白髪せんせいのつぶやき

蛍(ほたる)(平成10年度)7月

みなさん、蛍の乱舞する姿を見たことがありますか。おそらく、若いお父さんお母さん方には、蛍を保護育成している特別な場所に出向いて見られた以外は、ほとんど見られたことがないと思います。県北近辺では、口和町、作木村、羽須美村等、山あいの川で見ることができます。地域の人々の努力により、かなりの数の蛍が復活しています。それでも、私の子供のころの、あの乱舞する姿には程遠いのです。


蛍の姿が一度に消えたのは昭和30年前後ではなかったかと思います。昭和30年頃というと、みなさんはまだ生まれていなかった方が多いと思いますから、昔は蛍が乱舞していたといっても、どの程度か想像もつかないと思います。一口でいうと、蛍の光で川の形がわかるほど、川の流れに沿って、蛍の光がずっと続いていたのです。
子供たちが蛍狩りをするのに、竹ぼうきを振り回せば、何匹でも捕れたのです。たとえ、4、5歳の子供でも、ほうきを無造作に振り回すだけで捕れていましたから、いかに多かったかがおわかりいただけると思います。


昭和30年頃に、その蛍が突然に姿を消しました。一番の原因は農薬でした。それまでは、農薬らしいものはほとんどありませんでしたから、稲も様々な病虫害にやられ、お米の収穫も、一反(10ア-ル)当たり、5、6俵が精一杯でした。現在は、9、10俵の収穫があります。農薬のおかげです。お米の収穫が急に増えて、国民のみんなが喜んでいました。しかし、その間に、イナゴはもちろんのこと、蛍やゲンゴロウ、タガメ、川エビをはじめ、昆虫や水中動物がまたたく間に姿を消してしまいました。子供たちに、川で泳いだらいけないといわれだしたのもこの頃からでした。


その当時は、敗戦後の生活の困窮から這い上がろうと、日本中が経済至上主義でしたから、ほとんどの人が、大きな疑問も持たずに過ごしていました。そして、工場排水や生活排水で川や海がどんどんと汚れていったのです。当時は国民の公害に対する意識もまだまだ低かったので、ほとんど問題になりませんでした。いまでこそ、工場排水や生活排水に対する問題意識も高まり、その対策もとられるようになってきましたが、まだまだあちこちで問題がおきています。最近では、ダイオキシンや環境ホルモンの新たな問題がおきてきています。


このようなことを書きはじめたのも、先日、蛍の乱舞する姿を見たからです。いま、私の在籍している大学院の周辺の川辺に、昔どおりの蛍が乱舞しているのです。そこは特別に保護されていたわけではありません。たまたま、高台という地形的な条件で水耕に適さず、人家もあまりなかったので、農薬に汚染されなかったのです。


小さな子供たちがこれから成長していくのに、その成長の過程で知らないうちに人体が汚染され、その発達に歪みをもたらすばかりでなく、生殖機能や遺伝子にまで影響するとなると、とても怖いことなのです。


これらのことは、私たち大人が考えなければならない問題ですが、日本全体や地球全体のこととして運動するには、なかなか力が及びません。しかし、私たちができる身近なことはたくさんあります。三次で人通りの少ない道路わきの空き地に冷蔵庫やテレビ等の廃棄物が大量に捨てられていたという事件がありましたが、このような悪意の者は言語道断としても、車の中から空き缶やタバコを捨てる人がおります。これは、若い人ばかりではありません。けっこう年配の人も平気で投げ捨てている人がいます。

中性洗剤も知らないうちに地下水や川や海を汚染しています。過剰包装の食品も大量のゴミを生み出し、ダイオキシンの元を作っています。このように、日常の一つひとつのことにこころ配りをすることからはじめることがとても大切なのです。子供に対しても、大人が環境にこころ配りをする姿の中から、その大切さを知らせ、公徳心を学んでいけるようにしなければなりません。


そして、もっともっと大切なのが、子供の頃に、昆虫や魚捕りをしたり、野草で遊んだり、川や海で遊んだりする生活経験を通して、自然に対する楽しい思い出をしっかりと持つことです。そうして育った子供こそ、大人になって、本当に自然を愛し大切にする心を育んでいるのです。その楽しい思い出こそが、自然の汚れることに対して心の痛みを持つことができるのです。もうすぐやってくる夏休みこそ大きなチャンスです。

興味と好奇心(平成10年度)6月

子供たちが夢中になって何かをしている姿をたびたび目にされることと思います。そのような、わが子の夢中になっている姿を、お母さんやお父さんはどのように感じて見ていらっしゃいますか。きっと、微笑ましい姿として見守っておられることと思います。そうなんです。「子供らしさ」の一番表れるのが、この「夢中」になっているときなのです。


