろうか?今のその状況を見て、それなら私はこうしよう、次はこうしよう…と自分で考えて行動に移せる子は凄いと思います。
頼まれた事しかしない、頼まれないと、指示がないと動けない人にならないように、心と頭のアンテナをピンと張って生活していれば、色んな事にも興味が湧くし、たくさんの物事を心のシャッターで捉える事ができると思います。子供達が心と頭のアンテナをピンと張るには、嬉しい事、悲しい事、楽しい事、辛い事等いろいろな事を経験させて、その都度大人が、その事に気付かせてあげる事だと思います。そして、子供の心を揺さぶり、自分ならどうするだろう?私はこうしたい、僕ならこうする、という想いを自由に持たせてやる事が大切だと思うのです。そうしていくうちに自分で行動に移せる子になっていくのではないかと……。
床の鼻血を拭いてくれていた女の子のお家には、つい最近赤ちゃんが生まれました。お姉ちゃんとしての大人には見えないプレッシャーもあるかもしれませんが、彼女は、家族の中で…家族の一員として何かをしたいという気持ちをいっぱい持っている子です。きっとお家でも、今の状況をお父さんをはじめたくさんのご家族の方と一緒に支え合って毎日を過ごしているのでしょう。そして、家族の姿そのものを彼女の心のシャッターはしっかり捉えているのだと思います。
2012年7月18日 5:54 PM |
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6月になり、衣替えと同時にプールあそびが始まりました。いよいよ夏到来です!天気の良い日は朝から外あそびが盛んで、保育室の中には、ほとんど子供がいません。靴を濡らしながら小川のアメンボを捕まえようとする子、さっき着替えたばかりの体操服や手足を泥だらけにしながら泥だんごを作っている子、汗をいっぱいかきながらサッカーをして遊ぶ子等、春の頃の子供達のあそび方やその様子とは随分違ってダイナミックに遊べるようになってきたのがよくわかります。子供同士の繋がりが深まってきたせいでしょうが、やはり夏は子供達にとって魅力あふれるあそびが思いっきりできる季節だからでしょう。水・土・空・生きもの……これらの全てが、子供達のあそびの味方になってくれます。そして、開放感を味わい心を解きほぐします。思いっきり遊ぶので、帰りの園バスの中やお家の方のお迎えを待つ保育室では、コックンコックンと眠ってしまう子が増えるのもこの頃です。いっぱい遊んでいっぱい笑って……そして居眠りしている子供達の姿がとても無邪気で可愛いです。
プールも天気の良い日は毎日入ります。それまでは静かに控えていたプールが一気に夏の主役に躍り出た感じです。水着の入ったプール袋を持って来た子は、得意そうに、「今日はプールに入れるんだよ!」と見せてくれます。しかし、その日体調が悪い子達は、水着も持って来ないので、プールには入りません。ですが、その子達もプールの時間は園庭でたっぷり遊びます。担任の先生は、プールあそびに行きますが、そんな子供達は他の先生や友達と遊びます。それはそれで楽しそうです。私もその子達と遊ぶ事があります。
年長組のプールあそびの時の事です。何人かが集まって、砂場で何やら必死に穴を掘ったり、水を入れたりしていました。「何をしているの?」と聞くと「温泉を造ってるんだ!」と言いました。「葉子先生もしていいよ。」と誘ってくれたので、一緒に遊ぶ事にしました。どうやら、山のてっぺんから温泉が湧き出て、山の尾根を流れ下の大きな池の中に熱い湯が溜まるという設定らしく、山を作る子と穴を掘る子とに分かれていました。その中には、現場監督らしき子もいて、「おーい!水が足りない!汲んできて!」「そこじゃあないよ!ここに水を流して!」と指示を出します。「じゃあ、俺は、こっちをするよ」「もっと深く掘ろうや」「しっかり固めないと!」とスコップやバケツを持って、それはそれは、工事現場さながらの様子でした。その威勢の良さと子供達の目の輝きに誘われるように、私も毎日砂場で遊びました。しかし、砂場は、その子達だけが遊んでいるわけではないので、いい感じに出来て来ても、次の日に行ってみると壊れている事もあるのです。それを修理(?)しながら、毎日その温泉づくりは続きました。掘っていく内には、埋まっていた砂場の道具が出てきたり、頭上の藤棚の葉っぱや枝が埋まっていて、それを見つけるたびに「あっ!!宝が出てきたぞ~」と盛り上がります。
