白髪せんせいのつぶやき

子供同士(平成12年度)5月

4月12日に新入園児を迎え、3週間が経ちました。子供たちも幼稚園の様子や時間の流れも、大部、分かってきたようです。


今年も泣く子が数人いましたが、ずいぶんと落ち着いてきて、園生活を楽しめるようになってきました。新入園児が幼稚園に慣れるまでは、担任を持たない先生たちが手助けに入ります。園長も泣く子がいると、その子をだっこしたり、一緒に遊んだりします。今年も、「母さんがいい~、母さんがいい~」、「お家へ帰る~、お家へ帰る~」と、ずっと泣く子がいました。

担任がその子を抱えて、クラスの子供たちの世話をしているので、見かねて抱っこしてやりました。抱っこして、「この人誰か分かる?」と私の顔を指さして訊くと、「わからん」といいます。「園長先生っていううんだよ」というと、「園長先生」といい返します。そしてまた、「母さんがいい~、母さんがいい~」と泣き始めます。そして、抱っこしたままで園庭にいる、やぎとひつじの所に連れていき、「これ、なにか知ってる?」と聞くと、泣きやんで、「わからん」といいます。「こっちの白いのがやぎさんっていうんだよ。毛がいっぱいあるのがひつじさんだよ」というと、「め~、め~と泣きょうる」といいます。そこで、「母さんがいい~、母さんがいい~と泣いてるんかね?」と訊くと、「違う、おなかがすいた~、といって泣いとるんよ」といいます。「そうなの、園長先生は、母さんがいい~、母さんがいい~と泣いているのかと思ったのに」というと、「違うよ、おなかがすいたけ~、葉っぱが欲しい言うとるんよ」といって、また、「母さんがいい~、母さんがいい~」と泣き始めます。

今度は、「お家には誰がいるの?」と問いかけると、「母さんと父さんと妹」と応えます。そこで、「妹は何才?」と訊くと、「1才」。「お母さんは?」、「32才」。「お父さんは?」、「32才」と、ちゃんと応えます。「そうなの。お父さんとお母さんは同い年なの」というと、「うん」といって、また、「母さんがいい~、母さんがいい~」と泣き始めます。


こんなやりとりが何日か続きます。泣いていても、話しかけると、その時は泣きやんで、いろいろと話してくれます。話し終わると、また泣き始めるのです。毎日泣くと、お母さんの方は心配されるかもしれませんが、たいていの場合、順調に成長していて、今までのお母さんとの関わりの深さを感じます。お母さんという特定の人への依存心から、周りの人との関わりが深まるに連れて、間なしに、泣くこともなく、元気に友だちとも遊べるようになってきます。


その子を抱っこし始めて2日目のことです。気を紛らわそうと、抱っこして2階の年長組の部屋に入りました。抱っこしたまま床に座り、お兄ちゃんやお姉ちゃんのしていることを一緒に見ていました。木片や積み木を高く積み上げたり、ままごとをしたり、絵を描いたりと、それぞれがいろいろなことをして遊んでいます。「ほら、みんなおもしろいことをして遊んでいるでしょう」というと、「うん」とうなずいて、また泣き始めます。

すぐそばに、自分の顔をパスで描いて、お当番表を作っている女の子がいましたが、泣いている子をちらっと見ては、また黙々と自分の顔を描いていました。そして、描き終わるなり、「なんていう子なん?」と、私に問いかけてきました。

名前を告げると、「私が遊んであげる」といって、手を引いて、木片の所に連れていき一緒に遊び始めました。なんと、今まで抱っこを止めると声を出してすぐ泣いていたのに、泣くこともなく、木片を積み上げているのです。年長組の子供たちは、いろいろな形に積み上げていきます。その子は3才なので、ただ木片をバラバラに重ねているだけで、上手に積み上げることはできませんが、夢中になってしているのです。