それは、子供たちは「今」を生きているからこそ、「今」、一番興味を持っていることに夢中になって遊ぶのです。「今」を生きるということは、大人のように、このことをしたら将来役に立つとか得になるというような効果意識を持ちません。「今」、興味を持っていることだからこそ、そのこと自体が楽しいからこそ、夢中になってしているのです。子供たちの「純粋無垢」の姿は、この効果意識のない、楽しさの中に没頭している様子の中に表れ、私たち大人はその姿に子供らしさ、その子(自分)らしさを感じることが出来るのです。それが、子供の健康な姿なのです。


子供たちが何かに夢中になる根底には確かなる好奇心があります。その好奇心があるからこそ、いろいろなことに興味を示し、夢中になって遊ぶのです。その中でいろいろな発見や驚き、感動を味わう場面に度々出合い、喜びとなります。また、逆に困難やトラブルにも遭遇します。しかし、自ら興味を持ってしていることですから、困難や挫折感をも乗り越え、自分で問題を解決していきます。遊びをもっとおもしろくしていくには、もっと知りたくなり、探索したり確かめたりします。科学する心や意欲につながるのです。遊びをより楽しくするため、友達との関わり方にも磨きが入ってきます。思いやりやいたわりの気持ちと共に仲間意識が育まれ、社会性が発達してきます。子供の「遊び」が大切ということはここにあるのです。


これを書いている今も、子供たちは小川に入って水遊びに夢中になって遊んでいます。牛乳パックや発砲スチロ-ルで船を作って浮かべて遊んでいる子もいます。木陰でかたいかたい泥団子を賢明に作ってる子や、砂場やアスレチックで遊んでいる子もいます。葉っぱや砂を使ってままごとをしている子もいれば、ミミズや虫探しに賢明になっている子もいます。幼稚園に遊びに来た育児サ-クルの小さい子の手を引いて一緒に遊んでやっている子もいます。花壇の花に水をやっている子や動物に餌をやっている子もいます。子供たちは、幼稚園という環境の中で、それぞれが、自分の興味に合った遊びを思い思いにしています。この自分に合った思い思いの遊びこそが、自分の意志で、自分で判断し、友達と関わりを持ちながらしている自発活動なのです。この自発活動こそが、子供自身の主体的な生活を送るために重要な役割を果たすのです。


子供たちは、成長と共に自立していかなければなりません。何時も大人から指示されたり命令され、「させられている」生活からは、子供の主体的な生活は生まれてきません。子供に「任せる」時間と余裕を持ちたいものです。


ところが、わが子となるとどうしても急いでしまいがちです。「早く出来るように」、「早く覚えるように」と、何でも「早く早く」、あるいは「先に先に」と教えこんだり習わせたりしようとする姿も見られます。このことは、子供が好奇心や興味を抱く前に教えてしまったり習わせたりしますから、感動や喜びを伴いません。逆に、嫌いになってしまい、肝心なときになって拒否反応すら示します。大切なことは、子供が好奇心や興味を持って夢中になれる環境(自然、仲間、地域社会、家庭、絵本等々)と、その時間と空間を保証してやることです。それは、親自身が子育てに余裕を持ち、広い心で見守り、子供のしていることを楽しむことです。そうしていると、興味を持って来たときをうまく捕らえることも出来るし、知りたがっていることを考えさせたり、少しだけ教えることにより、もっともっと興味を深めることになります。


この幼児期に、様々の経験、自ら関わる具体的で直接的な経験こそが、子供の自己教育力の基礎と主体的生活の能力基盤を培うのです。幼児期の子供の生活の在り様が、これからの育ちの中で、とても重要な役割を果たすのです。

食生活(平成10年度)5月

近年の物質文明の豊かさは、子育て意識やその方法にも大きな変化をもたらしているような気がしてなりません。食生活もそうです。インスタント食品(カップ麺等)や缶ジュ-ス(炭酸飲料等)を毎日のように食べたり飲んだりしている中学生や高校生たちの心身をむしばんでいるという研究報告等をみる度に身の毛がよだつ思いがします。


すぐにイライラしたり、親や他人に「むかつく」と言ったり、友達をいじめたり、すぐに暴力をふるうのも、食生活に大きな原因があるという報告です。それのみならず、体力もなく、疲れやすく、すぐに倒れたり、朝なかなか起きれない状態が続くのです。このことは集中力や意欲も欠如し、脳の発達にも大きく影響しているものと思えます。また、炭酸飲料のとりすぎは、骨からカルシウムが放出され、骨折しやすくなっており、子供ですら骨そしょう症の状態にあるというのです。


