葉子えんちょうせんせいの部屋
6月に年長組の子供達が植えた田んぼの苗が、大きく生長し、穂が見え始め、その周りをたくさんのトンボが飛び回っています。秋の始まりを思わせてくれる毎年の光景です。酷暑を乗り切った心がほんの少し癒されるようです。
さて、2学期が始まります。子供達は、どんな夏休みを過ごしたのでしょうか?始業式に会える事を先生達みんなで楽しみにしています。
「おじいちゃんとゴミ拾い」
この夏休みの間、いつもよりはご家族で過ごせる時間が多くあったのではないでしょうか?
夏休みのある日、私の地域で清掃作業が行われました。いつもなら、大人だけで行うのですが、その日は、早起きをした小学生の女の子が「私も行く!」と、その子のおじいちゃんと一緒に作業に加わってくれました。広範囲を歩きながらゴミ拾いをします。火ばさみとゴミ袋を持って、私達大人と一緒に頑張ってくれました。おじいちゃんに火ばさみの使い方を教わりながら、「これは、この袋ね、これはこっち」ゴミの分別を楽しそうにしていました。
道々にある畑に大人達が立ち止りながら、「このナス、皮が硬くて……どうしたらよかったのかな~」とか「今年もキュウリがよくできた。どうやって食べようかね~」等と野菜の生長を見ながら情報交換をしていました。それを聞いていた女の子は、「ナス好き!」とか「この花からきゅうりになるんでしょ。おばあちゃんに教えてもらった」等とその情報交換に加わっていました。
また、ポイ捨されたたばこの吸い殻を見つけて、「どうして、こんな事するのかね~?みんなの道なのにね。」と言う大人の声に耳を傾け「汚いなぁ~もぉ~」と言いながら拾っていました。
1時間ほどの作業でしたが、その女の子はおじいちゃんと一緒に歩きながら野菜の事を知ったり、作業をしてみんなで町をきれいにしようとする姿に触れたりして、沢山の大人達の言動に何かしら心動かされるものがあったでしょう。そして、大人の人から「良くお手伝いしてくれたね。」と言ってもらい嬉しそうでした。
「子供はお父さんお母さんをよく見てる」
また、夏休み前の幼稚園での朝の事、私が落ち葉や砂が溜まった細くて浅い排水溝の掃除をしていました。ほうきや手を使っても取り切れなくて、近くにいた年長組の男の子に、「砂遊び用のスコップを持って来てこの溝から砂をとってくれないかな?」と頼むと、「わかった!」と言って小さなスコップを一つ持って来てすくい取ってくれました。でも、きれいに取り切れなくて苦労していました。すると、「ちょっと待ってて!もう一つ持って来る!」と言って、両手にスコップを持って戻って来ました。「こうして、右と左から同時に合わせてすくったら、きれいに取れるんだよ。もっと深い溝に虫がいたり物が落ちたりした時に、パパがふたつの物で挟み撃ちして取ってくれるよ。」と教えてくれました。「パパは頭がいいから」と言うのです。パパと一緒に過ごしている時の何気ないワンシーンでも、パパをじーっと見て学んでいたのです。「なるほど!すごい!」と感動し、それを、まさに園長先生に頼まれた今、応用を効かせて行動したのです。
数日後、その子のお父さんが朝送って来られ、その時の情景を伝えると「そうなんですか、そんな風に見てくれていたんですね。嬉しいです。」と笑って応えてくださいました。教えるつもりではなかった事でも、その子はパパをお手本にして生きる知恵を得ていたのです。
我が家では、娘達がお盆にあわせ帰省してお盆支度を手伝ってくれました。仏間の掃除や灯篭を出したり、仏壇花を生けたりしながら私の手先をじーっと見ていました。ご先祖様や仏壇参りに来られるお客様を迎えるために一緒に掃除をし、お花やお供え物をして準備をしました。田舎の本家である我が家ではお正月やお盆は大イベントです。現代社会においては、少々そぐわない昔からの我が家の習わしかもしれませんし、彼女たちの将来にこのような場面があるとは限りません。でも、何か大切な事をする時の、何かに対する……誰かに対する思いやりや“心を込める”姿勢を彼女達なりに感じとり彼女達の人生の中で受け継いでくれたら嬉しいかなと思いながらその時間を過ごしました。
「親を見て学ぶ、感じて学ぶ」
親は、算数や国語等の勉強はなかなか教えられないけれど、一緒に過ごしながら“生きる術”や“生きる姿勢”のお手本となる事は出来ます。教えようと思うと、自信もないしちょっと窮屈ですが、子供は、親の生き様を見て成長するものだという事を頭に置いて普通に過ごすだけで……また、私達大人の意識が変わるだけで、子育ては積み上げられていくのです。人として生きるための土台づくりをする今は、純粋にお父さんお母さんが一番のお手本なのです。
しかし、成長して、様々な社会に出ていろいろな人に出会うようになると、お手本の種類もたくさんになり、絶対的だったはずの親を反面教師にする事もあります。自分が更に成長するために、良いと思うお手本を子供は選びながら大人になろうとするのです。それは当たり前の事で、むしろその時は喜んで反面教師になろうではありませんか(笑)。
私は、そっちの方が多いかな???
