葉子先生の部屋

日本の贅沢(平成26年度12月)

年賀状の予約、クリスマスケーキ、お節料理の情報…等と、街は年末ムードで賑わい始めました。この一年の間にいろいろな事がたくさんあったのに、時間だけはあっと言う間に過ぎて行ったような気がします。新しい年を迎える前に、“今年もいい年だった”と思えるように、健康で年末に向かいたいものです。

さて、先日、用があって尾関山公園のあたりを通りかかりました。濃いもみじの紅葉がパーッと目に入り、思わず車を止めてその見事な景色にしばらく一人で見入っていました。前日の雨で濡れて光る落ち葉も私の目を楽しませてくれました。もう少ししたら、この紅葉の景色が雪景色になるのだろうと…そして、そのうちに春になりこの場所には桜が咲き誇り、また違う楽しみを与えてくれるのだろうと思いながらその様を想像していました。

日本には、春夏秋冬の四季があります。どの季節にもその時らしさがあって楽しいものです。目に映る楽しさだけではなく、味覚での楽しみもあります。大根や白菜の料理が食卓に頻繁に並ぶようになってきたら「おっ!.大根の美味しい季節になって来たね」と、家族が言います。今、畑を見れば、大根・白菜・ブロッコリー・ネギ等がたくさん植わっています。先日、娘と畑に行き、大根を抜いて冷たい水で土を落としていると「この景色やこの寒さと、大根や白菜の収穫はセットだね」と遠くの山の色や畑を見ながら娘が言いました。「夏休みには、セミの声を聞きながらトマトをもぎ取ったり、キュウリやナスを料理して食べるのがセット…って感じがする」と言うのです。なるほど、毎年、季節を繰り返しながら五感で四季を味わって生活をしているのだという事を感じます。

ぽかぽか暖かい柔らかな日差しを感じる春には、それまでどこかしら緊張して見えた冬の景色も緩み始め、冬眠から目覚めた動物達が動き出し、その内、花々も咲き、虫たちが集まって来ます。何もかもが新しく動きだし、人々の新生活も始まります。身にまとう服を一枚…また一枚と脱ぎ汗ばむ夏、口にするものも冷たい喉越しの良いものを欲し、緑で生い茂った木陰に涼を求めます。そこで鳴くセミの声は一層暑さを感じさせます。秋の楽しみはまさしく五感に訴えます。食欲の秋・読書の秋・スポーツの秋等と言われるように…。そして、またこれから向かう冬には、厳しい季節を受け入れながら寒さを楽しむ食べ物や生活があります。このように、春夏秋冬で様子を変える中、それぞれに生活のスタイルを合わせながらも私達日本人は、季節を楽しむ事を知ってきました。

また、それぞれの様子に優しさ・勢い・はかなさ・厳しさ・強さ・哀しみ・喜び等、色々な感情も抱きます。感じ方は様々で自由ですが、日本の四季折々の景色を見て、一年中同じ感情でいる人はあまりいないのではないでしょうか?普段は日々の生活に追われ、季節による自分の心の動きや感情の変化になかなか気が付かないでしょう。ですが、そのつもりで、山やその木々を眺めて見たり、花畑や野菜畑の植物の匂いを嗅いでみたり、目を閉じて音や声に耳を傾けたり、風や空気を肌で感じてみたりしたら、四季によって抱く感情の違いに気がつくと思います。春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の…それぞれに抱く想いを楽しむのです。そうして、感情豊かな自分になっていくのにも気づくでしょう。

このように、日本には『四季』があります。それだけに自然災害にも苦しめられますが、『四季』の移り変わりに逆らわず、受け入れ共存する気持ちで無茶や無理をせず生活をする事によって、それは、この上ない『贅沢』になるのです。

子供達にも、この“日本の贅沢”を味わわせてあげてほしいのです。綺麗な花をみたら「きれいだね。○○の気持ちになるよね。」と話してみたり、熱い太陽の日差しを浴びながら自然のエネルギーの恩恵について感じさせてやったり、落ち葉を見たり集めたりしながら、そのはかなさやもの悲しさ…そして、雪の下にある新しい季節を待つ生命力のたくましさ等を一緒に話したりしながら、“感じる事”を意識させてあげるのです。そうする事を繰り返しながら、子供達の感性は育つのだと思います。「夏は暑い、冬は寒い」というだけではなく、そこに自分なりに抱くイメージや感情や思い出等をオーバーラップさせながら、四季を味わい、楽しめるようになるでしょう。

