白髪せんせいのつぶやき

赤とんぼ(平成14年度9月)

今年も暑い暑い夏でした。「子供たちは、海や山に連れて行ってもらったかな? 川に連れて行ってもらって泳いだり魚を捕ったりしたかな? おじいちゃんおばあちゃんのところに泊まりに行っているかな?」と、夏休みをどんな風に過ごしているのだろうかと気にしながら過ごしていました。
そんな中、プレイルームの子供たちは、日曜日とお盆休み以外は毎日、幼稚園に通って来ていました。そして、毎日のように幼稚園のプールに入って遊んだり、セミを捕ったり、小川の魚を追ったりと、暑さにめげずしっかりと遊びこんでいました。
私自身は、年長組の1泊2日のキャンプと研修会に5日ほど出掛けたぐらいで、ほとんど毎日、幼稚園で過ごしていました。


そんな夏休みの中で1日だけ、「ちゅうおう児童クラブ」の子供たちを連れて吾妻山に行って来ました。山はとても涼しく、気持ちの良い風を受けながら、草むらに座って周りの山々を眺めていると、さすがに心が和む想いでした。児童クラブは1年生から3年生の児童50名が在籍していますが、その子供たちと、トンボを捕まえたり登山をしたりして楽しい1日を過ごすことができました。


山に着くと、アカトンボが群れを成して飛んでいます。網と虫かごを持ってきた子は早速トンボを追います。何匹も何匹も捕まえています。網を持って来なかった子供たちは帽子で捕ろうとしますが、たまにしか捕まえることができません。その子たちに、「トンボの捕り方を教えてあげようか」と言うと、「そんなの知っとる、指をくるくる回して眼を回すんじゃろ!」と言います。「じゃ、やってごらん」と言うと、指を差し出して回しますが、トンボは飛び立って行きます。「やっぱし捕れん」と諦めます。そこで私は、「今から捕るからちゃんと見ておきなさいよ」と言って、そのコツを教えながら、またたく間に何匹も手で捕まえました。それを見ていた数人の子供たちは、途端に尊敬の眼差しで私を見ています。こうなると、何でも言うことを聞きます。
そして、子供たちも手で捕まえ始めました。何匹もつかみます。その子供たちも自信にあふれる顔つきに変わってきました。


さぁ、どのようにして捕ったのでしょう。お父さんお母さん、お分かりですか。この捕り方は、私自身が子供の頃、自ら発見した捕り方ですが、お父さんお母さんにもできる方がいらっしゃるかも知れません。
お教えします。トンボが小枝にとまっています。手を伸ばしたら届く位置まで近づきます。そこから、親指と人差し指を、紙を挟むように近づけて、ゆっくり、ゆっくり腕を伸ばしていきます。トンボに近づいたからと、「サッ」と捕ろうとすると、「サッ」と飛び立ち逃げてしまいます。最後の最後まで「ゆっくり、ゆっくり」です。羽根を目当てに、指を伸ばして近づけます。そうして、親指と人差し指の間にトンボの羽根をくぐらせます。そうなっても、さっと取ろうとすると逃げられることがたびたびあります。指が羽根に当たっても、慌てないで「そ~と」つかみます。この「そ~と、そ~と」がコツなのです。
セミを捕るときも同じです。手の平を少し丸く包んで、「そ~と、そ~と」と近づけていきます。ここでも、近づいたからと「サッ」と捕ろうとしたら、「サッ」と逃げられます。少し丸く包んだ手の平がセミを覆いかぶり、そのまま木の幹まで押さえ込むようにして捕まえます。


