白髪せんせいのつぶやき

目玉焼き(平成14年度)平成15年2月

1月27日の雨の日、3歳未満児クラスのさつき組の子供たち5人が、ホットケーキを焼いて、「じじちょう(理事長)先生も食べてください」と、自分たちで焼いたホットケーキを事務室に持ってきてくれていました。ホットケーキの上にはバナナやイチゴがのせてあって、とてもかわいらしく出来ていました。先生と一緒に作った楽しい様子が目に浮かぶようでした。そのホットケーキを食べた後、さつき組に行って、とても美味しかったことを話して、「ありがとう」と言いました。すると、「目玉焼きもしたよ」と言います。すかさず担任が、「そう、すごいんです。焼くことよりも玉子を割るほうがおもしろくて、何個でも割ろうとして、止めるのに大変だったんです」と言います。


「そうなんだよ。つい先日、モネちゃんモカちゃんも、カモの玉子で同じことをしたんだよ。そのときも、焼くよりも割ることのほうをしたくて、結局、3個ずつ割らして、目玉焼きを作ったんだよ」と担任に話すと、「え~、カモの玉子で目玉焼きしたんだって!」と、子供たちに伝えます。「そうだよ、今度はみんなにもカモの玉子を持ってきてあげるから、また、目玉焼きをしようね」と約束をして部屋を出ました。


実は、2歳児のモネ(萌音)ちゃんと4歳児のモカ(萌歌)ちゃんは、先日の参観日に来てもらった講師の上白石孝子先生のお子さんで、1月の「つぶやき」で書いた『孫』に出てくる二人の女の子です。参観日の前日、その子たちと幼稚園の園庭で遊んでいるときに、カモの小屋に玉子があるのを見つけて、「玉子がある!」と喜んでいるので、「そう、この玉子からカモの赤ちゃんが生まれたんだよ」と話してやりました。


家に帰って、早速、冷蔵庫に保管してあるカモの玉子を取り出してやりました。「これもカモの玉子だよ。目玉焼きにして食べると、とても美味しいんだよ。目玉焼きをつくろう!割ってごらん」と言うと、「割る!! 割る!!」と言って、大喜びで割り始めます。しかし、カモの玉子の殻は結構硬いので、なかなかうまくは割れません。割れ目を入れるのを子供の手を持って一緒に割ります。でも、手伝うことに満足しない二人は、「もう1個」と要求します。もう1個ずつ渡して、今度は自分たちだけで割ろうとしますが、「グシャ」となってつぶれます。それも不満で、「もう1個」と言って、それぞれ3個目を割ります。今度はなんとか一人で割ることが出来ました。「さ~、今度は目玉焼きにしよう!」と、台所に連れて行き、フライパンで目玉焼きを一緒にしました。自分たちで作った目玉焼きです。おなかいっぱいになるまで食べたのでした。


さつき組の子供たちは、次の日、大根やネギを採りに、担任の家のおじいちゃんが作っている畑に行きました。私もその様子を見たいので、すでにバスで出かけた子供たちの後を追って行きました。畑に着くと、子供たちは「うんとこしょ!どっこいしょ!」とダイコンやカブを抜いています。カブは丸いのですぐ抜けますが、ダイコンは長いので力いっぱい引いても抜けません。何度も「うんとこしょ!どっこいしょ!」と引いても抜けないので、先生と一緒に葉っぱを持って引き抜きます。「やった~、抜けた!」と大喜びです。きっと、絵本の「おおきなかぶ」の、『それでも なかなか ぬけません』のフレーズを想像し、その重さを実感しながら抜いたことでしょう。子供たちは、抜いたダイコンを手押し車に乗せて、おじいちゃんのところまで運んで、「洗ってください」と、おじいちゃんに手伝ってもらいながら一緒に洗いました。


担任が、「明日はたこ焼きをするからネギを採りに行こう」と声をかけて、今度はネギ採りが始まりました。ネギを子供たちの手に持てるだけ引きちぎっています。それを運ぶ途中に白菜が育っていて、一把ずつワラで縛ってあり、外側の葉っぱは寒さで変色しています。担任が、「これ、何か分かる?」と聞くと、「白菜みたい」と言うので、担任は、「○○ちゃん、すごい!白菜が分かるんだ」、「じゃあ、これは?」とホウレン草を指差すと、「葉っぱ」と言って私たちを喜ばせてくれています。子供たちは、収穫したダイコンとネギに、もらったニンジンとキュウリを一緒のかごに入れ、幼稚園に持ち帰りました。


