葉子先生の部屋

頑張るって楽しい(平成27年度12月)

幼稚園のイチョウやモミジやアメリカンフーの木が紅葉し、色とりどりの落ち葉の絨毯が子供達のあそび心をくすぐります。幼稚園の中で“紅葉狩り”さながらの気分を味わえるとは、なんと贅沢な事だろうと毎年思います。

そして毎年この時季には、もうすぐ行われる“音楽発表会”に向けての取り組みの様子や音が見聴きされるのです。毎朝、園庭の掃除をしていると、早く登園してきた子供達が、鍵盤ハーモニカをロッカーから取り出して、自分のクラスの曲を練習する音が聞こえてきます。曲に合わせて何人かの友達と踊ってはしゃいでいる姿が見えます。取り組み始めたばかりの頃には、それが何の曲なのかいったいどんなものに仕上がるのかと予想がつかないくらいのたどたどしい音が、日に日に、しっかりした音やメロディーになって聴こえてくるようになります。年中・年長組の保育室からは、自分達でハードディスクのスイッチを入れて、曲を流しながらパート別に練習をしているのです。その演奏は、正確ではないけれど、遠くから聴こえてくる子供達だけの練習の音は、とても自信あり気で楽しそうでした。

そんな中、私も練習の様子を見るために、クラスを回っていると、ある年中組のクラスで、たった1回の練習で、「もうしない」とその場からどこかへ行ってしまう男の子がいました。先生が、「上手だよ。もう1回だけやってみようよ!」と言っても、「ううん」と首を横に振ります。その楽器が嫌なわけでも、練習が嫌いなわけでもなさそうなのですが、何度でも頑張ってみるという気持ちになれないようでした。しかし、パート練習から全ての楽器を合わせて練習をするようになったある日、練習場所であるホールにやって来る子供達を待っていると、その男の子が、ニコニコと嬉しそうに入ってきました。自分のポジションに立ち、準備をしているその子は、以前の顔つきではなくなっていました。「じゃあ!始めるよ!用意!」と先生が指揮の手を上げると、全員の顔が真剣になりました。彼も先生の顔をじっと見ています。演奏が始まり、自分のパートを一生懸命に頑張っているようでした。先生の指揮と自分の演奏がバッチリ呼吸が合って演奏できた事で、きっと彼にも“できた!”という実感があったのだと思いました。1曲の演奏が終わると、先生が「すご~い!みんなで合わせるとこんな風になるんだね。気持ちよかったね!」とたくさん褒めていました。きっと、ここに至るまでのクラスでの練習期間のうちに先生と一緒に頑張りながら少しずつ自分なりに手ごたえを感じ、自分の音が、この演奏の中でどう生きているのか、自分の音があることがどんなにその1曲を素敵にしているのかを感じることができたのでしょう。

何事も、やり始めは、これがどうなるのか先が見えず、不安なものです。手ごたえや成果が感じられなかったら、このままでいいのだろうか?と気持ちを100%それに向けるのがしんどくなります。いつでも、引き返せるように自分で片足を後ろに残しておきたくなるのです。でも、その時期を乗り越えないと、その手ごたえは求められない……ここが、正念場です。迷いも努力も必要としない楽しい事ばかりが世の中で自分を待ってくれているのではありません。自分に課せられた責任や目標に向かって行く強い力をもって挑んでこそ初めて得られる“楽しさ”もある事に気付いて欲しいと思います。

実は先生達も、新年度が始まってからすぐに、この取り組みの策を静かに練っていました。先生や友達との練習は、上手くいく時といかない時といろいろあります。でも、きっと子供達の心の中にどんな形でも成長に繋がるという確信をもって取り組んできました。迷う子供達を…不安でいる子供達を「大丈夫!きっとできるよ!きっと楽しいよ!」と安心して挑める気持ちに導いていきます。

先生の指揮と自分の演奏する音がピッタリ合った時、先生が「そうだよ!できてるよ!」と目で言ってくれたら、とても楽しくなって来て自分でも心の中でガッツポーズ!!そんなみんなの心が集まって、ステージがつくられます。いい演奏をするために練習をするのではなくて、それまでの取り組みの様々な経験や心の葛藤の中で見つけていく楽しさを表現した結果、素晴らしい演奏になるのです。

頑張る楽しさを見つけた彼のお母さんがお迎えに来られたある日、「すごくやる気で練習が楽しそうですよ。」と伝えると「家でも、よく話してくれるんです。本当に頑張っているんですね。朝も早く行くんだ!と張り切っていて……。」と言って喜んでおられました。その男の子の生活の中にも楽しいリズムができたのです。 

