葉子先生の部屋

お手伝い(平成25年度1月)平成26年1月

新年明けましておめでとうございます。今年は、暖かいお正月で家族のんびりと過ごされた方も多かったのではないでしょうか?いつもに比べて、時間の流れが少しゆっくりに感じられたのではありませんか?しかし、1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言います。ここから一気に時間が過ぎていくと言います。今日から3学期、今年度のまとめとなります。どの学年の子供達も進級…そして、年長組の子供達は小学校入学を目前にし、その意識を盛りあげていきます。最後の一学期を大切に、そしてたくさんの思い出を作れるように、充実した時間を過ごさせてやりたいと思います。

さて、この冬休みは、お子さんとどのように過ごされたでしょうか?日頃忙しくされているお父さんお母さんは、できるだけ子供達といる時間を充実させようと色々と考えて過ごされたと思います。その時間の中に、子供達のお手伝いの時間をとられたでしょうか?終業式に、冬休みの約束の一つとして『自分にできる事を見つけて忙しいお父さんとお母さんのお手伝いをしよう』と話をしました。さてさて、子供達はどんなお手伝いをしてくれましたか?

終業式前の事です。職員室に年少組担任の美智子先生から内線電話がかかりました。「今、○○君に職員室へお手伝いでおつかいに行ってもらいました。持って行った物を受け取ってやってください。」という事でした。その男の子は、初めて経験する事には躊躇し思い切って行動する事が苦手な男の子でした。ましてや、担任の先生から離れて一人で職員室に行くなんて、きっとすごく勇気がいる事だったに違いありません。私は、しばらく職員室で待っていましたが、なかなか来ないので、少し心配になって、こっそりテラスの角から様子を見ていました。すると、その子の保育室の前で美智子先生が、「葉子先生に渡すんだよ。お願いね。」と送り出していました。その子にとっては、保育室から職員室までは長い道のりに違いありません。こっそり見ていると、何回も立ち止まっては先生の方を振り返り、少し進んではまた立ち止まる……すごい勇気を振り絞っていたのでしょう。私の所に到着したのは、5分位経ってからでした。やっと「これ…。」と言って渡せた時の安心した顔がとても可愛かったです。知らない振りをして「誰に頼まれてたの?」と聞くと「美智子先生…」「そうなんだ!すごい!ここまで遠かったでしょ。」と言うと「遠かったの」と言って、それから色んな話をポツリポツリとしてくれました。「持って来てくれてありがとうね。美智子先生も助かったって喜んでおられるよ。」と話をしながらクラスまで送りました。美智子先生が保育室の中で、両手を広げて待ってくれていました。「○○君ありがとう!助かった!」と抱きしめてもらっていました。美智子先生が僕に頼んでくれて、大好きな美智子先生の役に立つ事ができた!───。その男の子は、勇気を振り絞っておつかいをした達成感と自信で満ち溢れた顔をしていました。

まだまだ子供だから…と考えないでください。小さくても、幼くても、子供だって一人前に誰かの役に立ちたい!喜んでもらいたい!と思っているのです。幼稚園でも、先生達は子供の様子に合わせて、色々な手伝いをお願いします。子供達は、実に嬉しそうに「私が!」「僕が!!」と競争のように、手伝おうとしてくれるのです。それは褒めてもらいたいからではなく、社会の一員として認められたいという潜在意識なのです。家庭でも、“家族”という社会の中で、何か任せてもらえて頑張れたら…そして、お父さんやお母さんに「ありがとう。助かったよ。」と心から喜んでもらえたら、家族の一員として認められた気がするのではないでしょうか?いつもは、自分のためにお父さんやお母さんが何でもしてくれる甘える立場だけれど、お手伝いを頼まれた時点で、(自分だって役に立っている)そんな満足感から、自分の存在の意味を実感できるようになり、自立意識を持つ事ができるのです。

この冬休みの間にそんな機会を作ってあげられましたか?子供の手伝いは、逆に時間がかかったり面倒な事になりそうで、こっちでやってしまった方が早くて楽だと考えてしまいがちですが、子供達は、お父さんやお母さんの何か役に立ちたいと純粋に思っています。ぜひ、日頃から、その気持ちを汲み取り子供の成長に繋げてやってください。『たかが手伝い…されど手伝い』です。