早速、子供たちは担任と一緒に、ダイコンとキュウリとニンジンを細切りにして、マヨネーズとケチャップをつけて、お弁当のときに一緒に食べ始めました。ほとんどの子が嫌いなはずのニンジンや生のダイコンを、子供たちは、お母さんの作ってくれた弁当のふたを開けるのも忘れて、夢中になって食べています。自分たちが野菜を採ってきて作ったという気持ちがそうさせているのです。
そして、明日、さつき組のクラスが、たこ焼きをするというので、たまたま、親戚からもらったばかりのタコがあったので、私は、たこ焼き用にと小さく切って担任に渡しておきました。


好奇心いっぱいの幼児期の子供たちは、なんでも自分でしたがります。台所で大好きなお母さんのしていることを自分もしたいと言います。忙しくされているお母さんには足手まといになることが度々です。こぼしたり壊したりして大変なことになると、ついつい拒否してしまいがちです。しかし、せっかく子供がしたがっているときの対応を間違えると、大きくなった頃には手伝いさえもしなくなります。忙しいときには、「今日はがまんしてね。明日、一緒に目玉焼きを作ろう」というような対応の仕方をしてやると、とても楽しみに待ってくれます。


このように子供たちは、さまざまなことを、直接、体験することでいろいろなことを感じ取り理解を深め、その楽しさが喜びとなり、満足感はまた次の意欲を持つようになります。お母さんやお父さんと一緒にすることが親の愛情を感じながらですから、なお更です。ここまで書いた時、さつき組の子供たちから、「たこ焼きが出来ましたが雪がいっぱい有って持って行かれません」と、事務室に電話があり、事務の人がもらいに行って、私のところに持ってきてくれました。『美味しい!!』。早速、子供たちの部屋に行って「すごく美味しかったよ」と喜びを伝えました。

 孫(平成14年度1月)平成15年1月

昨年の12月25日は、私たち夫婦の結婚30周年でした。幼稚園を開園して2年目の冬休みでしたが、まだ職員の採用を十分に出来ない経済状況にいたので、理事長・園長の仕事のみならず、事務の仕事、用務やらバスの運転と忙しく、この時期しか休むことが出来なくて、列席して戴く方からは、年末のこの忙しいときにと嫌われながらも、冬休みだけが新婚旅行のできる唯一の休みの取れるときだったので、クリスマスの日の結婚式となりました。

もちろん、外国に行くようなお金もなく、47年7月豪雨で水に浸かった乗用車を修理しながらの、北九州への新婚旅行でした。結婚後も夏休みや冬休みというと、ほとんど幼稚園の留守番役で夫婦での旅行は皆無に近い状況のまま過ごしていましたが、20周年の頃だったか、「30年経ったら新婚旅行のコースを旅行しようね」と言った女房の言葉が気になっていました。


そんな時、私が54歳になる年に入学した大学院で一緒に寮生活を過ごし、今では家族でお付き合いをしている、鹿児島で中学校の先生をしている友人から、昨年12月の始めに電話がありました。その内容は、「この2年、お互いに忙しく会うことが出来なかったし、娘二人も広島の爺々に会いたがっているので、この冬休み、北九州あたりで合流しませんか」というものでした。寮生活のとき新婚だったその友人に子供が生まれ、私たち夫婦を、「ジイ~ジ、バア~バ」と呼んでくれていて、私たち夫婦も、本当の孫のように接しています。4歳と2歳ですが、この1月と2月で5歳、3歳となります。その孫にも会いたいし、結婚30周年のこともあるので、12月25日に長崎のハウステンポスで合流することになりました。


