白髪せんせいのつぶやき

我慢すること(平成8年度)9月

幼稚園が夏休みの間、プレイル-ムの子供たちは毎日幼稚園に通ってきました。
休みの間、研修会等で忙しくしていて、たまにしか子供たちと遊ぶことができませんでしたが、夏休みの終りに近づいたある日、園庭で遊んでいた男の子が、木にとまっているセミを見つけて「園長先生!セミとって!」というので、そっと近づき、手で捕ると「園長先生スゲ-!」といってくれましたが、その途端に、「頂戴、頂戴」と、たくさんの手が伸びてきました。結局は、最初に見つけて「捕って」と頼んだ子に渡しました。すると、もらえなかった子が、すかさず、「いいもん、ぼく、家にカブト虫もってるもん!」と、強がりをいいます。他の子数人も「ぼくももってるもん」といっています。子供たちはそのように強がりをいって、もらえなかった悔しい思いをコントロ-ルしているのです。そうすることで我慢することを覚えるのです。自制心を獲得しているのです。


そう言えば、最近は『我慢をする』という経験をすることが少なくなってきたように思います。欲しいと思ったものはたいていの場合は買ってもらえますし、兄弟姉妹が少ない分、奪い合いになったり、わずかしかないものを分け合って食べるということは日常の生活では余り見ることがありません。その結果、欲しいと思ったものはすぐ「買って」ということになり、買ってもらえないと機嫌をそこねます。今有るものを工夫して使えるかもしれないとか、他の方法はないだろうかとか考えようともしません。ましてや、苦労なしに手に入れたものには愛着も少ないですから、直ぐに飽きますし、粗末にもします。


ものが十分でないからこそ、我慢することを覚え、欲求を自制することができるのです。そして、その欲求や必要性や興味が強ければ強いほど、他のもので代用しようする知恵や創意工夫する能力が育つのです。我慢することも思考力や創造力を育む大きな基となるのです。


話は元に戻ります。
「そう、カブト虫を持っているの。いいな、いいな」というと、他の子が「園長先生、カブト虫の幼虫はなにを食べるか知っている?」と聞きます。「さぁ、なにを食べるのかな? 土の中にいるから、土を食べるのかな?」というと、それを聞いていた3歳の女の子が「わたし知っている!ゼリ-を食べるんだよ。」……………「?」……………
そう言えば、今年はじめて、カブト虫やクワガタ虫用のゼリ-を売っているのをお店で見ました。私の年代の者から見たら思いもよらないことでした。カブト虫はデパ-トにいるものだと思っている子が増えていると言われ出してだいぶ経ちます。魚も、魚屋さんで売っているのは食べられて、海にいるのは食べられないと思っている子もいます。


子供たちは生活の中での様々な経験を通していろいろなことを理解し、獲得していきます。「ゼリ-を食べるんだよ」といった子は、お兄ちゃんが飼育しているカブト虫にゼリ-を与えているのを見ていたのです。だから、カブト虫がゼリ-を食べるという答えも間違いではないことになります。3歳は3歳なりの経験の中での理解の仕方をしているのです。


そして、成長とともに生活経験も深まり、その中で理解を深め、幼虫は腐った葉っぱ(腐葉土)を食べ、成虫は木の汁(樹液)を吸うことを理解していきます。そしてゼリ-は飼育用に作られた人工の餌であったことも分かってきます。
子供たちがいろいろなことに興味を示し、経験をしながら理解を深めるための重要な役割をするのが好奇心なのです。


お子さんは、この夏休みをどのように過ごされましたか。きっといろいろと楽しい経験をいっぱいして一回り大きく成長されたことと思います。
夏休みは、大人になっても懐かしく思い出すほどのすばらし経験ができるよう、夏の自然が子供たちの好奇心に呼び掛けてくれるのです。今日から二学期が始まります。夏から秋、秋から冬への季節と自然の変化も子供たちの好奇心をくすぐります。