2024年10月29日 5:11 PM |
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投稿者名:えんちょう先生
明日から夏休み。1学期を共に楽しく過ごした先生や友達とはしばらく会えませんが、夏休みの間に普段とは違う経験ができる事を子供達は楽しみにしているようです。「ヤッホッホ♪なつやすみ♫ヤッホッホ♪なつやすみ♫~~まいにちたのしい♪なつやすみ~♪」と夏休みを心待ちにしている子供達の歌声が聴こえて来ます。
「ほら、あそこで先生が待ってるよ」
始業式でスタートした1学期。例年、4月頃は中門当たりで、お家の人から離れられない新入園児達の涙の大合唱が繰り広げられるのですが、振り返ってみると、今年は割と穏やかだったような気がします。それでも、保育室を回ると、未知の世界に飛び込んだ事に戸惑い、不安気な子供達がたくさんいて落ち着かない日々がしばらく続いていました。いろいろな先生達でサポートしながら、1学期の集団生活を構築してきました。
そんな中、3歳の誕生日を迎えて入園して来る満3歳児(さつき組)のクラスでは、落ち着いたかな?と思えば、次の月には、涙しながらニューフェイスが入園して……その子がどうにか慣れたかな?と思えば、また次のニューフェイスが涙……それにつられてまた涙……。まだまだ小さくて幼いクラスですから、当然の光景です。
そんなさつき組の担任の先生は、登園時、様子をみて慣れない子を中門まで迎えに出てくれます。お家の人と車から降りて来て少し躊躇していても「おはよう!」と先生が笑顔で迎えると、お家の人の手を固く握りしめていた力をフ~っと緩めて、担任の先生と手をつなぎ保育室に向かうのです。少し慣れてくると、先生は、保育室の前で迎えます。「ほら、(担任の)美智子先生が、お部屋の前のテラスで待ってくれてるよ」と中門で私が声をかけると、一人で、美智子先生の待ってくれている保育室に歩いて行きます。遠くても先生の顔が見えるだけで安心するのです。こうして少しずつ少しずつ自立する姿を見せてくれるようになります。小さな身体には大きすぎるほどのたくさんの荷物を「よいしょ!よいしょ!」と両手に持って行くその後ろ姿が、何とも健気で可愛くてたまりません。幼稚園では、自分の先生が一番安心できる人なのです。
「先生はどこ?」
クラス毎の活動が始まると、子供達はみんな保育室に入ります。そうした時間のある日、さつき組だけ園庭で過ごしていました。子供達は、それぞれに自分の好きな事をみつけて遊び、先生は、花壇の花や野菜に水やりをしながら、そんな子供達の様子を見ていました。少し離れた所では、美智子先生を真似たのか、はたまた便乗したというのか、何人かの子がじょうろを使って水やりという名の水あそびをしていました。あちこちのプランターに存分にお水をあげていました。時々土を掘ったり、花をむしったり(笑)して「コラコラ!」と注意されながらでも、楽しそうに遊んでいました。なかよし動物園のヒツジのくりーむちゃんや、ヤギのきなこちゃんに野菜をあげる子もいました。広~い園庭を貸し切り状態で遊びます。砂場を通りかかると、そこで遊んでいたある男の子が「みちこせんせいは?」と私に聞いてきました。見失ったのでしょう。「あそこにいるよ」と教えると、「いた!いた!」と安心した顔をして、再びしゃがんで砂あそびを続けました。先生が居る事がわかっただけでそこは安全地帯になるのです。
「パパやママの気配」
家で子供が一人遊んでいて、時々「ママ~」「パパ~」と呼んだり、顔を見に来たりする事がありませんか?夢中になって遊んでいても、ふと、気配を感じなくなって不安になるのです。居てくれる事がわかるだけで安心するのです。一番安心できる人の気配を感じながら心を安定させています。世界が広がりさまざまな経験を積んでいく事で、安全地帯は徐々に広がっていきます。広い園庭の中で、先生と手を繋いだり抱っこしてもらっていなければ安心できなかった子供が、ずっと遠くに見える先生の顔を見たり、声を聞いたりするだけで安心するようになるのです。気配を感じながら、子供達は安心して“いたずら”という名の“チャレンジ”や“力だめし”をしたり“ケンカ”という名の“人とのコミュニケーション”を図ったりできるようになるのです。