ハウステンポスのコテージに入り、孫娘二人が来るのを今か今かと待っていました。玄関に車の着く音がして飛び出してみましたが、隣のコテージに入る人たちでした。残念に思いながら、しばらく待っていると、再び、車の停まる音がしました。今度は子供の声が聞こえています。モネちゃんモカちゃんたちだと夫婦で玄関を飛び出しました。
「ジイ~ジ」と言って駆け寄ってくるモネちゃんを抱き上げ、「大きくなったね」と、久しぶりの対面です。2年前は赤ちゃんだった妹のモカちゃんは、ジイ~ジ、バア~バといっても誰かわからず、抱かれることに躊躇するのではと心配しながら、モネちゃんを降ろして、「モカちゃんも大きくなったね」と抱き上げると、素直に抱かせてくれます。後でのお父さんお母さんからの説明だと、2年前、三次に来たときのビデオを何回も見せて、「広島のジイ~ジ、バア~バだよ」と、刷り込みをしてくれていたそうです。そして、3泊4日の、孫との楽しい小旅行が出来たのです。もちろん、孫中心の旅行ですから、新婚旅行のコースをたどることは出来ませんでしたが、唐津の「虹の松原」の海岸は30年前のままの美しさを保っていました。


昔から、「孫は目に入れても痛くないほどかわいい」とか、「わが子よりかわいい」といいますが、その気持ちを実感する旅でした。
わが子を育てることは、どの親御さんにとっても初めての経験です。みんな必死で育てます。赤ちゃんの頃は夜泣きもするし、お漏らしもします。病気もするし怪我もします。大きくなるにつれて、喧嘩もするし親の言うことも聞いてくれません。時には育児ノイローゼにもなりそうです。そんな中でも、元気で良い子に育つよう一生懸命です。本当はわが子が一番かわいいのですが、育てる責任が重くのしかかっています。


ところが孫は、その親が育ててくれています。時たま会うと、かわいくて仕方がありません。本当にかわいいのです。抱っこしたり一緒に遊んだりして、疲れたら親に返すことが出来ます。育児の負担や責任がありませんから、「かわいい」ことだけを満喫できるのです。友人の子供を孫だ、孫だ、なんて言っていると、本当の孫に恵まれない予感もしないではないのですが、本当にかわいいのです。


わが子を育てるには、一生懸命の余り、心に余裕が持てないことも多々あると思います。ましてや核家族だと、ほとんどがお母さんの負担としてのしかかってきます。それでもわが子です。一生懸命育てます。子育ては大変です。でも、今年、還暦を迎えて自分の人生を振り返ってみても、○歳年下の女房が言うのにも、大変だったけれども、子育てをしているときが「人生で一番幸せなとき」と、あらためて感じるのです。


皆さんの年末年始はいかがお過ごしされましたでしょうか。お子さんを連れて、おじいちゃんおばあちゃんのところに泊まりに帰られた方もたくさんいらっしゃると思います。そういえば、親孝行というのは、しようと思っていても、なかなか出来ません。自分たちが生活していくのにせいいっぱいで、その余裕すらありません。子供を連れて実家に帰省された方は、そのおじいちゃんおばあちゃんは、きっと、孫が帰ってきてくれたことを一番喜ばれたのではないでしょうか。それが一番の親孝行になったことでしょう。「親孝行をしたいときには親はおらず」という諺があるように、もうすでに、親御さんをなくされている方もいらっしゃるかもしれません。

私には、今年89歳と85歳になる父母がいます。田舎で老夫婦だけが住んでいます。まだ元気で過ごしてくれているからいいようなものの、何一つ親孝行は出来ずにいます。女房にも85歳になる母親が兄夫婦と一緒に生活してくれているので安心ですが、私たち夫婦からは何一つ親孝行することが出来ません。これも、親になって年をとると感じるのですが、私にも娘二人がいます。「わが子が元気で幸せに過ごしてくれていることが一番の親孝行よ」といっています。親の願いってそんなものなのです。
保護者の皆さんもそんな親の願いを背にして、いま、幸せな家庭を一生懸命築いていらっしゃいます。そのことが一番の親孝行と思って今年も楽しくお元気で過ごしてください。皆さんのお子様も、私たちにとって最高の孫です。そんな仕事が一生できることの幸せを感じています。

手品(平成14年度12月)