そんな様子を見ていくうちに、自然に、子供達の中で役割分担ができているのに気がつきました。“山造りチーム”の中でも、現場監督さんをはじめ、砂を高く盛りあげていく子・スコップの背で叩いて固める子・尾根を作る子…がいました、“温泉造りチーム”の中では穴を掘る子・その穴の壁を固める子・さら粉を集めて山や池にまぶす子・水を運ぶ子…等、いろいろな係ができていました。山の尾根から流れる水が温泉の穴まで、勢いよく流れないと、「もっとこの道のこっち側を深くしないと流れないよ。」と気づき、傾斜を作りました。山が崩れないようにとさら粉を砂山にまぶし、しっかり固め、その上に水をかけてまたさら粉をまぶす…これを繰り返したら山がカチンカチンに固まる事に気づきました。子供達はいろいろな発見をしながら遊んでいます。どうしたらもっと楽しくなるか、こうしたらいいかな?これではどうだろう…と。子供達が「いいこと考えた!」と言う度に「それは、いい考えだ!天才だね。」と共感してやりました。子供達は「天才」という言葉に弱いようで、認めてもらうと益々がんばろうかなと思います。こんなやり取りが子供達をたくましく粘りのある子供に育てると思います。
そして片づけの時間になった時です。「よし!お片づけをするぞ~!」と現場監督さんが声をかけると、他の子供達は作業をやめて、砂場の道具を片づけ始めました。それから「明日もこれ使うから一番上に片づける方がいいぞ。」とか、「こっちに山を作る人の道具で、反対側は温泉を作る人の道具…、っていうのはどう?」という声があがりました。私は、思わず「あそびの天才は片づけの天才!」と言いました。“明日また遊ぶため”の“今日の片づけ”をしていたのです。いかに効率よく温泉造りができるか、そのためには、片づけでさえ工夫が必要だという事を感じたのでしょう。すごい!!と思いました。あそびに集中していると、先を見通してまで考えることができるのかと感心しました。そして、その片づけでさえ楽しげなのです。その次の日もまた温泉造りをしていました。前の日に遊びやすく片づけていたので、すぐに温泉造りにとりかかる事ができたでしょう。あそびや生活を工夫することは、遊びやすく生活しやすくするという事なのです。それを考える事だって子供にとっては『あそび』なのです。
『あそびの天才は、片づけの天才』──子供達の頭と心はいつも働いています。
2012年6月29日 5:49 PM |
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年長組が田んぼに植えた苗が、水の中で元気に風に揺れています。
田植えを済ませた子供達が苗にかけた「おいしいお米になりますように!」というおまじないの言葉に応えようと、苗も一生懸命なのかもしれません。きっと、秋には格別美味しいお米が実ることでしょう。
我が家の田植えも、年長組の子供達が手伝って植えてくれたおかげで、今年も早々に全ての田んぼを植え終えました。毎年、田植えが終わると、私は、「農業を見た事もした事もないあなたが、ちゃんと家の役にたつのか」とお嫁に行く私を心配していた今は亡き実家の母の仏壇にその報告をしています。その時の事です。
仏壇に手を合わせ母の遺影に眼を向けると、一枚の封筒と手紙がその前に置いてある事に気がつきました。それは、甥っ子…つまり私の弟の長男が、家族に宛てて書いたものでした。甥っ子は、大阪の学校を卒業後今年の春、大阪のホテルに就職が決まり働き始めたばかりです。家業である商売の道に進むかどうか悩んでいましたが、結局、親とは違う世界で自分を試したいという気持ちもあり、その道に進んだようです。彼の両親は息子の意志を尊重し、自分の選ぶ道を頑張って欲しいと祈るような気持ちで送り出したのです。その旅立ちを喜びながらも寂しがっているのは実は私の父…つまり彼のおじいちゃんです。4年前に母が他界して、父は随分力を落としました。4年経った今でも、母の思い出話をするたびに目頭を熱くします。そんな中、孫達の存在は、父にとって寂しさを忘れさせてくれるかけがえのないものでした。そんな孫達も長男が就職、今年の春には、二男までが進学で二人とも家からいなくなって、少し寂しくなっていたのです。そんな日々を送っていた時のこの手紙でした。そこには、このように書いてありました。