音楽発表会に向けて取り組んで来たこれまでには、どの学年のクラスにも様々なドラマがあったようです。“頑張るって楽しい!”という事を知った子供達は、きっとこれからずっと、心の中にいろいろな形で力となり宿り続ける事でしょう。

12月3日と4日の二日間は、そんな子供達の自信に満ちた姿、先生と子供達のこれまでに積み上げてきた素敵な空気を観て感じていただける事と思います。踊ったり、演奏をしたりする数分のステージだけでなくこれまでの取り組みの中に様々な出来事があり、それを経てきたこの全ての時間に、温かい拍手のご褒美をたくさん送ってやっていただきたいと思います。

ちょっとした時間…されど大切な時間(平成27年度11月)

明後日から11月……今年のカレンダーがあと2枚となりました。新しいカレンダーを壁にかけたのがついこの前のような気がします。しかし、その頃の事から、一つひとつ丁寧に思い返してみると、いろいろな事があって、長くもあったようにも感じます。新年度を迎えた春、幼稚園には新しく可愛い仲間が増えました。新しい生活になり、その中で出会う先生や仲間達と、共に過ごしながら段々打ち解け合えるようになった頃夏が訪れました。水や土に触れながら心も身体も開放感に満ち溢れ、友達とは喧嘩もできるくらい深いつながりもできました。日々の生活の出来事は勿論ですが、様々な行事では、仲間意識を積み上げ、それぞれの子供達が“責任”と“自信”を持つ事ができました。そして、現在、秋を迎えここまで来ています。また、この間に、同じ場所で共に生活する人への愛情や信頼する心が育つことによって、人間形成の基礎が培われている事を感じる事ができます。

先日、あるクラスで製作をしている所に入って様子を見ていると、数人ずつで一つのセロテープやマジックを使いながら活動をしていました。一つの物をみんなで使い合う場合、その間、待ったり待たせたりします。「早く貸して!」「代わりばんこよ!」「そればっかり使わないで!」という言い合いにもなります。そう言われてしょんぼりする子、それに負けずに「ちょっとぐらい待ってくれたっていいじゃないの!」と張り合おうとする子「じゃあ、僕はこの色を先に使うから…使っていいよ。」といろいろと友達と言いあいながらも製作活動をしていました。たったこれだけの事ですが、こうしたやり取りの繰り返しが子供達のコミュニケーション能力を育てます。譲ったり譲ってもらったり、我慢したり自分の意見を主張したりしながら、その場が気持ち良くいく方法を編み出していけるようになるのです。

また、一人の女の子が製作しているパーツの一部が見当たらなくなって必死で「ないない!」と騒いでいました。私も一緒に彼女の周りを探したり、周りの子に聞いてみたり机の上や下を見てみましたが見つかりません。そうしていると探していた女の子が向かい側の子に「アッ!!それ私のよ!」とキツイ口調で言っていました。自分のパーツだと間違って使おうとしていたのです。言われた子は、その声に少し戸惑ってい

ましたが、即座に「ごめん!間違えてた!」とそのパーツを返しました。それに対し、初めは少しムッとした顔でとがめていた女の子は、あまりにも普通に謝られ拍子抜けしたのか「ううん、いいよ」と、自分も素直に言えたようでした。そして、それからは、テープやマジック等をお互いに譲り合いながら「ありがとう」「はい、どうぞ」の言葉のやりとりも聞かれました。こういう言葉が自然に出てくる関係が、このちょっとした時間にでも築かれていくのを微笑ましく見ていました。

このような場面を集団生活の中ではいろんな所で見る事ができます。クラスの中だけでなく、それはクラスや学年を越えて作られる事もあります。朝の送迎バスの中での事です。ある男の子が隣の座席に座るクラスの違う女の子に何やら相談をしていました。「僕、○○ちゃんと遊びたくて、いつもあそぼう!って誘うんだけど、いや!って逃げて行っちゃうんだ。遊んでくれないんだよ」と…。「ふーんそうなんだ。その時は、遊びたくなかったんじゃない?でも、そうだったら“今は遊びたくないよ”って言ってくれたらいいのにねぇ。今日は遊んでくれるかもしれないよ。もう一度言ってみたらいいよ。」と提案してあげていました。その日の帰りのバスの中、「ねえ、今日は遊んでくれた?」と相談を持ち掛けられた女の子が男の子に聞いていました。一日気にしてくれていたのでしょう。男の子は、「今日も遊んでくれなかった」と思い出したように答えていました。「じゃあ、明日もまた次の明日も“あそぼう!”って言ってみたらいいんじゃない?そうしたらいつかは、遊んでくれると思うよ。だめだったら、あきらめて他の事をして遊べばいいじゃん?」と……その答えに少し笑ってしまいましたが、そこにも、友達の事を気にしたり思いやったり、周りの友達の気持ちを探ったりしながら、子供達なりに最良の解決策をみつけようとしている姿がありました。

