葉子先生の部屋
葉子せんせいとは、三次中央幼稚園の主任教諭 田房葉子のことです。自分の保育実践を通して書き、学研の保育専門誌「ラポム」にも連載された「あそべやあそべ」という著書もあります。
このページでは田房葉子が主任教諭として平成18年度より三次中央幼稚園が園児・保護者対象に月一度発行する園だよりに連載され、皆様に親しんでいただいている、『葉子せんせいの部屋』を年度・月ごと皆さんにご紹介し、子育ての参考にしていただければと思います。
2020年2月15日 6:02 PM |
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どこかの地方では梅の花が見ごろを迎えているというニュースを耳にしました。いつのまにか「大寒」が過ぎた──そんな気がします。雪あそびは2月のお楽しみにとっておく事にしましょう。
さて、先日、幼稚園で教育講演会を行いました。フリーアナウンサー徳永真紀さんに「子どもと一緒に輝く自分であるために」というテーマでお話しいただきました。
自分の事を知り、似合う洋服を着る事により、自身も生き生きとでき、自分を見る周りの人達にも好印象を与えられる男性女性になれるんだという事を顔タイプ診断をもとに教えていただきました。これまで好きで身に付けていた洋服や靴やバッグが、実は自分には似合う物ではなかった、あるいはもっと違う物のほうが好印象だったという自己診断ができたと思います。中には、そんな事すら考えた事がなかった…自分を振り返る良いきっかけになった等、たくさんの保護者の方から、感想をいただきました。お父さんもお母さんも、子育て真っ只中で、自分の事より子供優先の毎日を送っておられると思います。仕事や家事に追われながら、一生懸命に子供を想い生活をされておられるでしょう。それは、とても素晴らしい生きがいであり幸せではあるけれど、子供達を学校や幼稚園に送り出した後、フーッとため息をもらす事もあると思います。そんな疲れた気持ちに自分を追い込まないようにするためにも、ちょっとした気持ちの持ち様で、生き生きとした自分を実感しながら生活できるという事です。
ある朝の事、中門でいつものようにお子さんを送って来られたお母さん、「いってらっしゃい!」と見送られた後で、私と楽しく話をしていたところ、その子が振り返り、大きな声で、「お母さん!お母さんが笑ってて楽しそうで嬉しい!」と一言叫んで行きました。そのお母さんはいつも笑顔でお子さんを送ってくださり、仕事に行かれるのですが、その時は何か特別だったのでしょう。お母さんの笑顔や笑い声がその子にとっては、元気に「行ってきます!」と言える源になっている事を感じました。お父さんやお母さんが笑顔でいる事が子供達にとっては、すごく幸せで満たされた気持ちになれる事なのです。とても素直で率直な子供の心の声だったと思います。
“生き生きとする”のではなく”生き生きとできる“事が大切なのではないでしょうか?生き生きしたくても、できない状況もあります。でも、自分を少し変える事で何かが変われば気持ちが変わり、それが態度や表情、雰囲気に表れ、周囲に良い影響を与える事になります。そうしたら、人間関係も良くなり、仕事や子育ての歯車が上手くまわるようにもなる気がします。ちょっとしたおしゃれを楽しんだり、趣味を持ったり、お仕事にやりがいや楽しみを見出したりする事で、自分自身が輝き笑顔や会話も増えるでしょう。子供達はそんなお父さんやお母さんをよく観ています。子供達は、笑顔で、たくさん話をしてくれたり聞いてくれたり、元気な心をみせてくれたりするお父さんやお母さんが大好きなのです。
でも、そんな事はわかっているけど、そんなに簡単に生き生きできる環境にはならない。理想は追い求めたいけれど、やっぱり現実はそういかないわ……そう思うところもあります。仕事や家事に加え子育ては実際お父さんお母さんにとっては大変です。実は、心のどこかで“しんどい!”とか“辛い!”とかを言えない(言ってはいけない)という本音と闘っているところがあるのではないでしょうか?だって、世の中、仕事も子育ても楽しい事ばかりじゃあないんですから……。でも、「辛い!」と言ってしまうと、そのままもう踏ん張れなくなるのではないか、子供の前では、しんどそうにしてはいけないとか、そんな顔を見せてはいけない等と忙しさから来る気持ちの逃げ道を塞ぎながら明るい笑顔をつくって、ギリギリのところで頑張っているお父さんお母さんもおられると思います。でも、お父さんだってお母さんだって、しんどい事も悲しい事もあるんです。