幼い子供達は、先生をどこからでも目で追って、安心して過ごしています。先生もまた、子供達一人ひとりを広い目で見守ります。
時には、先生のお手伝いで各クラスの洗濯物を集めて回ったり、頼んでもいないのに(言葉が悪いですね~)先生の真似をして物をあっちからこっちにせっせと運んだりして、依存しながらの生活から、あの子達なりに自立に向かって歩んでいるのです。ほめられたり抱きしめられたり、また時に「コリャッ」と叱られたりして、先生の気配を感じながら、心の安全地帯でのびのびと過ごすのです。
「どうぞ“我が家流”の夏休みを!」
さあ!子供達は夏休みです。(どこかへ連れて行ってやらなきゃ)とか(何かをしてやらなきゃ)とか、思っておられるかもしれませんが、特別な事を考えて頑張り過ぎなくてもいいのです。“家族”という安全地帯の中で、一緒に早起きして花に水やりをしたり、洗濯を干したり畳んだり、ごはん支度をしたり、また、お仕事があって忙しくしておられても、ただ、家の中で一緒にいられる時間に大好きな家族の人がいてくれて、ふっと目が合うだけで、子供達は幸せに過ごせるのです。
ん???「あ~ぁ、夏休みかぁ~。やれやれ」と呟く声が聞こえるような……聞こえないような……(笑)家庭から幼稚園に安全地帯を広げた子供達の1学期間の成長を垣間見る事ができるかもしれませんよ~。
2024年10月29日 4:51 PM |
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投稿者名:えんちょう先生
いよいよ、暑くなりプールあそびが始まりました。梅雨の合間をぬって、子供達と先生達の歓声が響き渡ります。園庭では、泥んこあそびに大はしゃぎ……そして、もうすぐ七夕。きれいな笹飾りを作りながら、お願い事を短冊に書いて、おりひめ様とひこぼし様が会える年に一度の日を祝う準備をしている子供達です。
水、土、砂、空を相手に毎日元気いっぱいこの夏を過ごしています。
「アリの世界」
毎日保育室を回ってみると、各クラスでの生き生きとした子供達の生活を垣間見る事ができます。「えんちょうせんせい!おはようございます!」と元気な声の挨拶や「あのね、こんなの作ったんだよ」「今から外で泥団子をつくるんだ~」と楽しい話をたくさん聞かせてくれます。そして、壁に展示している絵に目を向けると「ぼくのはこれ!」「わたしのはあっちに貼ってあるよ」と、絵の自慢話になったりもします。
年中組のクラスに、地下のアリの巣を想像した「アリの世界の絵」が一面に貼ってあります。これは、もともとは、子供達がアリに興味を持った事が始まりでした。園庭でアリ探しに夢中になっている様子を知った主任の美穂先生が「アリって甘い物が好きだから、ゼリーを置いてみたらどうかな?」と子供達を連れて、花壇の隅に小さなカップゼリーを置いておいたのです。子供達は、アリ探しを応援してもらえた事にわくわく感と喜びが倍増したはずです。その後時間をおいて、今度は担任の先生と一緒にアリが寄って来ているかどうかを見に行っていました。そして、「みほせんせい~い!アリが来てるよ~」と大きな声で報告をしていました。「ほんと~?!」と美穂先生も一緒に喜んでいました。
それからです、子供達の興味が更に、膨らんだのは……。アリを集めながら「アリは地面に巣を作ってるんだよ」「そこから、おいしいものを求めて、地面に出て来て見つけると、家(巣)に持って帰るんだよ」「アリの家はどんな感じなんだろうね」「?????」等と、クラスの中でも盛り上がっていたようでした。
そして、何日か後には、力作「アリの世界」の絵が出来上がっていました。
その絵を見ながらいろいろな子が説明してくれます。その話の中には、お父さんアリお母さんアリが登場し、ご飯支度をしているところ、寝る部屋、遊んでいるところ……と実にファンタジーなのです。どんどんその空想の世界が広がっていきます。担任の先生は、子供達のフィクション全てを受け止めてくれたのです。
