えんちょうのえほんこうざ

絵本のある生活

お家ではどのような絵本との関わり方をされているのでしょうか。毎日読んでやっていますか。今日は忙しいからとやめないでください。忙しくてイライラしていても、ぐっと心を落ち着かせて必ず毎日読んでやってください。

●日常の会話

お父さんお母さんが子供と会話する時間は一日どのくらいなのでしょう。一度計算してみてください。きっと、予想以上に少ないことに驚かれることでしょう。しかも、ゆっくり話し合ったりすることよりも、指示したり禁止したりする言葉が意外と多いことに気付かれることと思います。そして、テレビをつけたままの食事は家族団らんの時間も奪います。日常の会話が粗末になってきているといえます。しばらくの間、テレビの無い生活をしてみてください。嘘のように家族での会話が戻ってきます。
子供達は家族での会話の中から生き方を学んでいきます。親子の会話が豊富なほど、しっかりとした考えを持つようになります。

●豊かな言葉の体験

たとえ、日常の会話が少なくても、絵本のある生活は言葉の生活をとても豊かにしてくれます。
お父さんやお母さんが子供達に絵本を読んであげます。しかも、その言葉は、作者の選び抜いた素敵な言葉であり、詩的でリズミカルな言葉なのです。そのことは、ただ読んであげているというのではなく、子供にとっては、お父さんお母さんの口から出てくる、お父さんお母さんの言葉なのです。日常会話が少々貧弱であっても、絵本を読んであげている時は、子供達はとても豊かな言葉の生活を体験しているのです。

●親子の絆(きずな)

お家ではどなたが読んであげていますか。子供達は、膝に抱かれて、あるいは添い寝をしてもらいながら読んでもらっているとき、最高に幸せな気持ちで聞き入っています。親の愛をしっかりと感じているのです。愛を感じて育った子は、人を愛する心やいたわりや慈しみのある子へと育ちます。親子の絆もしっかりとできていきます。


親子の絆がしっかり形成され、心の安定した生活が基礎となって、子供達の自立心や自主性、意欲が育まれ大きく成長できるのです。人間関係もしっかりしてきて社会性も育つのです。
日頃、子供と接することの少ないお父さんほど、絵本を読んであげてください。毎日です。

絵本は親子の共通体験

子育てを楽しんでいますか。?幼稚園の休みの時など、一日中、子供と家に居る生活を楽しめていますか。?「うるさくてしょうがない」なんて思うことはありませんか。?
でも、ちょっと待ってください。子育てをしている時が人生で一番素敵な時だとお感じになりませんか。「うるさい」なんてもったいないではないですか。せっかく好きな人と結婚できて、その二人の間にできた子供を育てているのに、幸せを感じないなんて、こんなにもったいないことはありません。子供の世話をしている時も、一緒に食事したり風呂に入っている時も、散歩したり、海や山で遊んだりしている時も、子供と一緒に生活しているだけで楽しくて幸せな時なのです。そして、子供の寝顔を見ている時も、お父さんお母さんが絵本を読んであげている時も親子の心の通い合う素敵な時間なのです。

●どろんここぶた
(アーノルド・ローベル作・文化出版局)

私ごとですが、私の娘が7歳と5歳の時の春、草笛を作るのだと野草を摘みに出かけて行きました。しばらくすると5歳の妹の方が、「こぶたの、大好きな所に落っこっちゃった」とニコニコしながら帰ってきました。みると体中、どろんこだらけ。田んぼの中に落ちたのでした。私はそこで、「セメントづけにならなくて良かったね」と言いました。彼女はすぐさま、「うふふ」といって服を脱ぎ始めました。二人はそこで大笑いしたのです。これだけ泥まみれになったら、きっと大泣きするはずなのに、彼女は田んぼに落ちて泥んこになった自分を知った途端に、「どろんここぶた」の絵本を思い出したのでした。もう、その時は自分が、「どろんここぶた」の主人公そのものになりきり、泣くどころかとても愉快だったに違いありません。「セメントづけにならなくて良かったね」と、私がすぐに受け答えができたのは、絵本「どろんここぶた」が、二人の共通体験だったからなのです。泥んこになって、ベソもかかず、その途端に自分が絵本の主人公になれるなんて、なんと心豊かな楽しい体験なのでしょうか。