職場や世間でいろいろな事があって、家に帰った時、それでも、笑っていなきゃと思うとお父さんお母さんがパンクしてしまいます。先程も言ったように、子供はよく観ています。ちゃんとわかっています「アッ、今お父さん疲れているな。」とか「お母さん、しんどいのかな?」と、察してくれているのです。だったら、「今日はお仕事が忙しくて、ちょっと疲れちゃった。」とか「助けてくれる?」と子供の前で少しばかり息を抜いてもいいのではないかと思います。子供達もお父さんお母さんには、自分の気持ちを遠慮なくさらけ出します。お父さんお母さんだって、いつも、元気いっぱい生き生きしてばかり、笑ってばかりではないのです。だって人間だもの。だから、助け合って行かなきゃいけない。子供達を含めての家族です。お互いにどんな時でも、一緒に理解し合い支え合っていく、“お父さんお母さん”としてだけではなく、人と人とが気持ちを分かり合って生きていく大切さをこうした事から子供達は理解しながら学んでいくのではないかと思います。家は、無理しないでいられる場所だと思います。この土台があってこそ、ちょっとしたおしゃれをしたり、趣味を楽しめたり、やりがいを持てたりする気持ちになるのではないかと思うのです。
お父さんお母さんだって人間だもの……そう言って、子供達と心から笑って日々過ごせたら、更に生き生き過ごせるのではないでしょうか?
2020年1月31日 2:23 PM |
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明けましておめでとうございます。新元号『令和』になってから初めてのお正月。皆様、どのように過ごされたでしょうか?『昭和』から『平成』そして『令和』と新しい時代が移り行く様を経験している私は、新時代の一年の始まりを新鮮な気持ちで迎え、希望ある年になりますようにと思いながら過ごしました。
昨年5月1日には、新天皇へ、皇位の証である“三種の神器”が継承される「剣璽等継承の儀(けんじとうけいしょうのぎ)」が雅やかに行われました。この“三種の神器”は「鏡・剣・勾玉」の宝物で、この詳しい内容や歴史的背景等は、深すぎてよくわかりませんが、私は、この雅やかな歴史的瞬間を見逃すまいとテレビに釘付けでした。
“三種の神器”と言って思い浮かべるのは、“家電──三種の神器”です。……戦後、国の復興を目指し、新しい時代をつくって行こうとする人々の豊かさとその憧れを意味する物として、「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が上げられていた事はよく知られた話です。それから時代は巡り、平成を生きて来た人が選んだ“新・三種の神器”は「携帯電話・薄型テレビ・ロボット掃除機」だそうです。戦後にこれらの存在する時代が訪れる事をどれだけの人が想像したでしょうか?今は、それほど手の届かない物ではない豊かな時代になっています。それどころか、ここに来て急速に時代の変化を目の当たりにし、追い付けないでいる私がいます。……というのも、昨今ではスマートフォンで、支払いができる世の中になりました。お店に行かなくても欲しい物が買えます。帰宅前に家の冷暖房のスイッチを入れる事ができます。これさえあれば、なんだってできるのです。私は、そのシステムや使い方がどうも理解できず、いろいろな人に教えてもらったり、繰り返し練習したりしながら、なんとかスマートフォンで支払いをするという情けない話です。気が付けば、幼稚園の事務所にも「PayPay」払い可能という「PayPay」のステッカーが貼ってあり、びっくりしました。世の中に少し取り残された気さえして焦ってしまいます。キャッシュレス決済も当たり前の時代になってきました。まだまだ、私は全然使いこなしていませんし、情けない話、むしろ、難しくて不便ささえ感じる程です。
でも、世の中がこんなふうに変化して行くと、子供達の中のあそびにも少し変化がみられるようになります。子供達は世の中を小さいながらにもよく観察して模倣しようとします。お店屋さんごっこをしている子供達がバーコードを読み取る機械を手に「ピッ、ピッ、ピッ」と品物に当てたり、ごっこあそびをしながら型紙で作ったスマートフォンで話したり指で画面を操作する仕草をしたりします。20年以上前に子供達と冷蔵庫を梱包していた大きな段ボール箱を使って“電話ボックス作り”をしました。ダイヤル式やプッシュボタン式の電話機や電話番号帳、その中で電話番号を調べながら受話器を持って話しているという楽しいあそびが展開されていました。「もしもし、○○ちゃんですか?」「ハイハイ、そうですよ。」