白髪せんせいのつぶやき

巣箱(平成15年度)平成16年1月

12月半ば過ぎ、事務室の窓側から元気のいい男の子の声が聞こえます。「この巣箱を理事長先生に渡してください」と、事務の一樹先生に手渡しました。そのうえ、「わかりましたか」と、念を押しています。それも、その言い方が担任にそっくりなのです。


その巣箱というのは、4月1日にスタートする新生三次市の合併を記念して、観光協会から有料で配布されているものなのですが、自分たちでビスを使って組立てるようになっていて、その子のお父さんと一緒に組立てた巣箱を、幼稚園の園庭に取り付けてほしいということも伝えています。


その巣箱には製作者名も記入するようになっていて、ちゃんと名前が書いてあるので、実の愛称を書きますが、年長組の「たっちゃん」が持ってきたのです。すぐにでも取り付けてやりたかったのですが、すごく忙しくしていた時なので、その時間も取れないでいました。そのうち冬休みに入りましたが、幸いにもたっちゃんは預かり保育(延長保育)のプレイルームを利用しているので、本人はまだ幼稚園に来ています。ずっと気にして過ごしていたのですが、プレイルームも休みに入る1日前の26日にやっと時間がとれたので、たっちゃんを誘って、園庭のイチョウの木にハシゴをかけて、「小鳥が巣をしてくれるといいね」と言いながら、巣箱の入り口を東側に向けて、たっちゃんと一緒に取り付けました。入り口を東に向けて取り付けないと、なかなか住み着いてくれないという記憶があったからなのですが、早起きの小鳥は、太陽の昇る東向きがいいのだと納得しています。

実は私も、その合併記念の巣箱を20箱も購入しています。忙しくて、まだ2箱しか組立ててはいないのですが、お正月に家の裏山に取り付けました。落ち着いたら、残りの巣箱を組立てて、園庭の木々に取り付けようと思っています。


昔のことですが、私が小学生の頃、自分で巣箱を作って、山に行き、木に取り付けていたことがあります。それは、自然を守るとか、小鳥を労わるとか高尚なものではありません。自分で飼いたかったからなのです。
山に巣箱をかけて、時々、様子を見に行きます。木陰に隠れてじっとしていると、「ヤマガラ」が出入りしています。「やった!巣をしている!」と大喜びです。そのヤマガラが巣箱から飛び立つのを確認して、木に登って巣箱のふたを開けてみると、ヤマガラのヒナが6羽生まれています。ヒナは恐れるように顔をそろえて縮こまっています。まだ産毛だけです。まだ、あまりにも小さすぎるので、ふたを閉めてそのままにしておきます。何日かして行ってみると、すっかり羽も生えそろい、近いうちに巣立ちそうな様子です。そのヒナを取り出し、かごに入れて家に持って帰るのです。


家には縦長のヤマガラ用の鳥かごがあります。そのヒナを鳥かごに入れて誰もいない部屋に置き、鳥かごに布をかぶせて暗くして静かに置いておきます。しばらくすると、小鳥が落ち着いてきます。その間に、キナ粉とホウレン草ですり餌を作って、それを箸の先に付けて口の中に入れてやります。最初は無理矢理に押し込みますが、慣れてくると、箸の先のえさを見ただけでも「チイー、チイ」と一斉に口を開けます。成長すると、オノミ(種)を与えます。それをくわえて、止まり木に止まり、足に挟んで口先でコツコツとたたいて中の実を取り出して食べます。ヤマガラの鳥かごには出窓がついています。その出窓に小さな餌入れを糸でぶら下げておくと、ヤマガラはくちばしと足を使ってその糸を手繰(たぐり)り上げ、餌をついばみます。

昔は街頭で、鳥かごの外側に赤い小さな鳥居とお宮を作って、ヤマガラにおみくじを引かす商売をしている人がいましたが、今は見る由もありません。たっちゃんの持ってきてくれた巣箱のおかげで、このようなことを思い出したのです。今は、野鳥を捕ったり飼育したりすることは禁止されていますので、許可なしには飼育できません。ヤマガラがせっかく巣箱の中でヒナを育てているのを持ち帰るのですから、かわいそうなことをしたものです。ましてや、飼っているうちにいつかは死にます。しかしながら、私にとってはとても楽しい経験だったのです。その楽しい経験の思い出と、大人になってから、かわいそうなことをしたと思う気持ちとが相まって、小鳥や小動物に対する思いやりや労わりの気持ちもはぐくまれてきたように思います。


