平和の心を伝える(平成22年度9月)

今年の夏は猛暑日が何日も続きました。熱中症のニュースもあちらこちらで耳にし、尋常ではない暑さを感じました。この暑さは9月になってからもしばらくは続きそうです。

夏休みも終わり、子供達はたくさんの夏の思い出を抱えて幼稚園にやって来てくれました。先生達は、日に焼けた元気な子供達に久しぶりに会えてとても嬉しそうです。2学期も子供達と一緒に良い時間を過ごしていきたいと思います。

さて、今年広島は被爆65年目を迎えました。昭和20年8月6日午前8時15分、忘れてはならない日。今年も、8月6日には、格別暑い中、平和記念式典が行われました。今の子供達は、私達以上に戦争の事を実感するすべもない世代です。学校の平和学習で習っているので知ってはいますが、この日の事をどの位理解できているのでしょうか。

私の娘はこの原爆の日が誕生日です。毎年家族で誕生会をします。その時には、決まっておじいちゃんの平和談義が行われます。どうしても8月6日といえば、その話題になってしまうのです。私達や孫達に体験した事を話してくれます。「ちょうど、その時おじいさんは15歳、八千代町に飛行場をつくるための作業に借り出されて働いておったんよ。南西の空がパッと光って少し遅れて大きな音がした。だいぶすると、大きな雲が登って来て黒い雨が降ったのが見えたんよ。何か大変な事が起きたんだと思った……。」──毎年同じ話で、その話が始まると、いつもは(またこの話か…)といった様子で苦笑いをしながら聞いていたのですが、今年の子供達はとても熱心に話を聞いていました。上の子が16歳、下の子が14歳でその間の15歳の時のおじいちゃんの話なので、自分に置き換えて聞くことができたのだと思います。自分と同じ年頃に「お国のために…」と言い聞かされて身体を使って働いていたおじいちゃんの事、原爆投下時の生々しい話、その後芸備線で見た怪我をした知人の話等々、一生懸命質問しながらおじいちゃんの話を聞いていました。

8月6日は、メディアを通して色々と原爆や戦争の惨事に触れる事ができます。8月9日は長崎原爆の日、そして8月15日の終戦記念日と平和について考えさせられる日が続きます。しかし、その時の事を語れるおじいちゃんでさえ、当時15歳、うろ覚えの体験談です。私達親も勿論話して聞かせてやれる体験などありません。

戦争を身をもって知っている世代の方々が段々おられなくなってきています。私もおじいちゃんの話を一緒に聞きながら、「こうして子供達の世代に言い継がなければ、平和に対する想いを抱く機会さえも失くしてしまうのだな。」と感じたのです。広島には、この原爆の事を若い人達に伝えようと、語り部として活動されている方々がいらっしゃいます。広島市内の学校では、街で平和を訴える学生達の一生懸命な姿も見られます。戦争を知らない子供達がこんなにも一生懸命な顔で道行く人達に声張り上げて平和を呼び掛けている──その姿を見て若い世代に繋いで行く事の大切さを感じるのです。

幼稚園の子供達にも先生達はこの原爆の日の話をします。どれだけ理解できているかは解りませんが、少なくとも広島に住む子供達は、ぼんやりとでもこの日の事を知っておくべきだと思うのです。毎年毎年繰り返し話してやる事で、年齢を重ねる度に平和に対する考えが確かなものになります。ややもすればこの世から時代と共に薄れゆく記憶を蘇らせる事が出来るのは、体験された方から次の世代に…次の世代に…と受け継ぎ伝えていく事しかないのです。

おじいちゃんの話を真剣に聞きながら、娘達には色々な事が伝わったと思いました。平和を願う気持ちは誰もが抱いているはずですが、平和な世の中にずっと生きてきた私達や子供達は、真の平和に気がついたり意識して考えたりする事がないのではないかと思います。あまりにも平和に慣れてしまっているからです。話を聞いたりその時の記録写真を見たりする事によって、その惨事を知り、その時の人達の思いはどんなだっただろうか、それからどんな気持ちでどんな努力で今の広島が復興したかと考える事もします。まだ幼稚園の子供だから…と思わないで、平和について話してやる事は必要です。まだ小さな世界でほんの数年しか生きていない子供達は、子供達なりに、自分の生活の中に置き換えて平和と幸せを感じてくれます。友達と仲良く元気に遊べる喜びや家族みんなで過ごせる幸せ、友達との喧嘩の中にもルールがある事、人を傷つける言葉や腕力の恐ろしさと悲しさ等…。これから、子供達はいろいろな事を学びます。戦争の歴史も学ぶでしょう。その中で、自分の平和観を持つでしょうが、人類が平和であり続けますようにと願う気持ちは皆が持っていて欲しいと思います。かつて死に物狂いで復興に力を注いだ方々に築いていただいた平和への願いをこれからは、私達、そしてこの子達が受け継ぎ、心から幸せを祈りながら自分達の手で平和な世の中にしていかなければなりません。

娘達が自分の誕生日を迎える度におじいちゃんの話を思い出してくれたらと思いながら、私も一緒に真剣に平和談義に耳を傾けていました。