時々保育室を見て回ると、子供たちは私を見つけるなり、「手品をして!!」とせがみます。保育中なのでそう簡単には引き受けません。「理事長先生には手品しか用事がないん?」と言ってはその場を逃れます。
それでも、何かの活動の合間のようなときには、時々、手品をしてやります。入園してきて、私の手品を初めて見たときの驚き様はすごいものがあります。目を開いたまま固まっています。別な日に、また部屋を回っていくと、「テジして!」といってねだります。「手品」という言葉がまだよく理解できていないのです。そのうち、「手品をして」「マジックをして」というようになりますが、最初のうちは、ほとんどの子が「テジして!」といいます。4歳5歳になると、同じように「手品をして!」「マジックをして!」と、たびたび要求してきますが、びっくりはしているものの、種を見つけようと、目を凝らして必死に見ています。「わかった!! 袖にかくしてるんじゃ!」とか、「2本もっとるんよ」というように、トリックを見つけることに夢中になっています。ほとんどは、ばれることはありません。親指を切り離す手品はすぐにばれますので、やり方を教えてやります。それでも、なかなか上手には出来ません。


私の手品は、10円玉が消えたり、10円玉を吹くと子供のポッケットに入っていたり、右の耳に10円玉を入れて、左の耳から出すコインのマジックや、手の平からタバコが何本も出てきたりする手品です。
いつも同じ手品なのに、私を見るたびに「手品」をしてと、要求するのは、どうにかしてその種を見つけようとしているからなのです。


卒園した小学生が幼稚園に遊びに来たときも同じように、「手品をして!」と要求します。
先日、日が暮れた頃、市役所の前を歩いていると、にぎやかに笑い声を上げたり話をしたりしながら、7,8人の中学生の男女が自転車に乗って、帰宅している集団と出会いました。「お帰り」と声をかけると、「あ! 園長先生だ」というので、近づいてみると、その中に、卒園児がいます。
「え、○○ちゃん?」というと、「そう、この子もこの子も卒園児だよ」と教えてくれます。「何年生になったの?」と聞くと、「2年生」と教えてくれました。すると卒園児ではない子供が、「どこの園長先生?」とその子に聞くと、「中央幼稚園の園長先生よ」と、教えています。


間髪入れずに、「園長先生、手品して!」と声がかかります。「そうよ、園長先生の手品は半端じゃないのよ!」と、もう1人の卒園児が言っています。すると、ほかの子供たちも、「やって! やって!」と、せがみます。「じゃ、急いでいるから1回だけだよ」といって、ポケットからコインを取り出し、右の耳に10円玉を入れて、左の耳から出した途端、初めて私の手品を見る卒園児ではない子供たちは、まるで、幼稚園に入園してきた子供たちが、手品を初めてみたときと同じように、目をまんまるくして、固まっています。「もう1回して!」とせがみますが、中学生ですから何回もやると種がばれますので、1回しか出来ないことにして、その場を去りました。


以前に、この幼稚園には大人になっても卒園児がよく遊びに来てくれる話を書きましたが、その中に、今年の正月には阪神タイガースの福原忍投手が、やはり卒園児のお兄さんと一緒に来てくれました。6月には、トヨタレーシングチームでF1選手を目指している小早川斎留(わたる)選手(現F3選手)が彼女を連れてきました。いろいろと思い出話をしたのですが、その思い出の中に、園長先生の手品は不思議で不思議でたまらなかったと、3人とも言います。大人になってもはっきりと覚えているといいます。福原忍君は急いでいたので種明かしはしませんでしたが、小早川斎留君にはいろいろと教えてやり、練習までして、「今度はどこかで使おう」と言って喜んでくれています。


今、卒園児で高校3年生の女の子2人が、放課後、預かり保育のプレイルームにボランティアで手伝いに来てくれています。彼女たちは、すでに短大の保育科に進学が決まり、子供が好きだからということと、勉強になるからと言ってきてくれているのです。
そのプレイルームに顔を出すと、また子供たちが、「理事長先生、手品して!」と催促します。そこで、「お姉さん先生が来てくれているから、お姉さん先生にも見てもらおう」といって、手品の準備をします。その高校生に、「手品のこと覚えている?」と聞くと、やはりしっかりと覚えていました。


私のしている手品は、本当に初歩の初歩のテクニックですが、手品の基本なのです。大学を卒業して東京の会社に就職したとき、そこでの研修期間中の休憩時間に、他の大学を卒業した人が、たまたまマジックのクラブに所属していて、1回だけ教えてくれた手品です。たったそれだけの手品なのですが、幼稚園を始めてから、こんなに子供たちを惹(ひ)きつけるとは思ってもいませんでした。