こんなこともありました。「十姉妹」を十数羽飼っているときのことですが、大きなきれいな貝殻を二枚見つけました。これを見て水入れと餌入れにちょうど良いと思いつき、水とアワやヒエを入れて鳥かごのなかに置いておきました。次の日、鳥かごのところに行ってみると、なんと、全部、死んでいるではないですか!原因は、その貝殻についていた塩分が悪かったのです。ショックでした。


子供たちは虫や昆虫を取って遊ぶことが大好きです。小鳥や犬を飼うことも大好きです。当然のことながら、自分の捕まえたものやかわいがっているものが、いずれは死んでしまいます。喜びや悲しみにも直面します。そのような心の葛藤が、子供の心をはぐくみ、命の尊さを知り、労わりの気持ちやその子の人格としての穏やかさも備わってくるのです。


日本昆虫学会の会長も言っていました。昆虫は子供が捕って死なす以上に繁殖力を持っているから、しっかり捕まえて遊びなさいと。
自然を破壊しているのは、農薬や排水や排煙、開発なのです・・・

壺(つぼ)(平成15年度)12月

先日、会議のため車で広島に向かっていたら友達から携帯電話が入りました。「今日、仕事が休みなので例の壺を持って行くから」と言うので、「今日は広島に出張で、早くても6時半でないと帰れない」と言うと、「じゃあ、7時頃、二組の夫婦で行くから」と半ば強引な訪問が決まったのです。

「例の壺」と言うのは、彼の奥さんが趣味で陶芸をやっているのですが、その奥さんの作品なのです。2年前に、彼のお家を訪問したとき、玄関に花瓶が置いてあり、すぐ目にとまったのです。「この花瓶、すごく素敵!!」と、一目惚れした花瓶で、すごく芸術的な花瓶だったのです。なんと、話を聞いてみると、近所に陶芸教室があり、共働きの奥さんが、仕事の合間を縫ってはその教室に通い、自分が作った作品だというのです。その奥さんが陶芸をやっていることなど一度も聞いていませんでしたので、そのことに驚いたのと、センスの良さに感動したことがあったのです。そこですぐに売って欲しいとお願いしたのですが、自分も一番気に入っている作品だからダメだと断られたのです。そこで、「じゃ、これでなくていいから、また作品ができたら分けて欲しい」と、一応、お願いだけはしておいたのです。


 一方、私の方はというと、訳有って9年前から、家での料理を始めたのですが、仕方無しにするのでは料理は苦痛なだけですから、「料理を楽しもう」と心に決め、毎日の食事を作っているのです。そのことを知っているその友達が、一度、私の料理を食べてみたいと言っていたので、「仕事が休みの時においで」と言っていたものですから、食材だけは、女房に電話を入れて、買い揃えてもらっておきました。


 そして会議が終わって急いで帰り、6時過ぎに家に着くことができました。服を着替え、すぐ台所に立って料理を始めたのですが、私の家族を含めて7人分の料理を作っている途中に7時が過ぎてしまい、友達の二組の夫婦がやって来ました。女房がお客さんの話し相手をしてくれている間に、料理もできて、食卓に運び、会食が始まったのです。


 食事が始まって間無しに、「そう言えば壺を持って来てくれているのだ」と思い出し、「壺は?」と訊ねると、「玄関に飾ってある」と言うものですから、急いで玄関に行ってみると、なんと、「自分も一番気に入っている作品だからダメだ」と断られた、私も一番気に入っていたあの作品なのです。しかも、「記念にあげる」と言うのです。


感激です。その作品をもらったこともですが、私の家に来る前に、その友達夫婦でお互い話し合って、「一番気に入った物を持っていくのが理事長の家に一番似合う」と決め、持って来たと言うのです。これには感動させられました。一番自分たちが気に入って大切にしている物を人にやることなどなかなかできるものではありません。「自分たちの玄関はどうするの?」と聞くと、「小さい作品を二つ並べて、何とか見栄えをつくろった」と言います。「素敵な夫婦」とはいつも思っていましたが、もっともっと素敵な夫婦に見えてきました。


