白髪せんせいのつぶやき

白髪せんせいのつぶやき

『白髪せんせいのつぶやき』の白髪せんせいとは、当学園の理事長 伊達正浩のことです。つぶやきとは、三次中央幼稚園が園児・保護者対象に月一度発行する園だよりに平成8年度から平成17年度までの10年間連載された、理事長からのメッセージなのです。このページでは、そんな“つぶやき”を年度・月ごと皆さんにご紹介し、子育ての参考にしていただければと思います。

現在は理事長に代わり、主任教諭の田房葉子が『葉子せんせいの部屋』を執筆中です。合わせてご覧ください。

待ち春(平成17年度)平成18年3月

12月の大雪に比べて2月は例年ほどの積雪も見られず、暖かい日が多かったように思います。2月末はすでに春の暖かささえ感じさせてくれました。いつもより早い暖かさで、幼稚園の自然観察園も春を迎える準備をしなければという思いが募り、早速、2月25、26日の(土)・(日)に、芝生の芽を整えるため、芝刈り機を出して芝を刈りました。この冬は、落ち葉を掃き取らないうちに大雪が降ったため、枯葉もいっぱい舞い散っています。芝刈りをして芝生がきれいに整ったのですが、思いを変えて草焼きをしました。火をつけると、乾燥しているので一度に燃え広がります。前もってジョウロで芝生の周囲に水を撒いておきましたので、絵を描いたように、その場所に火が来たら炎の広がりが止まり消えていきます。芝を焼いた後、芝生に肥料を撒きました。そして、イチジクやアジサイの木の剪定も済ませ、芽の息吹を待ちます。作業中、野鳥のエナガの集団が飛んできてチーチーチーと鳴きながら覗き込む姿勢は、こちらの様子を観察しているかのようです。その後、間なしに、ジュウシマツもやってきました。ヤマガラの声も聞こえます。どうも、ガラの付く名前の小鳥は、種類は違っても、一緒の流れで移動しているような気がします。昨年は木の幹にかけていた巣箱にジュウシマツとヤマガラが営巣してくれました。苔を巣箱に運び込む時から、雛が生まれて、毎日、餌を運び込む親鳥の姿を観察しながら、最後に、雛が外に出て行くところまで楽しむことができました。3月になったら、小鳥達も巣を探して飛び回りますので、急いで巣箱の設置をしなければと思っています。春になって子供達が遊びに来てくれるよう自然観察園の待ち春の準備ができました。


本年度も残すところ1ヶ月になりました。年長のさくら組の子供達は今月18日に卒園式を迎えます。もうすぐ一年生です。年長組の子供達も春を楽しみに待っています。もうすぐ、先生やお友達と別れるのに、小学校入学の期待に胸を膨らませているのです。


自然観察園の芝刈りをした次の日の月曜日、さくら組のお茶のお稽古を久しぶりに見に行きました。江戸時代、広島浅野藩のお抱えだった上田宗箇流のお弟子さんである坂部由香子先生が、毎月1回ほど来て指導をしてくださっています。子供達は席入りして床の間の前に座り、軸、花と花入れ、香合を拝見して席に着きます。その日の軸は立ち姿のお内裏様とお雛様が描いてあります。花入れには蝋梅(ろうばい)と椿を生けてあります。香合は犬山焼きの香合です。拝見がすんだ後、子供達にいろいろとお話をしてくださっているのを一緒に聞きました。由香子先生が「お雛様の意味を知っている人いる?」と子供達に問いかけると、数人の子供が手を挙げています。指名された女の子が、「折り紙でお雛様を折って、病気にならないよう祈って川に流すの」と答えています。同じような意味のことを他の子供も話してくれました。きっと、お家でお母さんやお婆ちゃんが子供と一緒にお雛様を飾りながら話してくださったのではと、文化の伝承がなされていることと、家族の温かさのようなものを感じて嬉しく思いました。そのときの説明で、今のお雛様は、京都のお雛様以外、みな座っているけれど、昔は立ち雛だったそうです。その後、由香子先生が、「昔はせっかく子供が生まれても死ぬ人が多かったので、藁(わら)や紙でお人形を作って、体の悪いところと同じ場所を触って厄から身を守り元気になるよう、お祈りして川に流していたの。それがお雛祭りになったの。」と話してくださっています。