入園間なしに、理事長先生といっても意味もわからず、「じじちょうせんせい」と言っている子供たち、時には、「おじちゃん」や「おじいちゃん」と呼ぶことさえある子供たちが、たちまちのうちに虜になるし、卒園するまで、「手品して」と言い続けます。子供たちの、「不思議」に対する驚きや好奇心は、手品だけに終わらず、植物や自然の変化、昆虫や動物、あるいは自分自身が成長していく過程の中で、生命や宇宙に対しての神秘さにまで好奇心を表します。その好奇心や驚き、あるいは感動が大きければ大きいほど、心に刻まれ、自分の興味の方向がだんだんと明確化してきたとき、自分は何になりたいと将来の目標をはっきりと持ってくるようになります。そのことがはっきりしてくると、大人から指示されなくとも、自らの意思で勉強をしたり練習をしたりしようとしてくるのです。幼児期と児童期の直接体験は重要な意味を持ちます。

チャレンジ(平成14年度11月)

秋日和の幼稚園の園庭では子供たちのにぎやかな声が響き渡ります。
その様子を見ていると、それぞれのグループがいろいろなあそびを思い思いにしています。
砂場や鉄棒で遊ぶ子、アスレチックやわんぱくトリデで遊ぶ子、小川やわんぱく山で遊ぶ子、ブランコや遊動木で遊ぶ子、サッカーや縄跳びをして遊ぶ子、あるいは、園庭に座り込んで泥団子作りに夢中になっている子と、花が咲いたように元気いっぱいに遊んでいます。その様子を静かに見ていると、とても楽しく、いろいろなことが発見できます。


3歳児のある男の子は、小山の岩の上から何回も飛び降りています。「ここからも飛べるよ」と、だんだん高いところに移動して飛び降ります。
私が見ている間、ずっと飛び続けます。吊り輪にぶら下がって大きなタイヤに渡っている3歳児の子も、「みて! みて!」と言っては、ぶら下がっています。小川を飛び越えている子のそばに行くと、「ここも飛べるよ」といって、より川幅の広いところを飛び越えて見せてくれます。しかし、少し無理だと思ったところは決して飛んだり飛び越えようとしたりはしません。自分の能力の限界点を心得ているのです。


このように、年少組の子供たちは、出来るようになったことをしきりに「みて! みて!」と周りの大人に訴えます。「すごいね~」といってやるとうれしそうに「ニコッ」とします。「自分にも出来る」という喜びを伝えたいのです。
ところが4歳児の年中組になると、この、「みて! みて!」という言葉はだんだんと減少してきます。吊り輪で遊ぶときも、ただぶら下がるのではなく、大きなタイヤに渡ることに必死で挑戦をしています。アスレチックでは、ロープにぶら下がって上に登ろうと繰り返し挑戦しています。ターザンロープもうまく飛び乗るために何回も小川の橋の上から試みています。年中組にもなるとちゃんと自分に目標があるのです。年長組のお兄さんやお姉さんがやっているように自分もしたいと、憧れて見ていたことが、だんだんと出来るようになったことで、更なる目標を自分自身に課して挑戦しているのです。見てもらうことより、年長組さんのように出来るようになることのほうが重大なのです。


5歳児の年長組にもなると、あそびがよりダイナミックになってきます。わんぱく山の端にあるハント棒にぶら下がっている吊り輪で、今度は年長組の女の子二人が遊んでいます。見ているとやはりあそびが違います。吊り輪にぶら下がり大きく体を揺らしてハント棒に飛び移り、腕の支えだけで回りながら降り、ときにはハント棒の上まで登っています。私が見ていることは意識していますが、「しらん顔」を決め込んでいます。「こんなことへっちゃらよ」とでも言いたいようです。年長組にもなると、いろいろと出来るようになったことを組み合わせて遊びます。あそびを作り出すのです。


子供たちは遊ぶことが大好きです。楽しいからこそ遊ぶのです。ところが、みんなと手をつないで、ただなかよしだけで遊ぶから楽しいのではないのです。そんなあそびはすぐ飽きてしまいます。
子供たちは、興味を持ったあそびに夢中になって遊びます。ところが、思ったとおりにはいきません。そのあそびを楽しいものとして成立させるには、それに応じた、それなりの能力が必要となります。泥団子つくりを見ていても、たかが泥団子ではないのです。年少組の頃は、泥に水を含めて、ただ泥を丸めるだけですが、年中組になった頃からは、サラ粉を集め、水の含み加減も調整しながら、より硬く、よりつやのある団子を作ろうと、泥団子つくりの技術を磨いているのです。そのことができるようになった達成感が快感となり、またより硬い団子つくりに挑戦するのです。