 実は、その奥さんはガンで、3年前に大手術をして、大腸のほとんどを切り取り、今でもポリープが次から次とできて、検査のたびに切り取っているのです。そんな体なのに、とても元気で、毎日、明るくニコニコと笑顔を振り撒きながら仕事をしているのです。旦那の方がオロオロしているのです。でも、そんな状況下なので、その友達夫婦から、私たち夫婦は、夫婦愛のすばらしさを身近に感じさせてもらっているのです。そう感じながらも、残念ながら、私たち夫婦はまだまだ足元にも及びません。


そういう夫婦だからこそ、時間と命の尊さを最も感じている夫婦だからこそ、一番大切な壺を分け与えることができたのだと思うと、余計にありがたく、心の豊かさと愛の深さを感じざるを得ません。


 戦後の、昭和30年代からの日本の世界に類を見ないほどの経済成長は、日本人を経済的にとても豊かにしてくれました。不景気がどこ吹く風とばかり、小学生、中学生までが携帯電話を持ち歩いています。便利さと共に、機能も、メールやインターネットにカメラ付が当たり前の時代です。しかしながら、一方では、だんだんと人の心の豊かさを失ってきているように思えてなりません。人との会話もとても幼稚で粗末なものになってきています。
 先の友達夫婦には、心の大切さと人に対する愛情の尊さを、改めて教えられ、考え直させられた出来事でした。


 先の料理の話に戻ります。私が9年前に料理を始めてすぐに気が付いたことがあります。「料理は愛情」だと言うことです。料理を始めて何日かが経ったとき、ふと気が付くと、「相手にいかに美味しいものを食べさせてやろうか」と、そのことばかりが頭の中にあるのです。「料理は愛情」だとは聞いたことがあったのですが、自分で実感できたのです。その後もずっと料理をしてきて、「相手にいかに美味しいものを食べさせてやろうか」と言う気持ちを少しでも忘れると、手を抜き、てきめん、味が落ちてきます。


お母様方は、美味しいものだけではなく、子供の健康を考えて栄養のバランスに気を付けられたり、添加物に注意を払って料理をされたりしていらっしゃると思います。お子様や家族の方も、お母様の愛情をしっかりと感じ取ってくれているはずです。


ちなみに、友達夫婦二組が家に来てくれたときの一品を言いますと、「金沢風じぶ煮」です。サトイモと人参、椎茸を煮込んで、小麦粉をまぶして、野菜を煮た汁を別の鍋に取って、煮たカモの肉とホウレン草を添えて作ります。金沢に講演に行った時に出会った「じぶ煮」で、同じように作るのですが、どうしても同じ味になりません。講演等で4回行きましたが、4回とも同じ店に寄って、とうとうお店の人も最後のコツを教えてくれました。途端に同じ味の「じぶ煮」ができるようになったのです。「美味しいものを食べさせてやりたい」と言う執念と「料理を楽しむ」心を持続できたからだと思います。

屋根裏文庫(平成15年度)11月

私事ですが、先日、イタリアのミラノに住んでいる長女と東京で仕事に忙殺されている次女が久しぶりに帰省してくれました。
その娘二人が、懐かしそうに一番に行ったところが屋根裏です。屋根裏に住んでいたわけではありません。その屋根裏には、赤ちゃんのときから毎日毎晩読み聞かせた絵本や、小学生のときに子供自身が読んだ本が、古い本箱の中にぎっしりと詰まっているのです。


「屋根裏に行ってみる!」と言う娘の言葉で、私たち夫婦もついて上がりました。娘が屋根裏に行くことは、絵本を見に行くことだとすぐにわかるからです。
屋根裏に上がると、娘はすぐさま絵本を手に取りパラパラとめくりながら、「覚えている!覚えている!」と言いながら、「この絵本、すごく怖かった。この女の子の目が一番怖かった」、「この絵本、腹を抱えて笑った」とか、「とっても悲しかった」と言いながら、とても懐かしそうに子供のころの話に花が咲きます。