香合は犬山焼き(愛知県犬山市)で、犬は子供をたくさん産むから、子供がたくさん生まれて家が栄えるようにと、犬にちなんだ香合を使ったことを子供達に解りやすく話されます。本当は、解りやすく話すのはとても難しいのですが、子供達と、とても楽しいやり取りが続いています。蝋梅の花の名の由来の説明の後、子供達が交替で菓子器を運んできて、「どうぞ」と言って、正座している子供達に差し出します。子供達は両手を着いて、「ちょうだいします。」、「お先です」と挨拶をしてから、懐紙(かいし)にお菓子を取り、その懐紙で口元が見えないようにして食べています。続けて、他の子供達がお茶を運んできます。同じように、正座して両手を着いて挨拶しながらお茶を受け取り、隣の人に「お先です」と言って、お茶を飲みます。どの子も美味しそうに飲んでいます。もう、苦く感じるより美味しく感じて飲んでいるようです。
そして、最後に「ごちそうさま」、「ありがとう」と言うことの大切さも話されています。「お家でご飯を食べた後に、『ごちそうさま』と言うのも、お母さんが一生懸命作ってくださったことに、『ありがとう』と言う気持ちを込めて『ごちそうさま』を言うんだよね。それが、思いやり、相手に対する思いやりの気持ちなんだよ」といつも話してくださっているのです。
「お茶は思いやりの気持ちを学ぶんだよ」と思いやりの気持ちの大切さを毎度繰り返し話されます。
近年、子供達にこのようなことを話してくれる大人は少なくなってしまいました。人として大切にしなければならないこと、人としてしてはいけないこと、人としてどのように生きていくかと言うようなことは、子供のときから繰り返し話してやることが、大人になって正しく人生を生き抜く源泉になるのです。


園だよりで、私が園長の時代から、絵本講座を始め、その時そのときに保護者の皆様に伝えたいことを中心に書いていましたが、その後、「園長先生のつぶやき(後、白髪先生のつぶやき)」となっての連載は、平成8年度から始まり、丁度、満10年間が過ぎました。この「つぶやき」は、幼稚園のホームページにも掲載しておりますので、遡ってご覧戴くことができます。
同じテーマにならないよう常に新しいテーマで書いてきたつもりですが、10年をきりに、若い先生に譲りたいと思います。この「つぶやき」を楽しみにして、園だよりが配布されるのを待ってくださった保護者の方がたくさんいらしたということを聞いて、とても嬉しく感じていました。そのことが、継続の力となっていたように思います。長い間、お付き合いいただいたことに感謝しながら、ペンを置きたいと思います。次回からは、「葉子先生のつぶやき」として、主任の田房葉子教諭が担当します。田房葉子教諭は、「あそべや あそべ」の本の著者でもあります。子供達との生活の中から、楽しくも可笑しい話題がいっぱい出てくるのではないかと楽しみにしています

寒波襲来と動物の死(平成17年度)平成18年2月

昨年の12月には本当によく雪が降りました。雪が降ると子供達は大喜びで遊ぶことはよく解っていますので保育計画の中にも組み込まれています。しかし、雪は保育計画通りには降ってくれませんから、積雪のあった日には、その日の計画を後回しにしてでも朝から園庭に出て、ここぞとばかり、先生と一緒になって雪あそびに興じます。12月19日の朝の園庭は、30センチ近くの積雪で、雪だるまやかまくらを作って遊んだり雪合戦をしたりと子供達は大喜びでした。間無しの22日の終業式の日は、前日からの大雪で、大雪警報が発令され、とうとう、臨時休園とせざるを得なくなり、終業式をしないまま冬休みに入ってしまいました。当日は、前に降った雪が解けないままでしたので、三次の市街地でも50~60センチくらいの積雪となったでしょうか。隣の庄原市高野町では2メートルと聞きました。幼稚園を昭和46年に開園して以来の34年間は、20~30センチくらいの積雪は毎年のようにありましたが、幼稚園を雪で臨時休園したのは初めての出来事でした