●共通体験

このように、絵本を読み聞かせしてあげることは、とりもなおさず、親子の心の絆となっているのです。いろいろな想いを親子で共有しているのです。心をしっかり通い合わせながら絵本の世界を親子で旅している共通体験なのです。親子で心を通い合わせた共通体験は、心の奥深く刻み込まれ、目に見えない心の絆となり、心豊かな大人へと成長していくのです。

“本”好きの子供を育てるには

お父さんお母さんは読書が好きですか。きっと、大好きとおっしゃる方は、今でも暇を見つけてはいつも本を読んでいらっしゃると思います。逆に、余り好きでないと思っていらっしゃる方は何か月も、いや、何年も読まれたことがないのではないかと思います。

何故このように両極端なのでしょうか。それは、読書好きな方は楽しくてしょうがないから本を読むことが苦痛でも何でもないのです。時間もかかりません。ところが、子供の頃から余り読書の好きでない方は、なかなか本の中に入っていけないし、時間のかかることですから苦痛なのです。それよりもテレビの方が手っ取り早く楽しめますから、本にはなかなか手がのびません。そのどちらの方であっても、わが子が本好きで読書力のある子供に育って欲しいと願っていらっしゃることと思います。しかし、現実は必ずしも親の期待通りに本好きな子供に育つとは限りません。どこでどう違ってくるのでしょうか。

●楽しいことが最大の条件です

子供は、楽しいことには親から指示されなくても、自らやろうとします。日が暮れるまで夢中になって遊ぶのも楽しいからなのです。親がやめなさいといってもなかなか聞きません。楽しくて仕方がないからなのです。同じように、読書好きな子に、「早く寝なさい」といっても、本を読むのをなかなかやめません。楽しくて仕方がないし、興味津々で読んでいますから読み終るまで寝ないのです。つまり一口でいうと、幼児の時から絵本の楽しさをたくさん経験している子ほど、読書の好きな子になると言えます。

ところが、幼児の時から絵本をいっぱい読んでもらったのに、読書が嫌いだという子がたくさんいます。何故でしょう。その原因が一番大きいのが、親の方が絵本を教科書のように「知識が増える。ためになる」と、教育のためにと考えて読んであげていることに起因しています。絵本を読んで早く文字を覚えさせようとか、早く自分で読めるようにしようとか、あるいは、感想を求めたり、しつけに使ったりすることが絵本嫌いにさせ、読書嫌いにさせているのです。絵本でつらい目にあったり、嫌な思いをしたりした子は、絵本好きにも読書好きにもなりません。あそびが楽しいのと同じように、絵本も楽しいと感じることが大切なのです。そのためには、教育しようという気持ちを棄てて、親も楽しみながら読んであげてください。親に読んでもらうから嬉しいのです。大好きなお父さんやお母さんに読んでもらうから余計に楽しいのです。  

昔 話(むかしばなし)

イソップ物語、アンデルセン童話、グリム童話や日本昔話とたくさんの昔話がありますが、お父さんお母さんにもなじみの深いお話がずいぶんとあるのではと思います。その内容は、愉快なお話、冒険のお話、不思議なお話、怖いお話、かわいそうなお話、行事をめぐるお話と様々です。
昔話の語り伝えられた時代は、ヨーロッパでも日本でも中世封建社会の中で、一般民衆は常にしいたげられ虫ケラのように踏みにじられた時代です。また、自然災害による食糧飢饉など苦しい生活の中から生まれたものがほとんどです。そこに、「ももたろう」や「八郎」のような英雄伝説が生まれ、それは民衆の憧れであり、いつかは自分たちを救ってくれるという切ない願いでもあったのです。もともと民衆の中で生まれ語り継がれてきたことを大切にしたいものです。