ルールづくり(平成8年度)8月

子ども達が友達とグループで遊ぶには、自分勝手にすると遊びが成立しません。
年長組の子ども達が、ペットボトルをバットにして軟式のテニスボールで野球に夢中になっています。そばを通りかかると、「園長先生!ピッチャーをして!」と誘ってくれます。すぐその気になって一緒に始めました。ところがところが、守備はピッチャーの園長一人なのです。組長(園長)と子どもの対決だというのです。
それでも、子ども達の打ちやすいように真ん中に投げてやりますので、みんなよく打ちます。あっちに走りこっちに走りしながら、孤軍奮闘です。見ていると、ルールの分かっている子は数人で、ファゥル、ストライク、ボール、アウトの判定は、一人の子がしています。その子が野球のことを一番よく知っているようで、ファゥルかどうか微妙なところで、その子がファゥルと言えば、みんなそれに従います。
その子の判定によってこの野球が成り立っています。そうしながら、ほかの子も段々とルールを覚えていっているようです。
やっとスリーアウトにして、園長がバッターです。ところが、すごいスピードで投げてきます。ピッチャーとキャッチャーの距離が短いので、なかなか打てません。少しゆっくり投げるよう頼んで、ランニングホームランです。ホームランにしないと、一人ですから次の打者がいません。ところが、一周してホームベースに帰ると、次のバッターが何人も並んでいるのです。まだ、ルールがよくわかっていないのかと思ったら、どうも、そうではなく、この野球は、打ちたい者が打って、投げたいものが投げることで野球が成り立っているのです。
ピッチャーも適当なところで替わって、打つ方にまわっています。チェンジがないのです。


サッカーもよくして遊んでいます。
このサッカーも、かなり上手な子がいて、その子達がリーダー役となり、遊びが成り立っています。そのサッカーにも時々加わって遊びますが、私が入ると、やはり、組長と対決だと言って、園長一人で戦わなければなりません。これはかなり本気でやらないと負けてしまいます。老体で両方のゴールを行ったり来たりしなければなりませんのでヘトヘトになるのです。このサッカーも子ども達なりのルールがあって、遊びやすくなっています。両サイドのラインは無く、周りの障害物にぶつかるまで蹴ってもいいのです。野球もサッカーも自分たちの遊びやすいように自分達なりのルールを作っているのです。


年長組の子ども達が中心になって遊んでいるのですが、時々、年中や年少の子が加わります。「いれて」というと、「いいよ」と迎え入れてくれます。ところが、野球にしてもサッカーにしても、小さい子は上手く出来ません。それでも、決して邪魔者扱いにはしません。年中組の子がピッチャーをしたがるのでやらせています。ところが、ボールはバッターの方ではなく、何回投げても一塁の方に転がるのですが、それでも、本人が満足するまで投げさせてやっています。サッカーにしても、年長組の子の蹴るボールには付いていけません。見ていると、わざわざ年少組の子のところにゆるく蹴ってやっているのです。


子ども達のルールは、ただ、遊びやすくするためのルールだけでは成り立っていないことが分かります。思いやりや寛容の精神も大きな役目をしているのです。その気持が有るからこそ、子ども達の、幼児期の、集団遊びが成り立っているのです。
異年齢ではもちろんですが、同年齢の子でも、運動能力の差はずいぶんと有ります。生まれ月によっては、1年もの差が有るのですから、当然なのです。その差をお互いが認め合いながらしているからこそ、遊びが成り立っているのです。人は一人ひとり違います。個性も有り考えも違います。その違いを認め合うことはとても大事なことなのです。
こうして、友達と楽しく遊ぶことによって、人間関係を深め社会性を育みます。相手を認め、いたわり、尊敬することも遊びの中で学ぶのです。

思いやりと科学する心(平成8年度)7月

梅雨の頃になると、子どもたちが、昆虫や魚捕りに夢中になります。幼稚園の保育室には、子どもたちの見つけてきた、小動物や昆虫がいっぱいです。 ザリガニ、メダカ、どじょう、おたまじゃくし、水カマキリ、ふなに金魚、そして、かたつむりやてんとう虫、くわがたやカブトムシの幼虫、といろいろいます。蟻やハムスターを一生懸命飼育しているクラスも有ります。


これらのほとんどは、子どもたちがそれぞれに持ってきてくれたものです。子どもたちは、お家に帰って、近くの野原や小川、池などで、お父さんやお母さんに連れて行ってもらい、捕ってきたものです。ザリガニを釣ったり、かたつむりを捕ったりしたしたことなどを、しきりと話してくれます。


幼稚園の庭でも、子どもたちは、虫探しに夢中です。園庭に有る小川ではアメンボや水カマキリを見つけることが出来ます。園庭の隅や園舎の横の方には、かたつむりやてんとう虫やバッタも時々見つかることが有りますが、子どもたちが一生懸命探しているのは、だんご虫(わらじ虫の一種)です。手のひらや牛乳パックを虫かごにして、いっぱい見つけてきます。お母さんからは気持ち悪いと言われるかもしれませんが、子どもたちには、だんご虫が、そっとしておくと歩きだしたり、触ると丸くなって身を守るのがおもしろいのです。