このような子供が増えているということはどこから来ているのでしょう。成長過程の生活の中で様々な要因が考えられますが、そのもっとも根底となる原因は、幼児期からの家庭での食生活にあるように思われます。それは、いとも簡単に親が子供に買い与えているという現実です。お腹が空いたといえばカップ麺やスナック菓子で間に合わせたり、のどが渇けば缶ジュ-スを飲ますということが日常生活の中で頻繁に見られるのではないかと思います。
食生活の在り様は、発達途中にある子供たちには、その成長に様々な影響を与えます。このことに注意を払って子育てされている家庭では、簡単にインスタント食品や炭酸飲料の缶ジュ-ス、スナック菓子等を出来るだけ控えたり与えないようにされていますが、安易に手に入り、便利なだけに、強く意識していないとついつい与えやすいものなのです。
これとは逆に、きちんとした食生活の中で育った子供は、心身ともに健全に育つであろうということにもなります。


今の若い子の中に、味噌汁が嫌いだという人がかなりいるような気がします。味噌汁が体によいとか悪いとかいうのではなく、嫌いな子は、幼少の時から口にすることが少なかったのです。逆に、朝食は、ごはんと味噌汁がないと食べた気がしないという人もいます。それぞれ、家での食生活の影響です。


子供の食べ物の好き嫌いは、離乳食が始まった頃から始まります。1、2歳頃に口にしていたものやその味は、将来の味覚を決定づけると思われます。偏食する子供がたくさんいますが、好きなものだけ与えていて、食べさせる工夫や努力が足りなかったのかもしれません。


家庭での食生活の在り様は、子供が健全に育つために、とても重要な役割を果たしているのです。ぜいたくなものでなくても、1品ひと品、心のこもった料理は、つくった人の愛を感じさせ、おいしく食べることが出来て、家族の団らんもはずみ、絆も深まります。


「料理は愛である。」という言葉をたびたび耳にします。まさにその通りで、料理をしている方の気持ちは、相手側に「いかにおいしくたべさせようか」、「栄養になるものを」、「元気に育つように」とか、常に考えてつくっています。家庭では、お母さんがつくるにしても、お父さんがつくるにしても、あるいは、おばあちゃんにつくってもらっているとしても、家族みんなに対しての愛なのです。愛があるからこそ、つくる方も料理が楽しいのです。


そのような家庭では、「おいしい」という言葉も素直に出るし、「いただきます。」、「ごちそうさま。」も、ごく自然に出ているのではないでしょうか。
このように、愛情一杯の食生活のある家庭では、安易に、インスタント食品や、買ってきた惣菜をそのまま食卓に出すようなことはなく、たとえ忙しいときでも、なにかの心配りがあるはずです。子供のおやつにしても、買ってきたものを袋ごと渡すのと、お皿に盛ってやるのとでは子供の親への愛の感じ方はずいぶんと違うはずです。


親や家族の愛をしっかり受けて育った子供は、相手に対する思いやりやいたわりの気持ちもしっかりと育まれ、健全な子供にと成長してくれます。このような愛をしっかりと受けて育つことは、情緒の安定につながり、意欲や知能の発達にも大きな役割を果たすのです。
食生活が子育ての基本でもあるのです

楽しい子育て(平成9年度)平成10年3月

お母さん、お父さん、子育てを楽しんでいますか。「とんでもない、もう大変」とおっしゃる方もおられれば、「毎日がとっても楽しい」と思われている方、「どう育てていいのかわからず、一人悩んでいる」と言われる方等、様々と思います。でも、子育てがどんなに苦労でも、やはり「子育てが楽しい」と思って育てることができたら、どんなにか幸せなことでしょう。


では、子育てはどうして大変と思ったり悩んだりするのでしょう。
身近なことから考えてみましょう。「朝早く起きてお弁当を作るのが大変」、「毎日どろんこになって帰るから洗濯が大変」、「部屋はオモチャで散らかしたままなので片付けや掃除が大変」、「兄弟喧嘩をいつもするから治めるのに大変」、「いたずらばかりするので叱るのに大変」等々、少し考えただけでも大変なことがいっぱいあるのだと感心してしまいます。でも、こんなに大変、大変と思っていたら、子育てなんて楽しくないですよね。