「今度あそぼうね」と受話器を持って話していたあの頃の子供達……。多分、電話ボックスを知らない今の子供達が見たら、不思議な光景でしょう。もしかすると、ラインで無言のやりとり、何でもインターネットで調べる、スマートフォンでの支払い等、あの頃とは違うごっこあそびをする時代はすぐそこまで来ているのかもしれません。新時代になる事に戸惑いやかすかな疑問や本当にこれでいいのか?と踏みとどまりたい気持ちはありますが、その時代を生きるという事は、この変化を自分なりに受け止め、頭を切り替えて順応していく事も必要なのでしょう。ただ、不便な時代(それほどでもありませんでしたが…)を知って、今の便利さや効率の良さ、またはエコ化したシステムや商品に出会うと、その良い所も問題点も見えてきます。“豊かさ”を求めるがゆえに少しだけ失うものがあるような気がするのは私だけでしょうか?子供達が、当然のように“新・三種の神器”をあそびの中で使いこなす前に、一つ前の時代の物にも触れたり教えたりしてあげてください。工夫する楽しさや頭を抱えて考え、生活を便利にする答えを見出す事のおもしろさは、豊かさへの憧れとして、不便さの中でこそ生まれるのだと感じてくれるでしょう。
子供達は敏感に今の世の中を自分達の生活の中にあそびとして取り入れながら学びます。この前、「葉子せんせい!ジュース屋さんごっこをしているから、買いに来ていいよ。」と言って誘ってくれました。「お金がないけど、いいの?」と言うと「じゃあ、待って!……これで、買いに来てください!」とオレンジ色の画用紙で作ったお金を渡してくれました。100円札(笑)でした。そして、「おつりでーす」と、色とりどりのスズランテープを入れたジュースと丸く切って作った10円玉を「ありがとうございましたー!」と言って渡してくれました。なんだか、このやり取りに少しだけ安心しました。「PayPay払いでしょうか?」と言われたら「おいおい、ちょっと、待って!」と言いたい気持ちになったかもしれません。急速に変化する時代ですが、ちょっとだけ不便でちょっとだけ古い、そして、ちょっとだけ面倒臭い…そんな中にも隠れている“自由”や“贅沢”や“豊かさ”がある事に…そしてそれは何だろう?と探りながら新時代を築く大人になって欲しいと思うのです。
現代の波を受け止め、この波に乗り遅れないように私も新しさを学んでいかなければ!!と思っています。……が、さてさて、この私…ついて行けるでしょうか???(笑)
今年も、子供達の“元気エキス”“若さのエキス”をもらいながら、一生懸命頑張ります。どうぞよろしくお願いします。
2020年1月8日 3:33 PM |
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先月から、更に幼稚園が秋色に染められました。色づいた葉が落ち始め、子供達はいろいろに楽しんでいます。落ち葉を見たり集めたり踏みしめたりしながら五感を通して秋を感じさせたいと、先生達の提案で毎朝していた掃き掃除をやめて、そのまま残しておくようにしています。木枯らしに落ち葉が吹かれていく様や踏みしめた時の枯れ葉の音を見たり聞いたりしながら、子供達は秋にどんなイメージをもって大きくなっていくのでしょうか?
10月に行った十三夜のお茶会──。お月見は秋の豊作を願い、収穫に感謝して美しい月を眺める日本古来の行事ですが、この十三夜の月は、満月の時より欠けています。日本人は昔から、満月も美しいがまんまるに少し足りない姿もまた美しい──と、不完全なものに“はかなさ”や“健気さ”という“美”を見出してきました。
今、子供達は、12月に行われる音楽発表会に向けて毎日一生懸命に練習をしています。最初は、自分達が踊ったり演奏したりする曲を聴いて、そのリズムを感じとり、身体や楽器を使ってその曲をダンスや合奏で表現します。子供達は、これ何の曲だろう?という興味からみるみるうちに、踊りたい!演奏したい!という意欲に変わります。クラス全員で演じるまでには、先生達の秘策(?)があり、いろいろなドラマがありました。それを全て語りきる事は難しいのですが、練習をずっと見ていると、子供達と先生が真剣にその一曲に向き合って挑んでいる事をひしひしと感じます。まだ先が見えてこない早い時期に子供達の中には、「できない」「やりたくない」「もうやめたい」という気持ちになる事もあったかもしれません。特に合奏となると、これまでした事もない楽器を使い、その技術だけではなく曲に仕上げるために、そこにはみんなで気持ちを揃えて調和する事が求められます。