「カメからのてがみ」
また、隣のクラスでは、カメの絵が展示してありました。担任の先生は、「みんな!みてみて!カメさんから手紙が来たよ!」等と、カメ語(?)の手紙(笑)を書いて子供達を驚かせました。その手紙には「ぼくの身体をおしゃれにしてほしいんだ」とか「ひとりじゃあ寂しいから、お友達を描いてくれないかな?」と書かれてあり、それを読んで、子供達はすっかりその気になっていろいろな思いをめぐらせながらその気になってとびっきりのカメを描きます。そのような手紙は、時にクジャクからも魚からも届く事があります。子供達は、ワクワクの世界で活動するのです。
「夢にいっぱいのウソ」
花や野菜、田んぼや畑に植え付けをしたら「大きくなあれ、ちちんぷいぷいのえーい」とおまじないをかけて、植物の生長を応援します。幼稚園に植えたキュウリが、花をつけ小さな野菜らしき姿にかわり、「昨日より大きくなってる!夜の間にダンゴムシが応援に集まったんじゃない?」「旗降っておおきくなあれ!って…」と話しがどんどん広がるのです。日ごとに大きくなっていく様をきっと、私達大人とは違う見方で感じ取っているのではないかと思います。こうしてフィクションの世界に浸って行きます。その中で想像力を膨らませ、自分がアリになったりカメになったり、ダンゴムシや植物にもなって、その中に身を置いてみるのです。それはそれは、大人は入り込めない不思議な子供達の世界になります。
子供達がするごっこあそびも、実生活の模倣ですが、よく見てみると実生活にはありそうにないユニークなやりとりや設定がみられます。フィクションです。想像力をフル回転して楽しんでいます。そこには、“夢のウソ”が楽しく繰り広げられます。子供だけが持てる特権でしょう。まだほんの3年~5年分しか本当の世界を知らない子供達のフィクション物なのです。
子供達には夢を持って欲しいし、その夢を追いかけて欲しいと願います。夢はフィクションの中でこそ、なりたい自分を想像しながら持てるのだと思います。そうなれる自分が想像できるから思いが膨らみ、これからの夢や目標になっていくような気がします。しかし、子供達は、ずっとフィクションの世界にいるわけではありません。成長するにつれて、フィクションから徐々に本当(現実)の世界で生きていくようになります。夢と現実のギャップに向き合う事もあるでしょう。でも、幼児期の間に、そんなはずないけどもしかしたらそうかもしれない…できるはずないけどできる気がする…そんな世界で“追いたい夢”に出会えていたらフィクションをノンフィクションに変えるための道をさがしたり、努力できたりするかもしれません。夢あればこそ!なのです。
幼稚園は子供達がいろいろな発想でいろいろな自分になれる場所です。
そのためには、先生達は魔女にも神様の使いにもなるし、いろんな生き物や植物の言葉も書けたり喋れたりして理解できるスゴイ存在なのです(笑)
幼稚園はフィクションでいっぱいです。
2024年6月28日 5:42 PM |
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投稿者名:えんちょう先生
こいのぼりが元気よく泳いだ青空の色が、だんだんと濃くなってきました。夏の始まりを思わせるような汗ばむ日もありますが、その前にもう間もなく訪れる「梅雨」……春から夏へ季節の移り変わりを感じる時期です。大人にとっては鬱陶しく思われるこの時期も、きっと子供達は、梅雨にしかできないあそびを見つけ楽しむ事でしょう。
先日、年長組の子供達が田植えを経験しました。その準備のために、田んぼに水を入れる水路や池を整備していると、3匹のサワガニをみつけました。幼稚園の子供達に見せてあげようと、バケツに入れ、翌日、「子供達に見せてあげて」とうめ組の先生に渡しました。魚肉ソーセージを小さく切って入れておくと、ちゃんとハサミで口に運んで食べるので面白く、「わぁ!サワガニ!食べてる食べてる!サワガニがいるって、水がきれいな所なんですね。」と、先生も興味を持ってくれて、全クラスの子供達に見せてくれたのでしょう。その日、何人もの子供達が「園長先生!サワガニを持ってきてくれてありがとう!」と言ってくれました。