「お弁当が大変」と思っていらっしゃるお母(父)さん、お弁当を作るときに、我が子が幼稚園でお弁当を食べている姿を思い浮かべてみてください。友達に囲まれて、お母(父)さんが作ってくれたお弁当に、温もりを感じながら、とっても嬉しそうな顔をして食べている我が子の姿が浮かんできませんか。それだけで、お弁当作りがとても楽しくなりますよ。毎日の洗濯が大変と思っていらっしゃる方、どろんこになって帰ってきた子どもを喜んで迎えてやってください。もし、友達と遊べない子供でしたら服も汚れませんよ。何をして遊んだのだろうと想像してみてください。友達と元気いっぱいに遊んでいる姿が浮かんできます。そう思ったら洗濯も楽しいですよ。

掃除や片付けをするのが大変と思っていらっしゃる方、子供と一緒にしてみてください。子供は喜んでしますよ。親子の連帯感を感じて、とっても幸せな気分になります。兄弟(姉妹)喧嘩でイライラされているお母さん、喧嘩をしながら社会性を培っているのだと思ってみてください。子供って喧嘩をしながら成長するのだと大きな気持ちで見れますよ。いたずらばかりすると思っていらっしゃる方、大人からはいたずらと思えても、子供は好奇心や知恵をいっぱい働かせているのです。動いたりおしゃべりする人形やオモチャの中はどうなっているのだろうと思ったら中を見たくなるのです。壊してしまっても、我が子が科学していると思ったら、知恵が付いてきているのだと、いたずらも楽しみになりますよ。


何でもこんな風に思えたら、子育てがとっても楽しみになります。子育ての悩みもうんと軽減されます。
子育ての悩みとなる一番の原因は、他の子とついつい比較してしまうことにあるように思います。「〇〇くんは、もう、こんなことができる」、「〇〇ちゃんは、こんなことも習っている」と気になってしまいます。そうすると、うちの子はみんなより遅れているのではないだろうかとか、我が子にも早く習わせなければと焦ってしまいます。


人間生まれたときからみな違います。顔はもちろんのこと、生まれたときの体重や身長も違えば、お乳の飲み方や量もみな違います。何か月かして、人見知りをして恥ずかしがる子や泣く子もいます。そうかと思えば、ニコニコしている子もいます。12か月で歩くようになる子もいれば14か月で歩きはじめる子もいます。

幼児では、運動機能も情緒面でも個人差がとても大きくなります。行動の素早い子もいれば、おっとりとした子もいます。優しくておとなしい子もいれば、少々荒っぽくても積極的な子もいます。同じ血筋から生まれた兄弟姉妹でさえ、体格や性格もみな違います。みんな違うから、興味も違い、個性も違うのです。 そうなんです。みんな違うのが当たり前なのです。みんな違うからこそ、その子その子の良さや素晴らしさがあるのです。他の子と違うからこそ我が子なのです。人間、みな違うからこそ、成長の仕方も違えば、興味や好みも違います。だからこそ、一人ひとりに価値があり、その子その子の魅力があるのです。

そう思ったら、他の子と比較して悩むことなどいりません。我が子は我が子。お父さんとお母さんが愛し合ってできた子です。そんな素敵な子と一緒に食事する幸せは、毎日の食事を作るのが大変と思っていらっしゃる方も、料理がとても楽しくなります。
自分の思い一つで、子育てがとても楽しくなります。

文字や数量について(平成9年度)平成10年2月

1月の自由参観の日の子供たちの活動が、自分たちで作った大型かるたや郵便ごっこ等で遊んでいたクラスがあったためか、次の日のお便り帳の中に、年中組のお二人のお母さんから、文字についてのお便りを頂きました。一つは、「友達からお手紙をもらったけれど、わが子は読むことができてもまだ書くことができません。全体的に見てほとんどの子が書けるのでしょうか?」という主旨のお便りと、「最近、文字に興味を持っているようなので、家で字の練習をしてみると鉛筆の持ち方や書き順が違っているのですが、幼稚園では教えてもらえないのでしょうか?」という主旨のお便りを頂きました。


お二人のお母さんには、それぞれご返事を差し上げましたが、多くのお母さん方の共通の関心事であるかと思いますので、改めて、文字や数量のことについて触れておきたいと思います。
結論からいいますと、幼児期に急いで文字を教えようとドリル学習のような一斉に文字や数量を教えようとすると、逆に、文字嫌い、勉強嫌いの子供を育てることになります。お母さん方の中には、わが子の友達が字を書いているのを見ると、わが子が遅れているのではと心配して、急いで教えようとされる方がいらっしゃいます。また、早い時期から教えた方が学校に入ってから良く勉強ができるようになると信じている方もいらっしゃいます。しかし、残念ながら、このどちらのタイプも勉強嫌いな子供を育ててしまう危険性があります。