また、日本にはその四季に合わせて行われる伝統行事もたくさんあります。それらの全てが、四季の流れに逆らわず、自然を尊ぶ日本の美意識からきているもののような気がします。この贅沢は、頑張って働いて…とか、運が回って来て…とかで得られるものではなく、宇宙のエネルギーや神様からの贈り物なのです。たまたま日本に生まれここで生活できている私は、この『日本の贅沢』をたっぷり味あわせていただきながら、人間らしい心を何歳になっても育んでいきたいと思っています。子供達にも、五感の全てで春夏秋冬を感じ、幼い時期から感じる心が自分の中にある事を知り、更に、感性豊かな人になって欲しいと願うのです。

幼稚園での経験が確かな学びに(平成26年度11月)

園庭に、落ち葉がだんだん増えてきました。早い時間に登園して来た子供達が、先生を真似て長い竹ぼうきを難しそうに使い毎朝の掃き掃除を手伝ってくれます。先生達と一緒に掃除をしながら、きれいな落ち葉を見つけたりかわいいドングリを集めたり…。こんな時間も子供達にとっては、楽しい時間のようです。

先日、三次市内のある小学校1年生の2クラスが、動物との触れ合いを求め『生活』の時間を使って、三次中央幼稚園の“なかよし動物園”を見学に来ました。ご存知の通り、三次中央幼稚園では生命の輪廻(りんね)を身近に感じながらその尊さに気付いたり、生き物を慈しむ経験を通し優しく豊かな心が育ったりする事を願い、たくさんの動物を飼っています。ヒツジ・ヤギ・ウサギ・クジャク・カモ・カメ・コイ等、子供達にはどれも大人気の動物達です。その小学校1年生の児童の中には、何人かの卒園児がいて、他の児童達がエサやりに苦労していると「こうやってあげればクジャクは食べるよ」とか、カモが野菜をあまり食べてくれない事を残念そうにしている友達に向けて「カモは、この小川の苔が大好物だからこれをあげたらいいよ」とせっせと小川の石に生えている苔を木の枝でこすり取って集めてはカモにあげていました。友達に教えてあげているその姿は、ひいき目か、頼もしく思えました。何人かの児童も同じようにやり始めました。

1年生達が一番感心を示していたのはヒツジでした。こんなに間近に見ることはあまりなく、自分でエサをあげて食べてくれる大きな動物に触れる機会もないでしょうから…。ヒツジの周りは児童達が持って来て与えた野菜だらけになっていました。そんな時、一人の女の子が「フワフワの毛だね」とヒツジの頭を触りました。それをきっかけにたくさんの子供達が触り始めました。私は、これは良いチャンスだと思い、昔から幼稚園で大切に保管してあるヒツジの毛を刈って紡いだ毛糸を出してその子達に見せてあげました。「これは何でしょう!」と問いかけると「毛糸!!」と答えてくれました。「そう!これは、ヒツジの毛を刈って紡いだ物で、この毛糸が寒くなったらみんながよく着るセーターや手袋やマフラーになるんだよ」と話をすると、「アッそうかぁ」と歓声をあげました。セーターやマフラーが毛糸でできている事は知っていても、また、毛糸がヒツジの毛からできている事は知っていても、全てが結びついていなかったようでした。実際にそのヒツジを目の前にし、フワフワの毛を触ってみて、自分たちが着るセーターとヒツジの関係が頭の知識の中でピタッと結びつき感動したのだと思います。

また、3羽のクジャクを見て、「どれが雄でどれが雌かわかる?」と問うと「白いのが(三次中央幼稚園には突然変異で生まれた白いクジャクがいます)雌!」と言ったり「綺麗なのが雌!」と言ったりする児童がいました。すると、卒園児の女の子が「違うよ!しっぽの羽が長いのが雄よ。」更に「あの羽を大きく広げて、雌に好きです?って告白するんよ」と説明してくれていました。「うん!ブルブルって雌に近づくところを見た事あるもん」と、またもう一人の卒園児が付け加えました。幼稚園にいた時に経験した事が記憶に残り知識になっていたのです。「雄は雌にプロポーズするために、きれいな羽や姿を持っているんだよ。そう思って向うの池にいるカモたちを見てごらん。雄と雌がわかるよ」と言うと、皆がカモの池に向かって走って行きました。そちらの池では「アッ!わかった!こっちが雄だ!!」という声がたくさん聞こえて来ました。