この度の急激に襲来した寒波で、幼稚園のウサギとヒツジの「クリームちゃん」が死んでしまいました。通常、自然界の中の動物は、夏が近づいてくると毛が抜け始め、夏の暑さに対応します。そして、だんだんと寒くなってくると、毛を増やし厚みを増して寒さの中でも元気に過ごします。そのことができない動物は穴の中で冬眠します。ところが、昨年12月のような急激な寒波では、体が対応できないままに寒さに遭遇します。この度、死んでしまったヒツジは、平成9年に生まれた満8歳のヒツジでした。生後数ヶ月のヒツジを、高宮町にある「ニュージーランド村」から寄贈して戴いたものでした。人間で言うと60~70歳くらいと聞きますが、少しばかり、早死になってしまいました。
ヒツジが死んだのは終業式の日の臨時休園になった日ですから、多くの子供達はヒツジの死を知らないままでした。それでも、プレイルーム(預かり保育)の子供達は、臨時休園となった終業式の日も登園していましたので、今にも死にそうなヒツジを気にしては小屋の周りに集まってきます。「大丈夫?」、「死んだらダメだよ」と覗き込んだり声をかけたりしながら心配していました。
今までヤギやヒツジが死んだ時には、保健所で埋葬許可をもらい、私自身が、スコップを使って山で穴を掘り死体を入れ、キツネが掘り起こさないように、その上に石灰を撒いてから土をかぶせて埋めていました。今回は、ヒツジの様子がおかしくなり、立ち上がれなくなった時から、保護者の方でJAに勤められている、えびすいまなみちゃんのお父さんや、ふじやませいたくん、なおやくんのお父さんが、連日、様子を見に来てくださったり、獣医さんの手配をしてくださったりと、随分とお世話になりました。そして、家畜商の方に連絡していただき、雪の中、岡山からの帰り道に立ち寄って戴いて、死んだヒツジを引き取ってくださいました。有り難いことでした。


私は子供の時、農家で生まれ育ち、家にはウシやヤギやブタ等の家畜がいました。ヤギに餌をやったり乳を搾ったりするのは子供の仕事でしたので、小学生の時から世話をしていましたが、その時も、ヤギの死に遭いました。その死体を肩に担いで野原に運び、一人黙々と穴を掘って、土の中に埋めた経験があります。ところが、小学生でしたので余り深く掘ることができず、浅かったことと、また、石灰を撒いておく知識も無かったので、次の朝、その現場に行ってみると、キツネが土を掘り起こし、一番上になっていた顔を食べていて、顔の骨が剥き出ていました。


動物を飼育するということは、「死」という現実に直面するということでもあります。
幼稚園で飼育している動物も、子供達がいくらかわいがっていても、いつかは死にます。ウサギはさくら組(年長)の子供達が小屋の掃除をしたり餌をやったりして世話をしてくれていました。
12月4日の音楽発表会に向けて練習をしていて、十分に掃除が出来なかったことがあり、ウサギが死んだ時、「あの時、掃除してあげんかったけぇ、死んだんかね~」と、自責の念でつぶやいている子もいました。


ヒツジが死んだ時も、ちょうど同じ頃におじいちゃんが亡くなった、もも組(年中)の子が、「おじいちゃんが死んでみんな泣いたけど、もう仕方がないんよ。だから、おじいちゃんのこと忘れんようにしておいてあげたらいいんだって!! クリームちゃんのことも忘れんようにしてあげたらいいんよ」と、話してくれました。うめ組(年少)やさつき組(満3歳児)の子供達は、まだ死についての理解が難しいようで、家から持ってきた野菜を、「ここに置いといたら、また帰ってくるかもしれんよ」と、空き家となったウサギ小屋の中にたくさん入れていました。


このように、一生懸命、世話をしたり、かわいがったりしていた動物の死に直面することは、衝撃と悲しみの気持ちと同時に、命の尊さ、大切に思う心を獲得していきます。おじいちゃんの死にも直面した子もいました。おそらく、いっぱい、いっぱい、かわいがってくれたおじいちゃんだったに違いありません。優しさをしっかり受けて育った子は、人を思いやる優しさと意志の強い子になります。