しかし、悲しいかな…年頃になると、頼んでも露骨に面倒臭そうな様子をみせるようになってきます。今ですよ!今のうちですよ!「お母さん!何かしてあげようか?」「お父さん!僕がする!」って気持ちよく言ってくれるのは……。ぜひとも、この時期に“あなたの力は、小さいけれど我が家にとっては大きな存在でとっても助かってるんだよ”という気持ちをしっかり伝えてあげてください。

冬休みに帰省している娘が、今年は年末からずっと私と一緒にいてくれて、大掃除やお節作り、毎食の準備や片づけを一生懸命に手伝ってくれました。「私、そのつもりで帰って来たから。何でもするよ。言ってね。」と言ってくれました。そして、「こうして今までも色んな事を手伝いながら、お母さんから学んでおかなきゃいけなかったね。一人暮らしをしていたら本当にそう思うよ。」───あらら、半年前位までは、しぶしぶ気味に手伝っていたのに……子供って自分の置かれた環境の中で色々と子供なりに考えて生きているものなんですね。楽しみなこと?

“むずかしいこと”が楽しい!(平成25年度12月)

子供達を楽しませてくれた園庭の木々の葉も秋風に吹かれ、一枚…また一枚…と落ちていきます。青々とした葉をつける木々、花や実をつける木々、また、それらが紅葉していき冷たい風に舞い落ちる様も、どれも人の心に何かを与えてくれるのです。自然は、私達にはできない豊かな心の育ちを子供達に与えてくれているような気がします。

今、幼稚園では12月に控えている“フロアーコンサート(音楽発表会)”に向け、子供達がステージの上で踊ったり合奏をしたりして練習に励んでいます。本番までに一週間と迫って来たのでだいたい完成しているようです。どのクラスの子供達も、お家の人達に観ていただく日を目前に、わくわくしながら練習時間を過ごしています。

これまで各クラスの先生と子供達の間には、日々いろいろな姿をみることができました。それは、楽器別のパート練習が始まって間もない頃、木琴の練習をしている年中組のクラスに様子を見に行った時の事です。丁度、先生の弾く曲に合わせてメロディーを奏でているところでした。単調な小節は、先生のサポートがなくてもほぼ演奏できていました。曲が進んで行くうちに、段々と子供達の表情が変わってきました。難しいメロディーの小節に差し掛かろうとしているからでした。あきらかに先程とは、表情と構えが違うのです。両手に握った木琴のバチが左右交互にみごとに小刻みに速く動きます。子供達の目は真剣でした。次の音…次の音…と探しながら演奏するのですから油断できないのです。しかも、まだまだ覚えたてなので必死でした。そして、その部分をクリアーした時のホッとした表情はとても可愛かったです。演奏が終わった時、担任の先生が、「すっご~い!!かっこいい!!できたじゃない!!」と大げさな程に褒めていました。子供達は実に得意気です。私もすかさず「難しいところがすごく忙しそうで大変だねぇ。でも、そこが特にかっこいい!」と拍手をしました。すると木琴を演奏していた子供達が「楽しかった!」と言うのです。まだ、完璧ではなかったけれど、先生から褒めてもらえた事で、難しいところを頑張って演奏した事に自信をもつ事ができたし、“できた!!”と思えた事が嬉しかったし楽しかったのでしょう。 

子供達は、いつも、何かしら挑戦したい気持ちを持っているような気がします。容易な事から始めても、それができたら、“もしかしたらもう少しできるかも知れない”と思うでしょう。そうしながら自分の力を知ったり限界を知ったりしていきます。

幼稚園の園庭にある小川もそんな子供達の挑戦意欲をかき立てるように作られているのをご存知でしょうか?幼稚園の小川の幅は狭い所も広い所もあります。子供達は岸から向う岸まで跳んで遊びます。自分の力に合わせて先ずは跳べそうな所を選びます。そこが跳べたら、次はもう少し難しい部分を探して跳んでみます。この自分への挑戦が楽しいのです。自分の力より少し上に挑戦する事が醍醐味なのです。安全圏の中ばかりで満足するのではなく、ほんのちょっぴりのスリルを楽しむのです。そして、その時には、どうやったら向う岸に跳べるかを考えます。時には、跳びきれなくて小川にはまってしまう…そんな事がありながらも自分のハードルを上げたり下げたりしてなんとか跳ぼうと頑張ります。その時の顔は、やはり真剣です。そして、跳べた時に初めて笑顔になります。コツをつかんだ達成感に満ち溢れています。それは、木琴を頑張っていた子供達のその時の気持ちと同じです。初めから“これ、できっこない!”と思わないで、もうちょっと頑張ったらできるかもしれないと思って挑戦する子供達は意気揚々として見えます。難しい事に挑戦するって本当は楽しい事なのです。自分の力が停滞したり後退しないで、刺激を受けながらどこまで頑張れるかを試してみるのは、『自分』を開拓していくきっかけにもなるような気がします。

