葉子えんちょうせんせいの部屋

お母さんの言葉(2020年度6月)

天気予報で、“夏日”“梅雨入り”という言葉を耳にする季節になりました。幼稚園では、新年度を迎えてすぐに新型コロナウイルス感染拡大防止のため、自粛期間に続いて5月の1カ月間は休園とさせていただいています。子供達に会えない内に季節がゆっくり移り変わっています。この期間に、生活を見直すきっかけとして色々な事を考えさせられました。新型コロナウイルスについては勿論ですが、私が興味深く想いを馳せたのは、“多くの人に想いや考えを伝える時、どのような言葉でどのような気持ちであるべきか…”という事を考えさせられた様々なニュースでした。

ベルギーの女性首相であるウィルメス氏が、子供番組で新型コロナウイルスについての子供達からの質問に答え、その恐ろしさやどんな生活をするのが良いのかを語っていました。子供達は、実に素朴な疑問や純粋に悩んでいる事をオンラインで首相に問いかけ、それに対して首相は、一人ひとりに丁寧に答えていたのでした。また、あるニュース番組で、「なぜ、ドイツの女性首相メルケル氏のコロナ危機対策演説は人々の心に響いたか」というテーマで一人の女性作家とニュースキャスターがオンライン対談をしていました。私は、どんな演説だったのかが知りたくて、インターネットで検索して読んでみました。なるほど、とても分かりやすく、他人事や一般論ではなく自分はどうしなければならないのかを自ら考えようと思わせ、冷静にさせてくれる内容でした。

両者の言葉に共通するのは、聞き手の気持ちを汲み取りながら、決して一方的でない言葉でした。子供達が「どうして、お友達と遊んじゃいけないの?」という、実に率直な質問に「わかるよ、その気持ち…。そうだよね。遊べないのはつまんないよね。」と先ず子供達の気持ちに寄り添い、その次に、この病気の恐ろしさや、今一番大切なのはあなたやあなたの友達の命、もう少ししたら会える日が来るからそれまで我慢してね──。と子供達が納得のいく説明と見通しについて勇気付ける言葉で答えていました。

メルケル首相の言葉にも、科学者の新型コロナウイルス状況についての意見を根拠にしつつ、そうならば私達はどう生活しなければならないか、それが危険を回避しどんな安全性を生むのか、誰を救う事になるのか、そして、この危機の中で命を張って働いてくれている人への感謝の気持ち……その気持ちを皆で共有して共にこの状況を乗り越えて行きましょう。といったとても具体的でわかりやすいものでした。それを“お母さん的な言葉であった”と表現されていました。

今は誰もが皆、不安な毎日です。言われたままを言われたようにしていてもなかなか先が見えてこない不安や苛立ち…。そんな中で、「こうしなさい、ああしなさい…」ではなくて、「その気持ち、とってもよくわかるよ。私も同じ気持ちだよ。でもね…、今はこうする事がきっと一番大切なの。一人ひとりが気を付ける事であなたの大切な人を守れるの。だから、みんなで一緒にそうしてみようね。」と、そんな“お母さん的な言葉”で、じっくりと言ってくれると、不安に苛まれている子供達も人々も、「うん。わかった。そうしてみるよ。」という気持ちになるのではないでしょうか。これは、新型コロナウイルスに関してだけに言える事ではなく、全てにおいて、お母さんの愛溢れる言葉は、心にしっかり届くのです。それは、不安な気持ちや困惑している気持ちを理解してくれ、自分の事を誰より大切に思ってくれている親愛なるお母さんが語ってくれる言葉だからでしょう。これまで、『ステイホーム』と言われ続けて来ました。「お家にいよう」=「お家は安心・安全」という事なのです。何て素敵な言葉でしょう。そこは、信用できる人がいて自分を安全に守ってもらえる場所なのです。そんな場所で、“お母さん・お父さん”が、きちんと話してくれると、ちゃんと理解しその言葉を受け入れる事ができるのだと感じました。大切な事を伝える時には、愛が必要で“自分の事を大事に思ってもらえている”という事が伝わっていないと心に響かないのだとあらためて感じました。

休園中、預かり保育を利用するはずのある男の子がしばらく休んでいたので、「どうして今まで来なかったの?」と聞いたら「コロナに気を付けてたから…」と答えてくれました。きっと、ステイホーム中に、お家の人にきちんと話してもらっていたのでしょう。“お母さん的な言葉”信用できる人の言葉には愛があるのです。だから、納得できるのです。

この新型コロナウイルスは世界中の人々に大きな変化をもたらしました。しかしそれだからこそ、世界中の人々はいろいろな事を学び考えるようになりました。コミュ二ケーションの方法としてオンラインが広く活用されるようになりました。この度をきっかけに9月入学の話も議論されています。そして、ワクチン開発も進み出しました。いろいろな挑戦が始まっています。