そんな中、「園長先生!あのね、サワガニってね……」と、何度も何度も私に話してくれる年長組の男の子がいました。「右のハサミと左のハサミの大きさが違うのはオスなんだよ」「水の中にもいるけど、泥の中に住んでるサワガニもいるよ」と、サワガニについて自分の知っている事を一生懸命教えてくれるのです。周りで聞いていた子供達も「〇〇くんは、虫や生き物の事なら何でも知ってるんだよ」と、その男の子の事を尊敬しながら自慢していました。その男の子は、子供達も先生も認める虫博士なのです。
「子供は経験するほとんどの事が“はじめまして”」
子供達には、大好きな事がいっぱいあります。虫、動物、車や電車のおもちゃ、運動、食べる事、おままごと、絵を描く事、絵本を読む事……、子供達はまだこの世に生まれて数年しか経っておらず、物事との出会いのほとんどが“はじめまして”の感覚です。だからその都度、新鮮で刺激的だったり衝撃的だったりして心を動かされるのです。心動かされた中に「アッ!これ、おもしろい!」「もっとやってみたい!」と“だいすき”になります。それは、物事だけではなく、人との出会いもそうです。それまで、家庭という限られた人とだけの生活から、幼稚園という世界を知り、そこで“はじめまして”の先生や友達と出会うのです。「だいすき」と思える人がひとり…またひとりと増えていきます。
大好きなものと出会うと、それに夢中になってそれを深めようと研究したり繰り返しやってみようと努力をします。それが楽しいのです。
大好きな人ができると、いつでも一緒に遊びたいと思い、毎日が楽しみになります。
「だいすき」は子供達の毎日を楽しく嬉しくして幸福感を与えてくれます。
時には、心を支えてくれる大きな力にもなります。
「気移りは子供の特権」
本当に大好きな事が見つかるとそれを極めたくなるでしょう。それがいずれ大人になって仕事に繋がったり、生き方の道しるべの如く自分の人生の柱となればこの上なく幸せです。しかし、子供が、一つの事を長期的に「すき」でい続けられるかというと、そうでない事も少なくありません。熱しやすく冷めやすい、飽きっぽい、三日坊主、気移りしやすい、などなど……。
でも、幼児期の子供達に必要なのは、いろいろな事に出会い、知り、それに関わってみる事、経験を豊富にしてあげる事だと思います。たくさんの“だいすき”に出会えます。そして、その中から、心をときめかせてくれる最も好きな物を自分でチョイスします。幼い時期には、浅くても広~くたくさんの物に出会えた方が良いと思います。子供達は、気移りしながら、品定めをしているのです。一度冷めた事でも、その時々に熱した経験は、その子のどこかに残り、再び出会った時に前の経験を引っ張り出して再燃できたら良いと思うのです。
「共感は応援になる」
「だいすき」と思える事を子供達の中にたくさん作ってあげる事が大切で、そのためには、たくさんの事を経験したり、いろいろな人に出会える環境の中に身を置くこと、またそのきっかけをつくってあげる事が必要なのではないかと思います。
虫が大好きな子供達がたくさんいます。いつも、観察ケースを片手に観察したり、採集したりしています。ある日、年長組の保育室に行ってみると、観察コーナーらしき場所を先生に用意してもらい、新聞紙に採集して来た生き物を触ったりその身体を観察したりして、数人の子供達が「これが口で目はこれ、今からどんどんはっきりわかるようになるんだよ」と頭を突き合わせてうんちくを述べ合っていました。用意されたそのコーナーには、子供達が見つけた興味に先生が共感して応援している気持ちがうかがえます。その中で、子供達は安心して虫と関わります。
子供達が、心ときめかせて夢中になっている間は、大人の私達も共感して一緒に楽しむ事が子供達の「だいすき」を深める事に繋がっていきます。
その「だいすき」がいつか、子供達の人生を支える何かの力に繋がっていくでしょう。
2024年5月31日 5:24 PM |
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投稿者名:えんちょう先生