一人ひとりがしている演奏は、そのパートだけでは、完成された一曲にはなりません。不完全です。その部分を完全なものにするために、別の不完全なパートが担う……それでもまだ足りない部分をまた違うパートが担う……この重なり合いが完全なものに仕上げるのです。不完全なものを完全なものにしようと努力する“健気さ”にこそ力強さや美しさや眩しさを感じるのです。しかも、そこに至るまでにも、個々に子供達は自分なりに努力をしていました。園庭に保育室から響いてくる太鼓や木琴、鉄琴の音……子供達が、苦手な所を自分で練習していたり、できるようになって嬉しくて何度も一人で音を出してみたりしていたのです。できていなかった部分を練習で埋めて完全なものにしようとするその一生懸命な姿は本当に眩しかったです。自分達の“伸びしろ”に挑戦している姿でした。自分ならもっとできるはず!と、自分の可能性を信じているのです。「もうできない」と諦めていない姿です。それには『先生とクラスのみんなで、一つの曲を自分達の力で頑張って完成させよう!きっと、素敵な演奏になるし、そうなっていく事が楽しい!と思えるから…!』という事を目標の一つにして頑張る日々を送ってきているからだと思います。「あなたならもっとできるかもしれない。もっと出せる力があなたにはあるかもしれないよ。」と一人ひとりの潜在している力を先生達が引き出していく事で、子供達は自分の力に気づかされ、「そうか!僕、もっと頑張れる自分になれるかも!」とその時の自分の姿を夢見て目標にします。早い時期に完成したと満足してしまったら、それ以上の努力も必要もなく、完成に向ける伸びしろもありません。「このくらいでいいや」ではなく、先生達は「もっと、この部分をこうしてみよう!」と、楽器の音色やリズムにこだわります。合奏だけではなく、合唱や踊りでもそうです。それは、「あなたはできるよ!」と、一人ひとりに伸びしろを作ってあげているのです。それは子供達が完成に向ける更なる目標をつくるという事なのではないかと思うのです。
“伸びしろ”の類語のひとつに“期待値”という言葉があげられます。周りから受ける“今よりもっと良くなる可能性”を込めた言葉ですが、誰かから期待をされて嬉しい気持ちを持たない人はいないのではないかと思います。過分な期待は逆効果ですが、その子にどんな力がどれだけあるかを見極め、伸びしろの幅を大きくしたり小さくしたりしながら、子供達の意欲を引き出していくのです。これも、先生達の秘策のひとつです。
音楽発表会では、そうして作り上げてきたステージを温かく応援しながらご覧いただきたいと思います。ステージの上で、踊ったり歌ったり合奏したりする子供達一人ひとりが“伸びしろ”を持ち、完成に近づける事を目標に頑張ってきた事を感じ取っていただけたら嬉しいです。一曲に込める目標、クラスとしての目標、それらが幼稚園としての大きな目標を成し遂げる──そこには、不完全をみんなで完全なものにしようと努力しその部分をそれぞれの力で補い合いまた担い合い、こうして出来たものこそ、素晴らしい完成作品だと言えるのではないかと思います。我が子を観る時、一人ひとりの中に完成に近づくために目標をもち、頑張ってきた今までの事を想像しながら、一人ひとりにそれぞれ完成の形が違う事にも気が付いてあげてください。その姿に、大きな拍手をおくってあげてほしいと思います。「大丈夫!あなたはできるよ!」と指揮をする先生達と「うん!そうだね。がんばるよ!」と、その一曲に向き合おうとする子供達との間に漂う空気感をどうぞお楽しみください。
子供達には、まだまだ伸びしろがあります。頼もしい限りです。
2019年11月29日 4:54 PM |
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「せんせーい!見て!」と、広げた小さな手の平からかわいいドングリが。「せんせーい!あげる。」と、差し出してくれた手には赤く色づいたアメリカンフーの木の葉。──子供達は毎年この時季になると、園庭で秋の宝物を探して遊びます。これから秋が深まるにつれて、これらの宝物が園庭中に落ちて来ます。子供達にとって魅力いっぱいの季節がやってきました。