そこで感心したのが、年長組のその女の子のことです。3才の女の子の、ぐちゃぐちゃに重ねているのを見て、それをそのまま受け入れてやっているのです。大人だと、「こんな風に重ねてごらん」と、つい、教えてやろうとしがちですが、その子は、「ぐちゃぐちゃ」をそのまま受け入れているのです。そして、自分はその横で、自分なりのイメージで積み上げています。

泣いていた子も、お姉ちゃんのを横目で見ながらぐちゃぐちゃを続けています。しばらくの間、泣くこともなく遊んでいる姿を見て、お姉ちゃんの優しい心と、子供同士の関わり方のすばらしさを、あらためて見た感じがしました。子供の気持ちは子供同士が一番分かってるのではないかと思います。

このような関わりをしながら、数日が経ちました。いつかは担任の所に慕っていくようにしてやらなければなりません。雨の日、すぐに保育室に行かないで様子を見ようと、いつもより遅れていきました。主任に、「あの子どうしてる?」と訊くと、3才の部屋に様子を見に行ってくれました。いないのです。年長組の部屋まで探しに行ってくれました。なんと、おもちゃのマイクをもって、年長組のお兄ちゃんやお姉ちゃんに堂々と自己紹介をしています。次の日から、泣かないで保育室にいます。今度は、担任に抱かれていますが、もう泣かないでいます。園長との別れの瞬間でもあります。

お世話になりました(平成11年度)平成12年3月

先日、本年度最後の役員会が開催されました。すべての行事が終わり、卒園式と修了式を残すのみとなっていますので、議案は本年度の反省ということで開催されました。

その時、役員一人ひとりの方に、1年間役員をしてみて感じたことなど、感想を中心に話していただきました。嬉しいことに、「役員を引き受ける前は大変だとばかり聞いていたが、そう思うことは何一つなく、すごく楽しかった」、「たくさんの子供と関わることで、わが子に余裕を持って接することが出来るようになり、子育てがすごく楽になった」、「お母さん同士、友達になれてすごく嬉しかった」、「我が子の普段の姿を見ることが出来、とても安心した」、「先生達が一生懸命やっておられる姿を見ることが出来てよかった」等々、役員をやってよかったと全員の方からいっていただきました。中には、「私はわが子さえ好きになれなく、子供は嫌いだ」といわれていたお母さんが、「たくさんの子供と接するうちに子供が大好きになってきた」と、お母さんの気持ちが変わっていった嬉しい報告もしてくださいました。

近年、地域社会のつながりが薄くなって来ており、交通事情などで子供たちの安心して遊べる場所も少なく、また、少子化も手伝って近所で一緒に遊ぶ子供が少なくなってきています。そんな中、役員をすることで多くの子供たちやお母さん同士が関わり合え、そのことが、役員をしていただいた方々の、「役員をしてよかった」という気持ちにつながったのではないかと思います。幼稚園側から見ると、行事のお手伝いなど、いろいろとご無理なことをお願いしているのに、そんな風にいっていただくと、とても嬉しく、気持ちが楽になります。役員の皆さん、本当に有難うございました。心より感謝申し上げます。また、役員の皆さんを支えてくださいました保護者の皆様にも厚くお礼申し上げます。


その役員会の席で園長の話としてした子供たちとのエピソードを紹介します。
実は、1月8・9・10日と連休で、久しぶりにゆっくりとした時間がとれたので、園庭の生い茂った樫の木を切ろうと、長年、使用しないままでいたチェンソーを出してきて、脚立の上に乗って切り始めました。田舎生まれの私には、そういう作業はお手のものなのですが、チェンソーの歯が悪く、なかなか切れず、木を倒す方向に切り込みを入れることが十分に出来ないで、中途半端な形のまま、切り始めました。案の定、予定の方向に倒れないで、私の方に覆いかかってきました。逃げる暇もなく、脚立と共にコンクリートの上に投げ倒されてしまいました。幸い、頭を打たなくてすみましたが、身体のあちこちを打撲し、けがをしました。脚立に挟まった足で脚立が大きく曲がるほどで、右足の2カ所は、かなり深いところまで切れていました。足の骨の丈夫さに自分で感心しながら、病院に行ったらおそらく何針も縫われたと思いますが、連休中でもあるしと病院にも行かず、我が家での治療で治しました。

