葉子先生の部屋

親子で夢中(平成26年度7月)

さくら組の子供達が5月に植えた苗が、田んぼでしっかり根を張り少し背丈も伸びたようです。サツマイモの畑では、畑の畝に横たわっていた苗がむっくり起き上がって生き生きとしています。秋には美味しいお米とサツマイモを実らせるために、その日その日の環境を養分にし、一生懸命に生長しています。


毎年この頃になると、子供達が小さな飼育箱に色々な生き物を持って来てくれます。オタマジャクシ・カタツムリ・ホタル・カブトムシ・メダカ等、その飼育箱にたくさんの子供達が集まって来ます。誰かが一人こんな風に持って来てくれると、ちょっとしたブームになり、たくさんの子供達がぼくも私も…と飼育箱を抱えて来ます。いつも当たり前に生きているオタマジャクシやカタツムリ達は一躍スターにのし上げられるのです。そして、子供達は、小さな生き物に興味や関心を示します。クラスで毎日観察をし、オタマジャクシはカエルの子である事や、カタツムリがどんなふうに歩いて何を食べてどんなウンチをするのかを知ります。


この時期に毎年、いろんな生き物を持って来てくれる男の子が…というか家族があります。男の子3兄弟のお兄ちゃんの頃から、末っ子の男の子まで、私が知る限りでは、3兄弟みんな毎年何かしら生き物の入った飼育箱を抱えて幼稚園に持って来てくれていると思います。今年は、見た事もないような大きなオタマジャクシを持って来てくれました。このままだととても大きなカエルになるでしょう。そして、持って来ては持って帰り、大切に大切に家でも育てているのです。ある日、その男の子のお母さんが、朝、中門にいる私に「葉子先生!ちょっと見てみてください。」と声をかけてくださいました。そして、携帯電話の動画を見せてくださいました。見てみると、大きな卵パックに小分けした土の中から何やらモソモソと動く物がいました。それは、カブトムシのさなぎでした。聞けば、昨年の幼稚園のリサイクルバザーで購入されたカブトムシの子供達だそうです。そして、それより前に、ツバメの巣から落ちたヒナを今育てているんだという話もお母さんから聞いていました。エサやその食べさせ方、飼い方を色々と調べて何とか命をつないであげようと大切に家族で育てているという事でした。それから、なついて肩に乗るようになった事や割り箸でエサを上手に食べるようになった事等を時々私に聞かせてくださっていました。それから数週間後、「葉子先生!ついに飛び立って行ったんですよ。」と本当に嬉しそうに話してくださいました。携帯電話の動画には、そのツバメのヒナに男の子がエサを与えている様子や肩に乗っている様子も映っていました。


思い起こせば、そのお母さんは、お兄ちゃんの時に幼稚園でコウモリを見つけられ「これ、息子たちが喜ぶのでもらっていいですか?」と言って持って帰られた事がありました。すごいお母さんだなぁ…と思った事を覚えています。「飼い方も何もわからないけれど調べてみます」と言われました。そのご家族は、子供達だけ、とかお母さんお父さんだけではなく、いつも家族がみんな一緒に、生き物の命を大切に育てようとされます。子供は珍しいものがあれば、とりあえず欲しい!と言うでしょう。飼いたい!と言うでしょう。子供だけで本気で飼って育てるのはなかなか難しい事です。そのうち手に負えなくなったり飽きてきたりする事も少なくありません。でも、親子で一緒に夢中になってみると、飼っていた生き物が卵を産んだり大きくなって巣立って行くのを見届ける事もでき、その間には、興味が深まり生体の観察もするでしょうし、


愛情も育ちます。何より、お母さんもお父さんも夢中になってくださる事は、子供達にとって本当に幸せな事だと思います。


子供に好きな事を思う存分させてやるためには、家庭であれば、お父さんやお母さんが…幼稚園や学校であれば、先生が…子供と一緒に夢中になるという事、それはつまり、子供の心に寄り添い共感する事だと思います。自分に共感してくれる人がいてくれれば、安心して思いっきりのめり込む事ができます。それが、スポーツであってもいいし、趣味であってもいいと思います。何か発見があれば、家族みんなで驚いたり、わからない事や疑問が出てくれば一緒に悩んだり試行錯誤してみたり、嬉しい事があれば一緒に喜べて、悔しかったり悲しかったりに出くわせば、みんなで同じ気持ちになったりするでしょう。その度に、何倍もの感動を得る事になります。