テレビゲームのようなバーチャル(仮想現実)の世界で、相手をやっつけて殺したり、何かを育てたりするゲームでのあそびには感情が無く、攻撃的で、すぐにキレる子供が育ってしまう恐れがあります。子供達は自然と関わったり、動物と関わったりしながら直接体験し、また、周りの大人の愛情を一身に受け、人間関係や友達関係意識を培い成長して行きます。動物の死に遭ったことで、子供達の心の中に、人間としてとても大切なものが育ってくれたものと思います。


昨年の12月中旬からの豪雪はいろいろな地域で被害をもたらし、降り過ぎるのも考え物です。
この冬は寒波に見舞われることが度々あるとの予測が出ています。通常、2月が大雪に見舞われますので、その対策はしておきたいものです。

お節料理(平成17年度)平成18年1月

例年、年末の我が家では、お節料理の準備をします。大抵のご家庭がそうされているはずです。ところが、私自身は、昨年12月の半ば頃から、今年はどうしようかなと悩んでいました。なんだか気忙しくて余裕が無く、料理屋さんで作っているのを注文して、それで済ませようかとも考えていました。ちょうどその頃、東京で仕事をしている次女からメールが入ってきました。「お父さんは、お正月の2日目頃から、『お節』を食べても食べても、なかなか無くならないと言っているよね。だったら、皆が好きなものを少しずつ作ろうよ。今、流行(はやり)の豆乳鍋もお父さんと一緒に作ってみたいし、餃子の作り方も教えて欲しい。『お節』を作らなかったらお父さんも年末はゆっくりできるよ。」と、いった内容でした。


今までの我が家でのお節料理は、子供と一緒にいる頃は、その文化の伝承の意味も込めて、女房が必ず作っていました。もう、娘達も大きくなったし、今までに、伝えることは伝えているし、たまにはお節料理の無いお正月も良いかと思うことにしました。
だんだんと年末が近づいてきました。私は、娘が言っていた豆乳鍋を食べたことが無いので、やはり、一度は作ってみておかないと娘に料理を教えられないと思って、豆乳と野菜と魚のアンコウの切り身を買ってきて、試しに作ってみました。豆乳についてはどんな味に仕上げて良いのか分からないので、鍋用のダシ入り豆乳を求めました。ダシが入っているので、豆乳を鍋に入れて煮立ったら、魚を入れ、野菜を入れて出来上がりです。すごく簡単にできて、意外と美味しく戴くことができました。豆乳鍋の味が分かったので、娘と作る時にはダシから採ろうと考えていました。「今年は『お節』を作らない」のだと、そんな心の準備をしていても、やはり、元旦にお屠蘇(とそ)を戴く時には、祝い肴の三種の数の子、黒豆、田作りを食べないといけないし、ブリやタコの刺身も食べたいし、それなしではお正月を迎えた気分にはなれないのではと思い始めた頃、友達から杵で突いたお餅を戴いたのです。やはり、「お正月は雑煮も食べなきゃ」と思い、結局、数の子やブリやタコ、ハマグリなどを少しばかり買い求めて、お節料理の準備も始めました。


雑煮の準備は毎年、女房がします。雑煮はその家、その家の味があるからです。家族みんなの共通の味の記憶があるので、私の雑煮の味ではお正月が始まらないのです。
大晦日の夜、娘が東京から帰ってきました。雑煮の準備は私が広島空港に娘を迎えに行っている間に女房がすでに済ませていました。家に帰ってくるなり、娘と私は二人で台所に立って豆乳鍋の準備を始めました。もちろん、ダシを採ることから始めました。試しに作った時の魚はアンコウでしたが、今度はブリの切り身を使いました。美味しく出来ましたが、夕食が終わった頃には除夜の鐘です。結局、年越しそばは夜中の2時過ぎに再び、娘とダシを採るところから始めました。


ここまで読まれて何かを感じ取られた方もいらっしゃると思いますが、娘と一緒に料理をしている姿は、「男子、厨房に入るべからず」の時代の人には、「何、やってんだよ」と思われるでしょうし、今の若い人の中には、「自分だってやってるよ」と思われた方もいらっしゃると思います。料理を苦痛に感じている人は、「旦那がしてくれるなんてうらやましい」と感じられたかもしれません。そんなことは別として、父親にとって、息子であれ、娘であれ、大きくなったら一緒に飲みに行くのが「楽しみだ」「憧れだ」と、思っているお父さんは多いのです。