このように、子供たちの遊んでいる様子を見ていると、あそびの中でいろいろなことにチャレンジしていることがわかります。出来るようになろう、もっと上手になろうと挑むのです。自分の出来ることの少し上の能力にチャレンジしながら征服しては、次のチャレンジを求めます。サッカーボールで遊ぶときも、縄跳びや鉄棒で遊ぶときも、アスレチックや吊り輪で遊ぶときも常にチャレンジしています。そのときのチャレンジの気持ちと緊張感があそびをより楽しいものとさせているのです。このことが、その結果として、子供たちの能力と意欲を培うのです。あそびを通して自らを成長させているのです。
子供のあそびの様子を見た後、事務室に帰り、心地よい気持ちで仕事をしていました。しばらくすると、「よいしょ、よいしょ」と、にぎやかな声が聞こえてきます。しばらくは仕事を続けていたのですが、仕事のきりがついたところで、まだ聞こえる「よいしょ、よいしょ」という掛け声が気になり、もう一度、園庭に出てみました。みると、年少組の男の子たち6、7人が、小川の中に落ちているタイヤ(転がしたり乗って遊ぶために3本つないであるタイヤ) を引き上げようと、必死になっているのですが、重すぎて上がらないのです。


その様子を眺めている私を見つけたとたん、「じじちょう(りじちょう) せんせい、タイヤ上げて」と助けを求めます。タイヤを小川から引き上げると、「やった!やった!」と喜んでタイヤを転がし始めました。ふと気がつくと、その中の二人が立ったまま涙を拭いています。「え~、どうして泣いているの?」と聞いても、ただ黙って涙を拭いています。すると他の子が、「この子がタイヤを落としたんよ」と、教えてくれます。他の子が別に攻めている様子は無かったのですが、タイヤがなかなか上がらないので、どうやら責任を感じていたようです。
「泣かなくったっていいよ。ドブンと落ちて水がバシャッと散るんだもんね。すごくおもしろいよね」といってやると、「うん」とうなずきながら、「ニコッ」として、また、タイヤころがしに加わっていきました。 「鳴いたカラスがもうわろた♪」。楽しい光景でした

初恋?(平成14年度10月)

一学期の終わりに、お父さんの転勤で、広島市内の幼稚園に転園して行った年少組(うめぐみ)の女の子、ちーちゃんが、あたらしい幼稚園の運動会が終わり、振り替え休日になった24日の火曜日に、お母さんと一緒に遊びに来てくれました。4月に入園してきた頃は、お母さんが恋しくてよく泣いていたのですが、5月半ば頃からは、友達もいっぱいできて、元気に遊んでいました。やっと幼稚園生活の楽しさがわかってきた間なしの転園でした。