こんな風に、家族でいつも何かしら一緒にできる事がある生活をしていると、何でも、家族に話してくれるようになったり、相談してきてくれるようになると思います。共感してもらえるという事で、気持ちを分かってもらえているという事を実感するのです。そうなるためには、子供と心を共に生活して子供達の心の動きやときめき…どんな事に瞳を輝かせているかに気づいてあげる事が大切になってきます。家族の関係も深まります。


親子で一緒に夢中になれるもの…なれる時間がある事は幸せです。そうして過ごしたその時間の事は子供達にとっても、家族にとっても一生の思い出にもなってくると思います。


夏休みも近いです。夢中になれるものが見つかるかもしれませんね

最後の運動会(平成26年度6月)

来月から衣がえ──月曜日から子供達は、爽やかな夏用の制服を着て登園します。新入園児達は、少し長めの丈で初々しく、進級児達は、着慣れた夏服に余裕を感じます。年長組ともなると、随分丈が短くなっていて、入園してからこれまでどんなに大きくなったかをうかがい知る事ができます。日々の生活の中では、その成長になかなか気が付かないものですが、こんな事からも、変わり行く季節と共に、心も身体も確実に成長している事を実感し、思わず感慨深く目を細めてしまいます。

さて、5月下旬の土曜日・日曜日には、あちらこちらで運動会が行われたようです。幼稚園にも、進学予定先の各小学校から年長組の子供達に、運動会の案内が届き、参加できることをとても楽しみにしていたようです。運動会に参加した翌日には、小学校の広い校庭で、かけっこをした事を担任の先生に一生懸命報告していました。

来年の4月になって、それぞれにその小学校に入学することを楽しみにできたらいいなと思うと同時に、すでに小学校に通っている卒園児達も、きっと頑張ったのだろうなと、その姿を想像していました。

娘が通う高校も、日曜日に体育祭が行われました。娘は、運動が大好きで、多分、“体育祭”は、数ある中で最も好きな行事だと思います。実に生き生きとどの競技も手を抜くことなく頑張るので、その姿が観たくて、親の私達も毎年体育祭を楽しみにしています。高校生ともなると親とは別に教室で昼食を食べる生徒が多いようですが、我が家は必ず行楽弁当をみんなで囲み午前の部の話をしながら昼食を一緒に食べます。友達の家族も一緒ににぎやかにいただきます。毎年そうしてきましたが、その娘も高校3年生ですので、今年が最後になりました。

体育祭前日、お弁当の下ごしらえをしていると、「お母さん、これ、プログラムよ。私の出場する種目に順番や位置を書いておいたからきっと探してね。だってね、お母さん、これがお母さん達に観てもらえる人生最後の体育祭よ。絶対!来てね。」と言って来ました。きっと、彼女なりに今年の体育祭には思い入れがあったのでしょう。高校生にもなって、そう言ってくれる娘が可愛くて、大好物のおかず作りにも力が入りました。

そして、当日。言っていただけあって、なるほど彼女はとてもいい顔で頑張っていました。先生やクラスやクラブの仲間たちと大声を出し合って競技する姿を見て何だか込み上げてくるものがありました。そして、閉会式で校歌を歌う姿を見ながら、幼稚園の時からこれまでの運動会と体育祭を思い出していました。その時その時の娘達の緊張した顔や喜ぶ顔、感動etc.…それらがたくさんたくさん頭の中を廻りました。

親はいつも、我が子が一生懸命頑張っている姿や楽しそうな笑顔が観たいものです。持てる力を無心に発揮しようとする我が子の姿、そんな生き生きとした姿に安心したり、元気をもらったり、順調な成長に喜びを感じたりするのです。運動会に限らず、親が子供達と一緒に笑い一緒に泣き、共通の思い出をつくる事ができるのも、その子の長い人生の内のほんのわずかな時期だけです。この間にしか得ることができない感動や喜びの一瞬一瞬をどうか大切にしてください。私も、これまで毎日毎日の生活の忙しさで毎年繰り返される我が子達の様々な学校行事にこんな思いをはせる事もなかったのですが、娘から言われた『お母さん達に観てもらえる人生最後の体育祭』という言葉にハッとしたのです。いつまでも一緒にいられるわけではないのです。いつかは、親とは違う場所でそれぞれに生活することになり、同じ感動を一緒に味わい共有するという事がなかなかできなくなって来ることを実感しました。そう思うと少し寂しくなってきました。