確かに、幼児期は文字や数量に興味を示し始める時期であることは、間違いありません。何故かといいますと、家庭や幼稚園での生活の中に、文字や数量と関わる生活や環境があるからです。例えば、絵本を読んでもらったり、自分の持ち物に名前を書いてもらったり、郵便ごっこやかるたで遊んだりもします。数量もどちらが多いとか大きい、あるいは、何個ずつ分けようとか、お風呂で数を数えながらお湯の中に入っているというように、幼児をとり巻く環境の中に文字や数量に関することがいっぱいあります。その中で文字や数量に興味を示し、認識を深めながら、自然な形で自分のものとし獲得していきます。それと同時に、子供たちの遊びや生活の中での様々な経験を通して形や数量に対する概念が形成されつつある時期でもあります。


幼児は、遊びや生活の中で周りの環境や自然の営みや変化に気付き、友達や大人との関わりの中から、見たり触れたり感じたりしながら、様々なことに好奇心や探求心を抱くようになります。そして、遊びを通して、ものの特性を知り、操作の仕方や仕組みや役割を理解しながら、物事の法則性に気付き、自分なりに考えることができるようになります。幼児は、このように、直接的・具体的な体験を通して知的発達を実現していくのです。


ところが、受験や早期教育の情報の氾濫する中で、親はあせってしまいます。直接、文字や数を教えようとしがちです。幼児期は、まだ、文字や数量、形に対する概念形成をしつつある時期で、いきなり文字や数を教えようとすると拒否反応を示し、文字や数を獲得していくことがいやなこととして心の中に刻まれてしまいます。勉強のできる子にと思って教えたことが逆に勉強嫌いの子にしてしまいます。


幼児期に大切なことは、直接教えようとするのではなく、文字や数量、形に対する楽しい生活を保証してやることです。楽しいからこそ興味を示し、もっと楽しみたいからこそ文字や数を知りたいと思うのです。幼稚園や家庭で、お話を聞いたり絵本を読んでもらったり、郵便ごっこやかるた遊びをしていることが、結果として、楽しさの中で文字に対する興味付けとなっているのです。文字や数量、形を獲得していくまでのレディネス(準備性)となる様々な経験が豊富なほど、文字や数量、形に対する興味や関心・意欲が高まるのです。

子供たちは楽しさの中で「はな子」の「は」だと発見したり、「いちろう」の「い」はどう書くのかと聞いてくるようになります。その時には「い」だけ教えてやれば良いのです。今知りたいのは「い」だけなのです。それを、文字に興味を持ち出したからと、「あいうえお」とすぐに文字や数を教えようとすることは、子供から文字に対する興味や関心、発見の喜びを奪うことになります。


また、幼児は書き順をでたらめに書いたり逆さ(鏡文字)に書いたりします。これをすぐに間違っていると指摘することも文字嫌いにします。子供から見たら、間違ってはいないのです。それは、形に対する概念形成ができつつあるときで、文字全体を形で捕らえようとしているときなのです。文字を形全体で捕え同じ形を書こうとします。順番はどうでも、同じ形に書けるようになった喜びが有るのです。形を全体で捕えることをしっかりと経験し、それができるようになって初めて、文字を正しく書こうとしてくるのです。その時期が6歳7歳頃なのです。だからこそ、小学校に入って文字を正しく書くことを喜んでするようになるのです。


子供たちは、文字についてもいろいろな発見をしながら、それを喜びとしながら、好奇心をしっかりと働かせているのです。お母さん方には、その姿を喜んでやってほしいのです。逆さまに書いていても、それらしい文字を書いたことの方を喜んでやって欲しいのです。そういうお母さん方の暖かい愛情に包まれた共感的態度こそ、子供自ら勉強したり物事に取り組む意欲や態度が育つのです。


どうぞ、あせらないで子育てをして欲しいのです。目くじらを立てての子育ては、学校に入ってから、無気力やいじめや暴力、思春期を迎える頃には手におえない様々な問題に見舞われることとなります。
毎日楽しく絵本を読んでやったり、家事を一緒にしたり、外でしっかり遊んだり、楽しい親子の生活を楽しんで戴くことが、幼児期の心を育むとても重要なことなのです。そういう暖かいほのぼのとした愛情が子供たちの心と情緒の安定につながり、その安定が基礎となって初めて、自主性や主体性、好奇心や探求心、意欲や態度が育つのです。そのことが知能の発達の大きな基盤となるのです。