そんな喜びを口には出さないで一人味わいながらの親子の料理教室でした。娘は正月4日の最終便の飛行機で東京に帰って行きましたが、その日の昼食を含めて,帰省してからのすべての食事は娘と一緒に作りました。1年のうち、ほんの僅かしか一緒にいることのできない娘との密度の濃い年末年始でした。


そんな時を過ごしていた元旦のお昼前に、私のことを本当の祖父(おじいさん)と思ってくれている小学校2年生の女の子が鹿児島から「広島のジィジ、明けましておめでとう」と、電話をかけてきてくれました。「おめでとう。お正月どうしている?」と訊くと、「お正月ってすごく楽しい!!」と言います。何のことだろうと思って訊ね直すと、「○○ホテルでご馳走をいっぱい食べて、その後、××ランドに行っていっぱい遊んで来たの。すごく楽しかったよ」と言うので、だんだんと様子が飲み込めてきました。お節料理をホテルがバイキング形式でしていて、朝早く、そのホテルに行って家族で食事をしてきたことが分かりました。
その女の子が、「ジィジは、今、何しているの?」と訊いてきました。夜が遅かったので遅い朝食となったのですが、お屠蘇を戴いた後、雑煮を食べている時でしたので、「今ね、皆でお雑煮を食べているんだよ」と伝えました。するとその子が「お雑煮って、なぁに?」と訊きます。慌てて、「お雑煮ってね、お餅をお汁の中に入れて食べるんだよ」と、説明すると、「美味しそう!」と言います。それ以上は言えませんでしたが、雑煮を食べたことが無いのだと想像がつきました。そのことを女房に話すと、「今の若い人の多くはそうなんだよ」と言います。


確かに、お節料理は手間がかかり面倒くさいし、今の食生活から言うと、口に合わないのかもしれません。でも、雑煮すら知らないで育っていることには、大好きな友達の家族のことだけに、余計に衝撃でした。
「お節」は、元旦や五節句(正月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)などの祝日に作る料理で、長い間引き継がれてきた日本の伝統文化です。その根底には、家族の無事を願いながら自然に対する畏敬の念と感謝の心が脈々と息づいています。日本の伝統文化が日本の学校教育や家庭教育で失われつつある昨今、今一度、考え直してみる必要があるのではないでしょうか

思いやりの心(平成17年度12月)

12月4日(日)は幼稚園の音楽発表会です。
もうすぐです。そこで私は、先週の木曜日に、ホールに行って子供達の踊りや合奏の練習をしている様子を見てきました。ホールでの合奏の練習が始まって、まだ、一週間余りですので、まだまだ曲にはなっていないだろうと思いながらホールに入ってみると、なんと、年中、年長組の、どのクラスもちゃんと曲になって演奏しています。年少組の踊りも、なんとか形が見えてきています。みんな、ニコニコ顔です。先生達も子供達の表現や態度をそのまま受け止めて、先生自身も楽しんで指導している様子が伝わってきます。いい雰囲気です。


園庭に出てみると、寒さなんかヘッチャラと言わんばかりに、サッカーに夢中になって遊んでいます。先ほどまでホールで演奏していた年中組のクラスです。合奏の練習を終えたその他のクラスの子も、ウサギを抱いている子や、ヤギや羊に野菜をやっている子、泥団子を作ったり砂場で遊んだりしている子、冒険広場のアスレチックや小山で遊んでいる子と、子供達自身の緩急(緩やかなことと厳しいこと)の生活が、子供達の心に自らメリハリをつけています。
次の日、園庭を歩いていると、女の子数人が私のところに寄ってきて、「理事長先生、思いやりの気持ちを教えてくれてありがとう。」と言うので、一瞬、何のことだろうと戸惑っていると、もう一人の子が、「靴のことを教えてくれてありがとう。」と言うので、何のことか理解ができたことがありました。