私達親は、子供達を通して、世界を広げてもらえています。子供がいなかったらできなかったママ友、行くこともなかっただろう場所、味わうこともなかった喜びや悲しみ、感動──。こんなふうに子供達は、私達大人の人生に“潤い”と“幸せ”を与えてくれている事にあらためて気付かされました。

年少組の時、可愛いミニーちゃんに扮してお遊戯をして可愛かった事、運動会の朝、熱が出て坐薬を入れて頑張った時の事、孫達の運動会には必ずおばあちゃんが応援に来てくれていた小学校の運動会、そして、勝負を賭けて真剣に走りきった中学・高校の体育祭──その一瞬一瞬の感動が一度に思い起こされた体育祭でした。

幼稚園では、これからたくさんの楽しい園生活、幼稚園行事が待っています。先日も、保育参観日でお子さんの様子を観ていただいたばかりです。こんな行事もお子さんと一緒に楽しみながら、その時その時の感動を共有し、思い出を大切に重ねて行って欲しいと思います。

体育祭が終わった夜、学校から帰宅した娘が、洗い物をしていた私に「お母さん、今までおいしいお弁当を持って応援に来てくれてありがとう。」と言ってくれました。こうして、“人生最後の運動会”は、娘からの感謝の言葉で締めくくられました。

めざすはお兄ちゃん(平成26年度5月)

新年度がスタートし1ヵ月が経とうとしています。新入園児達を迎えた時には、かわいいチューリップが花壇で咲き誇っていましたが、今は、幼稚園にも少し慣れて園庭で遊び始めた子供達を“リキュウウメ”や“ヤエザクラ”のきれいな花が見守ってくれています。しかし、慣れてきたとは言え、新入園児達は、幼稚園が楽しみな気持ちとお家の人と離れて過ごす不安な気持ちが入り混じり、緊張した顔で登園している様子がまだまだ見受けられます。この新生活を受け入れ“楽しさ”に出合うために一生懸命です。登園時間には、先生に預けた後で子供が泣いて後追いしないように……と、心配する気持ちを押し殺し、振り返らず帰って行かれるお母さんの背中に愛情と、お母さんもまた一生懸命なのだという事を感じます。そんな中でも、早くも幼稚園に慣れ、何をしてもどこ行っても、楽しそうに過ごせている子供達もいます。子供達のどんな様子も微笑ましく思えます。

朝の時間の事です。全員が登園して来るまでの時間は、自分の荷物を片づけ、スモックに着替え、あそびを選んで思い思いに過ごします。この時間は、クラスや学年を越え、異年齢で関われる有意義な時間でもあります。年長組の子供達が、年少組の保育室に行き、出席シールを貼ったり着替えたりする手助けをしてくれる事もあります。園庭に出れば、あそびに誘い合ったり遊具の貸し借りをしたりしながら関わりを持ちます。ある年少組の男の子が年長組の男の子二人について遊んでいました。もう何日もその光景は見られました。最初は、年長組の子が「せんせーい!この子がずっとついて来る!」と困ったように言って来ましたが、「一緒に遊んで欲しいんじゃないのかな?」と言うと、まんざらでもないような顔になり、それからは、一緒に走り回って遊ぶようになりました。特に誘い合うでもなく、年少組のその男の子は、スモックに着替えて外に出ると、二人のお兄ちゃんの姿を探しては、勝手に合流して一緒に居るといった感じなのです。その様子をよく見ると、お兄ちゃん達がする事を一生懸命に真似しているのです。年長組二人の男の子は、軽くひょいひょいと小川を飛び越えたり、アスレチックに登ったり、わんぱく小山からジャンプして降りたりして遊んでいます。きっと、その姿がかっこよく見え、そんなお兄ちゃん達に憧れているのでしょう。でも、同じ事ができるはずがありません。お兄ちゃん達がしている事より簡単な場所を選んで真似ていました。ひとつ出来た(つもり)ら、走って追いつき、また同じ事をしようとしていました。その顔は終始ニコニコでした。そんな時、気持ちが大きくなったのでしょうアスレチックの高い所に同じように登って、降りられなくなってしまったのです。それに気が付かず、お兄ちゃん達はそのまま走って行ってしまいました。年少組の子は、ついに限界を感じ泣いてしまいました。とっさに私が助けに行こうとした時、その泣き声を聞いて、お兄ちゃん達が戻って来てくれたのです。近くまで登って行き、一人は、「足をずらしてごらんよ。そしたらお尻をずらして……チョットずつでいいから…こうして…。」と声をかけ、もう一人は実際にやって見せていました。そのうち、三人ともアスレチックから降り、また、何もなかったように再び走り、遊び始めたのです。こんな風に、大きなお兄ちゃんが、カッコいい姿を見せてくれたり、困った時に助けてくれたりしたら、尊敬できる先輩としてずっと憧れの存在になるでしょう。そして、きっと年少組のその子も、いつか自分にしてもらった事を他の子にしてあげられる子になるでしょう。