「子供の笑顔のために」
前理事長は、体調を崩してからもギリギリまで、全ての保育室を回り子供達の笑顔に触れてくださっていました。子供達が過ごす環境を充実させる事に力を注いでおられたものです。特に、園庭には、しっかりその思いが込められています。水の中に住む生き物を捕まえて遊べる小川、足を踏ん張り登ったり降りたりできるわんぱくお山、春は可愛い花を咲かせ、夏は生い茂る深緑の葉で木陰をつくってくれる木々、そこには鳥や虫が集まり虫捕りに大賑わい、秋は紅葉した葉や木の実を集めて宝物……。子供達の歓声につられて、ヒツジやヤギやクジャクが鳴き、その動物に野菜を素手で食べさせてあげる楽しさ……。そんな園庭には、子供達が「たのしい!」「もっとあそびたい!」があちらこちらにいっぱいあります。「全ては子供達のためでもあり、ぼくの夢なんだよ。」と小さなショベルカーを自ら操作して、園庭に木を植えたり遊具を移動したりしておられました。子供達がそこで楽しそうに一生懸命に遊ぶ姿を想像しながら、前理事長自身もまた楽しそうに整備してくださっていました。
「子供はあそびの天才」
その思いの原点は“自分を育んでくれたものは、農家に生まれ、仕事を手伝ったり、山河で走り回って遊んだりした”という様々な幼少期の経験だったようです。私達職員に、ご自身がどんな幼少期を過ごしていたかという話を何度も何度も聞かせてくださっていました。子供達の成長は、自らが主体的に関わって生活したり遊んだりできる場所にこそあるという事です。四季折々に様子を変える自然の姿は、子供達の目を輝かせてくれます。
既製の遊具は、興味を持っても、年齢が経つにつれて遊ばなくなったり、飽きてしまったりする事も少なくありません。それ以上でもそれ以下でもないものが多いのです。でも、自然は生きています。生きているものを相手にチャレンジしたり、試行錯誤を繰り返し工夫したり、楽しんだり痛い思いを味わったりする事で、生きる力とその術を獲得していきます。そこにある自然を相手に身体を使い、友達と遊びながらいろいろな力を身に着けていくのです。更には、時たまケンカをしたり仲直りをしたりして人との関わり方も学びます。「子供はあそびの天才」であり、「自然は偉大なる教師」なのです。
「子供達を幸せにしたい」
春休みには、大きくなった姿を見せにたくさんの卒園児達が来てくれました。小学生から大学生、また、社会人になった立派な姿を見て、先生達は笑みがこぼれます。そんな卒園児達は皆、「この園庭、懐かしい!」と言って、見渡しながら思い出を語ってくれます。そして、「遊んでいい?」と気が済むまで遊ぶのです。「ここに来たら、素直な自分に戻れるような気がする」と言ってくれる子もいました。この自然いっぱいの園庭のある幼稚園が、子供達を包み込んでくれているのです。卒園しても、いつでも「おかえり」と迎えてくれます。
前理事長の願いが込められたこの環境が、何人の子供達を幸せにしてきたのだろうか?と思うと、ありがたくて仕方がありません。私達は、前理事長の温かくもあり情熱的でもあるこの思いを大切に受け継ぎ、もっともっとたくさんの子供達を幸せに導いていかなければ!と思っております。
お子さんの成長の場として、三次中央幼稚園を選んでくださった保護者の皆様には、是非、この幼稚園の園庭と全ての環境に、これまでもまたこれからも受け継がれていく子供の幸せを願う思いを知っていただき、また、感じていただけたら嬉しいです。子供達にも、みんなの事が大好きな優しい“おじいちゃん先生”(失礼…笑)が用意してくださったこの幼稚園で、た~くさん遊んで過ごそうね と伝えたいと思います。そして、幼稚園の事を大好きになって欲しいと思っています。
きっと、伊達正浩前理事長は、空から、「もっとあそべ、もっとあそべ」と子供達をこれからもずっと目を細めて見てくれているでしょう。
2024年4月30日 5:16 PM |
カテゴリー:葉子えんちょうせんせいの部屋 |
投稿者名:えんちょう先生
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