そのけがをした2日後、始業式があり、子供たちの部屋をまわると、年少組の子供たちが、だっこや両手を持ってでんぐり返しをするよう要求してきます。いつもは、自分も楽しみながらするのですが、「ごめん、園長先生、足にけがをしているから、治るまで待ってね」と、足の包帯を見せてやりました。子供たちは、「どうしてけがしたん」、「いたかった?」と気遣ってくれます。その後も、保育室をまわるたびに,「あしなおった?」と気にしてくれています。そして、1か月経った頃、けがをするまでは、「だっこして」といつもいっていた子が近寄ってきたので、そのままだっこしてやると、すぐにすべり降りて、「あしなおった?」と訊くのです。「あ、そうか。足のけがを気遣って我慢してくれていたんだ」と気がつき、しっかりと抱きしめてやりました。

その部屋を出るなり、やはり年少組の女の子が、私を追いかけてきて、「園長先生、わたし、もも組になるとき、遠くに引っ越すの」といいます。「え~、ほんとに!、園長先生、寂しくなるよ」というと、「だいじょうぶだよ、もも組になるときだから、まだ、だいじょうぶだよ」と逆に慰めてくれるのです。「もうすぐなのに」と思いながらも、慰めてくれているその子のことを思いながら、そのまま、年中組のクラスに入りました。

男の子が小走りに近寄ってきて、「あしなおった」と訊くので、「うん、治ったよ」といった途端に、両手を持って、でんぐり返しを始めます。この子も、「ずっと待ってくれていたんだ」と思いながら、何回もでんぐり返しをしてやりました。年長組の部屋に行っても、「あしなおった?」と訊くので、「治ったよ」というと、何人もの子供が飛びついてきてくれました。

そして参観日が終わった数日後、年長組のクラスから、子供たちで作った招待状が来ました。それは、「参観日のとき、園長先生は自分たちの劇や歌を少ししか見ることが出来なかったから、招待するので見に来てください」というものでした。部屋に行ってみると、参観日に来ることが出来なかったお母さんにも招待状を送っていたようで、入園前の弟と一緒に来ておられました。そして、劇をしたりうたを歌ってくれました。胸をじーんとさせながら最後まで見ました。終わると、「どうだった」と訊くので、「園長先生ね、今、胸がじーんとして涙が出そうなの」というと、「どうして耳を持って泣くん?」という言葉が笑いを誘い、その言葉で気持ちを取り戻しながら、「ありがとう。とっても楽しかったよ。それと、みんなとても優しくて、仲良しで友達思いですてきだよ。小学校がわかれわかれになっても、友達のことを忘れないでね」と、いうのがやっとでした。

お父さんの転勤で引っ越すことになって、「まだ、だいじょうぶだよ」と逆に慰めてくれた女の子も、年少組や年中・年長組の足を気遣ってくれていた子も、みんな優しく、大人に対しての気遣いがこんなにもできるものだと、あらためて感心することが出来ました。前にも話したことがあると思いますが、人は愛されたり、思いやりを受けて育つことによって初めて、相手を思いやったり愛することが出来るのです。すてきなお父様やお母様の愛をしっかりと受けながら、順調に育ってくれていることをとても嬉しく思います。