これから、子供達は幼稚園で色々な経験を積んでいきます。各年齢に合った活動をしながら、子供達は、自分の力を見い出したり、先輩の凄い力に憧れたり、後輩をいたわったり慈しんだりする場面にたくさん出会う事ができます。今、後輩達に憧れてもらえるようになったその子達にも、去年までは憧れる先輩がいたのです。「いつかは、僕達もあのお兄ちゃん達のようになりたい!」「私達もお姉ちゃん達みたいになりたいな」という気持ちでいたのです。“憧れ”は“尊敬”になり、“目標”になります。自分の方向性を定めるきっかけになります。尊敬できる人との出会いは、大きく言えば、人生に影響を与えてくれるのです。子供の世界の中で生活する上で、子供同士色んな影響を与え合います。同年齢の友達とは、意見や気持ちのぶつかり合いを経験しながら相手の気持ちに気付いたり、ある時には喧嘩をしながら、我慢したり主張したりして、気持ちよく生活する方法を知って学んで行きます。一緒に考えたり協力したりしながら、みんなの存在の大きさや必要性を感じ尊重しあう事を知ります。異年齢では、前に述べたように、同年齢の友達とは少し違う経験から得るもの与えるものがあります。家庭ではできない教育──、これこそ、幼稚園教育の意味あるところだと思うのです。

幼稚園での生活が子供達の成長になくてはならない経験である事を感じていただきながら、保護者の方との連携プレーで、今年度も過ごしていけたらと思っています。

子供達全員が、“三次中央幼稚園っ子”として、生き生きと頼もしく成長していく姿を思い浮かべると、今からとても楽しみです。

僕の想いが誰かに届く(平成25年度3月)平成26年3月

幼稚園の花壇に植えたチューリップが小さな芽を出しています。

“あぁ、やっと春が来たぞ”と言いながらでしょうか、お行儀よく並んで出ている芽がとても可愛く思えます。節分に福の神と春を迎えたはずなのに、なかなか暖かい日が続く事がなかったのですが、ここに来てやっと春を感じるようになって来ました。

今年度もあとわずかとなり、幼稚園ではどのクラスでも残された日々を大切に大切に過ごしている様子がうかがえます。特に、年長組は3月になるとこの幼稚園を卒園します。ひとつでも多く思い出をつくろうと、充実した毎日を送っています。卒園の準備も少しずつ進めています。

1月の終わりには卒園写真を撮りました。その時に、PTA会長さんが、風船のプレゼントをしてくださいました。“子供達が笑顔で写真を撮る事が出来れば…”という温かい会長さんのお気持ちでした。卒園児が一人に一つ持てるように十分な数の風船──、子供達は撮影場所に飾られたその風船を見て感謝しながら良い顔で写ることができました。そして、その風船に、一人ひとりの色んな想いをつけて空へ飛ばそう!という事になり、保育室に戻ってメッセージを書き始めました。夢や願い事、自分の事…色々な気持ちが書いてありました。自分の心の中だけに秘めておくのではなく、果てしない大空に向けて飛ばす事で、もっと強くもっと広くその想いを確かなものにできるような気がしました。幼稚園の全ての先生や子供達が見守る中、たくさんの応援の声と共にその風船は広い広い青空に飛んで行きました。その光景は、実に感動的でした。