ザリガニやおたまじゃくしを飼育している子どもたちは、その生態についても、とても詳しく知っています。ザリガニが交尾する様子や卵を産んだり脱皮する様子や昼寝をする姿もしっかりと見守っています。
子どもたちにとっては、新鮮な体験で、興味津々なのです。これらの小動物や昆虫、魚などを捕ることから始まって、飼育することに夢中になるのは、子どもたちの好奇心を大いに刺激してくれるからなのです。そして、それらは子どもたちに驚きや感動とともに、もっと知りたいという「科学する心」を育んでくれているのです。


子どもたちが蜘蛛(くも)やカマキリや何か気持ち悪いものを捕ってくると、「キャー」と奇声を発せられるお母さんもいらっしゃると思いますが、そこは我慢です。その声で、子どもは興味を一度に失ってしまいます。
先日、ふだん、すごくおとなしい年長組の女の子が、「園長先生、これ見て!」と手のひらを開いて見せてくれました。なんと、やもりの死骸です。やもりよりも、その子がやもりの死骸を手に持っていることの方が驚きでしたが、そう言えば、その数日前に、すずめの子が、屋根の巣から落ちて死んでいるのを見つけて、土に埋めて、墓を作ってやっていたのもその子でした。そして案の定、「やもりのはか」と型紙に大きく書いて、園庭の隅に埋めていました。


興味を示す対象も人それぞれに違います。捕まえるのを得意とする子、水の中の生物に興味を持つ子、昆虫にすごく興味を持つ子、水槽の水を毎日替えてやることに一生懸命な子、昆虫よりもハムスターの飼育に熱心な子、生きものよりも、朝顔や野菜などの栽培に熱心で、いつも水やりをしてくれている子と、それぞれ興味の対象や関わり方が違います。


今まで、ザリガニにはほとんど興味を見せず、触ることもできなかった女の子が、クラスでザリガニ釣りに行ったとき、自分で釣ったのがとても嬉しかったらしく、お家で一生懸命飼育しています。そのようなとき、お母さんも嫌がったり面倒くさがったりしないで、見守ってやって下さい。何かに夢中になることは、その子の能力をしっかりと伸ばしているのです。


ザリガニが脱皮するのも感動的です。栽培していた植物や野菜に花が咲くのも感動です。自分たちが一生懸命世話をしていればいるほど感動が大きいのです。 そうして、一生懸命飼っていても、時々、死んでしまいます。一生懸命水やりをしていた花や野菜も枯れたり、小屋から抜け出した山羊が食べてしまったことも有ります。今度は、死なないようにもっと注意をはらっています。枯れないように、水やりの調整をしています。


一生懸命育てていただけに、死んだり枯れたときの悲しみは大きいのです。そのことが、また、心を育ててくれているのです。
自分の不注意で死んでしまったことも、いたずらが過ぎて死んでしまったことも、心の痛みとして残ります。
その心の痛みが、命を大切にする心や思いやりの気持ちを育み、楽しく遊んだ思い出が、川が汚れるのを悲しみ、自然を大事にする人へと成長するのです。


「命を大切にしよう。」と口で言っているだけでは、本当に命を大切にする子には、なかなかなりません。様々な経験の中から、身体を通して学んでいくのです。
小学校の高学年や中学生になって、理科の勉強をしなさいと言っても、なかなか興味を示してくれない子がたくさんいます。その原因の多くは、子どもの時、自然の中で夢中になって遊んだ経験が少なく、あるいは、「気持ち悪い」「汚れるから」「そんなことばかりしてから」と、飼育したり採集したりすることをやめさせられた経験から来ています。


子どもが夢中になってしていることは、興味が有るからなのです。楽しいからなのです。子どもの能力や特性を育むには、その好奇心や楽しさを十分に保障してやることです。
子どもは、好奇心の塊なのです。それを満足させてやることが、知識欲や探求心につながり、将来、勉強しようとする意欲や態度が育つのです。
幼児期は、直接体験を通して、大きく育つのです。物事に挑戦したり、友達と仲良く遊ぶ友達関係意識や思いやりの気持ち、勉強する意欲や生活の態度は、幼児期に大きく育まれ、その人の人間性となっていくのです。
子どもにとって原体験となる生活経験をしっかりとさせてやって下さい。