それまでに実際その経験をしていた子供とそうでない子供の知識はこんな風に違ってくるのだと実感しました。多分、この子達は、いずれ学校の授業の中で、動物や植物の雌と雄の区別の仕方を習うでしょう。そこで初めて知る子もいると思います。あるいは、もうすでに何かでその知識を得ているかもしれません。しかし、その前に実際にその成り立ちや姿や様子を目の当たりにしてその時に得た知識は、リアルに子供達の頭の中に刻み込まれます。その上に教科的に学べば、(あぁ、そうそう!!そうだった!)(なるほど、そう言えば、見た事あるぞ)と学んだ事と経験した事が一致して、確かな知識となるのです。

この秋も幼稚園の子供達は色々な経験をしています。年長組は、春に植えたお米の苗が生長し、本物の鎌を手に稲刈りをしました。収穫したお米を炊いておにぎりを作って食べました。また、6月に苗を植え、全園児でサツマイモの芋掘りを経験しました。芋畑で食べたふかし芋の味は格別でした。このように、自分の口に入るまでの様々な過程に携わる事で、興味や関心の深さが増してくるのです。おにぎりやふかし芋の元々の正体やそれになるまでの一過程一過程に感動したり感心したりしながら、本物の知識を自分のものにしていくのです。

こんな経験ができたり、本物の動物や生き物に直に触れることができたりするこの環境の中にいる事を…、それを提供できる事を幸せだと思います。私達は、このありがたい環境を十分に生かして、未来ある子供達の学びに結び付けていく責任を感じています。

子供達が経験する一つひとつを一緒に感動して“生きた学び”に繋げていきたいと思っています。確かな学びの第一歩は、もう始まっているのです。

憧れ(平成26年度10月)

初夏の方が夏本番よりも暑く、雨の多かった夏休み、そして夏休みが終わってからのしばらくの暑さには、地球で一体何が起きているのだろう?と不安になるようでした。ここに来てやっとあたりまえの秋の気候になったような気がしています。暑い日はあっても、その日差しはとても柔らかく、稲穂の周りをトンボたちが楽し気に飛びまわる様子にほっとさせられます。

幼稚園では秋季大運動会を目前に、たくさんの保護者の皆様の応援をいただきながら、子供達がこれまでの頑張りの成果や成長ぶりを発揮してくれる事を楽しみにしているところです。

さて、運動会に向けて取り組み始めたのは、さくら組では6月からでした。特に鼓隊演奏の指導には早目に取りかかります。太鼓やシンバルや指揮棒、ひるがえるカラーガードは開園当初からの大先輩たちが毎年見事に演じてきたものです。それを身につけ、フォーメーションを組んで演奏する姿は後輩である年中組・年少組・満3歳児組の子供達の憧れです。それらを手にした年長組の子供達は、しばらくの間は室内で指導を受け、ほぼ一曲が通せるくらいになった頃に園庭に出て練習をしました。その時の華やかさとかっこよさには感動します。そして、いつも鼓隊演奏の練習時間になると、他の学年の子供達が集まって見学をします。砂あそびやアスレチックで遊んでいる子供達も身体を止めて見入ります。何度も見学をしたためか、先日は、満3歳児組の小さな子供達が新聞紙でカラーガードを真似て作り、行進ごっこ(?)をして遊んでいました。指揮者の真似をする子も現れます。その子達は、かっこいい年長組のお兄ちゃんお姉ちゃんの姿に憧れているのです。年長組の子供達にとっても数年前には憧れの鼓隊演奏だったのです。それだけではありません。年長組の女の子が華麗にバトンをまわすお遊戯や、衣装を身にまとって裸足で勇ましく演じる男の子の踊りにも、それら全てが後輩たちの憧れです。満3歳児は年少組にも…年少組は年中組に……。“憧れ”は“目標”や“尊敬”に、そして、“憧れられる”事は“自信”や“責任”につながります。観てもらっているだけで、どこかしら得意顔で張り切っているのが手にとるようにわかります。そこで、先生達が「わぁ!!年少組や年中組のお友達が、凄いねって観てくれているよ!!頑張ろう!!」と声をかけてやれば、俄然やる気が増してくるのです。“あなたたちに憧れている人が、こんなにたくさんいるよ”と伝えてあげるのです。