それから数日後、三重県の方から園長先生に電話がかかってきました。メッセージを見つけてくださったのです。園長先生からその事を知らされた子供達は驚いていました。そのメッセージには、“せかいのみんなが えがおにかわりますように…”と書いてあったようです。それからまた数日後、兵庫県の方から「散歩中に、海岸近くで愛犬“トム”が見つけました」というおたよりが来ました。“つなみになりませんように”というメッセージが書いてあり、津波の危機範囲にお住まいのその方は“お見舞いのたより”と嬉しく受け取ってくださったようでした。そして、またつい最近、同じく兵庫県の中学校の教頭先生から子供宛てに手紙が届きました。中学校のグランドに落ちて来たのを手にして読んでくださったそうです。その子は、熊本に住むおじいちゃんとおばあちゃんにメッセージを書いたようですが、風に乗って逆方向に飛んだのです。それでも、送られてきた手紙に大喜びでした。この出来事に、子供達も大人の私達も感激を味わう事ができました。

その場所も、その人の顔も知らない所へ、ゆっくりゆっくりただ風に乗せられて届けられ、それを見つけて幼稚園を調べ、お返事を書いて届けてくださる方がいて……。なんて、夢のある話でしょう。空から届いたメッセージを手にしてくださった方は、どんな子がどんな状況でこのメッセージを飛ばしたのかをそれぞれに想像しながら読んでくださったでしょう。逆に子供達が空に向かって飛ばした時、どんな所に飛んで行き、そこにはどんな風景がありどんな人が見つけてくれるのか?たとえそれが、人の手元に届かなくてもいい、海に流されても魚達の目には触れるだろう、風に乗って飛んでいるメッセージを鳥も見てくれるだろう──、一体自分達の手から離れたメッセージはどんなふうに届くのだろうと、想像に胸を膨らませていたのです。

たまたま、手にとって読んでくださった方からのお返事に、子供達は、自分達の想いが確かに誰かに届き、誰かの心を打った事に感動したはずです。そして、そのメッセージに託した想いが、より自分の中で確かなものになっていきます。“世界のみんなが笑顔になる事”“津波によって命を失う事のないよう願う事”を一人でも多くの人達が願うようになれば、世の中が幸せな方向に動いてくれるような気がします。自分の想いが誰かに届く……誰かに届ける事で、何かを動かす事ができるという実感を持つきっかけになったのではないでしょうか?早春の空と風が子供達とその方々を繋いでくれたこの出来事は、子供達にとって心に残る大きな思い出になった事でしょう。

年長組の子供達は、間もなくこの幼稚園を巣立ち“小学校”へ入学します。小学校の先生の顔も、友達もまだよくわからない未知の世界です。幼稚園での数々の思い出は、期待と不安が入り混じった気持ちでいるであろう子供達が、希望を持って新しい世界に向かう応援エールになってくれる事でしょう。

その日は、風のまだ冷たい…だけど澄んだ青空の素晴らしい一日でした。私達は、大空を見上げる度にこの日の事とこの子達の事を思い出すでしょう。そして、どうか、いつまでも自分の想いと願いを強く持ちながら生きて行く人になって欲しいと祈り続けるのです。

先を行く者の務め(平成25年度2月)平成26年2月

まだまだ、お正月気分がどこか抜け切れていないまま、1ヶ月が経ちました。そして、明日から2月、幼稚園では子供達の進級、進学に向けて色々とまとめや準備に取り掛かっています。本当にあっという間の3学期になりそうです。そのスピードに追い立てられないように、一日一日の全てが心に残る大切な時間として過ごして行きたいと思います。

さて、始業式の一週間後、年長組が楽しみにしているお茶のお稽古がありました。数年前から3学期には、毎月のお稽古毎に保護者の皆様をご招待しています。子供達がどんなお稽古をしているのかを見ていただき、保護者の方にも体験していただく機会を設けています。その時の事です……。