もうすぐ卒園(平成11年度)平成12年2月

この時期に、子供たちのお部屋をまわって見たり、ホールに集まっている子供たちを見ると、ずいぶんと大きくなってしっかりしている様子を如実に感じます。


年少のうめ組の子供たちは、最初は先生と自分という関係でしたが、先生に対する依存心から少しずつ脱却して、友達同士でグループになっていろいろなあそびをしています。
そのグループも、2、3人のグループから、4人、5人と大きくなり、友達関係意識がしっかりと形成されてきていることが良くわかります。年中のもも組は、幼稚園生活に勢いすら感じます。友達ともしっかりと遊ぶし、集団での活動も、お互いのかかわりが深く、いろいろなことに集中して取り組めるようになって来ています。いつも、うめ組、もも組、さくら組と順番にまわっていきます。


今日(27日)も順番にまわって、最後のさくら組に行きました。3クラスとも、今日から、「思い出いっぱい・ゆめいっぱい」というテーマで、壁面製作に取り掛かっているところでした。3、4人のグループに分かれて1年の思い出を壁面製作するのです。そこで、自分たちの思い出として残っている楽しいことを、クラス全員で、お互いに出しながら話し合っているのです。その様子を見ていると、ビックリするぐらい、いろいろなことをしっかりと覚えています。それを、それぞれがちゃんとみんなに伝え、友だちも、「そうそう」と言ったり、うなずいたりと、共鳴しながら人の意見もしっかりと聞いています。しかも、落ち着いた静かな雰囲気なのです。自分の考えをちゃんと話せて、人の話もしっかりと聞くことが出きるようになっていることをとても嬉しく思いました。


そうして、話が進み、グループごとのテーマを決めています。そこでの話し合いも、希望を出し合ったり譲り合ったりと、見ていて、「お見事!」と言いたくなるほど、大人の雰囲気すら感じるぐらい、深い人間関係が出来ているのを、胸を、「ジーン」とさせながら、感心してみていました。

そして、グループごとのテーマが決まり、それぞれのグループでそれぞれの場面の製作が始まりました。それを見ていて、また感心。各々が必要な画用紙を取り出して、描いたり切り始めるのですが、話し合いをしている間にイメージがすっかり出来ていたらしく、みんな迷うことなく、黙々と製作を始めたのです。見ていると、ある子は、茶色の色画用紙を小さな細長い筒を何個も作っているので、何だろうと思っていると、それを組み合わせて台紙に貼りつけ、その上に小さく切った赤色の色画用紙を乗せるのです。また、他のテーマでしている子で、やはり、茶色の色画用紙を階段状に折り曲げて、それを台紙の下側の方に貼っています。その上にまたなにやら貼っています。しかも、すごいと思ったのは、一人一人がいろいろと工夫して作っているので、一見、勝手に作っているように見えるのですが、同じグループで、それを台紙に張っているのを見ると、その場面の中での製作分担がいつのまにか出来ているのです。「ぼくは、何を作るから、あなたは何を作りなさい」と話し合ったわけではなく、まったく、「あ・ん」の呼吸でやっているのです。それを貼る前に、それぞれが台紙に置いて配置や構成の具合を見ながら、お互いが納得しながら貼っています。
何が出来たかは、参観日の時に、子供たちのイメージと工夫を一つでも多く発見しながら、楽しんで見てください。


これらの様子を見ていて、幼稚園の目標でもある創造性や自発性・主体性もしっかりと育っています。子供たちが感性豊かに育ってくれていることをとても嬉しく感じたのです。そのことを担任に話すと、「この時期になるといつもそう感じて涙を流すことも度々なんです。子供たちも、もうすぐ卒園して別れ別れになることも分っているみたいで、お互いに友達を思いやり、すごく大事にしている姿がいとおしいくらい分るんです」と涙ぐんでいます。
子供たちは、「もうすぐ卒園」を意識しながら、1日1日を大切に生活しているのです.