私が小学生のときは、同じようなコツで、川に潜ってアユを何匹も捕まえていました。アユは、人が川に入ったりすると、驚いて、体を岩肌にピッタリくっつけます。セミを捕るときと同じように、少し丸く包んだ手の平を「そ~と、そ~と」と近づけ、最後まで「そ~と、そ~と」とアユを覆いかぶせます。最後の最後まで「そ~と、そ~と」です。そのまま、岩に手の平で押さえつけて捕ります。
なぜこのようなやり方で簡単に捕れるかお分かりでしょうか。実は、トンボやセミ、アユもそうですが武器を持ちません。他の動物と戦う牙や爪を持たない昆虫や魚は、敵から逃れるための「速さ」を持っているのです。武器は無いけどスピードが勝負なのです。身を守るため、相手の早い動きには敏感に反応して逃げることで身を守っているのです。


そこで、そういう昆虫や魚には、速さに対して敏感に反応する能力を逆手にとって、「そ~と、そ~と」と近づけば、たとえ、人の手の平や指であっても、彼らから見れば、葉っぱや小枝と変わりませんから、逃げないのです。このようなことは、直接体験することで学びます。
子供たちは、トンボやセミを見つけると本能的にと言っていいほど捕まえようとします。魚も水の中に入って捕ろうとします。ところがそう簡単には捕まえることができません。最初の頃はほとんど逃げられます。それでも好奇心で目を輝かせている子供たちは、飽きることなく、捕まえることに挑戦します。たびたび失敗しているうちにあの手この手と工夫を凝らします。それでも失敗すると、また次の手を考えます。
そして、やっと捕れたときの喜びは、達成感と満足感が漂い、その心地よさが、次の難しいことに挑戦する意欲となってきます。


子供たちにとって夏休みが、素敵な休みとなるには、子供たちが、おじいちゃんおばあちゃんのところに泊まりに行ったり、子供たちに自然を相手にいろいろな直接体験をいっぱいさせてやることです。
このような直接体験をいっぱいいっぱいすることが、創意工夫したり、意欲のある子にとつながっていくのです。


パソコンやゲームが子供の遊びの中心になっている現代は、子供の育ちの中で、この「直接体験をしながら成長していく」ということが一番欠けているように思います。特に、テレビゲーム等でのバーチャルの世界(仮想現実の世界) にどっぷりつかっている生活は、子供の育ちの過程で、心身に大きな歪みをもたらしかねません

家族(平成14年度8月)

「犬と子供はみんなのもの」と言う諺があるそうです。と言っても、これはイタリアの話しです。
犬を散歩しているといろいろな人が話しかけてきます。撫でなでをしたり、「わ~、かわい!!」から始まって、「名前は?」、「種類は?」と、犬好きな人が声をかけます。


同じように、赤ちゃんを抱いていたり、小さな子供の手をつないで歩いていると、いろいろと声をかけてくれます。このように、かわいいものにはまわりの人が頻繁に声をかけてきますから、育てている人はいろいろな人と話すきっかけが出来て友達も増えます。声をかけられた子供たちにも心地よい刺激となり言葉を増やしていきます。犬も言葉の理解を早めます。このように、周りから声を掛けられた人も嬉しいし、声をかける人も楽しいのです。イタリア人の明るくておおらか国民性かもしれませんが、見知らぬ人から声を掛けられてもいやがることなく、楽しそうに大きな声で受け応えをしています。


お母さんたちにも多くの経験がおありと思いますが、例えば、電車の中で自分の赤ちゃんを抱いていたり子供を連れていると、同じ席の人が声をかけてくれます。「かわいいお子さんですね」、「何才ですか?」と、たいていの場合、子供に愛嬌を振舞いながら、にこにこしながら声をかけてくれます。そんな時、お母さんたちも嬉しそうに笑顔で応対します。


このようにかわいい犬や子供がきっかけで、見知らぬ人たちとさえ、人間関係をスムーズにはかどらせてくれるので、「犬と子供はみんなのもの」と言うのでしょう。「そんなにかわいいものは独占しないで皆に分けてくれ」とでも言っているようです.