でも、この挑戦意欲をかき立てるには、やはりそうできる環境が必要です。難しい小節を少しでも演奏できた時、即座に「すごーい!!できた!!かっこいい!」と力強く褒めて認めてくれる先生のような人がいてくれる事、向う岸に跳べた時に「わぁ~!○○くんかっこいい!僕も○○君みたいに跳びたいなぁ」と優越感を与えてくれる友達の存在、そして、そうできる環境がある事です。難しい事から目をそらしたり避けてやり過ごすのは、実はもったいない事です。いきなりハードルを上げるのではなく、様子を見ながら少し…また少し…と上げてやるのです。そして、できた!できた!を繰り返し味わう事ができたら、『難しい事』に向かって行く強い心や、意欲、そして、その事の楽しさに気づくようになります。その味を占めたら、これから先、子供達が生きて行く間に色々あるだろう困難にも、“もう少し頑張ってみようかな”と思って踏ん張れるたくましい子になるのです。

子供達は、そんな事をいくつも経験しながら頑張って来て、いよいよ一週間後の本番に挑みます。きっと自信たっぷりな様子に感動していただける事と思います。そんな子供達を益々たくましく成長させてくださるのも、お客様である保護者の方々の応援です。どうか、ステージに立つ可愛い主役達に惜しみない拍手とエールを送ってやってください。

経験が育てるもの(平成25年度11月)

気がつけば、今年のカレンダーはあと2枚……。もうすでに、来年の年賀状の注文受付も始まっているようです。なんて一年の早い事!時の流れを早く感じるのは、年をとった証拠とよく言われますが……(笑)。毎年の事ですが、“忙しい、忙しい”と過ごしているうちに、この月まで来てしまったような気がして、いつもここら辺で、ふと立ち止まってこれからの一日一日を大切に過ごさなければ!としみじみ思います。

子供達は今年度が始まってからこれまでに幼稚園で様々な日々を過ごしてきました。お子様の成長を色々な場面で感じてくださっているのではないでしょうか?幼稚園での経験の一つひとつが、子供達を確実に成長させています。それは、目に見えるものから気がつかないくらいの小さなものまで……。成長の大きさやスピードは様々です。

9月に開催された秋季大運動会では、みんなそれぞれに頼もしい姿を見せてくれました。保護者の皆様からも、その後、しばらくは、運動会の感想や我が子の成長を喜んでいただいている気持ちを連絡帳に書いて寄せていただきました。本番当日の一日を観ただけでも、感動してもらえた事を喜んでいるのは、何より子供達だと思います。お家で、お父さんやお母さんそして運動会を観に来てくださったおじいちゃんおばあちゃんからもいっぱい褒めてもらえた事は、大きな自信となったことでしょう。

私達は本番は勿論の事、それまでの子供達の頑張りや努力、そしてその都度得られる子供達の心の成長を毎日一番近くで見てきました。何かができるようになったとか、集団の中でみんなとちゃんと一緒にやっているとかという部分だけではなく、できない事や勝ち負けを繰り返しながらの自分との戦いをしていた子、初めての経験で慣れない事への不安や辛さを感じていた子、そんな子供達も、日を追うごとに楽しさや頑張る事への快感を得て行きました。その過程をずっと見てきた先生達には、一言では、言い表せない感動がありました。運動会が終わってから、子供達の成長はいろんな所に表れています。どことなく自信なさそうだった子の表情に明るさが出てきたり、友達関係に広がりが出てきて仲間意識が高まったり、一人でできなかった事を頑張ってみようという気持ちが強くなってきたり……。いろいろなシーンで、運動会の経験が子供達を育ててくれている事を実感しています。

年長組では、その後、運動会の絵を描きました。子供達の絵は表現が色々で、いつも感動させられます。見るのも楽しく微笑ましい作品がいっぱいです。しかし、子供達の中には、見た物や感じた事を画用紙に表現する事を苦手に感じる子もいます。担任の先生が、ある子の絵を「この子、前は、なかなか悩んで描き始められなかったのに、このリレーの絵は、ささっと描けたんです。運動会からすごく変わったと思うんです。」と言って見せてくれました。また、ある男の子の絵を見ながら「この子、今回、絵に向き合う姿が今までと違っていたんです。すごく根気よく最後まで描けていました。」と話してくれました。なるほど、絵を見てもそれが伝わって来ました。