2000年(平成11年度)平成12年1月

西暦2000年という千年紀(millennium)の記念すべき年を迎えました。ところが、例のコンピューター2000年問題(Y2K)に遭遇し、年末には世界中が大きな不安の中に追いやられていましたが、幸いにして大きな問題や事故もなく新年を迎えることが出来ました。それだけに、今までの対策が完璧に近いほどとられてきた証でもありました。


そんな中、小渕総理のテレビでの呼びかけもあって、各家庭での生活必需品の備蓄も大わらわであったようです。私の妻も停電になったときの暖房を心配して「石油ストーブを買っておいた方がいいのではないか」と聞くので、「寒かったら布団の中で寝正月と決め込めばいいよ」といって、なに一つ買うことなく新年を迎えました。準備したのは、トイレ用に風呂の水をいっぱいに張っておいたのと、飲み水をポリバケツに1杯分ほど入れておいただけでした。「電気や水がなくてもしばらくは生きられるよ」という、開き直りの気持ちでの不安解消です。


その後のニュースを見ると、日本でも、何万、何十万円と買いそろえた人、アメリカでは10万、20万ドル(100、200万円余)以上も準備をした人もいて、その処分に困っている話題も報じられていました。このことで思い出したのが、昭和49年(1974年)のオイルショック時のトイレットペーパー騒ぎです。トイレットペーパーがなくなるという話が広まり、みんなが一斉に買いだめに走り店頭から姿を消してしまったのです。


このように、人間の持つ何かに対しての不安感が、ある特異な行動として顕れるのです。そのようなときの、各個人の、対処の仕方の違いは、それぞれの経験や人間性、あるいは生きる姿勢によって大きく違ってくるように思います。今回の2000年問題のときも、戦中戦後の物のない時を経験している人、あるいは登山やキャンプのような自然体験をたくさんしている人と、飽食の時代と電化製品の中で何一つ不自由なしに育った人との対処の仕方は、おそらく、大きな違いがあったのではないかと思います。今回の2000年問題で、日本では、それほどまでにフィーバーしなかったのは、オイルショックのときの経験が生きていたのかもしれません。あるいは、阪神淡路大震災を経験して、それなりの準備が出来ていたのかもしれません。経験が知恵を与えてくれるのです。


子育てについても似たようなことがあります。最近よく耳にする「育児不安」という言葉に代表されるように、親の育児に対する不安は、様々な問題を引き起こす要因にもなっています。典型的な例が幼児虐待事件です。我が子に対して何故と思われる方がほとんどだと思いますが、近年、急増しているのです。虐待にまでは発展しなくても、育児に対する不安は多かれ少なかれ、ほとんどの親が持ちます。初めての経験だから当然のことなのです。

これも、不安の持ち方が違うのはもちろんですが、同じような不安を抱いたとしても、親の対処の仕方が、今まで育った環境でずいぶんと違う場合があります。大家族や兄弟の多い家庭で育って、子供の頃に叔父や叔母の子の子守りや弟や妹の世話をした経験のある人と、核家族で兄弟も少なく、子供の頃から赤ちゃんを抱いたことのない人との経験の違いからくる対処の仕方はずいぶんと違うことがあります。これらも、経験からくる知恵の差なのです。

そのようなこともあって、今の若い世代が、子供の頃から赤ちゃんを抱いたこともなく大人になっていることにも、育児・子育て不安に繋がっているのではないかと、文部省も、「子どもたちがのびのび育つ教育環境の実現」の一環として、「高校生が幼稚園等で幼児とふれあう体験学習の機会の充実」の計画づくりに着手し始めました。
学校でこのようなこともしなければならなくなったぐらい、私たちは、物質的な富と便利さを得た代償として、人間としての何かとても大切なものをずいぶんと失ってきたような気がします。今年は20世紀最後の年です。新たな21世紀には、いかにして、失われた人間の大切な心を取り戻すかが問われるのではないでしょうか。