新年度からこの半年の間に、上手くいく事やいかない事、嬉しい事や嬉しくない事等を繰り返し体験する事で、心地よく生活するために何が必要かどうしたら良いのかを自然に学んできたのでしょう。コミュニケーション能力の基盤がつくられてきているのだと思います。それを体験するための『経験』が幼稚園の生活の中にはたくさんある事を実感します。よそよそしい関係から、幼稚園生活の中でどんどん周りの友達に興味をもってお互いに知り合い、何でも言える関係を築き、その上でさらに共同生活を営んでいく……。いずれ子供達は、この社会の一員として、いろいろな事を考え判断し、自分の足で人生を歩んで行かなくてはならないのです。そのためにも、そんな逞しくかつ柔軟な心をもつ自分を作ってくれる様々な経験と様々な人達との触れ合いや関係が必要である事を微笑ましい子供達のやりとりの中で感じるのです。

こんな事を思うと、アッという間のように思える今日までの日々の一日一日がどんなに大切な時間であったか…、そして、これからの日々も子供達が成長するための時間としてどう過ごすかをじっくりと考えていきたいと思うのです。

”ごめんなさい”が言いたくて

それは、夏休み…。幼稚園は休園ですが、預かり保育(プレイルーム)では、毎日子供達がやって来て一日中元気に過ごしていました。そんなある日の事です。プールあそびを終えて着替えた子供達が順番にプレイルームの部屋に戻って行きました。プールの片付けを終えて、私もプレイルームに戻ると、数人の男の子が何かを取り囲んでざわついていました。「どうしたの?」と覗き込むと、そこには、淵が壊れた掛け時計が床に落ちていたのです。少し壊れただけだったのですが、きっと、その場に居合わせた男の子達は、かなり“どうしよう……”と焦った事でしょう。覗き込んだ私に数人の子が原因と思われる事を口々に話してくれました。泣きそうな顔をした子もいました。私は、その子達の話をよく聞き、状況やその時計を見て、誰か一人の責任…という事ではなく、みんなでプールのバッグを振り回したり飛び跳ねたりして騒いだ結果そうなってしまったという事だと判断したので、子供達が全員入室して落ち着いたところで、全体に向けて子供達に室内にいるときの注意や入室したらどうしないといけなかったのかという話をして、時計が壊れただけでなく、他の危険もあるという事をみんなで話し合いました。子供達は、静かに私の話を聞いてくれました。「じゃあ、葉子先生が、後でこの時計を修理しておくね。」と言って、そのちょっとした事件をおさめました。

そして、次の日、プレイルームにお迎えに来られたある年中組の男の子のお母さんがプレイルームに向かう前に、たまたま出会った私を、「葉子先生、すみません。少しお話があるんですが……」と呼び止めてくださいました。「何でしょう」と話を聞くと「昨日、プレイルームの時計が壊れたんですか?」と聞かれたのです。「はい。そうなんです。」と答えたところで、「実は、どうやらうちのK君が当たって落としてしまったみたいなんです。○○くんと一緒に当たったんだとか……。葉子先生が直してくださったんだ…って言っていました。夜、寝つかせている時に、おかあちゃん、今日ね…ボソボソと話してくれたんです。明日“ごめんなさい”って言おうか。おかあちゃんも一緒に言ってあげるから……って話したんです。本当にごめんなさい。“ごめんなさい”って言うって言っていたので…。先生、私もこれからプレイルームに迎えに行くので、一緒に聞いてやってくださいませんか?」と言われたのです。それは、昨日の騒ぎの中にいた男の子の事でした。私は、お母さんの話から、昨夜どんな気持ちでK君がお母さんに打ち明けたのかを想像すると愛おしく思えました。私は、お母さんと一緒ではなくても自分から自分の言葉で「ごめんなさい」が言えたら、その子はもっと気持ちよくこの事件を自分の中で解決する事ができるような気がしたので、「お母さん、これから私が先にプレイルームに行って、K君にお話し聞いてみますから、お迎えに行くのを少し遅らせて来てあげてください。」とお願いして、K君の所へ行きました。プレイルームにはたくさんの子供達がいて、集まって来てしまうので、K君と二人だけになれる場所に行き、二人で座り込んで話を切り出しました。「K君、昨日、プレイルームの時計が落ちて壊れたでしょう。どうしてそうなったのか何か知ってる?」と聞き出してあげようとすると、しばらくは、「ん?」「ん?」と言いにくそうにしていましたが、「ぼくと○○君が当たったんだ」と言ってくれました。まだ幼いので、細かくその時の状況を説明するのは難しそうでしたが、よく分かってくれたようで「騒いでたから…」と、小さな声で言ってくれました。もうそれだけで十分でした。「よく話してくれたね。どうして壊れたのかなぁって不思議だったの。これでよくわかったよ。悪かったなぁって思ったら、今度はその時に話してね。」と言うと顔を上げて、「うん。……ごめんなさい」と小さな声で言ってくれました。小さな声でしたが、私には心に響く大きな大きな声に思えました。