家庭の中でも、兄弟姉妹の関係の上で、そんな事が必ずあると思います。人生を先に歩いているのですから、上の子は多かれ少なかれ年下の子より色々な経験を先にしています。どんな経験でも、それはその子を大きくしてくれているはずです。だから、しっかりと「お兄ちゃんお姉ちゃんって凄いね。」と下の子に“憧れ”の気持ちを抱かせて、上の子にはそれを “自信”と“責任”に繋げてあげてほしいと思います。そして、下の子には「あなたもいつかそうできるようになるよ。」と話し、目標にして自分の力を出そうとする気持ちを誘うのです。

「お兄ちゃんお姉ちゃんだから」といろんなプレッシャーを与え、ついつい我慢させて上の子は気持ちの持って行き場がなくて辛い想いをする──という兄弟姉妹関係の上での悩みをよく聞きます。いつも、“憧れる気持ち”“憧れられる気持ち”のどちらもを上手く伝え合っていれば、またその仲介役にお父さんやお母さんがなってあげられたら、大きな心の怪我にはならないような気がするのです。むしろ、とてもいい関係ができると思うのです。何故なら、そこには“目標”“尊敬”“自信”“責任”という気持ちが宿っているのですから…。尊敬していてくれる相手から我慢させられる事が生じたとしても、それが辛い事にはならないのです。それに応えようと責任感に変わるのです。この関係は何よりの我慢のご褒美ではないでしょうか。

幼稚園でも家庭でも、縦の関係の中で育てたい事があります。園全体で行う大きな行事にはそんな感情の芽生えのねらいがあります。それぞれの学年の子供達が練習をしたり、活動をしたりしている姿を傍で見て得る感情はお互いを成長させてくれます。そして、そこには子供達へのサポーターが必要なのです。サポーターはお家の人達であったり先生達であったりします。そのサポートにより、子供達は賞賛を受けその後の意欲や発揮しようとする力のスイッチが入ります。

 さあ!!いよいよ明後日は三次中央幼稚園の秋季大運動会です。

子供達はこれまでに色々な事を頑張ってきました。運動会のお披露目としては結果の一日ですが、そこで培った心の成長は、これから先、遥か遠くでまだ見えない人生の結果が出るまで繋がるものです。あくまでも通過点です。これからも何度かある通過点を大切に見守り、いいサポーターでいてあげてください。きっと、トラック内で演じたり競技したりする子供達の耳にもその声援は届き、心に響きます。たくさんの応援をよろしくお願いします。

秋の一日が子供達にとっては勿論の事、ご家族みなさんにとって…そして、私達三次中央幼稚園にとっても、大きな成長と素晴らしいものになりますように…と願いながらお届けします。

ルーツ(平成26年度9月)

今年は雨の多い夏休みでした。特に広島市では20日未明からの集中豪雨により大変な災害が発生しました。あまりにも近い場所での災害に、ニュース等を見ながら心配された方もたくさんおられるのではないでしょうか?幼い子供達を含む多くの命が犠牲になった被害の大きさに胸を締め付けられるような思いがします。心よりお見舞い申し上げ、一日も早く日常の生活が取り戻せますようにお祈り申し上げます。

さて、この長かった夏休み、ご家庭では色々な思い出をつくられた事と思います。子供達から色々な話が聞ける事を楽しみに2学期を迎えました。よく考えてみれば、私が、家族で夏休みを楽しんだ……と思えたのは、子供達が中学生になる前までだったような気がします。その頃は、忙しい中でも、家族旅行に出かけたり、一緒にいる時間の流れをいつもよりゆっくりと感じながら楽しい夏を過ごしていました。でも、子供達が大きくなるにつれて、勉強や部活が忙しくなって来たりそれぞれに予定があったりで、なかなか家族皆が揃う事がなくなってきたのです。長女が大学生になってからは、そんな楽しい夏休みが、増々、遠い昔のような気がしています。