信頼関係(平成「11年度)12月

先日、滋賀県の大津市で行われた全国園長研修会が終って、広島県の園長先生たちと現地の保育園と幼稚園の見学に行きました。男女20人ぐらいの園長たちが、ぞろぞろと保育園の門に入って行きました。その列の最後にいた私が門を閉めるなり、1人の年中組さんらしい男の子が、先に入ったほかの園長先生たちには目も呉れず、突然、私のところに走り寄ってきたのです。それも、「いっしょにあそぼ!」と、手を引いて『はないちもんめ』をしている中に連れて行ったのです。すると、驚いたのは他の園長先生たちです。「伊達先生、その子知ってるの?」と訊くので、「今始めて会った子だよ」と言うと、「うそ!、私なんか見向きもしないで伊達先生のところへ飛んでったよ」と言います。そこで私は、「子供は本能的に、誰が本当に自分たちのことが好きかを嗅ぎ分けるんだよ。あなたたちは全員園長失格!」と軽口をたたいて、しばらくその子たちと遊びました。『勝って嬉しい花いちもんめ♪負けて悔しい花いちもんめ♪どの子が欲しい♪あの子が欲しい♪よしこ先生が欲しい♪』と、私が、一緒に遊んでいた先生の胸に書いてあった名前を見て言うと、子供たちは、一斉に、「ダメ~」と言います。

やはり自分たちの先生がだいすきなんだと、子供とその先生の繋がりの深さを感じながら、園舎の中に入っていきました。年長組の部屋に入ったとき、また、1人の男の子につかまりました。「見て!見て!」と手をひっぱて、自分で、お菓子の空き箱を利用して、その中に道を作り、その一番下にフイルムを入れるケースをぶらさげ、その中に落ちて行くように作って、スロットマシンのように、どんぐりを転がして遊んでいます。「すごい!すごい!」と言ってやりながら、私も2、3回遊んだ後、「これ見ていて」と、そのどんぐりを手に持って、例のごとく、手品をしてやりました。どんぐりが消えてキョトンとしています。「ボク、自分のポケットを見てごらん」と言うと、一生懸命ポケットの中を捜しています。ポケットの中のどんぐりを見つけて、「このおじちゃん、すごいよ!」と、周りの友達を呼んで説明しています。

その時に、「ここの園長先生のお話があるので集まってください」と呼ばれ、園長室に行っていろいろとお話を伺いました。身体に障害を持った子を積極的に受け入れていることも伺いました。1時間余りの話し合いが終って、出発の時間が来たので、お礼を言いながら、廊下まで出ると、先ほどの子供たちが、クラス全員と担任も一緒に待ち構えています。「このおじちゃんだよ!おじちゃん、みんなにも見せてやって!」と、どんぐりで遊んでいた子が言います。時間がないので、急いで3種類の手品をして、「ご免ね、もう時間がないから」と慌ててバスの中にかけ込みました。私を園庭で呼びとめた最初の子も、保育室でスロットマシンを作ってどんぐりで遊んでいた子も、実は、身体に軽い障害の有る子でした。


子供たちは、母親を始め、養育者や先生、周りのいろいろな人とのかかわりの中で、抱っこしてもらう、一緒に遊んでもらう、ほめてもらう、楽しい気持ちにしてもらえる、というような肯定的な経験を繰り返すことで、他者への信頼感が生まれます。もう一方、転んだりけがをして泣いているような時、「痛いね、痛い痛い、痛かったよね」と母親や先生が傷みの治まるで、その傷みを共有して抱きかかえてくれることは、自分の負の経験を正への経験に変えてくれます。

このような経験が、人と人とを結び合わせ、人を人に向かわせる原動力となり、他者との信頼関係が生れるのです。先の子供たちが、初めて見る私を彼らの方から受け入れてくれたのは、母親を始め周りの人たちからしっかりと愛されているからこそ、子供は本能的に自分を受け入れてくれる人のにおいを嗅ぎ取ったのだと自我自賛して、心地良い気持ちで帰ることが出来ました。今日、大人が子供の前に立ちはだかりすぎていると思えてならないのです。常に良い子、常に強い子、常にがんばる子……。子供だってしんどくて、心をふさいでしまいます。やる気は、人に愛され認められる情緒の安定と信頼関係から出発するのです。