夜、寝る前にもきっと、「今日は楽しかったぁ~」と心から思えない何か引っかかるものがK君の中にあったのでしょう。それを思い出してお母さんに打ち明ける時にどんな勇気がいったでしょうか?私が、ガムテープを使ってなんとか直した時計をその日一日見ながらどんな気持ちがしていたのでしょうか?きっと、いい気分で過ごしていたわけではなかったと思います。その時にそのままではいけないような……だけどどうしたらいいのか……。自分で解決策を探せないままどこかスッキリしないまま過ごしていたのだと…。また、お母さんもとても上手にK君の気持ちを聞いてあげられたのでしょう。「あのね…」と話した時、「一緒にごめんねって言おうか。」と一緒になってK君のしんどい気持ちを背負ってもらえて、K君は少し楽な気持ちになって眠れたでしょう。自分からお母さんに話せた…それだけで、十分反省の気持ちを持っている事や、黙っていられなかった気持ちを上手に汲み取ってあげられたのでしょう。

“ごめんなさい”っていう言葉は、なかなか自分からは言いにくいものです。大人だってそうです。でも、世の中の人間関係や社会を平和に円滑に、そして何より、自分がその後も胸を張って生きて行くためにも大切な言葉です。みんな、本当は“ごめんなさい”と言いたいのです。そのままじゃあいけないという事はわかっているのです。こういう事、よくありませんか?

自分から言えた“ごめんなさい”だからこそ、本当の“ごめんなさい”の意味をもち、自尊心を失わず生きて行く事ができるのではないかと思うのです。

今日のご飯はなぁに?!

年々、夏の暑さが異常に増して来ているのをきっと誰もが感じておられるのではないでしょうか?長い夏休みの間、異常気象のニュースが聞かれなかった日がない程、高温や大雨により人や農作物や環境に大きな影響を受けた夏でした。そんな夏ももう終わります。

子供達は、それぞれにいろいろな夏を過ごした事でしょう。この夏に家族で語り合った事や経験した事は、必ずどこかで活かされる思い出となるでしょう。そして、今日から2学期が始まります。しばらくの間は、子供達が話してくれる夏の思い出に耳を傾け、楽しませてもらおうと思います。

さて、我が家では、他県で大学生活を送っている二人の娘がこの夏休みに帰って来ました。帰って来たと言っても、お盆を挟んで一週間程度でした。駅まで迎えに行った私を見つけると、キャリーバッグを引きながら小走りにやって来て、二人揃って「ただいま!」と言ってくれました。久しぶりに見る娘達は、おしゃれをしていてちょっぴり大人びて見えました(父親はただただそんな娘達を見てにやけておりました)。車に乗り込むと、下の娘が「あ~あ、おなかがすいた!今日のご飯は何?」と聞いて来ました。なんだか懐かしい台詞──それは、娘が高校生の時、学校から帰る娘を迎える車に「ただいま」と乗り込んだ後の毎日の娘の第一声でした。その頃には、(何よ!上げ膳据え膳でよく言うわ。)と呆れたりしていました。しかし、家から子供がいなくなった今、あの頃と今の、食を囲む雰囲気は少し違っています。だから、久しぶりにその台詞を聞いた時、とても嬉しい気持ちになりました。それから、「あのね、リクエストがあるんだぁ。お母さんのご馳走で食べたい物を決めて帰って来たの。“ポテトサラダ”と“肉じゃが”と“ソウメンカボチャの酢の物”と“揚げナスの南蛮漬け”と“団子汁”!!……食べた~い!」と言いました。大したご馳走でもないのに、それを楽しみに帰ってくれたんだと思うととても嬉しかったです。「一緒に作る?」と聞くと「うん!いいよ!教えて教えて!」と、今までは食べる専門だった娘達が、これまでになく本気で返してきました。それから、買い物をしたり畑で野菜を採って来たりして一緒に夕食を作りました。