面白いことに、二人の娘が、「私はこの絵本が一番好きだった」と、それぞれの絵本を手にしているのですが、親がこの絵本が素敵だったと思っている本とはぜんぜん違うのです。そんなことも話題にしながら、そろって屋根裏から降りて来ました。


絵本やお話は、当然のことながら、見る人聞く人によって感じ方、捉え方がそれぞれ違うのです。
親の方は自分の子供のころから親になるまでいろいろな絵本や本に出会ったり、家族や友達のみならず育つ環境の中での学びやさまざまな経験をしたりしながら、自分なりの価値観が形成されていますから、大人としての親の立場からみて、この絵本は「素敵」と、感じたり思ったりします。それはそれで良い絵本を選ぶ基準でもあります。


ところが子供の方はすべてが初めての経験ですから、感じ方、捉え方は大人のそれとはやはり大きく違うのです。大切なことはいろいろな絵本やお話にいっぱい出会うことと、親の愛情をしっかり感じながら絵本を読んでもらったり昔話を聞いたりする経験をどれだけたくさんすることができるかと言うことです。その経験が多いほど、「心の箱」がいっぱいになり、心豊かな子供に、と育ってくれるのです。
(絵本についての話は、ずっと以前は参観日のときの講演で何年か置きにお話していましたが、同じような話になるため、「(元)園長の絵本のおはなし」と言う題名で、私なりの絵本論として冊子にまとめたものを、皆様のお子様が入園されたときにお渡ししていますので、絵本のすばらしさを感じていただくため、今一度、読んでいただきたいと思います。帰省して来てくれたのは、その冊子に出てくる「どろんここぶた」の娘たちです。)


先日、幼稚園のあるお母様から次のメールをいただきました。
きっと、「絵本をいっぱい読んでもらいながら、心豊かに育っているのだろうな」と、お子様の様子や会話のいっぱいあるご家庭の様子が伝わってきましたのでご紹介します。


《卒園児で小学2年生と年少でお世話になっている女の子の母です。
小学2年生のお姉ちゃんの話です。2ヶ月くらい前から、少しずつ近所の子供たち3人に無視をされたり、陰口を言われたりして、悩んでおりました。無視をされるということは、それなりの理由もあるのでしょう。どうするかなと思って、子供を見ていると、とうとう、我慢できなくなって、その友達に手紙を書いていました。そして、みんなで話し合いをしました。今は、ほんの少しですが、みんなと、話が出来るようになったようです。そして、最近夕食の時、「大切な命と思い出があれば、どんなに辛い事や、悩み事があったとしても、乗り越えられる。その命がたとえ、目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりしたとしても、頑張って生きることが大切だと思う。私も、辛い事や、悩みがあっても、なんでもいいから、頑張って生きたいと思う。」と、言っていました。
私は、びっくりして、そして、嬉しくて涙がでました。
「一生懸命生きた命は、きっとまた誰かの心の中で思い出として、生きていくのではないかなあ。」と会話をしました。
幼稚園時代は、よく泣く子供でした。今でもそうですが・・・。
でも、いろいろな問題を少しずつ解決していこう、乗り越えていこうとする生きる力を感じ、とても嬉しく思いました。
幼稚園で、一人ひとり子供の気持ちを理解してくださっていたなと今になって思います。叱られる場合でも、ちゃんと理由を教わってきたように思います。
そして、勇気を出してチャレンジしようとした時には、随分誉めて頂いたようにも思います。そして、なにより自分で考える事を覚えさせて頂いたように思います。
妹は今年初めての運動会で、大泣きをしておりました。すごく大きな声だったので、この子のパワーにもびっくりさせられました。
これから先の事は、分かりませんが、自分で考えたと言うことが、嬉しくて、家の中の事ですが、ちょっと嬉しくて、お便りさせて頂きました。        
お忘れかもしれませんが、お姉ちゃんは、入園式の次の日に砂場で遊んでいて、バスに乗り遅れ、理事長先生に送ってもらった子供です。
だんご3兄弟の唄を歌って帰ってもらったようです。
あの時はありがとうございました。》
皆様はどのように感じられたでしょうか。