しかし、そんな娘達も、お盆には家にいて親戚を迎えたり、行ったりして賑やかに過ごしました。お墓参りも大切な事だと思ってくれていて、一緒にお墓に線香やろうそくをたむけ手を合わせました。少し前までは、ただ手を合わせてお参りするだけだった娘達も、ここ数年は率先してお参りするまでの準備を手伝ってくれるようになりました。そんな時、墓石を見ながら、「ねえ、この名前の人は誰?」「おじいちゃんにとってどんな関係の人?」また、「どうして、田房って書いてないお墓にもお参りするの?」「どうして亡くなったの?」等と、お墓を見渡しながら色々と質問をして来ました。幼い頃にも何度か教えた事がありました。一生懸命聞いてはいましたが、幼くてよくわかっていなかったのか、あまり覚えていなかったようでした。今年は、今までより真剣だったので、おじいちゃんが丁寧に教えてくれました。「この人は、おじいさんのおじいさん。人を集めて楽しむ事が好きな人だったよ。こっちがおばあさんで百歳まで生きて元気な人だった。優しい優しい人で、かなり年をとってからでもお父さんをおんぶして子守りをしてくださったんだよ。」「この人は……。この人は……。」と、どんな繋がりのある人か、その人がどんな仕事をしていて、どんな人だったのかというおじいちゃんの話に娘達はじっと聞き入っていました。その中には、戦争の話や生きるために必死だった頃の昔の苦労話も含まれていて、感慨深かったようでした。「私達の知らない過去の話だね。仏間の写真を見たら色々と想像するね。この人達がいなかったら、おじいちゃんはおじいちゃんじゃあなかったんだよね。お父さんだって生まれて来なかったし、私達もここにはいないんだね。不思議な気分!!」と姉妹二人で顔を見合わせていました。亡くなった中には、“一才”や“二才”と墓石に刻まれてあるのを見て、昔は、元気で生きていく事がどんなに大変な事だったかという事も話してもらっていました。

そんな話を聞いて、どんな事を感じてくれたでしょうか?普段、私達の知り得ない我が家の歴史を知り、ご先祖に感謝の気持ちを持ってくれたと思います。そんな話を聞いてからのお参りは特別な想いで手を合わせた事でしょう。

人には誰にでも、その人のルーツがあります。幼い子供達にも、その子を取り巻くたくさんの人達の存在をわかるように話し、意識させてあげてください。大切な人の繋がりを感じてくれるでしょう。今月は“敬老の日”もあります。例えば、おじいちゃんやおばあちゃんは自分にとってどんな繋がりの人なのか、お父さんやお母さんとの思い出話。それから、お父さんお母さんが結婚した時の話等をしてあげれば、興味をもって聞いてくれると思います。まだ幼いうちは、その時に聞いても十分には理解できないでしょうし、一時的な感動にしかならないかもしれませんが、その時だけでも、自分が生まれてきた事は素晴らしい事なのだと……、色々な歴史があって今の皆の存在がある……、この“不思議”に何となく嬉しい気持ちになる事は大切な事だと思います。子供達はこれから先、自分の人生を自ら切り拓いて生きて行かなくてはなりません。自分の人生は自分のもの…されど、たくさんの人やその歴史の“おかげ”である──と心のどこかに置いて生きて行って欲しいと思うのです。

昔があって今があるという事を知り、その事を良い力にし、今自分が生きている意味やありがたさを感じながら、家族を大切にする事や、自分自身の事も大切にして生きて行こうと思ってくれたなら嬉しいと思います。

私も、実家の本家のお墓参りをした時に、娘の質問に答えながら、祖父母・曾祖父母の事を思い出していました。私もまた父から、父が幼かった頃の事や、父が祖父から聞かされていた昔の話を聞かせてもらいました。懐かしさと共に、忘れかけていた感謝の気持ちが起こったり、これからも一生懸命に生きて行かないといけないな…とあらためて思ったりしました。

自分の『ルーツ』をたどっていけば“自分”が見えてくるようです。

自分の事は自分で(平成26年度8月)

今日で一学期が終わりました。この一学期、たくさんの事を経験した子供達にはどんな成長がみられたでしょうか?たった3ヵ月の間ですが、この3ヵ月はそれまでとは違く環境の中で新しい生活を送るため、親も子も心身ともに一生懸命だったかもしれません。そして、先生達にとっても、新しいクラスづくり…仲間意識をつくりお互いの信頼関係を築いていくためにも最も切な3ヵ月でした。