今思えば、「お母さん!おなかすいた!」「ご飯まだぁ?」「今日のご飯はなぁに?」──という言葉のなんと温かい事。毎日一緒にいた時には、思わなかった事です。子供達は、お家の人が自分のために作ってくれるご飯が、何より楽しみでおいしい食べ物なのでしょう。美味しい美味しくないという問題ではなく、我が家の温かさを肌(胃袋?)で感じる事が出来る物なのです。お弁当もそうかもしれません。当たり前のように作ってもらっているお弁当だけれど、子供達が大きくなって、お弁当が要らなくなったら、その時に(あぁ、お家の人が作ってくれたお弁当が食べたいなぁ。)と懐かしむ時が来るでしょう。また、逆に、作らなくて楽になった…と思っていても、使わなくなったお弁当箱を見て、早起きをして何を入れようかと一生懸命に考えて作っていた頃を親もまた思い出すのです。そして、お互いに(元気でいるかな?)(会いたいな)と心と心を繋いでくれるものになるのだと思います。そんな事を思いながら、出来上がった夕食を囲み、家族みんなでいただきました。娘達は「これなんだよねぇ。この味!やっぱり美味しいわぁ。帰って来た!っていう気がする。」と喜んで食べてくれました。

子供達がまだ幼い間は、お家で作ってもらったご飯を普通に“美味しい”と食べて大きくなっています。家族でご飯を食べる毎日も当たり前の事だと思っています。でもきっと、いずれ親元を離れ巣立っていく時に、この事が、“特別なもの”になっていくのを感じるはずです。親も子もお互いに懐かしく思い出され、その味や食卓を囲んでいた記憶や思い出に励まされたり勇気や元気をもらったりする時があるのです。どうぞ、子供達が「お母さーん!お父さーん!おなかすいた!」と言ってくれる事に幸せを噛みしめて毎日を過ごしてください。いつか、“あの味が忘れられない!食べたい!”と思って私達親元に帰って来てくれる。その味を口にして、“あ~ぁ、帰ってきたんだなぁ~”とホッと安心して心を癒してくれると思ったら、子供達は、小さかった頃からの一つひとつを心に残しながら育っている事を実感します。何でもなく思えている日常の中、子育てや仕事や家事に必死で、なかなかそれを実感する事がないかもしれません。でも、「お母さん!今日のご飯はなぁに?」「お父さん!遊ぼう!」「これ、教えて!」とどんな事でも、お父さんやお母さんに求めて来る言葉や態度を心で受け止めてやってください。子供達は、その事に応えてくれるお父さんやお母さんの事、その時の景色や匂い、音や味、感触等全てを心に残します。そして、心と心を繋いでいくものになるのだと思います。

この夏、特にどこにも連れて行ってあげる事が出来なかった…思い出を作ってやれなかった…と思われているお父さんお母さんもおられるかもしれませんが、いつものように、一緒にご飯を食べたり、話をしたり、寝たりする事にでも喜びを感じながら、子供達は、家族の日常の一つひとつを思い出に心に刻みます。

娘がまた行ってしまった後、部屋に手紙が置いてありました。

『お母さん? 私がリクエストしたご飯をぜーんぶ作ってくれてありがとう!やっぱ、お母さんの料理が一番だわ~』……こんな事を言ってくれるのは子供だけですよ。

回しを締めて…いざ!(平成27年度7月)

プールから子供達の歓声が響き渡ります。園庭では乾いた地面に水を運び泥団子作りやおままごと、小川ではザリガニやエビの可愛い赤ちゃんを見つけようと一生懸命な姿……。幼稚園内の自然と戯れて遊ぶ子供達の様々な姿が、実に生き生きとして見られます。そろそろ夏休みの声も聞かれます。この夏にいろいろなあそびを経験し、一段とたくましくなっていくことでしょう。