小学2年生の子供が、 「大切な命と思い出があれば、どんなに辛い事や、悩み事があったとしても、乗り越えられる。その命がたとえ、目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりしたとしても、頑張って生きることが大切だと思う。私も、辛い事や、悩みがあっても、なんでもいいから、頑張って生きたいと思う。」と、こんなにも深く考え表現できることは、家族間の会話も豊富で、とても素敵な家庭に育っている様子と、きっと、絵本をいっぱい、いっぱい読んでもらい、語彙(ごい)も豊富で心豊かに育っているのだろうと、私も目頭を抑えながら読みました。


このことで思い出したのが、私の二人の娘の小学校のそれぞれの卒業式の時に、出席した母親に、話したこともない何人ものお母さん方から、「自分の娘がいじめられているとき、お宅のお子さんから声をかけられて随分と救われたんです」と、お礼を言われたと言います。
絵本は心豊かに育つだけではなく勇気や意欲も育ててくれるのだと思います。
お子様と一緒に楽しみながら絵本をいっぱい読んでやってください

イチジク(平成15年度)10月

実りの秋は子供たちのみならず大人も心が弾みます。ブドウはすでに終わってしまいましたが、梨が出回り始め、栗や柿、リンゴはこれからの楽しみです。


一昨年、幼稚園の園庭の東側の奥の方にイチジクの木を植えました。
9月中旬の日曜日に、その場所に行ってみると、イチジクが5個ほど熟しています。初めての収穫なので記念にと私たち夫婦で食べてしまいました。その後もだんだんと熟してきます。今度は子供たちに食べさせてやろうと思っても、まだ木が小さく全員に食べさせてやるだけの数には程遠く、見つけた子供が自由に採って食べれば、それはそれでいいかと思っていましたが、誰一人、採って食べた様子がありません。私がイチジクをもいでから5日経った金曜日の夕方、その場所に行ってみると、10数個ほど美味しそうに熟しています。今度は子供たちに食べさせてやりたいと思って、熟しているイチジクをそのままにしておきました。でも、数が足りません。


土曜日は、幼稚園は休みですが、預かり保育(延長保育)のプレイルームの子供たちが来ています。普段は51名の子供たちですが、土曜日は20名くらいしか利用しません。20名なら半分ずつでも食べられると思い、園庭で子供たちと一緒に遊んでいた亜希子先生に、「イチジクが熟しているから子供たちと採って食べていいよ」と言うと、亜希子先生も喜んで、早速、子供たちを集めてみんなで採って食べることにしました。ところが、熟したイチジクを見つけ、何人かはもぐことを喜んでするのですが、もいだ時に白い汁が出るのを嫌がります。子供たちの手の届かないところにもあるので、主には先生が採ってやるのですが、ほとんどの子が食べようとしないのです。「ツブツブがあるから嫌い」、「アリがとまっていたからイヤ」と言うのです。中には、見た目が悪いと気持ち悪がる子もいました。20名あまりの子供の中で「美味しい!」と、喜んで食べたのは僅か3人だけでした。他の子が食べないので、その子たちは2個ずつ食べることができたのです。もう一人喜んで食べたのが、自分が食べるだけの数がないと思っていた亜希子先生だったのです。先生が何個食べたかは秘密です。


イチジクのことで一番驚いたのは私です。みんな喜んで食べてくれるとばっかり思っていたからです。もいで食べた経験がないのです。
そのことがあって、ちょうど一週間後の土曜日に、プールの掃除をしなければと、プールの水を放出するためバルブを緩めてから、私は事務室に帰りました。ところが、なにやら子供たちの賑やかな声がするので、再び園庭に出てみました。見ると、園庭が水浸しになっています。落ち葉が側溝マスの、出口のパイプのところにいっぱい詰まっていたのです。それを見つけた放課後児童クラブの子供たちが、側溝マスの蓋や側溝のグレーチングをはずして、詰まっている落ち葉や土をみんなで一生懸命取ってくれているのです。側溝マスに詰まっていた落ち葉を取り除いた途端に、溢れていた水がいっせいに流れ始めました。