近年、日本では人と関わることが苦手な人が増えてきていると言われます。一時、「公園デビュー」と言う言葉が話題になりましたが、子供を産んで6ヵ月から1歳くらいになった頃、子供の友達を求めて、あるいは、子供同士、お母さん同士の関わりを深めようと、子供たちの遊んでいる公園に出かけては見るものの、そこで仕切っているお母さんとの関わりが難しく、みんなの中に入っていくのに相当の苦労が要るというほど、受け入れる方も含めて、お互いが、初めての人との関わりが下手になっているのです。


このような結果になってしまったのも、終戦以降の日本経済の発展に伴って浸透していった核家族化が大きな要因となっているのでしよう。家長制度が崩壊し個人の尊重と自由は得たものの、なんだか心のよりどころを失ってしまっているかのようで、人間としての寂しさすら感じます。


もう少しイタリアのことに触れておきます。
週末になると多くの家族や友人がパーティーを開きます。それも、たいていの場合とても質素で、それぞれが一品ずつ持ち寄った手作りの簡単な料理で楽しい時間を過ごします。友人関係と家族の繋がりをとても大切にしているのです。若い息子夫婦の家族や嫁いで行った娘たちの家族も皆集まって、おじいさんおばあさんも一緒に楽しんでいるのです。
日本の若い人から見たら、こんな面倒くさいことはいやだと思う人が多くなってきていると思います。それでも、イタリアでは毎週のようにこんな生活をしているのです。
では、イタリアの若い人がこんな面倒くさいことをいやがっていないかというと、「大変だし、いやだと思うことも有るが、それ以上に、友人や家族が大切だから」と言いきります。


もう一つ顕著なのが、古いものをとても大切にしているということです。古いものほど誇りなのです。私たち日本人から見たら、何でこんな古臭いものと思うようなものを、一つ一つ、とても大切にしているのです。家にしてもそうなのです。大理石やレンガで出来た何百年も前のものをとても大切にしています。新しいぴかぴかの家の方が安っぽいのです。部屋の中のアンティークな家具や食器、先祖や家族の写真等が部屋中に飾ってあるのを見ると、そのことがよくよく伝わってきます。


何で突然にイタリアの話になってしまったのでしょう。実はこの「つぶやき」をミラノのパラッツィオ(中庭の有るマンションのようなもの)の一室で書いています。観光旅行ではないので、ミラノの人たちとの生活を身近に感じながら過ごしています。食材を買いに娘と市場にも行ってきました。
先日、ミラノから車で2時間ぐらいのマントバと言うところに行き、築後450年たっているという大理石造りの旧家に泊まらせてもらいましたが、そのときもそれぞれ結婚して独立している兄弟姉妹の家族もみんな集まってくれて、ディナーパーティーを開いてくれました。それこそとても質素で、ほとんどが自分のうちで作った野菜中心の料理とスパゲティー等で、口直し程度のワインしか飲みません。家族みんなでの団欒がなによりのご馳走のようです。
その家の外孫で2歳8ヵ月になる男の子が一緒に帰ってきたのですが、庭を駆け回る孫の後を、怪我をさせないようにと、追いかけるおじいちゃんおばあちゃんの姿は、全く、日本のおじいちゃんおばあちゃんと変わりなく、何故かほっとしたのです。ここでの滞在で、戦後の日本経済の復興と高度経済社会の形成の中で失われていった大家族の良さを改めて感じたのでした。


今更、昔のような大家族に戻ることはほとんど不可能なことになりましたが、実家のある人は、せめて一か月に1回でも、おじいちゃんおばあちゃんのところに泊まりに行くことも、とても大切のように思えてなりません。子供たちが心豊かに育つためにも、多くの人たちとの関わりを深めてほしいと思います。なかなか実家に帰れなくても、子供がきっかけでできる多くの人とのかかわりを大切にして欲しいと思います

直接経験(平成14年度6月)