その大切な時期を有意義に過ごした子供達は、みんなとてもいい顔で毎朝登園して来ます。朝一番の「おはようございます」の声と笑顔に、幼稚園の楽しさを見出す事が出来ているのを感じられるようになりました。中門から、お母さんと一緒でなければ行くことができなかった子が、やっとお母さんと「バイバイ」をして、先生の所にまっすぐ一人で行けるようになったり、幼稚園バスから降りてとぼとぼとと歩いて行っていた子が、仲良しになった友達とはしゃぎながら競争するように走って園庭に向かって行くようになったり、登園しても、ずっと先生の後ろをくっついて何をしていいかわからないで不安そうにしていた子が、早々に体操服に着替えて友達を待ち構えているようになったり……と、みんなそれぞれに朝の様子にも嬉しい変化が見られるようになりました。 

さて、ここまでの成長は、親子の辛抱や忍耐の伴う事もたくさんあっての成長だったと思います。次のステップとしては、子供達が、幼稚園という集団生活を十分に受け入れ、自主的に環境や人と関わり生活を作り上げていくという事です。そのためには、先ず、基本的な生活習慣を確立していく努力が必要になってきます。“自らが生活して行く”という意識を持つ事です。人の手によってやっと生活させられているのと、そこで生活するために…と自分で何かをするのとでは、その過程と結果に大きな違いが出てきます。

ある朝の事です。いつものように私は、幼稚園の中門でお家の人と一緒に登園して来る子供達を迎えていました。お姉ちゃんと弟二人がお母さんと一緒にいい顔でやって来ました。荷物をそれぞれに持った時に、その子達のお母さんが「アッ!」と言われその場にいた先生に申し訳なさそうに、「先生、カバンを忘れちゃったんです。ごめんなさい。」と言われました。「はい。わかりました。今日は大丈夫ですよ。」と答えると「うち、基本、自分の荷物は自分で準備するようにしているもんで…。ねっ、自分で忘れたんだから仕方ないね。」と、その子を見ながら笑顔で言われたのです。そんなやりとりの中、忘れてしまった弟の顔を見ると、しまった!と思いながらも笑って「行ってきます!」とお姉ちゃんと保育室に向かって行きました。自分でした失敗だから、お母さんを責めたりくよくよしたりしないのです。その家庭では、いつもそういう生活をしているから、“今度は忘れないようにしなくっちゃ、そのためはどうしたら良いか”という解決策が子供ながらにも明らかにできて前向きに受け止められるのでしょう。

私は、その様子を見ていてすごくいい気持ちになりました。それは、その子達にとって実にありがたい事だと感心もしました。幼い子供達が、幼いながらも“自らこの環境の中で生活をしている”という実感を味わうためには、“自分の事は自分で…”という心掛けからスタートするのだと思います。何のかもお父さんやお母さんが手をかけてやっていると、そうしてもらうのが当たり前になってきて、上手くいかなかったり失敗したりした時には、親を責めたり人のせいにしてしまって、自分を振り返る事をしなくなってしまうのです。逆に言うと、どうする事が成功につながるのか、どうしたから良かったのかを考える事をしないまま生活する事になります。人の手により生活させられていくのではなく、自らが生活するという意識を持たせてやってほしいと思います。誰かがどうにかしてくれるのではなく、自分がやらないと始まらない!くらいの勢いのある子供達になってほしいと思うのです。例えば、お風呂から上がってタオルで拭いてもらうのを立ったまま待つのではなくて、タオルを自分で持ってなんとか拭いてみようとしたり、前後ろが反対でも自分で着替えようとしたり、毎日必要なハンカチは自分で制服のポケットの中に入れたり…etc.小さな子供達でも自分でできる事はたくさんあります。自分でしようという意識が大切なのです。そうすれば、自分でした事に対して責任を持つようになります。自分で考える事が当たり前になってきます。そして、得られた結果を自分の事として悲しめたり喜べたりします。人はそれを幾度も経験しながら社会をつくる一員として成長していくのではないでしょうか?

今日まで、新しい環境の中で、お子さんの様子に心配しておられたお父さんやお母さん、幼稚園のお子さんへの対応や焦らずそっと見守っていただきたいという幼稚園からのお願いを受け入れてくださり、本当にありがとうござました。この良い状態で、引き続き2学期を迎える準備をして行きたいと思います。

明日から長い夏休み。お家にいる時間も少し増えてくると思います。“自分でできる・自分でする”は自分で生活している実感を得る事になります。そして“自分”を生き生きと目覚めさせる事になると思います。子供達がみんなそんな気持ちで生活を送れるようになれば、どんなに素晴らしいだろうと、2学期を想像してウキウキします。この夏、“自分開拓”のチャンスにしてみてはいかがでしょうか?