子供たちが側溝マスの蓋を戻した後、気が付くと、若い女性二人がいます。一人は子供たちと話しています。一人は側溝を掃除してくれている子供たちの様子にレンズを向けてカメラのシャッターを切っています。教育実習にでも来た子かなと思い、「あなたたち学生?」と訊くと、「はい」と言います。子供たちに話しかけていた学生の方が私をじっと見つめています。もしかしてと思い、「卒園児?」と訊ねると、「そうです」と応えます。幼稚園を卒園した間なし、お父さんの転勤で広島に引っ越したと言います。今、広島の専門学校の一年生で、もう一人の女性は広島の小学校の時からの友人で、専門学校も一緒だと紹介してくれました。その友人が車を買ったのでどこかドライブに行こう」と誘ってくれた時、すぐさま、「幼稚園に行きたい」と言って一緒に来たと言います。そう言えば何か面影があると思いながら名前を尋ねると、「横村麻侑です」と教えてくれます。「一緒の場所からバスに乗っていた男の子もいたよね」と言うと、「いとこの高橋です」と言います。だんだんと思い出してきました。年中組の時の担任だった直子園長は休みだったので、その場で電話(携帯)をすると、「すぐ幼稚園に行きます」と言います。年長組の時の担任の美香先生は結婚して広島に住んでいるので、電話をかけて懐かしい教え子の声を聴かせてやりました。直子園長が幼稚園に来るのを待ちながら話しをしている時に、「そうだ。あなたたちは都会で育ったから、いい物を見せてあげる」と言って、イチジクのある場所に連れて行きました。「もいで食べてごらん」と言うと、「自分でもぐのは初めて!」と言いながら、「美味しい」と言って、とても喜んで食べてくれました。写真を撮っていた女性が、「この幼稚園の子供たちは幸せですね。このようにイチジクを採って食べたりできるし、小川や遊具も楽しいものがいっぱいあって」と言います。


今の子供たちは、果物などはお店で買ってもらうことがほとんどですから、自分でもいで食べるという経験があまりありません。私の子供の頃にはイチジクや柿はお店で買うものではなく、たいていはどこの家にも植えてあって、自分で木に登ってもいで食べていましたので、どの木のどの実が美味しい、どのくらい熟したら一番美味しいということはどの子もみんな知っていたのです。ましてや、戦後間もない時で、お菓子のような甘いものはほとんど口にすることがありませんから、柿やイチジクや木イチゴのようなどこにでもある果物が最高に美味しいものだったのです。


今では柿が熟していても誰も採って食べた様子のない柿の木があちこちで見られます。その家にはもうお年寄りしかいらっしゃらないのか、あるいは、今の若い人たちが柿など見向きもしなくなったのか、見るたびにもったいないと思いながら通り過ぎることが度々です。
保護者の皆さんが、もしそんな木を見つけられたら、「子供と一緒に採らせてください」と、お願いしてみたらどうでしょう。
子供たちの原体験として、とても楽しい思い出になると思います。

失われた生活(平成15年度)9月

子供たちの夏休みはいかがだったでしょうか。長い夏休みも終わり、今日から子供たちは元気いっぱいの登園です。


それにしても、今年の異常気象はいやというほど雨が降り続きました。私の記憶では6月下旬からお盆までほとんど雨が降っていたような気がします。そのため冷夏が続き、農作物や夏物商戦に大きな影響が出ているようです。逆にヨーロッパでは異常なほどの猛暑で、その暑さによって死者が何千人も出たというニュースも聞きました。日本での10年ぶりの冷夏は農業にも大きな打撃を与え、稲作も東北を中心に収穫がかなり落ち込む予想が出ています。そういえば、10年前の冷害によるお米の不作によって、備蓄米が十分でなかったため米不足となり、急きょ、タイやフィリピンからお米を輸入して窮状をしのいだことがありました。そのお米が美味しくないとか匂いがするとか言って不評でしたが、私自身は食べてみて、結構、美味しかった記憶があります。それ以後は日本政府もお米の備蓄は十分にしているようで、たとえ今年、かなりの不作になっても米不足の心配は無いようです。


とにかく、その異常気象のため、お盆頃まで梅雨が続き、梅雨が終わったらすぐお盆で、お盆のあとしばらく暑い日が続きましたが、間なしに秋が来た感じがします。そのため、子供たちが山や川あるいは海に行ったりして遊ぶ機会も少なくなってしまったのではないかと、とても残念に思っています。
それでも幼稚園では、梅雨に入る前の6月1日にプール開きをして、夏休みに入るまではだいぶ良い天気が続いていたので、子供たちは、かなりの日数、プールに入れてよかったと思います。