新年明けのお稽古だったので、お軸は干支の馬、花は柳、香合は羽子板でした。お菓子やお抹茶をいただく前に、お茶の先生が、いつものように、それぞれの意味を話してくださいます。子供達は、お茶のお稽古の時は日頃の雰囲気と違う空気を読み、真剣に正座をして先生の話に聞き入ります。子供向けに話してくださるのですが、私達大人でも(なるほど!そういう事だったのか)と知らされたり曖昧だった事が確信できたりして、知識を得させていただいています。香合のお話になった時の事です。羽子板の形の香合を手に持たれ「この形は何でしょう?」と言われるとしばらく沈黙でした。お茶の先生が、少しずつヒントを出してくださってやっと「羽子板!!」という答えが返ってきました。「羽子板を知っている人!」と聞かれても、見た事や聞いたことはあるけど、遊んだ事がある子はほとんどいませんでした。今や、お母さん世代でもあまり遊んだ経験のない時代のようです。そう言えば、私が子供だった頃には、お正月だからと当たり前のように羽根つきを友達としたり、広場で親戚の人達と凧揚げをしたり、こたつに入って“かるた取り”や“すごろく”をしたりしていました。それが、少しずつ様変わりをし、バトミントンになり和凧が進化して三角型の凧になり、ルーレットゲームやテレビゲームになって行きました。私が大人になるまでにもお正月の光景は変わって来ました。そして、遂に、「見た事はあるけど……」という時代になって来ました。大人でさえ、経験がないものを子供達に伝えるという事はなかなかできません。『お正月』という歌があります。2番に「もういくつねると おしょうがつ おしょうがつには たこあげて おいばねついて あそびましょ」という歌詞があります。子供達は知っているでしょうか?そして、歌っていてもこの中にある“おいばねついて あそびましょ”が、まさに“羽子板”を使った“羽根つき”なのだとわかっているでしょうか?少し脱線しますが、『ももたろう』という日本の昔話に「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがすんでいました。おじいさんは山へ芝刈りにおばあさんは川へ洗濯に……」と耳慣れた一節で始まりますが、“山へ芝刈りに…”という意味を正しく知っているかと言えば、頭をひねるでしょう。整備されていない山林を歩いた事が無い子には、具体的に想像する事は難しいからです。このように、知らないまま耳にして口にしている事って他にも結構あったりします。あらためて聞かれると“そう言えば…どういう事?それって何?”という事があるのです。でも、子供達も日本人として生まれこれからも日本人として生きて行くのです。昔からこれまで言い継がれてきた事には、言われに基づくちゃんとした意味があり、この由来を知れば、簡単には無視できない大切な事なのだと感じます。例えば、羽根つきの羽根は“無患子(ムクロジ)”という植物の種に綺麗な羽根をつけた物で、“子供が患わ無い”という語呂合わせで、子供の厄除けと無病息災を願ったものなのだそうです。そう知ったら、子供の幸せを願う気持ちで日本文化として大切にしたいと思うでしょう。お正月のお節料理にも、それぞれに意味がある事もご存知でしょう。それらの全てが、家族の幸せを強く願う昔からの人々の想いから伝えられてきたものです。

日本の文化は、人が人を愛する美しく温かい想いの表れだと思います。お茶の先生が「日本の文化を子供達にちゃんと伝えていくのは、先を歩く者の役目だと思う」と言われました。他にもたくさんあると思います。四季のある日本には、その季節の節目節目に食す食べ物があったり、習わしがあったりします。その意味を教え、子供達と一緒に経験してみたらいいかもしれません。そうしてもらえる事で、子供達はお父さんやお母さんからの愛を感じる事でしょう。きっと心に残し、大人になっても、確かこの時季には…と意識してくれる事と思います。そして、それがまた次世代に…と伝承されて行くのです。日本が日本らしさを失わないように…。それは、自分の国を大切にする事に繋がってくると思います。

今は、色々な新しい情報が実に簡単に、また、たくさん入り混じる時代になってきました。逆に古い情報は入りにくくなります。時々ちょっと踏みとどまって、古き良き時代の大切にしてきた物に目を向けてみることは、確かに「先を行くゆく者の務め」なのかもしれません。

新しき事と古き事どちらをも知識に持つ大人は素敵ですよね。

どちらかと言えば、新しき事がなかなか入って来ない私ですが……。