『社会人初のお給料をいただきました!父さん、母さん、じいちゃん、ばあちゃんにほんの少しだけど、今までの感謝の気持ちを込めて初めての家族孝行をします。もっともっと頑張って、みんなにフレンチのフルコースをご馳走できるようになりたいです。20年間見守ってくれてありがとう!父さん、仕事も大切ですが健康第一だよ。母さん、無理せず笑顔で…。じいちゃん、寂しい想いをさせてごめんね。また帰るよ。じいじは長生きするよ。そして最後に…ばあちゃん、(天国から)みんなをよろしく!』そして、一万円札が一枚…母の遺影に見えるように封筒から覗かせてありました。
私は、一人でそれを読んで涙が流れました。男の子だからか、何をどう考えているのかをあまり態度に表わしてくれなかったのですが、こんな事を考えていたのか、こんな想いを抱いていたのか…子供ってちゃんと愛情を感じながら育っていくものなんだなと思ったのです。一緒に居ると気がつかなかったり気づく間がなかったりで、離れたり失ってみたりして初めて気がつくのです。それまでの長年の家族の在り方が微笑ましく映し出された手紙に思えました。
私達大人も、子供を育てる親になって初めて自分を育ててくれた親の偉大さや親への感謝の気持ちが溢れます。幼稚園でも、毎年、新任の先生には園長先生が、「この初めてのお給料日…、お父さんやお母さんに何かをしてあげてね。」と言われます。何かを買ってあげて!という意味ではなく、ここまでにしてくださった事への感謝の気持ちを何かの形で伝えてね、という意味だと思って聞いています。親が子供を一人前に育てるのは、本当に大変な事だと思うのです。それでも、その長い年月があっという間に経つように感じるほど、必死で我が子を育てます。愛するが故です。
3~5歳の子供達は、嬉しい時も悲しい時もいつもお父さんやお母さんがそばにいてくれて、ご飯を作ってくれたり、一緒に遊んでくれたり、時には叱ってくれたりする事が、今は、当たり前の事のように思っているかもしれません。でも、そのありがたさを感じていないわけではなく、ただ実感していないだけなのです。母の日、父の日、敬老の日、お誕生日……こんな特別な日にはどうか、「あなたは、幸せなんだよ。あなたの周りのたくさんの深い愛に包まれて、大きくしてもらっているんだよ。」と、“幸せ”を確認させてやってください。そうしながら大きくしてもらった事や自分に関わってくれたたくさんの人達に感謝できる子になってくれると思うのです。
それが、今は、たとえ“ありがとう!”という言葉にならなくても、「お母さんだいすき!」「お父さん!あそぼうよ!」「お父さん、お母さん、ごめんなさい」──子供達がお父さんやお母さんに言ってくれる言葉全てが、感謝の気持ちの現れです。だって、子供達にとっては、自分のそばにいてくれて、わがままが言えたり、思っている事がそのまま言えたりする事そのものがありがたい事なのですから……。何十年か先には、それはとてもありがたかった事で、この上ない愛情に包まれて育ててもらえていたのだという事を実感するでしょう。そういう時が必ず来るのです。その時に言ってくれる「ありがとう!お母さん」「ありがとう!お父さん!」──それは、子供達がいっぱいの感謝の気持ちを温めて温めてやっと伝えてくれる素晴らしいプレゼントになるのです。そう思ってどうか今は、子供達との一分一秒の時間や何気ない言葉や気持ちのやり取りに幸せをかみしめながら、悪戦苦闘してください。それが子育ての醍醐味ですから。
2012年5月31日 5:37 PM |
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例年より、少し遅めだった桜の開花…。満開の桜は私達に春を感じさせてくれた後、散ってもなお薄ピンク色の花びらの絨毯(じゅうたん)が道行く人を楽しませてくれました。次は、春の空が少しずつ夏に向けて様子を変えていくのを見るのが楽しみです。
さて、新年度が始まり1ヵ月が経とうとしています。新入園児にとっては勿論の事、進級児達にとってもこれまでとは違う新しい環境に全員が慣れるまでには、もう少し時間が必要なようです。朝、バスに乗る時や中門でお母さんと離れる時に涙がたくさん出てしまう子がいたり、元気に登園できたのに途中で急に寂しくなって「帰る!帰る!」と泣き始める子がいたり、逆に、もうすっかり慣れて半日保育では物足りなさそうにしている子がいたり…と、子供達の様子は様々です。まだまだ始まったばかり、これからこの子達がどんなドラマを展開しながら成長して行くのかがとても楽しみです。