5月24日に、本年度最初の参観日とPTA総会が開催されました。その前日、私は大阪で開催された研修会に、「自然から学ぶ体つくりのための環境整備」について話して欲しいと、講師として招聘されていました。その研修会にはデンマークのコペンハーゲン大学ピア・クレイ教授ほか多数の著名人と、研修会参加申し込み者に、建設省や地方自治体の都市計画課、そのほか、公園や幼稚園・保育園の園庭整備に興味の有る方々がいらしていたので、折角なので、研修会後のパーティーに参加することにしていました。当然、宿泊しなければなりません。今田直子新園長には、「参観日には、お昼過ぎにならないと帰園できなので、PTA総会をよろしく」と、前もって話しておきましたので、安心してパーティーに参加することができたのです。そして、パーティーが終わり、コペンハーゲンからいらした教授3人を誘って、ホテルのラウンジで深夜12時過ぎまで、楽しく話し合うことができ、すばらしい友人を得ることができました。


そして次の朝、5時に起床して、大阪始発の新幹線に乗って、ちょうど、保育参観が始まった頃に幼稚園に帰ってきました。今田園長が、各保育室の様子を見て回っているところでした。新園長に気付かれないよう、彼女が2階の保育室を見て回っているときは1階に、一階に降りたときは2階に上がって気付かれないようにしていました。保育参観が終わってクラス役員が決まってから総会が始まりましたが、実は、その総会に保護者の方がそろわれた頃に、舞台裏からホールに入り、緞帳の影から、PTA会長や園長の挨拶を聞いていたのです。総会の数日前から、「参観日には、お昼過ぎにならないと帰園できなので、PTA総会をよろしく」と話しておいたのも、実は、園長としての自立を促す作戦だったのです。そして園長の挨拶を聞いた後、ホールに入り、保護者の皆さんと一緒に座って聞いていました。参観日や総会に向かって、今田園長・田房主任を中心として、職員が一丸になって準備をしてくれて、当日の、笑いすらとっている園長挨拶や総会での協議事項も無事済んだことで、心をなでおろしたのです。

「親離れ子離れ」と言われるように、私にとっては、園長の自立の喜びと、子離れのような一抹の寂しさだったのかもしれません。


この頃になると4月に入園してきた子供たちも、すっかり落ち着いた園生活を過ごすようになってきますが、きっと、お母様たちのお気持ちも、似たようなことを感じられたのではないでしょうか。今まで一緒に過ごしていたわが子が、泣かないで、幼稚園に行くようになったうれしい気持ちと、お母さんから、さっさと分かれて、幼稚園に行く一抹の寂しさです。でも、幼稚園から帰ってきて、園生活のことを話す様子や、友達がどんどん増えて楽しく遊んでいる様子、いろいろなことができるようになってくる様子を見て、わが子の成長実感することで、子育ての楽しさを味わっていただけるものと思います。


この4月から、幼稚園の隣に子供の城保育園が開園しましたが、その3階に、「ちゅうおう児童クラブ」が有ります。1年生から3年生までの51人の小学生が、学校が終って帰ってきますが、その中に、中央幼稚園の卒園児とそうでない児童もいます。この子達もすっかり落ち着いてきました。「この児童クラブに入るまでは、小学校に行くのも嫌がっていた子が、『ちゅうおう児童クラブ』に行くのが楽しみで、早起きして、さっさと学校に行くようになった。友達とも一緒に遊べるようになって汗をかいて帰るようになった」と、夫婦でお礼にこられた方もいらっしゃるほど、子供たちは宿題をしたり楽しく遊んだりしています。学校で落ち着きの無かった子も、今ではすっかり良い子になっています。この原因は、児童クラブの先生たちが、その子の良いところも悪いと思われていることも含めて、その子の全体を受容し、認めながら、その子の良いところをみんなが尊重し認め合うことから始めてくれたからだと思います。その児童クラブの先生に、「あなたたちのおかげです。ありがとう」と、お礼を言いました。このような、その子の全体を受容し、お互いを尊重し認め合うことから成長を促す教育方法は三次中央幼稚園の伝統となってきています。