さて、夏休みに入るとすぐに、年長組は幼稚園を離れ県外に一泊二日の合宿保育に行きます。今から楽しみにしている子もいれば、不安で不安で仕方がない子もいます。いろいろな気持ちで、その日を迎えますが、必ず、みんな楽しい思い出をつくって帰ります。そして、この経験をきっかけにグンと心を成長させるのです。どの子供にも楽しみになるように、これから当日までしっかり声をかけてやりたいと思っています。年長組の保護者の方に配付する合宿保育のプリントにも、子供達が有意義な経験ができるように、準備物や注意してほしい事、書類の提出等について細かく書いてお願いしてあります。実は、そのプリントの中に、以前はなくて、ここ数年になって加わった文章があります。それは、『必ずお子さんと一緒に、リュックサックのどの部分に何が入っているかを確認しながら入れてください。』という一文です。それは、ある年、現地について、お風呂に入る準備をする時の事でした。「きれいなタオルと、新しいパンツを出して、長袖長ズボンをここに置きましょう。」と、先生が声をかけると、たくさんの子供達が「ないない!」「これ~?」「入ってな~い。」「どれのこと~?」とまるで自分の荷物ではないかのように、困っていたのです。たったの一泊とは言え、親元から離れて過ごす我が子の不安な気持ちを考え、ちゃんと準備をしてやろうとあれこれ考えるのが親心──忘れ物があっては大変だと何度もプリントを読み返しながら、子供がいない所で、慎重に荷造りをされたのでしょう。そして、当日の朝「これが、持っていく荷物よ。」と渡されたリュックを背負って幼稚園に集合したのです。お家の方は、漏れなく完璧に準備したつもりでおられたのでしょうが、実は、自立しようとするいい意味での“覚悟”……子供達の“心の準備”ができていないまま出発したのです。準備する時に、「ここに入れようね。」「新しいパンツはここに入れてごらん。」「歯ブラシは…」「汚れた物は…」と子供と話をして、確認しながら準備ができていれば、きっと、現地で困る事は何もなかったはずなのです。そうした準備の時間が、子供をその気にさせ、楽しみになったり頑張っていく覚悟になったりするのだと思います。「お母さんがそう言っていたな。」「そうか!自分でなんでもしなきゃいけないんだな。」「なんだか、できそうな気がしてきたぞ。」と、その時点で、もう自立への道ができてくるのです。「いざ!!」とか「よし!!」という、まわしを締める気持ちになるのです。

準備物のリュックサックについては、『新しく購入される方は、お子さんと一緒に使い方を確認し、自分で使えるようにしてください。』という一文も加えてあります。自分の持ち物なのに、自分の物としてリュックサックや水筒等、扱い方がわからないで「せんせ~い!できん!」と困っている…そんな光景がよくあるのです。子供達は、みんな、自分の力をどこかでちょっぴり試してみたいという冒険心があります。何もかもをお父さんやお母さんがしてあげるのではなく、その気持ちを引き出してあげるのです。子供達を信じて、自分の事は自分で…自分の荷物は自分で…できるだけ頑張らせてください。そうすると、“心配するほどの事ではなかったな。結構うちの子頑張れるんだな。”と、お父さんやお母さんが我が子を発見する事ができると思います。お家の人達から離れ、できるだけ自分の事は自分でする──というチャンスがたくさんあるこの合宿保育は、年長組の子供達にとって、自分を開拓し自分の力を発見できるとても良い経験なのです。

年長組の子供達に限らず、年少組でも年中組でも、色々な場面でまわしを締め、自分を奮い立たせる場面はたくさんあります。例えば、先ず、朝、パジャマから制服に着替える事によって、「幼稚園に今日も行くぞ!」という気持ちに切り替わります。自分の荷物を自分で持って、またその気になります。大人だって、仕事着を着れば、仕事へのスイッチが入ります。自分の事が自分でできたり、自分でしたりする、この何でもない当たり前の事が、子供達の心をその気にさせるのです。「よし!!」という気持ちにさせる事ができるのです。子供達にしんどい思いで不安にさせないように……苦労させないようにと、大人が先回りをしてはいませんか?子供が自分で気持ちの切り替えやスイッチを入れられるように、ちょっとだけ、子供達にまわしをギュッと締める良いきっかけをいろいろな場面でつくってあげてみてください。

今日も、満3歳児クラスの子供が、体操服袋等の自分の荷物を地面スレスレに持って保育室に向かって行きます。「すご~い!頑張って持って行くんだね。かっこいい!」と声をかけると、とても得意気な顔をします。なんとも可愛くも頼もしい後ろ姿──。どんな小さな子でも、たったそれだけの事で、「いざ!!」というスイッチが入るのです。自分の力に自分自身で気が付いた瞬間でもあります。