この約1ヵ月、“始まったばかり”を実感した事がたくさんありました。毎日子供達は登園すると、先ず、おたより帳に自分で選んだシールを貼ります。そして、ロッカーに荷物を片づけ、制服からスモックに着替えます。先生は必要に応じて手伝ったり励ましたりしながら朝のこんな時間を丁寧に子供達と関わります。この受け入れの時間は子供達の一日のスタートを決める、先生にとっても子供達にとってもちょっとした緊張の時間でもあります。この時に子供達をいかに安心させてやれるかで一日のご機嫌が随分違ってくるからです。子供達は安心しながら自分の事を済ませると、園庭に遊びに行きます。その遊んでいる様子は、実に初々しくてつい笑ってしまう程です。
新入園児にとっては、集団生活は初めてなので、生活の流れやルール、人との関わり等気にするはずも術もありません。人が使っていた砂場のスコップを「貸して」も言わずに横取りしてしまう。そのまましゃがんでそのスコップで遊び始める。取られた子は何が起きたのかわからないような顔をして、「取っちゃったぁ~」と言わんばかりに私の顔を見る。きっとどうしてなのかどうしたらいいのか自分ではわからないのでしょう。だって、入園するまでは、例えば自分のスコップは自分だけの物で、誰にも邪魔される事なく遊べていたはずですから。スコップを取ってしまった子も悪気はないのです。使いたかったから取ってでも自分の物にしたかった……。その子にとっては、ただそれだけの事だったのです。
それから、朝の会をするために保育室に入ります。「おはいりだよ」と園庭を歩きながら子供達に先生達が声をかけますが、なかなか入ってくれません。『おはいり』の意味がわからないし、その先に何があるのか、何のために『おはいり』をしなくてはならないのかがわからないからです。まだまだ遊んでいたいから途中でやめたくないのです。こちらの子が入ってくれたかと思えば、あちらの子がまた出て来て遊び始める。そこに行って「お部屋に入ってみんなでお歌を歌おうか。」とおはいりを促すけれど、またあちらの子が遊び始める。この繰り返しです。水道で手を洗う時も、先生が「順番に並んで洗うんだよ。順番が来るまで待っててね。」と言っていても、順番抜かしで割り込んで手を洗う、追い越されても順番抜かしをしても、何て事ない顔をしています。素のままの子供達のこんな様子には、思わず笑ってしまいます。だって、ほとんどの事が自分中心に回っていた入園までの生活から、自分の思い通りにならない事も発生してくる集団生活に変わったばかりですから。
集団で生活する中には、ある程度の時間の制限があったり、ルールがあるという事も知らないのです。だから、これらは極々当たり前の事なのです。自分と同じような年の子や同じような考えを持っている子がたくさんいて気持ちがぶつかったり、思うようにできない事があったりというを経験する事で社会性が育ちます。相手の気持ちに気付いたり、人と関わることで喜怒哀楽を経験しながら協調性を学びます。いろんなあそびを通して、感動したり発見したり解決したりしながら生きる力や術を得てきます。
新入園児の自由奔放なこれらの様子を見る先輩の在園児達は、少し前までは、自分達もそうだったのですが、そんな事はもう記憶にはないらしく「あらあら」と言わんばかりに「人のを取っちゃあダメなんだよ!」「おはいりするんだよ!」「順番だよ!」と、いわゆる“世話のやける後輩達”に言い聞かせようとしてくれます。昨年まで満3歳児クラスだった子も今は同じクラスになった新入園児の友達に「そんなのいけないんだよ!」と言っています。この1年の経験の大きさを感じます。家庭では、家庭でできるしつけや教育が…幼稚園では集団だからこそできる教育があります。子供達にとっては、集団の中の友達や時間、環境や経験あらゆる事が生きた教材になるはずです。
今年も春休みに、たくさんの卒園児達が訪ねてきてくれました。電話をかけて元気な声を聞かせてくれた子もいました。みんな、人生の節目節目に幼稚園を思い出してくれるのです。その度に「幸せになれ!幸せになれ!」と祈ります。
その子達もかつては皆そうでした──全てはここから始まります。
2012年4月27日 5:23 PM |
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