もうすぐ幼稚園に賑わいが戻って来ます。止まっていた時間が動き始めます。幼稚園でも命について考え、子供達の成長に向けて新たな挑戦をしていかなければいけません。私達は、“母なる気持ちで”新時代を生きていく強くたくましい子供達を育てていきたいと思います。また、子供達を迎え、更なる感染拡大防止に努めていきたいと思いますので、ご協力をよろしくお願いします。

ここが踏ん張りどころ(2020年度5月)

新型コロナウイルスの影響を受け深い悲しみの中におられる方、または、不安な日々を送っておられる方々に心よりお見舞い申し上げます。そして、こんな中、尊い命を救うべく医療福祉の最前線に立ち、その使命と向き合いながら戦ってくださっている方々には、心から感謝申し上げます。

この騒動の始まりは2月、対岸の火事のような気がしていた事をいよいよ身近に感じるようになったのは3月でした。三次中央幼稚園も、自由登園とし、卒園式を目前に、欠席数の多い日が続きました。年長組の子供達や保護者の方にとっては、最後の幼稚園での生活……。一日一日が大切な日々でした。もしかしたら、このまま卒園式の日を迎え、全員で顔を合わせる事もなく「さようなら」になってしまう、あの子にもあの子にも会わないで、幼稚園生活を終える事になるのだろうか??──そう思うと、先生達は、できる事なら、すぐにでも「みんな!あつまれ~!!幼稚園においで~!」と呼び戻したい気持ちで毎日を過ごしていました。勿論子供達も、「今日もみんな揃わなかったね。○○ちゃん、どうしているんだろう?」と、毎日毎日、全員が揃わない日々を寂しがっていました。ついに、卒園式の日、できる限りの感染拡大防止策を講じ、保護者の皆様には様々な制限にもご理解いただき挙行しました。その日、やっと約3週間ぶりに全員が揃ったのです。様々な制限の中、私達で試行錯誤の末、最善を尽くした卒園式でした。卒園する子供達を精一杯真心を込めて巣立ちの日を祝ってあげたい!!そんな気持ちで一杯でした。そんな先生達の気持ちに応えるかのように、年長組の子供達は胸を張って立派に卒園して行きました。

春休みの間も落ち着くどころか、新型コロナウイルスの脅威は段々と私達の傍に近寄って来ました。次は入園式…。私も、園長就任後初めての入園式に張り切っていましたが、卒園式と同様に、入園式の在り方から考えないといけない状況になりました。可愛い新入園児達は、今の大変な状況を思わせない無邪気で元気な笑顔で幼稚園にやって来てくれました。その笑顔にみんなが救われるような気がしました。一人ひとりを中門で迎えながら、「どうか、この子達が私達の幼稚園で、健やかに眩しい日々を生き生きと過ごせますように!」と思っていました。保育室では、短い時間でしたが、お父さん又は、お母さんと一緒に担任の先生と歌あそびを楽しんだり、大きな声で返事をしたりして、園生活スタートの一日を過ごしてもらいました。

卒園式も入園式も、仕方がないとはいえご理解とご協力をいただいた事に感謝の気持ちで一杯です。政府の緊急事態宣言の対象区域が全国へ拡大されてからは、子供達にとっての環境が更に息苦しいものになってきました。今、思うのは、卒園して行った子供達、入園式以降幼稚園で会えていない子供達はみんな元気にしているのだろうか?どんな毎日を過ごしているのだろうか?という事……。

私達の力では、どうにもできない事なのかもしれない、それでもどうにかしたい!と思うもどかしさ、これは、今、誰もが感じておられる事だと思います。テレビの放送を観ても、ニュースは新型コロナウイルスの事ばかり、収録困難のせいかドラマもバラエティー番組も再放送が多く、マスクやソーシャルディスタンスもないその過去の映像になんだか不思議な気分になり、遠い光を見つけるまであとどのくらいかかるのだろう?…と、つい気が重くなってしまいます。

だけど、ここが踏ん張りどころです。学校に行きたいのに行けない卒園児達、幼稚園の友達や先生に会いたくても会えないでいる子供達、まだ一日しか幼稚園で過ごしていない新入園児達──。子供達だって、環境の急激な変化の中、子供なりに我慢しています。また、そんな子供達を家の中で安全に過ごさせるために神経を使いながら日々送っておられるご家族の皆さん。仕事や生活に様々な影響を受けておられる方。辛いしんどい気持ちは皆一緒です。運命共同体です。どうしようもない事なら、もう、踏ん張るしかありません。見えないものに立ち向かえなくても、見えて来た事(不要不急の外出を控える、3密を避ける、適切な衛生管理等)には忠実に冷静に対応しながら、自分と大切な人の命を守るために、みんな一緒に踏ん張るのです。そして外出を控え家に居る今の時間を“ピンチの中のチャンス”に!と、考え方を変えて過ごしてみてはどうでしょうか。