子供の優しさ(平成8年度)6月

5月のある日、年中組のクラスで男の子が泣いています。しばらく様子を見ることにしました。BくんがAくんに「ごめんね。ごめんね。」と一生懸命、言っています。それでもAくんは泣き続けています。「ごめんね。ごめんね。」とBくんが許してくれるよう、何回も何回も嘆願しているのに「うん」と言ってくれないので、とうとう、Bくんも泣き始めました。廻りに数人の子が様子を見に集まってきました。「どうしたん?」とCくんがBくんに聞いています。「あのね。あのね。ボクが後からAくんを押したら転んで泣きだしちゃったんよ。じゃけ、ごめんいっとるのに許してくれんのんよ。」と言って、また、泣きだします。


今度はAくんに向かって聞いています。「ほんまに後から押されたんか?」「うん。」「まだ、いたいんか?」「ううん。」と首を横に振ります。「いとうないんじゃったら許しちゃれーよ!」とCくんが言うと「うん。」と言って首を立てに振りました。
「Aくんがウンいうたけ、あんたも泣くのをやめーや!」とCくんが促すと、Bくんが「Aくんごめんね。」ともう一度言うと、Aくんも「うん。」と言って二人とも泣きやみ、何事もなかったかのように、もとの遊びを一緒に始めました。


初めて集団生活をする子どもにとっては、一つの遊具で一緒に遊ぶことの経験が少なく、その遊具を独占しようとしてトラブルとなることがよくあります。
このようなトラブルは、子ども自身で解決していきます。今回のように、友だちが、あいだに入って解決することもあれば、自分の欲求と相手の欲求のぶつかりあいの中から、何回もトラブルの経験を通して、お互いの気持ちを理解する能力や相手を思いやる気持ちが培われ、一緒に遊ぶ楽しさを獲得していきます。


先日、卒園後、広島に転勤で引っ越された家族の方が訪ねて来られ、一緒に来た2歳の男の子が、園庭で野球をして遊んでいる年長組のところに入ってきて、ボールを捕りたがっています。それを察した男の子が、ボールを転がしてやっています。それを拾った2歳の子がピッチャーのつもりで投げています。それを見守っている年長組の子どもたちの笑顔が素敵でした。年長組にもなると、遊びの邪魔と思うこともなく、受け入れてくれているのです。


幼稚園の中で、このような優しい場面は、いろいろと見ることができます。いまでも、年少児の手をつないでお部屋に連れていってくれている女の子や、動物に餌をあげるのを手渡しやっている子、などといろいろあります。
子どもの優しさはどこから来るのでしょう。それは、お父さんやお母さんを始め、まわりの人から優しさをたくさんたくさん受けてきているから、その子に優しい心が育つのです。特に幼児期に優しさをたくさん受けて育つことが、情緒の安定と人格形成において、何より大切なのです。

情緒の安定と自立(平成8年度)5月

新入園児を迎えてしばらくは慌ただしい毎日でした。この時期の園長や主任、クラスを持たない先生たちの役割は、毎年のことですが、泣いている子の世話が中心となります。


今年もしつかりと泣く子がいました。
朝、大泣きしながら3才児の〇君がお母さんと車でやってきました。正門の前に立っていた園長が、今日一日、その子の世話をすることになりました。
「お母さんとこへ行く!お母さんとこへ行く!」と泣きながら訴えます。「そう、お母さん大好きなんだ」
「うん」とうなずいて、また泣きだします。「お母さんとこへ行く!」
「でも、園長先生はお母さんがどこにいるか知らないもん」と言うと、正門まで手をひいて行き、「あっち」と言って帰る方向を指差します。「でも、歩いて帰ったら車にひかれるよ」というと、「はしっこを歩けばひかれんもん」とちゃんと主張します。その時、ちょうど、自転車がはしっこをはしっていたので、「はしっこだって、ほら、自転車とぶつかっちゃうよ」というと、納得したのか、泣きながらもだっこされることを拒否しなくなりました。園庭に入っても、泣き止みません。


「そうか。ボクは泣くのが好きなんだ」「うん」と言ってまた泣き続けます。
やぎや羊、うさぎさんのところでは、ほかの子供たちが餌をあげています。「うさぎさんのとこ行こう」と連れて行っても泣いています。「やぎさんとこ行こう」と連れて行って、「ほら、えさを食べてるよ」といっても「お母さんとこ行く!」と泣くだけなのです。