幼稚園児が家に帰った後、児童クラブの子も、幼稚園の園庭で遊びますが、時々、「ドスーン」と言う音や、「ウーン」とうなる声が聞こえてきます。振り返ってみると、吊り輪やターザンロープから落ちてうなっているのです。幼稚園の子供たちが難なくやっていることなのに、落ちているのです。実は、前から気が付いていたことなのですが、卒園児でない小学生が、放課後、幼稚園に遊びに来て、アスレチック広場で遊んでいるときに、たびたび見る光景でした。今まで、この子達が吊り輪やロープにぶら下がったり、高いところに登って遊んだことが無いからなのです。


このことは、何を意味するかというと、子供たちは、直接経験したことや体験したことから、いろいろなことを学び、様々な能力を獲得していくということなのです。子供たちは、様々なことに好奇心をみなぎらせ、興味を持って物事に直接関わろうとします。それが、虫であったり、動物であったり、水であったり、植物や自然の変化等、周りの様々な環境です。アスレチック広場で遊ぶ子供たちは、自分のできる能力の少し上の能力に挑戦します。それができるようになった時の達成感や征服感は、その子自身の喜びとなって、次なる挑戦の意欲を持ちます。三次中央幼稚園の子供たちは、入園した年少・年長の時から年長になるまで、チャレンジしてきて獲得した能力ですから、いろいろなことができるのです。前にもお話したと思いますが、このような直接経験を通して、具体的思考能力が育まれ、後の、因数分解や科学等に要求される抽象的思考能力の基礎となるのです。よく遊ぶことが知能の発達の基なのです。

こころのけじめ(平成14年度5月)

すでに、4月の園だよりでお知らせしましたように、私、伊達正浩は3月31日で園長を辞任し、4月1日に今田直子主任教諭が新園長に就任しました。
今田直子新園長が、園長として最初に園児の前に立ったのは4月8日の始業式で、保護者の皆様への最初のデビューは、入園式での「園長式辞」でした。新たに就任した田房葉子主任教諭の司会で始まった入園式でしたが、「園長式辞」と、司会の声がかかると、少しの間(ま)ができました。すると、事情をご存知でない新入園児の保護者の方は、来賓席側にいた私の様子を一斉に見られます。すでに知ってらっしゃる保護者の方は、職員側に座っている直子先生の方に視線が向きます。その様子を確認するかのように、新園長は、おもむろに立ち上がって、舞台に上がり、演台の前に立ちます。そして、式辞を述べるのですが、すでに、園長の風格すら漂わせて、堂々と挨拶をしてくれました。


私自身は、27歳で幼稚園を創立して、10年間は理事長として、その後、昭和56年からの21年間は園長としてやってきましたので、式が始まる前は、何か感慨が有って、心にこみ上げるものが有るかとも思っていましたが、役が人を育てると言われるように、新米園長が堂々と式辞を述べてくれたことで、「直子先生を園長にしてよかった」とうれしく感じながら、安堵していました。世代交代ができたことで、次なる発展と教育の深まりを予感しながら、心をなでおろすことができたのです。今までも、ほとんどのことを任せてやらせていましたので、しっかりとやってくれると思います。


実は、この「えんちょうのつぶやき」も引退しようと、3月のつぶやきのときは、「最後のつぶやき」という題で、年度末の最後と園長としての最後を、気付かれないように、懸けての題名にしていたのです。ところが、今田直子主任教諭が園長を引き受けてくれるときに、『「園長のつぶやき」は続けてください。保護者の皆さんがとても楽しみにされているのですから』と、木に登らされて、今しばらく続けることにしました。
ところが、前園長が書くのなら、「園長のつぶやき」では、都合が悪くなってきました。「理事長のつぶやき」と言うのでは、何かピッタリときません。まだ決まっていないのです。ここでパソコンのテンキーをたたくのを止めて考えました。新しく入った事務の智佳先生が、「まさひろせんせい」と呼んでくれているので、「まさひろせんせいのつぶやき」にしようか、いや、白髪がいっぱい出てきたので、「白髪せんせいのつぶやき」にしようかとも考えていますが、まだ決まりません。先生たちに任せることにして、次に進みます。