そんな悠長な事!…と呆れられるかも知れませんが、私達の気持ち次第で、暗い状況を明るく変える事ができるのではないかと思うのです。親子で、兄弟姉妹で、家の中で遊んだり、掃除や料理をしたりするのもいいでしょう。時には外の空気を吸って軽く運動をしたり、静かに好きな本を読んだりしながら、心穏やかな時間をつくるのもこんな時こそ必要でしょう。又、これまでは、毎日時間に追われてあっという間に日が経ち、立ち止まっている暇がない程忙しかった大人達は、時間が停滞している今のうちに、これまでの事を見直したり新たな挑戦を企て、その“作戦タイム”にしたりするのはどうでしょう。もしかすると、その挑戦が日本を支える底力になる日が来るかも知れないのです。幼稚園の先生達も、今、幼稚園に来ている少人数の子供達と、楽しみを見つけながら過ごしています。神楽好きな子供達が“神楽チーム”を組んで得意な演目を披露してくれています。ある子は、落ち葉や草を使ってお寿司屋さんごっこをしています。段ボール箱や廃材を使って、お昼ごはんの時間を忘れるほどロボットや小動物の住処(すみか)を作って遊んでいます。園庭では、大縄跳びに挑戦している子供達もいます。寂しいけれど、少人数で思いついたあそびを楽しんでいます。子供達はあそびの天才です。満ち足りた中よりも、思うようにならない不十分な中の方が、自分で考えたり工夫したりしながらその中で楽しみを見つけます。先生達は、そんな子供達の“あそびたい!”というシンプルなハートに驚かされたり、感心したりしています。これが結構先生達も楽しかったりするのです。今の踏ん張りの先には、きっと、子供達み~んながこれまで以上の笑顔で幼稚園に来てくれる平和な時が戻って来るはずです。その時の子供達の喜ぶ顔や笑い声を想像しながらいろいろな想いを巡らし、その日が一日も早く訪れる事を信じながら毎日を過ごして行きたいと思っています。

今、世界中が踏ん張りどころです。子供達が安心して成長できる世の中に戻すために……元のように戻す事ができないなら、新しい時代を作る気持ちで精神力を強く保ちながら、日々過ごして参りましょう。辛い時には“お互い様”の気持ちをもって……助け合いましょう。あれこれ、誹謗中傷、争いなどしている場合ではありません。私達一人ひとりがこの状況においてできる事は、先の見通しの悪い長い道を励まし合いながら歩き、踏ん張り続ける事かもしれません。気持ちの持ち様で、“明けない夜はない”と思うのです。──と、書きながら、自分にも言い聞かせている新米園長です。

今年度は、これまでの『葉子せんせいの部屋』を『葉子えんちょうせんせいの部屋』とタイトル改め、引き続き書かせていただきます。この中で、私なりに思う子供達の素敵な所、一緒に過ごす素敵な時間、子育ての難しさや楽しさ、子供とその家族を取り巻く世の中について等々…。保護者の皆様と会話をしているような気持ちで書きたいと思っています。どうか、読んでいただき、共に考え合って楽しさも喜びも苦しさや悲しみも共有できたら嬉しいです。どうぞお付き合いよろしくお願いいたします。

経済的にも歴史的緊急事態に落としいれた新型コロナウイルスとどう向き合えば、この辛い時期を少しでも前向きに過ごす事ができるかを今年度のスタートに寄せて、子供達と保護者の皆様と先生達に……そして自分自身にもエールを送るつもりで、つい割り当てられた私のページを書き過ぎてしまいました(笑)。今回は特別だと思って読んでいただけたら嬉しいです

ピンチはチャンス!明けない夜はない!ここは踏ん張りどころです。一緒に乗り越えましょう!!