その子がお母さんと妹と一緒に、幼稚園の動物園で山羊さんや羊さんを見ている姿を見つけた、同じクラスだった子供たちは、「ちーちゃんがいる」と大喜びして、「お部屋に行こう」と手を引いて誘います。最初は照れくさそうしていたちーちゃんも、部屋の入り口までついて行きます。ちーちゃんはすぐにお部屋に入れず、入り口で部屋の様子を見ていました。すると、下駄箱に、ちーちゃんの名前も上履きシューズも無いことに気付いた友達が、「シューズを探してあげる」と、どこからか見つけてきます。それでも、シューズを履こうとしない、ちーちゃんの様子を見て、「サイズが合わないから履かないんだ」と、もう一度、探してきました。それでも履こうとしてくれません。すると、自分のシューズを脱いで、「私のシューズを貸してあげる」と言って、上履きシューズを履かそうとします。結局は、彼女も遠慮して履くことはしませんでしたが、意を決して部屋の中に入りました。ままごとコーナーで一緒に遊び始めます。いろいろな遊び道具を見つけて、「これ、まだある」と懐かしそうにしています。毎朝、「今日のお休みのお友達はいますか」と担任が出席の確認をすると、いつも、転園して行った、「ちーちゃんとこうせいくん」といまだもって言っていた子供たちは、「ちーちゃん、やっと来たね」、「明日も来てくれるよね」と、転園したことの意味が十分に理解できない3歳児たちです。
部屋での遊びをしばらくした後、子供たちは、ちーちゃんを園庭に連れ出しました。もう、お弁当の時間ですが夢中になって遊びます。ところが、ちーちゃんのカバンが無いので、お弁当の無いことに気付いた他の女の子が、砂場道具のなべを使って、その中に砂や葉っぱや水を入れて、「ちーちゃんのご飯を作ってあげる」と言って、友達と一生懸命作ってくれています。ところが、ちーちゃんの方は、園庭を走りまわっています。男の子たちが、「ちーちゃんを捕まえる」と言って追っかけまわしているのです。よく見ると、しつこく、いつまでも追っかけているのは、2人の男の子です。そうなのです。ちーちゃんのことが大好きだった男の子なのです。他の友達はというと、もう、いつものとおり、ままごとをしたり、泥んこ遊びをしています。3歳児でもすでに自分の大好きな相手を意識しているのです。その男の子にとって、もしかしたら、初恋だったのかもしれません。


次の日、今度は高校2年生の卒園児、男女4人が遊びに来てくれました。プレイルームの子供たちや児童クラブの子供たちと日が暮れるまで、3時間近く遊んでくれました。男の子はお兄ちゃんたちとサッカーをしたり、ボール投げをしています。女の子はお姉ちゃんにまつわりついています。憧れのまなざしです。その後、職員室で先生たちといろいろと話しこんでから、帰って行きました。自分たちが幼稚園のときの担任が、今でもいてくれることを、とても喜んでくれていました。「幼稚園のとき、大好きな先生に出会えたから、先生のためにもがんばろう」と、今でも思っていると言うのです。

実はこの高校生は、お互い恋人同士なのだそうです。4人とも、とてもまじめそうで、清潔感のある高校生ですが、高校生が恋人と一緒に、堂々と、自分の卒園した幼稚園に遊びに来てくれる状況には、さすが、時代の変化を、つくづくと感じざるを得ませんでした。とうとう、私も2時間ぐらい付き合いましたが、とってもさわやかな気分にさせてくれた素敵な高校生でした。


この幼稚園には、本当によく卒園児が訪ねてきてくれます。社会人になって立派に成長した姿を見せに来てくれる子、逆に、挫折したとき心を癒しにやってくる子、あるいは、自分の生き方に悩んでいるときに、いつの間にか足が幼稚園に向いていたという子、結婚が決まったからと彼氏を連れてくる子、中学や高校に入学したり、卒業したりした区切りのときに来てくれる子等々、たくさん来てくれます。この6月にも、結婚式に出て欲しいと招待状を持ってきてくれました。先日も、大学2年生になった男の子が、やっと彼女ができたと、九州出身の1年生のかわいい彼女を連れて、東広島からやってきてくれました。そういえば、この男の子は、広島の中学に行っているとき、「急に幼稚園に行きたくなった」と、一人、芸備線に乗ってきてくれた子でした。


卒園児の子供たちが尋ねて来た時、「幼稚園のときのことを覚えている?」と聞くと、結構、いろいろなことを覚えてくれています。それが、面白いことに、遠足や運動会等の行事のような大きな出来事ではなく、日常の小さなこと、大人から見たらなんでもないようなことの方を、しっかりと覚えているのです。覚えていることは、その子その子によって違う場面ですが、共通していることがあります。それは、先生とのかかわりの中での思い出です。「あのとき、先生がほめてくれたから自信が持てて、いろいろなことができるようになった」とか、「あの時、先生が声をかけてくれたからとてもうれしかった」。あるいは、「先生が一緒に泣いてくれたから、この先生のためにがんばろうと思った」等々、たいていの場合、何気ない先生の一言で、子供たちの心が救われたり、意欲を呼び起こしているのです。こちら側から見れば、先生としても当然の言葉がけが、子供たちの心の琴線に触れているのです。当然の言葉がけというより、先生たちが、その子その子をちゃんと受け止め、心から発している言葉だからこそ、子供たちの心の中にしっかりと残っているのだと思います。幼稚園は心のふるさとなのです