話はさかのぼって、前日、卒園式を済ませて、3月20日の年少のうめ組と年中のもも組の子供たちの、終業式の日のことです。その中に、卒園式を済ましたものの、プレイルームで預かり保育を受けている、年長のさくら組の子供たち10数人も、後ろの方に座って終業式の様子を見ています。
進行役の先生が、「うめ組さん」と呼びかけると、「ハーイ」と、元気な返事が返ってきます。「もも組さん」と呼ぶと、同じように「ハーイ」と、返事が返ってきます。そして、「さくら組さん」と呼ぶと、「シーン」としています。子供たち同士で相談もしていないのに、誰も返事をしません。そこで、「1年生さん」と呼ぶと、「ハーイ」と言う元気な返事が返ってきました。わずか一日前に卒園式をしたばかりなのに、「さくら組さん」では、返事をしてくれないのです。


その様子を見ていて、子供たちが、卒園式を切りに、心のけじめをきちんと付けていることに感心するとともに、けじめとしての、式の役割の大切さを改めて感じさせてくれました。卒園式が有ろうと無かろうと、小学校には入学できます。しかし、このことでも分かるように、たとえ幼児と言えども、「幼稚園生活が終わり、小学校に入学する」と言う、自らの心のけじめをしっかりと付け、新たな希望を心に抱いているのです。そして、小学校での入学式を経験することで、小学生としての自覚をしっかりと持ち、新たな希望に燃えて前に進もうとするのです。
4月には始業式と入園式をしました。不安に思いながらも入園した喜びと、進級して年中・年長組になった喜びとが、形としての式で、心のけじめとなり、自分のおかれた立場の自覚を促すこととなるのです。


このような心のけじめを担っている日は、お正月から始まって大晦日まで、日本文化の伝承や伝統行事の中に、たくさん有ります。近年は、このような伝統文化や行事が薄れてきていますが、子供の育ちの中で、心のけじめとなることだけでも、大切にしていきたいものです。


話は変わって、今年はさくらの花がずいぶんと早く咲きましたが、幼稚園にいるマガモも早くから卵を抱いていました。ところが、無精卵だったらしく、抱くのをあきらめ、巣箱から出てしまいました。卵を取り出して割ってみると、どの卵も腐っていました。そして、巣箱を掃除して、ワラを敷き詰めてやりました。すると、2週間ぐらいして、また卵を産み始め、再び、卵を抱いています。昨年のように、かわいいマガモの雛の姿を、今年も見ることができそうです

 最後のつぶやき(平成13年度)平成14年3月

平成13年度の最後の「園長のつぶやき」となりました。園長のつぶやきも何年も続いていますが、いつも原稿締め切りになって催促を受けながら書いています。テーマが見つかるまでは一行も書くことができないでいます。常に新しいテーマで書くことの辛さです。


2月10日に子供の城の落成式を行いましたが、その前々日の8日は、私の長女の結婚式でした。「この忙しいときに!」と思いながらも、結婚式に望みました。忙しさのおかげで、父親としての娘を取られるというような邪念を抱く暇も無く、あわただしさの中で、何とか無事に済ますことができました。


その間なし、今度は、幼稚園の先生の、旦那さんのお母さんが亡くなられ、お通夜とお葬式に参列しました。その先生には、小学校1年生と幼稚園年中組の二人の娘さんがいます。亡くなられたおばあさんにとっては内孫になります。出棺のとき、泣き狂う長女と、どこまで理解できているのか、周りの雰囲気に神妙な顔でうつむいたままの次女の、二人の娘の痛々しい姿が目に焼きついています。


結婚やお産もあれば死もある、当然のことながら、生きている以上、自分の身に降りかかるさまざまな出来事を、そのまま受け止めていかなければなりません。
義母を亡くしたその先生から手紙を貰いました。その一端を本人には無断で紹介します。