●「おはなし」

絵本は文と絵がお互いに関わりあって、子供達の理解を深めイメージを膨らませてくれますが、絵のない「おはなし」の手掛かりは言葉だけです。そのため、ある程度の生活経験と知識がないと理解できませんが、子供はそれなりに理解してくれます。言葉を手掛かりに自分の知識をフル回転させてイメージを膨らせます。すごい想像力です。

「こわいおはなし」 

昔話の中には怖いお話がたくさんあります。私も、二人の娘を両脇に抱えてベッドに横になり、怖いお話をよく読んでやりました。鳥取県の伝説で、「ものいう布団」というのがあります。鳥取の町の小さな宿屋でお客が眠っていると、「あにさん寒かろ」「おまえ寒かろ」と、布団の中からささやくような声がするのです。お客は怖くて部屋を飛び出すのです。不幸な兄弟をめぐる因縁話です。幼い兄弟が、たった一枚の布団を譲り合いながら、寒さとひもじさで抱き合ったまま凍死する姿に思わずほろりとさせられるお話で、のろいの怖さより、貧しい人間の悲しみを伝える伝説です。「あにさん寒かろ」「おまえ寒かろ」と、悲しそうな声で読んでやると、二人の娘はしがみついてくるのです。それでも、また、つぎの日に読むよう要求するのです。「置いとけ堀」などの怪談も怖いお話ですが、しがみつきながら聞いている情景は、親子共々、今でもはっきり覚えています。

前にも書きましたが、怖いお話をドキドキハラハラと心の中で葛藤しながら聞くことは、感情の自制ができるようになるためにも大切な経験なのです。そして、いつかお話を思い出したとき、お父さんやお母さんに読んでもらったときの情景も一緒に思いだすのです。親子の強い絆です

サンタクロースの部屋

児童文学者の松岡享子(きょうこ)氏(絵本「おふろだいすき」「とこちゃんどこ」「かえるがみえる」等の作者)が、「サンタクロースの部屋」という本の中で次のようなことを書いています。

《アメリカのある文学評論誌の中に「子どもは遅かれ早かれ、サンタクロースがだれかを知る。そのこと自体は、他愛いの無いこととして片付けられてしまうだろう。しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。私たちは、サンタクロースその人の重要さのためではなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生み出すこの能力ゆえに、サンタクロースを大事にしなければならない」というのがあった。この能力はキャパシティーという言葉が使われていた。この言葉は収容能力を意味する。心の中にひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中に、サンタクロースを収容する空間を作り上げている。サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出ていってしまうだろう。だが、サンタクロースが占めていた空間は、その子の心に残る。この空間があるかぎり、人は成長にしたがって、サンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎え入れることができる。この空間、つまり目に見えないものを信じるという心の働きが、人間の精神生活のあらゆる面で、どんなに重要かはいうまでもない。のちに、一番崇高なものを宿すかも知れぬ心の場所が、実は幼い日にサンタクロースを住まわせることによって作られるのだ。別にサンタクロースには限らない。魔法使いでも、妖精でも、鬼でも仙人でも、ものいう動物でも、空飛ぶくつでも、打ちでの小槌でも、岩戸をあけるおまじないでもよい。幼い心に、これらふしぎの住める空間をたっぷりととってあげたい》というものでした。


私がこの本を読んだのは我が子が幼稚園の頃ですが、心の中にずっと焼き付いています。この言葉は、絵本の大切さと子育ての本質をついているからです。素敵な絵本を読んでもらったり、お話をいっぱい聞いたりして育った子は、崇高なものを宿すかも知れない「心の箱」を大きく育んでいるのです。


ついでに言わせてもらえれば、幼児期を、どんな環境の、どこの幼稚園で過ごすかが、とても大切なことなのです。大人になったら幼稚園のことはほとんど忘れているかも知れません。でも、幼児期にはぐくまれた「心の箱」が、どんな箱かが大切なのです。私達は、その素敵な、「心の箱」を大きく育てるため、子供達の個性と自由を大切にしながら、自主性と主体性を尊重し、豊な感性をはぐくむ教育を目指して頑張っているのです。幼稚園は心のふるさとなのです。