平和を考える

♪ヤッホッホなつやすみ♪ヤッホッホなつやすみ♪月火水木金土日、まいにちたのしい なつやすみ~♪───保育室から、毎日響き渡る子供達の歌声は、何だかいつもとは少し違うワクワク気分で元気いっぱいです。もう随分前から、「夏休みになったら、おじいちゃんおばあちゃんの所へ行くんだぁ。」とか「○○に連れて行ってもらうんだよ。」とか「きんさい祭りに出るの。」等、子供達が、色々と話してくれていました。夏は、大人も子供も普段の生活から少し開放されるところがあり、何となく楽しみがたくさんあるように思えるのではないでしょうか?その反面、学校や幼稚園が休みで、毎日家にいて大人のペースが崩れてしまう大変さも……お察し申し上げます…(苦笑)まあ、そう思わずに、この夏休みにしかできない…だからこそできる事をお子さんと一緒に経験する夏にしてみてください。

さて、この時期になると、特に私達の住む広島では、どこにいても目に飛び込んでくる文字があります『平和』という言葉です。70年前の8月6日、広島に世界初の原爆が投下されました。私達の想像を絶する多くの命や財産を失い言葉にできない悲惨な歴史を背負う事になりました。また、その3日後の8月9日には長崎へ…。原爆被災地に住む私達にとっては、特別な気持ちで迎える日があります。私も小学校の時の夏休みには8月6日が登校日で、平和についてみんなで考える日となっていました。戦争について学んだり平和とは何かを考える特別な日だと意識していました。それが、大学生になり広島を離れて生活するようになると、それまでは凄く特別な気持ちで迎えていた8月6日なのに、周りの人達も広島の悲劇を語るでもなく普段とそう変わりなく時間が過ぎその一日が終わっていたような気がします。今、大人になって守らなければならない大切な家族が出来て改めてこの8月6日を含め『平和』について考えるようになりました。広い世界の歴史として見る戦争をズームアップしてその戦下にあった場所に目を向け、さらにそこに住む人々の壊された生活に目を向け、また更に、大切な人を失ったそれぞれの家の悲しみや苦しみに…そして、幼い子供達の声にもならない泣き声や叫び声を想像すると、そんな歴史の上にある今の『平和』の意味の重さや深さを感じずにはいられません。

少し前に、主人と二人で、鹿児島に旅行にでかけた際、知覧特攻平和会館に足を運びました。楽しい旅の途中に行ったその場所には、重く決して笑顔にはなれない空気が漂っていました。そこに展示されている数々の資料を観て回る間中涙が止まりませんでした。楽しい数日の旅行中にふと立ち止まり、今あるこの幸せの有難さを感じ、家族や自分の周りのあの人にもこの人にもこれから先ずっとこの平和が続きますように…と祈り、『平和』を誓う気持ちを強くしました。

この夏休みにぜひ、子供達にも『平和』について、わかりやすく話をする機会を作ってみてください。しかし、幼い子供達にはまだ十分な理解はできないと思います。何も、戦争と直結させなくても子供目線になって『平和』の解釈を話してあげてください。心穏やかに、皆が楽しく過ごせる事も平和という事だと思います。その平和のためには、自分の想いを主張するばかりではなく、相手を大切に思う気持ちを持ちながら友達や周りの人達の話にも耳を傾け、理解しようと心を寄せる事で、平和の空気は作れるのではないかと思うのです。子供達の小さな世界にも『平和』は必要です。この小さな平和を作り守っていける子供達が、将来世界を平和にしていくのではないでしょうか?世の中を平和にしていくのは、何も大人だけにしかできない事ではありません。小さな子供達が作る小さな平和…その根底にあるものは、幼い子供達が心穏やかに楽しく過ごすために……この方法を知っていくことからもう平和への意識作りは始まっているのだと思います。友達と仲良く遊びたいという気持ち、動物達を可愛いと思う気持ち、みんなの物はみんなで大切に使うという約束を守る事、「ありがとう」「どういたしまして」「ごめんなさい」「こちらこそ」と言える事、これら全てが『平和』への道に繋がっていくのです。『平和』の種は、子供達の周りにもたくさんある事を子供達に教えてあげましょう。平和を作るのも人間、乱すのも人間。

夏休みの間には、お盆もあります。私達が幸せに暮らせている事に、辛い時代を生き平和を築いていただいたご先祖様に感謝し、手を合わせる事も、子供達に平和を意識させる良い経験だと思います。今や、戦争を経験され語り部として私達に伝えてくださる方が少なくなって来たと言われています。この夏休みにおじいちゃんおばあちゃんの所に行かれ、もしそこで少しでもそんな話に触れる事ができるなら、どうか、子供達に伝えてもらってください。若いおじいちゃんおばあちゃんでも、そのまたおじいさんおばあさんから聞いた話でもいいと思います。そうして平和への気持ちを伝承していくのです。

さあ!明日から♪ヤッホッホなつやすみ♪です。色々な計画を立て、元気で楽しい夏休みをご家族でお過ごしください。そして、新しい環境を受け止め色々な事に挑戦して楽しんできたこの1学期を“よく頑張ったね。”と褒めてあげたり、“楽しかったね。”と親子で振り返ったりする良い時間になる事を願っています。