「‥(略)‥‥。長い闘病生活の間に、私たち家族は少しずつ気持ちを落ち着かせることができ、お母さんの最後の日を心静かに迎えました。苦しそうに息をするお母さんに、旦那は、『もうがんばらんでいいよ。今までよくがんばったよ。もう、いいよ』と、声をかけてあげたそうです。私は、家で、亡くなったお母さんが帰って来られるのを待ちながら、いろいろなことを思い出していました。一番思い出すのは長女がお腹に授かったときです。(注・結婚7年目) 庭で、お母さんに、『お母さん あのね 赤ちゃんができました 私‥‥』っていうと、お母さんは、そこに座り込んでしまって、『ちょっと待って‥腰がぬけたよ ホント? ホント?』と、ただただ、うれしそうに笑ってくださいました。

そのときの顔が‥‥忘れられません。一緒に住んでいて、辛いこともたくさんあったけど、やっぱり、あのときの笑顔を思い出すと、(私にはとっても優しい母だった、そして、子供たちにとっては、優しさ100点満点のおばあちゃんだったのだ)と、思えるのです。そして何より、私の大好きな旦那を生み育ててくださったお母さんです。私にとっても大切な人だったのです。‥(略)‥‥」と言う内容の手紙でした。


小さな孫二人は、「おばあちゃんはお星様になった」のだと聞いて、毎夜、夜空を見上げていると言います。二人の幼い娘さんにとっても、大変辛い経験だったことと思いますが、身近な人の死に直面することは、命の大切さを学んでいく大きな試練でもあったわけです。


話は変わって、先日、発表会の予行演習がありました。みんな落ち着いて堂々とした姿でやっています。予定のプログラムが終わったとき、年長組の先生が、「いかがでしたか?」と尋ねるので、「う~ん、少し涙が出たよ」と言うと、「え~、どこでですか?」と聞くので、「年長組バトンのとき」と答えて、ホールから園長室に帰ってきました。

そして、昨日、子供たちみんなに、がんばっていることをねぎらいながら、各保育室を回っていましたが、その年長組の部屋に行ったとき、担任がクラスの子供たちに、「ね~、この前の予行演習のとき、園長先生、みんなのことほめてくださったことを話したよね」と言いながら、「どんなことだったか、直接訊いてみようよ!」と子供たちを煽ります。すると、すぐさま女の子が、「バトンどうだった?」と訊くので、「うん~、みんなかわいくて上手だったので、涙が出た」と言うと、男の子もすかさず、「ソーラン節はどうだった? 泣いた」ときたので、「ううん、みんな元気でかっこいいので、園長先生も一緒に踊りたいと思った」と答えました。すると担任が、「園長先生、予行演習が終わったとき子供たちに、園長先生の言葉を、今と同じように伝えたら、子供たちは、なんて言ったと思います?」と訊きます。「???」と考えていると、「女の子が、園長先生はまだ若い!」と、そう言った子を指差しながら、教えてくれました。その子も、ニコニコしながら、うなずいています。

この時期、毎年のことですが、保育室を回ると、子供たちの成長振りを改めて感じざるを得ません。みんな落ち着いていて、堂々とした振る舞いなのです。年少組の子も、年中組の子もひとまわりふたまわりも大きく成長しているのです。そして、年長組のクラスに行くと、子供たちみんな明るく私を迎えてくれるのですが、その明るさゆえに、余計に悲しさがこみ上げてくるのです。もう、すっかりお姉さんお兄さんになっていて、「あ~、この子達とはもうすぐお別れなんだ」と、胸がジ~ンとしてくるのです。本当は、子供たち自身が、担任や友達との別れが近づいていることをしっかりと認識しているのです。それだけに、笑顔で迎えてくれることが、余計にいじらしく、また、人の気持ちを思い遣る素敵な子供たちに成長してくれていることを誇りに思うと同時に、出会いの後は必ず別れが来ることを改めて実感しています