心が揺さぶられるほどの経験は、子供達を大きく変えるということがよくわかります。楽しかった、悔しかった、面白かった、嬉しかった、悲しかった…色んな事があった。そして、僕も私も頑張った!!その自信が、表現する事に躊躇しない、戸惑わない…むしろ積極的に表現しようとする意欲につながるのです。また、そうできた事で更に自信を持ち、その他の様々な事に対しても挑戦意欲が芽生えてきます。そうなると、子供は生き生きしてきます。しかし、そこで、大切なのはその経験をする子供が置かれた環境です。例えば、運動会は集団の中での経験です。集団の中で友達の力を見ながらそれに憧れたり自信を持てたりもっと自分も頑張ろうと思えたりするのです。「もっと…もっと…」と思えるのは、一人じゃないからです。そして、その姿をわかって応援してくれる家族や先生、友達が近くで見てくれている事、さらに、それを褒めてくれたり、認めてくれて評価してくれる人がいる事です。そこで、子供達は、経験した事を「頑張ってよかった」「僕にもできた!」「私って凄い!」と、自分の力を確信します。ただ経験させるだけではなく、その経験を子供の確かな成長に導くのは、その周りの環境のあり方も手伝うのではないかと思います。

我が子の事は勿論、他の子供達の事まで、お迎えの時間に「○○君、運動会、かっこよかったよ!」「走るの速かったね」「○○ちゃん、お遊戯が可愛かったよ。」と保護者同士でお互いに声をかけ合っておられる様子をたくさん見ました。その成長を我が子の事のように認め褒めて喜んでくださるこのやり取りもまた、子供達の成長を大きくしてくれる環境の一つです。本当にありがたい事だと感謝しました。

 これからも、子供達は幼稚園でたくさんの友達と色々な経験をします。楽しかった、難しかった、しんどかった、面白かった、頑張った、嬉しかった、悔しかった、悲しかった──この全ての心の動きを与えてくれる経験こそが、子供達を確かな成長に導いて行く事を感じていただけると思います。子供達のその一瞬一瞬を目の当たりにする事が私達のやりがいと楽しみです。

おじいちゃん おばあちゃんの愛(平成25年10月)

今年の9月は、3連休が2度ありました。暑かった夏に疲れた身体をいたわるのにも、大雨のために少々遅れ気味だった稲刈り等の農作業にも、ありがたい連休だったのではないでしょうか?

前半の3連休は、敬老の日を含んでいました。我が家にも、83歳になるおじいちゃんがいます。今や恒例となった三次中央幼稚園の年長組の行事である田植えや稲刈りをいつも手伝ってくれます。稲刈りの一連の作業が全て終わり、ホッと安心するのも毎年この頃です。いつも、“敬老の日”には、おじいちゃんを囲んでちょっとしたご馳走を用意します。今年は、娘も料理を手伝ってくれました。その時、パンの屑ができたので、娘が池の鯉にあげに行くとしばらくして、キャーキャーと騒がしく戻ってきました。「お母さん!凄いものを見てしまった!パンをあげようとしたら、チョウチョが水面をひらひら飛んで来て、そのチョウチョを……、鯉が…パクッと食べたぁ!!ひどい!ひどい!かわいそう!」と興奮していたのです。私も、その光景を思い浮かべて「かわいそう!」と二人で騒いでいました。そこへ、畑から帰って来たおじいちゃんに娘がその話を興奮して話すと、いたって冷静に「仕方がないねぇ、それが自然の中で生きるありがたさと悲しさなんよ。人間が魚や肉を食べるのも同じ事、野菜も同じ事。みんなありがたいと思ってそれを頂戴しながら生きて行くんよ。“いただきます”って言ってね。」──以前にも、家の前の道路で、車のタイヤに踏まれたツバメを娘が「かわいそう」と見ていると、おじいちゃんが、そのツバメを素手ですくって、「あんたが、こんな所に迷って遊びに出て来たからこんな目に遭ったんよ。お母さんと一緒におればよかったのに…。可哀そうだったねぇ。こっちにおりんさい。また踏まれるよ。」と言って畑の中に隠してくれました。その優しい言葉に私も娘もそれ以上の言葉が出て来ませんでした。