夏休みの間の幼稚園は、幼稚園のプレイルームの子供たちと子供の城保育園の子供たち、そして児童クラブの子供たちが、小川で遊んだりセミを取ったり、プールに入ったりと、お盆休み以外は、にぎやかな声に包まれていました。


そんなある日、私は忙しくて一緒に行けませんでしたが、児童クラブの先生3人と山田運転手、内藤事務主任の大人5人が引率して、児童クラブの子供51人を連れて、君田村に山登りと神の瀬川での川遊びに連れて行ってくれました。
君田で一日過ごしてきた子供たちは楽しかった様子を体いっぱい表現しながら帰ってきました。ところが、引率した先生に「川に入って魚捕りができた?」と訊いてみると、「それどころか、流れがあるのを怖がって、子供たちは、どのように対応してよいか分からず、川の浅瀬に恐る恐る入るのがやっとで、深いところで泳ぐこともできず、浅瀬でしか遊ぶことができませんでした。大人が一緒に入って、岩に手を入れて魚を捕って見せてやっても、ただ見ているだけで、自分ではしようともしなかった。見ているのがやっとだった」というのです。


ほとんどの子供が本当の川に入るのが初めてだったようです。子供たちが「楽しかった」といっても、その内容の深さがどうだったかが問題なのです。初めて川に入った体験は楽しかったには間違い有りません。いろいろな能力は直接経験することによって獲得していきますが、川に入ったことの無い子供たちにとっては、石ころのいっぱいある浅瀬に入るのがやっとだったのです。この経験をもっともっとさせてやると、子供たちはその能力を瞬く間に身に付けるのですが、雨続きでそれもかないませんでした。


平成4年に小学校の学習指導要領(ちなみに幼稚園は教育要領・保育所は保育指針という。)が改訂されたときに、学校教育は「生きる力をはぐくむ」ことが目標として掲げられるようになってきました。それ以来、小学校でも中学校でも、あるいは、どこの研修会に行っても、この「生きる力」という言葉がお題目のように言われるようになってきました。私自身、この幼稚園を昭和46年4月に開園したとき、「教育とは、どんな時代の変遷にもかかわらず、人間として生きる力をはぐくむ」ことだといい続けてきました。特に幼児期や児童期の4年生ぐらいまでは、具体的で直接的な経験をいっぱいさせてやることで、生活する態度や意欲、社会性や思考力、想像力(創造力)、判断力等々がはぐくまれるのであって、この能力は、直接経験・直接体験をすることのみによって培われるのだから、子供たちにさまざまな生活体験をさせて欲しいと思ってきたのです。

先月の園だよりと同じようになってきました。前に書きましたが、その直接経験によって具体的思考能力がはぐくまれ、その具体的思考能力が発達して初めて抽象的思考能力(分数や因数分解のように抽象化して考えること)を発揮してくるのです。
子供たちの遊び集団(ガキ集団)が無くなってから久しくなります。かつてはその遊び集団の中で、さまざまな経験や体験を通して、社会の中で生きる知恵や術(すべ)を学んだのです。そして、人間関係やいろいろな自然や環境の変化に興味や好奇心を抱き、それらに積極的にかかわって、その中で困難を征服し乗り越える能力を身につけ学んでいったのです。


そういう生活が失われた昨今の子供たちに、あらためて「生きる力」といわなければならなくなった日本の学校教育にどこまで期待できるのか疑問ですが、いや、期待したいのですが、そこに頼るよりも、自分たちの生活そのものの有り方を今一度考え直してみる時期に来ているように思います。テレビやテレビゲームにどっぷり漬かっているような生活、朝ごはんや夕ごはんを家族そろってとることが少なくなっていった生活、お年寄りや近所の人とのかかわりの薄くなってきた生活、欲しいものが何でも手に入るようになった生活、家の手伝いや家族一緒に何かに取り組むことのあまり無い生活、子供たち同士で遊ぶことが少なくなってきた生活等々、その気になりさえすればすぐにでも取り戻すことができることから始めたいものです。