しばらくして、ほかの子供たちが、全員、部屋に入ってしまいました。
下に落ちていたキャベツを拾って「これ、やぎさんにあげてごらん」と手渡すと、受け取って、恐るおそるやぎにやると、すぐ食べてくれました。「ほら、食べたよ!もっとあげる?」と聞くと「うん」とうなずきます。ここだと思い、「餌はね、ぼくの部屋の前に、先生がカゴの中に入れてくれているよ。ほら、あそこに有るでしょ。」
もう、泣き止んでいます。距離を保つことにしました。
「自分で取ってきて」と言うと「うん」と言って、小走りで取りに行きました。
「わあ、すごいすごい。いっぱいいっぱい持ってきたね」
泣いている時も、ほかの子が餌をやっているのをちゃんと見ていたのです。自分もやりたかったのだと思います。やぎさんにあげます。羊さんにもうさぎさんにもあげます。一気にあげてしまいました。
餌が無くなってしまいました。


園庭に転がっているボールが有ったので「サッカーをしよう!」とすかさず誘いを入れると、のってきました。しばらくボールけりが続きました。 元気いっぱいです。
そろそろだと思い、「あっ、みんなおやつをもらっているよ。お部屋に行こう」と誘うと、「家で食べるから、いらん」と言います。「わあ、すごいよ。バナナも食べてるよ。チョコレートも食べてるよ」と大げさに言うと、相変わらず「家で食べるもん」と言いながらも、部屋の方を気にしているようすです。「そっとのぞいて見ようか」と言うとついてきます。 窓を少しだけ開けてやり「ほら、見てごらん。おやつ食べてるよ」というと、のぞいています。担任もお部屋へと誘ってくれます。それでも入ろうとしないので、「もうすぐお母さんが迎えにきてよ。かばんをとっておいで」というと、さっさと部屋に入っていきました。


次の日からは、元気いっぱいで、昨日のことがウソのようです。今でも毎日、動物にやる野菜をかばんいっぱいに持ってきてくれます。
毎年、泣く子がいますが、2、3日もすればみんな元気いっぱいに登園してくるようになります。入園当初泣く子は、もともと、しっかりとお母さんと関わりが有る子だけに、初めてお母さんと別れるのが一寸だけ不安だっただけで、そのことをしっかりと受け止めてやりさえすれば、安心して幼稚園にこれるようになります。幼稚園の様子が分かるとすっかり元気を取り戻します。泣いている子どもの付き合い方のポイントは、その子の話をしっかりと聞いてやることです。泣きながらも自分の気持ちをしっかりと話してくれます。「そう。そうなんだ」と相槌を打ってやっていると、その子の気持ちが段々と落ち着いてきます。


子供の自立は、心の安定が支えとなります。お家の方としっかりと関わって育った子供は、情緒が安定しています。情緒の安定が有って初めて自立心が芽生えるのです。2、3歳の頃、公園の砂場で知らない子が遊んでいると、お母さんの手を振り払って、砂場まで駆けて行くことがよく有ります。お母さんが後に居てくれるから、初めて出会った子どもたちの所へ勇気を持って入り込めるのです。情緒の安定は、後に居てくれるお母さんと同じで、自立の支えとなるのです。
情緒の発達と安定は、お母さんやお父さん、まわりの人たちからの愛情を一身に受けて育つことによって育まれます。


先日、年長組の女の子がなきながら登園してきました。「どうしたの」と聞くと「お母さんが私のことをグズだと言っちゃった」と訴えます。きっと仕事に行かれるお母さんも急いでいて、もたもたしていた子に、つい出てしまった言葉だとは思いますが、子供はすっかり傷ついたのです。


子育てしているとイライラすることが一杯有ります。「早くしなさい」「だめよ」等、ついつい出てしまいます。指示ばかりして育ててはいませんか。子供はそんな言葉からお母さんの愛は感じません。焦る気持ちを押さえて、見守ることが大事なのです。ちょっとだけ時間を掛けて見守ればよいのです。見守られていることが自立を促すのです。「愛されて育つ」ことが情緒の発達と安定を促し、自立していくのです。子育ては、お母さんがゆったりとした気持ちで焦らないで育てることが大事なのです。そのためには、お父さんもお母さんに優しく接してあげて下さい。お母さんの支えはお父さんなのです。