何かと言うと、8月の終わりのころ、広島大学を会場として幼稚園・保育園の先生達を対象としたセミナーで、「幼児の育ちを考える」というシンポジウムがあったとき、私が司会役を務めました。私が「躾や基本的生活習慣」のことに触れたときの話です。スプーンを使ってスープをすくうとき、私が子供のころに習ってきた洋食の食べ方のマナーは、スプーンを自分の反対の外側の方に向けて押しながらすくう方法でした。それは、自分の服やズボンにスープがかからないためだと教えられていました。ところが、同じヨーロッパでも、国によって違うのです。国によっては、スプーンを自分の方に向けてすくうのです。その理由は、外側にすくうと相手側の方に飛び散ってしまう可能性があるからです。相手に対する思いやりの心のマナーです。


同じような意味で、靴箱の話をしました。靴箱に靴を入れるとき、私自身は、つま先が外側に向くように入れます。それは、つま先を奥にして入れると、靴の中が丸見えになり、相手に舞台裏を見せているようでいい気持ちを与えません。下着を見せているようなものです。私の子供時代の躾はそうでした。ところが、現在の学校の靴箱を見るとほとんどといっていいくらい、つま先を奥に向けて入れています。これはこれで理由があることを話しました。自分にとって合理的なのです。靴を出し入れするのに向きを変えなくてもいいから、スムーズにできます。合理主義なのです。特に戦後の教育からこのようになってきました。今では、つま先を外に向けて靴箱に入れているのは、私立の女子校ぐらいでしか見ることができません。


その時のシンポジウムで、なぜこのような話をしたかというと、同じ躾でも真反対のことがあるということを伝えたかったからです。一方は合理性を優先した対処の仕方で、もう一方は、相手に対する思いやりの気持ちを優先したやり方であり、そのどちらを指導するかは、その家庭や園の教育方針であることを話しました。


そのことを話して2ヶ月余りたって、その研修会に参加されていたある幼稚園に出かけて行ったとき、靴箱に入れてあるシューズの向きがつま先を手前に向けてありました。私の話を聞いて、思いやりの心を優先する方法を選ばれたのです。
そんなことがあって、我が園の靴箱を見ると、つま先を奥に入れているではありませんか。何時からこうなっていたのか、意識しないで過ごしていたので見過ごしていました。最近では、学校で、つま先を奥に入れる方法の習慣で育ってきた先生達がほとんどですから、先生が入れ替わるに連れて、いつの間にかそうなっていたのです。


そこで改めて、私が広島大学での研修会で話した内容を先生達に伝えて、合理性を優先する方法か思いやりの心を優先する方法か、どちらを選ぶのかを投げかけておいたのです。先生達は、早速、話し合いを持って、つま先を外側に向ける思いやりの心を優先する方法を選択してくれました。次の日、先生達は、各クラスでそれぞれ子供達に伝えてくれて、子供達は、その日の内に靴箱に入っている靴を、つま先を外側になるよう向き変えてくれていました。子供達はそのことを、「教えてくれてありがとう」と言っていたのです。


ところが当日、幼稚園でそんなことがあったとはついぞ知らない、プレイルーム(別棟の預かり保育の部屋)担任の先生達が、幼稚園の保育が終わって、プレイルームに「ただいま」と、子供達が帰ってきたとき、「思いやりの心、思いやりの心」と言いながら、靴箱につま先を外側に向けて靴を入れている様子を見て感動しているのです。今日、先生達から教えてもらったのだという事情が、やっと飲み込めたプレイルームの先生が言うのには、保育室の前にある靴箱では、先生から話を聞いたばかりなので、みんなできたかもしれないが、別な場所に帰ってきてまでもちゃんとできていることに改めて感動したというのです。そのうえ、その日の夕方、プレイルームに久しぶりにお迎えに来られたおじいちゃんが、「門を入ってから、お迎えに来られているお母さん達が、わしと出会うたびに、『こんにちは』と挨拶してくれる。この幼稚園のお母さん達は、よう挨拶してくれるの~」と言ってくださったことと合わせて、その感動を伝えたくて、職員室にいる園長や主任のところに、内線電話をしてきたのです。子供達もお母さん達も、お互いに、すてきな関係で育っていらしていることを嬉しく思います