おじいちゃんは、いつも、興奮した気持ちをふっと冷静にし、温かい気持ちに変えてくれたり、ス~っと気持ちが収まる言葉を言ってくれます。お年寄りの言葉には、不思議な力があるような気がします。親の私達にはできない事や言えない言葉をたくさん持っておられるのです。人生の大先輩です。この世の中をこれまで支えていてくださった方々です。色んな事をたくさん経験して人生を悟ったゆえの強い心を持っておられるからかもしれません。私達の世代よりずっとずっと考え方や物の見方が深いのです。そんなお年寄りを敬わずにはいられません。

幼稚園におじいちゃんやおばあちゃんが、「迎えに来たよ。さあ、帰ろうや。」とお迎えに来られる事があります。その中には、できるだけ孫が重くてしんどい思いをしないように、子供が持っているカバンや荷物をすぐに受け取られるおじいちゃんおばあちゃんがおられます。お父さんやお母さんのお迎えの時には、先生達は「自分の荷物は自分で持ちましょう!」と自立の一端としても再々言い聞かせます。しかし、私は、孫の荷物を持ってやる事で、嬉しそうにしておられるおじいちゃんやおばあちゃんには、むげにその指導ができないのです。……というのも、子供達とおじいちゃんおばあちゃんの関係は、お互いが心の拠り所であり、親子とは違う関係の中で、違う教育が成されていると思えるからです。そんな時には、「おじいちゃん、重たいのに、ありがとうね。」と子供達に聞こえるように声をかけています。

おじいちゃんやおばあちゃんは、孫に甘えてもらったり、頼ってもらったりする事に喜びを感じてくださるありがたい存在なのです。お父さんやお母さんに叱られた時の逃げ場となり、冷静な声と言葉でなだめる役に回ってくださいます。そんな時、子供達は行き場をなくしたり孤独にならなくてすむのです。「もぉ!!甘やかさないで!」と親の方針に合わない事をされるような気がしてしまうかもしれません。実は私も、子育てに必死だった若い頃はそう思う時もありました。しかし、おじいちゃんやおばあちゃんの愛情は、親とは違う角度からアプローチされる愛情なのです。幼稚園の子供達のおじいちゃんおばあちゃんはまだまだお若いです。おじいちゃんおばあちゃんが、いつまでも元気で明るく笑って、たくさんの事を教えてくださったり、温かいまなざしを向けて守ってくださる事で、子供達の中に、穏やかで優しい心がはぐくまれるような気がします。

幼稚園の先生の中にも、すでにお孫さんをもつ先生がいます。やっと歩くか歩かないかの小さな孫を大事そうに抱っこしながら保育園に送迎される姿は、本当に微笑ましく思えます。「孫には、我が子を育てていた時の気持ちとは違う可愛さや愛おしさを感じるのよ」と目を細めて言います。この、“我が子とは違う愛情”が子供達にとってはありがたく大切なのです。たとえ傍におられなくても、きっといつも孫の事を思い出し、“健康であってほしい。良い子に育ってほしい。”と心から願っておられるはずです。時々は顔を見せてあげたり声を聞かせてあげてください。子供達にも、おじいちゃんおばあちゃんの事を幼いながらも敬えるきっかけをつくってやってほしいと思います。

『孫は来て良し、帰って良し』そんな言葉でも、笑って言える器の大きなおじいちゃんおばあちゃん……いつもありがとう!…これからもありがとう!どうかいつまでもお元気で。

再会(平成25年度9月)

長い夏休みが終わりました。……でも、今年の夏は、これまでになく暑い暑い夏で、その勢いはまだしばらく続きそうです。どうやら、暑さを残したまま秋に向かいそうです。

皆さん、どんな夏休みを過ごされたでしょうか?子供達はそれぞれにたくさんの思い出をつくりこの2学期を楽しみに迎えた事でしょう。特にお盆休みには、お家の方も日頃より子供達と過ごす時間もとれて、それまでに気付かなかった我が子の成長や変化にも気づき、色んな事を感じられたのではないかと思います。