土曜日のプレイルームでの出来事です。幼稚園の小川の周りには実のなる木が幾つか植えてあります。今は、かりんが実をつけ、時々熟して落ちています。子供達は、いい香りのするこの実に興味津々で、これをめぐって取り合いになる程です。その日も、ある男の子が木に登ったり枝を引っ張ったりして、この実を採ろうとしていました。一人がそうすると、それを見ていた子供達が真似をして無茶苦茶な事をし始めます。そこにいた先生が「木に登らなくても、あの実を採る方法があるんだよ。」と声をかけました。そして、その先生は幼稚園にあった廃材の壁クロスの巻き芯を持って来ました。120㎝程ある長さの芯の先を5㎝程カッターナイフで切り込みを入れてくれていました。それを差し出された男の子は、初めて見たので“こんなものでどうやって?”と先生がやって見せてくれる様子を真剣に見つめます。カッターナイフで切り込んだ所に実のついた枝を刺し込み、棒をグルっとひねってもぎ取るのです。「本当はもっと長い竹でするんだけどね。これでも採れるんだよ。やってごらん。」と男の子に渡しました。長いといっても120㎝位の物ですから、高い所に生っている実には届きません。そこで、棒を持って高さ1m程の添え木に登り、先生から教えてもらったようにその実を採り始めました。切り込みになかなか上手く枝が差し込めませんでしたが、何度も何度もやっていくうちにコツを覚え何個かをもぎ取ったり落としたりする事ができました。それでも、そう簡単にはいかなくて真剣でした。真剣になる程、男の子は無口になり、登った添え木を踏ん張る靴の先にも力が入っていました。長い棒を持って高い所でもっと高い所の実を採るのはなかなかのものです。先生が「バランスをとるのが上手だね。難しいでしょ。」と声をかけると、男の子は棒を横に持ち、「バランスって簡単よ。あのね、こっちに物がある時には棒の真ん中よりこっちを短く持つんだよ。そうしたらバランスがとれるよ。」と言うのです。先生はその言葉にびっくりしていました。「葉子先生、これって、まさしく天秤の理屈ですよね。」と。男の子は、物理学として学んだ事を活用しているのではなくて、遊びながら上手くバランスをとる方法を模索しているうちに感覚的にあみ出した学びなのです。学ぶつもりだったわけではなく、あそびの中から発見した事が学びになっただけなのです。
その男の子は、普段から身体をいっぱい使って遊びます。そして、いつも真剣です。遊ぶ時も、頑張る時も、そして……喧嘩をする時も…常に一生懸命です。身体をいっぱい使って遊ぶので、擦り傷もたくさんあります。だけど、大怪我にはなりません。真剣だからです。そんな彼を見ている先生も「危ないよ。」とか「気を付けて。」とブレーキになる言葉をかけず、真剣に見守ります。きっと、彼ならできると信じているからです。その見守りが彼を真剣なあそびに向かわせる安心感となっているのです。この見守ってくれる先生や、目の前にある木々がこの男の子にとって恵まれた環境だったのです。
三次中央幼稚園の理事長は語ります、『子供達はあそびの天才だ』と。『子供達はあそびを通して色々な事を学び身につけていく。これを直接体験と言い、この直接体験の豊富さが子供の発達に大きく関わって来る。友達と仲良く遊びながら仲良くする楽しさを知ったり、喧嘩をしながら相手の気持ちを考え、怪我をしながら安全に生活する方法を身につけて行く。子供が興味を持って遊んでいる時に子供自ら知らず知らずのうちに学ぶのだ。』…と。私達は、この理事長の理念が幼稚園の環境に映し出されている事を子供達を通して実感するのです。
最近言わなくなりましたが、“ガキ大将”こそ、たくさんの実体験の中から学びの元となる物を学んでいるのです。それは、机上で学んだものより心と頭に残る確実な学びになっています。そして、その学びは更なる学びに応用を効かせて深めていく事が出来るはずです。テキストを与えるのではなく、幼児期には『あそび』を…『あそびの環境』を与えてあげてください。幼稚園の環境には、理事長のこれからの時代を生きて行く子供達を想う “願い”があるのです。
好奇心をくすぐられる環境の中で夢中で遊びながら、チャレンジする勇気と試行錯誤を繰り返し工夫する力と探求心が育ちます。そして、なるほど!そうだったのか!と発見したり確認したりし、考える事やわかる事が楽しくなってきます。こうして学ぶためのベースが出来ます。子供達にとってはただ遊んでいるだけでも、その中に“学び”がたくさんあるのです。ここで、“あそび”が“学び”になるかどうかは、そこに素敵な環境が用意されているかどうかとそれを見守る大人達がどのような意識でいるかが大きな決め手になります。
先日、来年度用の幼稚園案内のパンフレットをお渡ししました。ここには、私達が三次中央幼稚園で育つ子供達への想いが書かれています。ぜひ、あらためてページをめくってみてください。
2019年10月31日 4:46 PM |
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