成長と言えば……お盆には、普段なかなか会えない人にも会うことができます。幼稚園がお盆休みに入る前日の事でした。23年前の卒園児である一人の男の子から「久しぶりに三次に帰って来ました。」とメールが届きました。その男の子は、28歳になっています。私が、年中組の時に担任したやんちゃ坊主でした。私は、どうしても会いたくて「今日、幼稚園においでよ!」とメールを返しました。それから、少ししてその子が来てくれました。私より数段身長が伸びていて(あたりまえですが…)とても“男の子”ではありません。立派な“青年”になっていました。岐阜県で中学校の数学の教師をしているそうです。私は、どうしても、彼が教壇に立って生徒に教えている姿が想像できませんでした。幼稚園の頃は、本当にやんちゃで、個性ぞろいのクラスの中にいて、よく遊び…本当に!よく遊び、よく食べよく喧嘩し、よく泣きよく笑いよくすねる…何度二人っきりの時間をつくり叱った事か…。今でも、その子を叱る時に彼の名を呼ぶ私の声を自分でも覚えています。教師になるなんて思ってもいませんでした。「担任もってるの?」と聞くと「もってるよ。大変だけど面白いよね。」と言いました。「中学生だと、色んな子がいるでしょう。」と私が尋ねると、徐々に自分の教育論を語り始めました。「そうだね。生活面でも、勉強面でも大変な子がいるよ。でも、そんな子にこそいい思いをさせてやらんと、伸びないんだよね。その子自身もだけどクラス全体も…。」ときっぱり言い切るのです。そして、「先生!僕が授業してるのが信じられないでしょ。これ見せてあげるよ。」とスマートフォンで撮った授業風景の動画を見せてくれました。それは、彼が教壇に立って教えているのではなく、生徒同士で一つの問題について、解き方を考えたり、説明や質問をしあっている授業でした。結論が出たところで彼が「よーし!これで理解できたね。みんなで拍手!」と拍手し合って喜ぶ生徒の様子が見られました。「先生が生徒の中心にいるんじゃあなくて、生徒が生徒を囲んで先生はその周りでサポートする。そのほうが、自分の意見や想いをしっかりぶつけ合えるでしょ。」と言うのです。「クラス作りに対するあなたの方針なんだね。」と聞き返すと、彼はしばらく黙って考え「うん。そうだね。そうしたいと思ってるよ。課題を抱えた子こそ、いつか楽しいと思えるようになる生活や授業をしてやりたいよね。」と自分に確認をしたように答えました。そして、「葉子先生もそうだったでしょ。」と言ってくれました。「僕は結構好きな事して、思う事を何でも言って、友達ともそうしながら遊んで、叱られて反省して…。そうやって成長した。」と、あの頃の自分を思い出して話してくれました。「そっか、あの頃があって今のあなたがあるんだ!」と私がおどけていうと、昔と変わらないやんちゃな笑顔で、「そういう事だね。」と二人で笑いました。

人は皆、昔の自分の生き方を振り返って、納得できる部分と反省する部分を認めながら、どこかしら次のステージに活かそうとするのだと思います。自分自身だったり次世代を担う人への教育だったり、様々な場面で心に宿っているものを活かそうと一生懸命に生きていくのだと思います。皆さんも、両親や先生から教えてもらった事や失敗して反省した事を自分の財産にして、我が子に伝えようと子育てされていませんか?ふと(アッ!私が昔、お母さんから言われていた事と同じ事を子供に言ってる)とか、(お父さんがあの時叱ったのは、こんな気持ちだったんだな)と感じることがありませんか?本気で教えられた事は、その後の人生において自分自身の財産になっているのです。生き方そのものになっていくのです。

子供達は今、その財産を少しづつ増やしていっています。家族の存在や自分の周りの環境、そして、関わる人と交わす言動の一つひとつが、子供達の未来の生き方に関わってくるのだと思います。

彼はそれからもいろんな話をしてくれました。楽しい話だけでなく、悩みも打ち明けてくれました。彼は、一人の教育者としても、尊敬できる人になっていました。教育や自分の想いを語る彼の真剣な顔はとても眩しかったです。私も背筋が伸びたような気がしました。彼の生き方の原点にほんのわずかでも、携われていたとしたら、こんなに嬉しくまた、これからの彼の人生への責任を感じずにはいられません。親の教えにも教師の教えにも、人を人として育てる事の責任があるという事を感じさせられた再会でした。

彼は教師として、きっとこれからも立派に一生懸命生きていくと思いますが、そんな子ばかりではないかもしれません……。私達が幼稚園から送り出した子供達が、どこで、どんな人生を歩んでいるのだろうか、みんな心の財産を活かして、どうか一生懸命に生きてくれていますように…。

───いつも、そう願っています。